4-17 エソテリック
「えー、それでは二回戦最終試合!」
二回戦最終試合。……と聞いて、僕は自分が意識を失っていた時間の長さを思い知った。
僕は二回戦の第一試合に出るはずだったのだが。
「僕は不戦敗ですか?」
「や、まあ、だって、意識なかったし時間なかったし……」
轟さんは言い訳じみた言葉を並べ、僕から目を逸らす。
「起こしてくれれば……」
「起きなかったんだよ仕方ないだろ! いや、確かに私がもっと頑張りゃ起こせたのかもしれねーがそれはその、ごめん」
「いいよ別に。僕ももう、そんなに勝ちに興味なかったし」
「おいおい!」
ツッコミじみた反応をされたが、別にボケたつもりはない。
フィアがトーナメントから消えた時点で、僕に勝ち上がる理由はなかった。
直接の対決も叶って、正直、もう僕は燃え尽きている。
「雷も嫌がっていたけどな。せめて神様のどっちか倒さないと、優勝する意味がないって」
「霧生じゃ駄目なのかな」
フィアを倒した男を倒せば、フィアより上であることの一応の証明にはなる。
直接勝つより説得力は薄いかもしれないが、十分な成果ではないのか。
「事実が欲しいんだろ」
「事実?」
「直接勝たないと、胸を張って神様を倒したって言えないだろ?」
轟さんが僕を見る。
フィアに対抗していた僕に、直接刺さってくるような言葉。
「……主催がそういうこと言い出すと、盛り上がらなくなりますよ」
◇
瀬尾さんがマイクを握りしめ、叫ぶ。
「本日のヒーロー候補、神様超えの霧生進!」
仰々しい紹介に、霧生本人は背を曲げ、落ち着かない様子だ。
「対するはメイドラーメンからの刺客! 一回戦は不戦勝のため実力未知数の! きぐるみ『いたっちー』!」
「何できぐるみ着てんだー!」
「脱げー!」
「裸になれ」
霧生は歓迎され、きぐるみは、まるでヒーローショーの悪役扱いだ。
番狂わせを起こしたダークホース、霧生進。
この街の九年間、はまた別の話。その中の、極一部……例えば今日までの数ヶ月間を物語にするとすれば、僕でもフィアでもなく、きっと彼が主人公になる。
そんな想像を巡らせて、僕は霧生を見守る。
「優勝は霧生、雷、日下……の三人のうちの誰かかな」
と、轟さんが言う。
その横で、フィアが首を横に振る。
◇
「勝てよ、霧生!」
雷が叫ぶ。声は大きいが、その割に必死さは感じられない。
勝って当然、とでも思われているようだ。
目の前の相手がメイドラーメンのきぐるみでなければ、俺だってもっと気楽でいられた。
この会場には、一人、俺の知っているメイドがいない。
俺達高校生に、わざわざこのイベントの存在を知らせてきた人が。
「……死音さん、ですか?」
問い掛けると、それはゆっくり頷いた。
「半分、正解」
きぐるみをすり抜けて、中から死音さんが出てきた。
IWASHIと書かれたTシャツに、黒いジーンズ。
ガールズバンドのメンバーにいそうな風貌。違う魚のバンドなら聞いたことがあるけども。
「い、いわし……?」
「動きやすそうな格好で、と思って」
「鰯……?」
「でも半分不正解。いたっちーの中にいたのは、あたしだけじゃないんだ」
パチン、と指を鳴らす。
その合図で、きぐるみいたっちーの中から大量の人が出てきた。
グラウンドは死装束で白く染まる。
現れたのは皆、幽霊だった。
……何故イワシ……?
「わああああああ」
会場がどよめく。
「白い!」
「あのきぐるみどういう仕組みなんだ」
「もしかして幽霊? ついに見えてしまった」
肉体がなければ、狭い場所に何人でも入るということか……?
しかしそれ以前に気になることが一つ。
え、これって一対一の戦いじゃないの?
グラウンドを埋め尽くす幽霊の姿は、実況兼審判には視えていないらしい。
「な、何? 何事? 何かあった?」
戸惑いの声が放送で流される。
「瀬尾さんには霊感ないよ。調査済み」
死音さんがニヤ、と笑う。
「えー、そんなに勝ちたいんですか」
「いや、そうでもない」
これだけの幽霊を集めておいてそうでもないって!
