4-16
持っている力を全てぶっ放すだけが本気ではない。
制約の中で、一瞬の選択を迫られながら戦うことのほうが、地味で、苦しくて。
いつも負けているから、今日もきっと負ける。
僕にはフィアほどの価値がない。
フィアには、価値がある。
――だからフィアを信じていた。
そして、僕に過度な期待を寄せられたフィアは、負けを極度に恐れた。
全力を出して負けるくらいならと、勝利に興味がないフリをして、手加減してわざと負けるほうを選んだ。
勝てないのではなく、勝たない。
そのままずるずると逃げ続けて、何もしなくなった。
八極拳……の真似事。
即座に、その動きが何のキャラクターの動きなのかが理解できた。
模倣そのものは完璧だ。ただ、模倣先が本物ではないから、型としては不自然。
本物の格闘技をやっていれば、極みまで辿りつけたのではないだろうか……なんて、余計な想像が浮かぶ。
ゲームの動きを忠実に再現してくるなら、次の動きも予想がつく。
仕掛けてくる。懐に潜り込んで、背中からぶつかる体当たり。鉄山靠。
……を、僕は回避して、隙の生まれたフィアの体を掴んで、柔道のように投げる。
だが、その感触が、途中から異様に軽くなった。
「え、あ……?」
空振り?
地面に倒すはずだったフィアの姿そのものが、消えてしまった。
バランスを崩してよろける僕を、上から、翼を生やしたフィアが眺めていた。
大きな白い翼を羽ばたかせる姿は、天使のようだ。だが見た目はともかく、出来ることといえば飛ぶことくらいだ。
唯一のカードとして使用するほどの価値が、あるだろうか。
「使える超能力は一つ。大丈夫なんだろうな?」
フィアは困ったように笑って、
「二つ……いや、三つ使っても良いっていう、特別ルールでもいい?」
勝負中にルール変更の提案。子供のような手段を使ってきた。
少しだけ呆れて。
それでも、まあ。
「……嬉しいよ。ルールを変更してまで、勝ちたがってくれるなんて」
半笑いで問い掛けた僕に、フィアは挑戦的な笑顔で答える。
闘志に満ちたその目に、僕は安堵する。とはいえ、勝ちを譲る気はない。
さらに上空へと羽ばたくフィア。
僕は地面を蹴り、翼もないまま空中へと落ちていく。
そして、手の中に、エネルギーの塊を作り出す。光を纏う、炎とも光とも電気とも言い難い何か。その見た目は、強いて言えばミラーボール。掌から弾丸のように撃ち出す。
至近距離でぶつけ合った力は強い熱と光を纏って。
爆発を巻き起こした。
「え」
「お、おい」
「ぎゃあああ」
「死人出るぞ」
バリアやら金属化やら、お互いに身を守る術ならいくらでも持っていた。
命は無事だ。派手な攻防を繰り広げた割に、外傷はほとんどない。
だが僕は少し、しくじってしまった。爆風から逃れるタイミングが、ほんの少し遅かった。
右目から、涙が零れた。拭って、涙だと思ったそれが赤いことに気が付く。
血なのか、痛みこそなかったが、思わず右目を閉じる。瞼を動かしたとき、ジジジ、と機械音がした。カメラが不具合でも起こしたか。
視界は白い。小学校だったか中学校だったかの、防犯訓練を思い出した。吸ってはいけない、悪い匂いがする。まるで火事の最中に投げ出されたみたいだ。
フィアの姿……どころか、何も見えない。
宇宙人だって、視覚情報だけで地球を分析しようとは考えないだろう。だが改造されたのは右目だけだ。ここに、彼から与えられた全てが宿っている。
……右目で音声も拾えるのではないだろうか。
浮かんだ発想を吟味もせず、僕は左目を閉じ、視界をシャットアウトした。
自分の耳は信じられない。
そんなものを信じるくらいなら、デタラメに頼るほうがマシだ。
――後ろに気配を感じた。
すぐに掌を向ける。
もう身の安全は考えない。
放つ光の塊の、威力を上げる。そのことだけに集中する。
そうして撃ち出した、と同時に、再び爆発が起きて。
爆風に巻き込まれて、吹き飛ぶ体をコントロールできなくなった。
太陽に翼を焼かれたイカロスの話を、ふと思い浮かべた。
このまま死んでも、それはそれでいいかなと思う。本気を出したフィアと、本気でぶつかり合う。僕に、他に何が要る?
