4-18 グッドバイ
上空に、UFOを見た。
雲と雲の間。一瞬だけ姿を見せたそれを、僕はまたすぐ見失った。
探している暇はなかった。
「道具が止まねぇー!」
「おのれ幽霊めー!」
「我々メイドが」
「大学生」
「一旦落ち着」
「誰が誰と戦ってんの」
大騒ぎの真ん中に、僕は立っていた。
誰の味方をするでもなく、ただ道具や大学生やその他に襲われ、応戦している。
「赤鬼は全員で狙え! じゃないと勝てねぇ!」
誰かがそう指示を出し、大学生がいっぺんに襲ってくる。
……赤鬼。
フィアという神に憧れ、自分も神になろうとした僕の、成れの果て。
「いいなぁ」
ふ、と耳に入ってきた、と思ったときには、僕の周囲に光のバリアが張られていて、大学生達がぶつかって弾き返されていた。
「鬼って呼ばれ方、ちょっと羨ましい」
フィアの声。
背後から。僕と背中合わせに立っているらしい。
何がしたかったのか、この混乱の真ん中に僕を引っ張り込み、誰とも敵対する理由がないのに敵味方関係なく攻撃して、この場にいるほぼ全員を敵に回した。
僕は道連れにされた形だ。
「バリア張って颯爽と守りに現れたつもりか? 誰のせいで襲われてると思ってんだ」
「幽霊楽団のせいだよ」
「便乗したお前のせいだろ」
「……鬼っていいなぁ、何か、和風で」
「ソラガミ、で既に和の響きだろ」
「二人合わせて鬼神だね」
「漫才コンビみたいで嫌だな、それ」
バリアは強固で、ほぼ全ての攻撃を弾き返していた。
これなら少し休める。轟さん達のためにも、一旦フィアを落ち着かせて事態を片付け、どうにかトーナメントを再開させることができないか……。
……などと考えていたところで、バリアは目玉の弾丸によって破られた。
「ひっ!」
フィアにとっても予想外だったらしく、彼女にしては珍しいくらいの情けない声を上げる。
目玉の飛んできたほうを見る。
そこには、灰色の髪をした、僕と同じ顔が立っていた。
日下穹。
僕はその男の、名前だけ知っている。
「クカカ、何だよその反応。……もう少し驚いてくれ」
男が僕に言う。声は僕に、そして口調はどことなく、いつか聞いた『仙人』の喋り方に似ている。
栞の肉体を借り、僕の前に現れた仙人。
自分を複製し、仙人の前に取り残された僕と、自室に複製された現在の僕。
元の体を取り戻し、栞の座を宇宙人に譲った死音。
そして、穹という名前。
いや、目の前の相手が誰かはどうでもいい。
僕の目はもう、人の才能を視ることはできない。だが、それでも。
「負ける気はしない」
今の僕はかつての自分よりも、仙人よりも強い。
灰色の髪の彼は頷いた。
「そうか。……確かに、俺は君より弱い」
その右目が、機械のように光る。
一方的に才能を覗かれるのは、何となく気分が悪いものだった。
今更気付くか、と自嘲する。
力の差を認めながら、それでも、彼は闘志を保っていた。
彼の周囲に幾つもの目玉が発生し、渦となって彼を取り囲む。
「勝てる気は全くしない。だが負けるつもりもない。……負けたくない」
目玉がマシンガンのように飛んで来た。
それら全て、フィアがバリアで弾く。
呆気なく弾かれていく攻撃。それでも攻撃をやめない日下。
才能がないと告げられて、それでも諦めない者を、僕は馬鹿にしていた。
効率の悪い、正しくない道だ。神社の神様は、せめて正しい道を提示しようとしていた。
だが、さらに心の深いところで、尊敬していた……ような気がする。
僅かな可能性を信じて、何かに挑むその姿勢を。
「フィア、この戦いが終わったら」
「うん、……え、プロポーズ? 死亡フラグ?」
「いやごめん、違う」
何かに――それが何かすらもまだ思い付いてはいないのだが――挑んでみたくなった。
ずっと自分を見限って、自分より優れた才能の持ち主……フィアに期待していた。
だが、僕の右目は壊れた。
もう、お前の才能を視ることはできないから。
「この戦いが終わってしばらくしたら、街を出ようと思う」
もう、お前には期待しない。
フィアの動きが一瞬、完全に止まった。
バリアが消えていく。そして飛んできた目玉がフィアに直撃した。
ぱーん、と弾けた目玉。衝撃でフィアの体は小さく吹き飛び、地面に叩き付けられて倒れた。
「え……」
目玉の嵐が止んだ。
日下は呆然と立ち尽くしている。何が起こったのか分からないといった様子だ。彼だけではない。僕らを中心に、波紋が広がるように、辺りの音が小さくなっていく。