「だったら、これは一体……?」
ボコボコにされる覚悟はしながらも一応、腕を構えて喧嘩の準備だけはしてみる。
死音さんはだらんと腕をぶらさげたまま、
「構えぇぇ!」
叫んだ。
と同時に、幽霊たちが一斉に楽器を構える。
管楽器、弦楽器、打楽器、ドラム缶なんかもある。
――幽霊楽団……?
「鳴らせぇぇ!」
どんがらがっしゃーん。
まるで交通事故現場。からの、雨、嵐。
別に打楽器しかないわけではない……はずなのに、その音はどんがらがっしゃんだった。
あまりにも洗練されていない。案外単体ならまだ何とかなりそうなものなのに、同時に色んな音が鳴って、しかもそれらが互いを意識していない。
「コラー! 各々が別々の曲を鳴らしてどうするんじゃー! そしてあたしの声が掻き消されるような轟音を出すなーって聞こえてないかな……まあいいか」
よくないだろ!
実際どうかは知らないが、超能力者は普通より霊感が強いと言われている。
そして、今日この場所には、街中の超能力者が集まっている。
確かに、幽霊が演奏を聴いてもらうにはうってつけの舞台だが。
「え、じゃあ対戦相手の俺は? 放置?」
「放置。もう君の勝ちでいいよ」
「いや嬉しくないんですけど! あんたに追い付こうとしてここに立ってんのに」
「そもそも君の土俵は音楽でしょ! 超能力で勝ってどうすんの!」
「それは……」
確かに、俺はここしばらくの超常現象を通じて人と繋がって、充実した生活を送るフリをしていた。俺にとっての充実した時間は、譜面の上でしか作り出せないというのに。
でもトーナメントに俺を誘ったのは死音さんのほうだったような。
「おお、誰も指揮してないけどまとまってきた! いいぞその調子……って、これも聞こえてないか」
狂っていた音が、徐々に同じリズムに乗り始める。
相変わらずメロディやハーモニーはないも同然……といっても徐々に、各々がそれぞれの役割を理解していっている……ような気がする。
「もし俺じゃなかったら、許してないですよこれ」
「うん、ありがと」
「もうちょっと感謝してくれませんか」
腹は立つ。
蔑ろにされて、挑んだ勝負を完全に無視されて。
でも、それが俺の一人相撲であることも分かっている。
しかし、俺が許せばみんなこの状況を許すのかといえば、そうではなかった。
「幽霊! コワイ!」
「勝負は一対一じゃなかったのかよ」
「友人が取り憑かれて襲ってきた!」
「耳を塞いでも聞こえてくるんだけど何これ!」
騒ぎが大きくなっていく。
「いやー反響が凄いぜ」
「鳴ってる音に対しては、誰もそんなに興味持ってなさそうですけどね」
見ている側からすれば、この状況は動画サイトで流れる広告みたいなものだろう。
「な、何? ちょ、実況の私が状況を把握できてないんですが」
困惑する放送席。
ゴトン、とノイズ混じりに音がして。
「中断しろ! 幽霊だろうがなんだろうが、部外者は出て行け!」
主催からのアナウンス。迷惑行為に対する、当たり前の対応のような気もする。
「文句言われてますけど」
「うん。……だからこそ、きぐるみなんか用意して、こそこそ準備を進めてたんだよ」
「悪者じゃないですか」
「悪者だよ」
放送席に顔を向け、
「この大会はあたしが乗っ取った!」
死音さんは、放送席に中指を立てた。
色んな意味でそれはダメだろ。
「きぐるみいたっちーは失格だ! 死装束ごとつまみ出せ!」
大声とハウリング。それを合図に、大学生がグラウンドへと踏み入ってくる。
大学生だけではなかった。今日を無事に終えたい者、騒音反対派、幽霊はとりあえず除霊したい者が動き出す。
死音さんが溜息交じりに笑う。
「案外ノッてくれないんだね大学生。音楽好きじゃないのかよー!」
「音楽っていうか騒音ですけどね」
「あぁ?」
「ごめんなさい。……ここからが大変ですよ……」
トーナメントの進行を邪魔している悪者。
それが今の幽霊たちだ。受け入れている俺も、多分同罪になる。
「半端な悪者になるくらいなら、とことん暴れて憎まれよう」
「そうっすね」
どっちにしろ、実力行使しか道はない。
「幽霊達は演奏に忙しいからね」
「喧嘩できるのは俺達だけですか」