◇
「雨野くん、安らかな顔で逝ったわね」
瀬尾さんが言った。
彼女らしい冗談に、僕は少し笑ってしまった。
……それから、少しずつ、本当に自分が死んでしまったのではないかと不安になる。
意識があっても生きているとは限らない。
楽器に縋る幽霊の姿を見ていた僕にとって、案外死は身近な現象だ。
しかし僕は生きていた。
「おっと起きたわね。おはよう、雨野くん」
テントの下。僕は御座の上で寝かされていた。
散らかったパイプ椅子。その一つに、瀬尾さんと轟さんが座っている。
寝転がったままの僕と、轟さんの目が合う。轟さんは何故か涙目だった。
「やっと起きたか……良かった……」
「大袈裟な」
「うるさい! だってあんな……死んだかと思ったんだぞ!」
僕が死んだかと思ったのは、僕だけではなかったようだ。実際、死んでもおかしくない高さからの落下だった。自力で助かったわけではないはずだ。
「……フィアは」
どうなったのだろう。結局、勝つことはできなかったが。
「後ろ、見てみろ」
轟さんが言うので、上体を起こして背後を確認する。
フィアが眠っている。僕と背中合わせで眠っていた。わざわざ誰かがこの配置にしたのか。イタズラがばれた子供のような笑みを浮かべる瀬尾さん。
「引き分けだ」
轟さんが言う。
「お互い弾を撃ち合って、爆発して、二人とも結構な高さから無抵抗なまま落ちた」
「何で生きてんだ僕ら」
いくら何でも、それでほぼ無傷はないだろう。
「地面に叩き付けられる直前、咄嗟に霧生くんが飛び出して、念動力で拾ったのよ」
瀬尾さんが、運営テント近くに立っている霧生を指差した。彼は僕の視線に気が付くと、困ったように、遠慮がちに笑って、すぐに目を逸らした。
申し訳なさそう、な態度にも見える。
……実際、今日の彼の活躍には、悔しさを覚えなくもない。
「で、雨野くんよ。体の調子はどう?」
瀬尾さんが言う。
目立った外傷はない。しかし。
「……落下のダメージとかはありませんけど……右目が、ちょっと」
「改造されたとかいうのは右目だったっけ?」
「ええ、まあ」
「機械は叩けば直る!」
瀬尾さんが僕の右のこめかみを平手で叩いた。
手加減のない一撃。
ベキッ、と、不穏な音が鳴った。同時に、視界に変化が起こる。
叩いた本人が怯んで、固まる。
「……う、嘘、私やっちゃった? ……ちょ、目ぇやばいわよ! 黒目に亀裂入ってる!」
「瀬尾さんの発言は八割冗談って最近分かってきたので」
シリアスな顔で冗談を吐く女。それがこの人だ。
「本当だってば! 割れたビー玉みたいになってる! 叩いただけで!」
慌てているようで、瀬尾さんは笑っている。
むしろ、横で見ている轟さんのほうが動揺していた。顔面蒼白で僕の右目を見ている。
……亀裂は本当らしい。
「お、おい、見えるか? 見えるのか?」
「失明した」
「うわああああああああああ」
「冗談だよ」
「ああああああああああああ」
一見、凶暴に見えて、実際は弱々しく表情豊かな轟さんと、
「あっはっは、まあ大丈夫そうね」
表情豊かなようでいて、大体いつも同じ微笑みを浮かべている……本心が見えてこない、瀬尾さん。
光を失って。
なんだかいつもより、人の顔がよく見えた。
◇
フィアが起き上がる。
彼女の中にも、もう輝く光を見出すことはできなかった。
「カイ?」
見つめる僕の視線を訝しんでか、フィアが不思議そうに僕を呼ぶ。
もう、神様は見えない。あれだけ眩しかったフィアの姿が、今は、ただ白髪が特徴的な女の子にしか見えない。
「可愛い顔してんだな、フィア」
「……どしたの? 珍しいこと言われた気がする」
「僕がお前を褒めるのはいつものことだろ」
「才能以外のことは、ロクに褒められたことがないよ」
「……そうだっけ。……」
どうやら、カメラは壊れてしまったらしい。
僕は改造人間としての特権を失った。右目はもう、普通の人間の目としての機能しか果たしていない。……つまり、正常に……元に戻っただけなのだが。
もう、人間としてのフィアしか、見ることができない。
僕にとっての神様も、
才能を視る、僕という神も死んでしまった。
続きます。