まだ、静寂とは程遠い。
ただ、一人の大声を通す程度の隙間が生まれ、
「トーナメントは中止だ! 本日は以上! 解散!」
轟さんの宣言。
と同時に、今度こそ混乱が収束し始めた。
様子を窺う人々、魂が抜けたように崩れ落ちる道具達。
「じゃあ幽霊の演奏継続しまーす!」
「勝手にしろぉおおお!」
許可が下りる。結局、死音達がわがままを通した形となった。
今の僕には幽霊の奏でる音を聴くことはできないが、それでも微かに響きを感じる。耳鳴りとか幻聴とかいう類のものに近い、音とも呼べない感覚が。
声のしたほうへ、視界を向ける。
見通しはあまり良くなかったが、目立つ金髪はすぐに見つかった。
駆け寄って、声を掛ける。
「轟さん……」
脆い心の持ち主だ。早めに助けておかないと、最悪死ぬ。
だが、案外轟さんは元気だった。残念そうではあったが、無理してでも、口元に笑みを浮かべることができている。
「予定とは大幅に違うが、ビッグイベントになった。……大丈夫、落ち込んじゃいねーよ」
それから袖で目元を擦って、軽く頭を下げた。
「ありがとな、神様」
◇
ぐちゃぐちゃになったテントや掲示板、機材……多少の事故ではこうはならない、というくらいに、それらは見事に破損している。とはいえ、片付けるのは超能力者達だ。体を使わず念動力でひとまとめに固め、ゴミ屑の山ができあがる。
その大きなゴミ屑の山を、僕とフィアはジャングルジムのように登って、頂上に座った。
「あの二人邪魔なんですけど」
「放っとけ。それよりどうやって弁償するか……」
「壊れたものを元に戻す超能力者くらい、探せば見つかるでしょ」
風が冷たい。
日は急降下して、暗闇が徐々に深くなっていく。
この街を出る。どこか行きたい場所があるわけではない。永束、呑天……この辺り以外であればどこでもいい。
要は、フィアと超能力。その二つから離れることができればいい。
フィアが何か聞いてくれば、答えるつもりだった。
だが、彼女の口は何か言いかけては閉じる。それを繰り返した。
「何か躊躇してる?」
促すと、フィアは首を横に振った。
「書いては消してを繰り返してるだけだよ。でも、名言は生まれなさそう」
「更新の滞ったWEB小説の作者かよ」
進まない会話。
それは遠くから見れば、何か違った意味合いのものに見えてしまうようで、
「ヒューヒュー!」
と地上から、ゴミ屑に乗った僕らを見上げて死音が茶化す。
僕は、彼女ほど過去と今で性格の変わった存在を知らない。幽霊になってから人間に戻る、という数奇な運命でなければ、人間の叢雲栞はどんな成長をしていただろう。
それでも、真面目な話を茶化すようなちゃらんぽらんになっていたのだろうか。
……いや、本気で色恋沙汰に見えるなら邪魔はしないか……?
そのうち死音だけではなく、虹林に霧生とその友達に、瀬尾さんまで寄ってきた。
「はいはい茶化すな邪魔するな! これから告白タイムかもしれないでしょうが!」
「瀬尾さんのその発言が一番邪魔してるのでは」
「俺もああいう幼馴染が欲しい」
「あたしも告白タイム欲しいー!」
別れのタイムなんだけどな。
フィアは小さく笑うと、容赦なく、彼らに向けて何か光線を放つ。ぎゃーと騒いで散っていく。彼らのコミカルな慌て方に、何となくこちらの気が緩む。
そうすると、口は自然と動き始めた。
「たまには帰ってくる。次に会うときには、お互いに別々の友達とか、恋人とか連れてさ」
「……うん」
「もっと時間が経ったら、全然違う場所で、全然違う人生を過ごして、それを語り合って……」
「ちゃんと両方生きてたらね」
「そんなに早死する気か」
「気を付けろってこと。カイは一回死んでるんだから」
へへっ、とフィアが笑う。
遠くのほうで、その死んだほうの僕……日下と、栞――宇宙人のほう――が話しているのが見えた。パラレルワールドを覗くような、不思議な心地がする。
「時々思うよ。カイは、私と出会わないほうが幸せだったんじゃないかって」
そんなことを言うのでフィアに目を向ける。
寂しい視線が、僕を見た。
思わず、こちらが目を背ける。
そんなことはない。
じゃないだろ。
当然のように出そうになったリップサービスを咄嗟に止める。違う。あのとき僕の家族が引っ越さなければ。僕の目が改造されないまま、ただの、何の変哲もない天才として生きることができていれば。
僕の不幸は、フィアと出会って始まった。
だから。
だからこそ、離れようとしているんだろ?