「うん。頼りにしてんよ、相棒!」
死音さんが、妙に本格的な、空手のような構えを取る。
「幽霊を守れぇー!」
と乗り込んでくるメイド。
「暴れろぉぉおお!」
雷を筆頭に、俺以外の高校生連中は運営の味方をする。
「てめぇ霧生! 俺達が天下を取るチャンスを台無しにしやがって!」
雷は文字通りの光速でこちらに飛んできて、俺に襲い掛かってきた。
反射神経が追い付く間もなく、拳が飛んできて。
それをひょいと掴んで、柔道のようにひっくり返して気絶させた。のは、俺ではなく死音さん。何の技だよ……? 腰を抜かして座り込んだ俺に、彼女はケラケラ笑う。
「死んでいた間に、体のほうも強くなっちゃってたんだ」
「……まともに戦わなくてよかった」
◇
放送席で、瀬尾さんは呆然としていた。
轟さんがマイクを奪って叫ぶ。
つまみ出せ、の号令によって大学生がグラウンドへ踏み入っていく。
だが、幽霊の味方も少なからず存在した。だからこそ、敵味方入り乱れ、騒ぎはどんどん大きくなっていく。
呆然としているのは、瀬尾さんだけではない。
「カイ?」
フィアが視線を向けてくるので、僕は小さく笑ってみせた。
「思った以上に、右目が悪くなったみたいだ」
「……そっか」
幽霊、という言葉ばかりが聞こえるだけだ。
視えなくなってしまったのは、才能だけではないらしい。
「糞、何でこうなるんだよマジで!」
轟さんは金色の頭を掻き毟り、苛立ちを露わにした。
運営側は勢いで圧されている。
「なんか知らんけどこの際さっさと負けを認めたほうが、この騒動早めに収まるわよ」
他人事のように瀬尾さんが言う。
「確かにそうかもしれねーが……」
「ほら、決断力!」
「あーはいはい、分かったよ!」
轟さんがやや躊躇しながらマイクを握る。
だが、そのとき突然マイクが暴れ出し、轟さんの手から逃れた。とほぼ同時に運営テントが動き始め、金属の足を巧みに操り僕らに襲い掛かってきた。
「な、な……え、ええ? うぉお?」
為す術もなく固まる轟さん。
フィアが盾になるかの如く飛び出す。
そして手をかざし、視えない力で、テントをぐにゃりと潰す。
ねじ曲がり、丸められ、よく分からない塊となったそれは、バサリともドサリともいえない、鈍い音を立てて御座に落ちる。
不幸にも、放送機材は巻き添えとなった。
騒動の中、マイク無しでは、轟さんの声は誰にも届かない。
僕らは寒空の下に晒される。
仕事をしたような顔で、ふぅ、と息を吐くフィア。
「間一髪だったね」
「何助かったねみたいな顔してんだよ! 助かってねーんだよ! レンタルした機材めちゃくちゃだしよぉー!」
轟さんは潰れたテントを蹴り、じたばたする。
「糞、幽霊ども絶対許さねぇ! こっちにはまだ戦力が……星熊と叢雲はどこだ!」
「落ち着きなさいよ。自棄になったら終わりでしょ?」
瀬尾さんがなだめるが、それも火に油を注いでいるだけだ。
「何でそんな冷静なんだよお前は! いい加減にしろよ!」
「えーまさか的確にアドバイスしてやってるこのパーフェクト瀬尾様に文句あんの?」
「アドバイスなんか頼んだ覚えねぇよ!」
「実際結構私のおかげで進行上手くいってた感あるでしょうが!」
「そ、それは」
「ほーら一瞬言い返せなかった!」
落ち着きなさいよと言っていた人間の言うことか、と、指摘すれば僕まで巻き込まれそうだったので静観する。
辺りを見れば、暴れ出したテントは一つだけではなかった。
「他の道具も暴れ出したのか……! どうなってんだ!」
「はー? 世も末ね」
メイドと大学生と道具。
三つの勢力が入り乱れて、止められそうにない規模の混乱が起きている。
◇
様子を眺めていると、何かが僕の腕を引っ張る。
抵抗もできないまま、僕の足は、混乱したグラウンドへ。
「――行こう、カイ」
フィアが言った。
「お前、まさか」
道具を生物のように動かし、幽霊騒ぎに便乗してトーナメントを台無しにしたのは、もしかして。……轟さんに同情しながらも、その疑いを、僕はすぐに忘れようとした。
自分から動いたフィアの足を、止めたくない。
死音と同じだ。僕も、自分の都合で悪者になろう。