勝手に思考が動いて、止まってくれない感じだった。
その最中、どこか頭の別のところで、真逆の思考が働いている。フィアへの愛着、神様の隣を独占し続けてきた優越感、自分の嫌なところ。弱さ。
そのどれかが正しいとかではなく、全部が、僕の感情だ。
言葉になる感情はまだ表層。その下に蠢く無意識が、僕に笑みを浮かべさせたり、一滴の涙を零させたり、心臓を強く叩いたりする。
本音などという言葉は糞だ。素直な言葉なんてものがあっさり口から出てくるわけもなく、僕は……先程のフィアのように、書いては消してを繰り返す。
名言は生まれそうにない。
ただ、迷うことそれ自体が、一つの答えだった。
「……じゃあ、私から一つだけ」
フィアが、先に口を開く。
「せめて、私のいない場所で幸せにならないで」
それだけ言うと、フィアは立ち上がり、背に翼を生やした。
引き留めようとしたときにはもう遅く、そのまま、逃げるように飛び去ってしまった。
これが最後で、もう二度と会うことはないのかもしれない。
振り向きもせず去っていく彼女の背中を眺めながら、根拠もなく、そんなことを思った。
◇
メイド服が地上から近付いてくる。
死音だった。
「フラれちゃったのかい? ゲヘヘ」
ゴミ屑山に登ってきて、一人でいる僕を指差して嘲笑う。登る、という動作をするには胸やらスカートやらが邪魔そうで、なかなか苦労していた。
「……僕の知っている叢雲栞は、もっと空気を読める奴だったよ」
宇宙人でも幽霊でもない、人間の叢雲栞は。
少なくとも、ゲヘヘとか絶対言わなかった。
「空気を上手に変えるのは、読むより高度な技だよ。成長してるんすよあたしも」
「……にしても今日のは、少し不快だったよ」
笑い方が、ではない。
手順を踏まずに、人の組み立てた予定を台無しにして、幽霊にライブをさせたことがだ。
「楽しめた?」
こちらの言いたいことを察知した上で、死音はあっけらかんと言い放つ。
僕は少し考えて、正直に首を横に振った。
「そっか、残念。……演奏? それともやり方が気に食わなかったかね」
「右目が壊れたんだ」
見開いてみせる。
「ひええ……ああ、なるほどね。そもそも聞こえてなかったってところか……」
納得したように頷くと、
「おかえり、才能の視えない世界へ」
多分、わざとだろう。僕の心を掻き乱そうという、ちょっとした悪戯。
小学生時代、まだ死音でも、幽霊でもなかった頃の。
儚げな笑みを浮かべて、彼女は言った。
◇
「街を出て行くらしいね」
生前の栞、から、死音の表情に戻って、彼女は言った。
まだフィアにしか伝えていないことを、何故?
「……よく知ってたな」
僕は思ったままを口にしたが、死音は首を傾げた。
「ん? まあそっか、皆にはまだ言ってないんだっけ?」
「皆というかフィア以外誰にも、まだ……」
「うん、真っ先にフィアが知ったみたいなんだけど」
情報が早過ぎる。
確かに誰が聞いていたとしてもおかしくはないのだが、この口振りからすると、既にそれなりの噂くらいにはなっていそうだ。
「んでまあ、あたしか心奈が跡を継ぐか、潰すかのどれかになりそうで……」
「何の話だ?」
跡を継ぐ? 潰す? 何を。
会話が噛み合っていないらしい。
どうやら僕の話、ではなくて、これは……。
「――あはは、誰の話だと思ってたのさ」
ほぼ同時に、笑い出す。
そして、死音が鼬川さんの話をしていたのだ……とこちらが気付くのと同じように、死音も僕が何の話をしていたのか大方理解したらしい。
「最後の機会かもしれないから言うけど」
徐に口を開いたかと思えば、
「カイ。あたし、大好きだよ」
「……」
「toeが」
「バンドの話かよ」




