4-15
夕方、人もまばらな大学の呑天大学のラウンジ。
正方形のテーブルを囲うのは、俺を含めて四人とも、この大学の学生ではない。
「まあ、興味があったらの話なんだけどさ」
死音さんはそう前置きして、テーブルの上に一枚の紙を置いた。
超能力バトルトーナメント開催!
参加 1000円
観戦 2000円
「おぉ! こういうのを待ってたんだよ! ……霧生、如月。何かお前ら、感動がないな?」
と興奮気味に食い付く雷。メイドラーメンで同じ紙を見ているため、俺は特に反応はしない。
如月は不敵に笑うと、
「我は既に知っておったぞ。雷のことは勝手にエントリーさせておいたから安心せぇ」
新しい口調でそう言った。
死音さんは無言で紙を片付け、苦笑いを浮かべる。
「エントリーしてみないかって話をしにきたのに、既にしてるというオチだとは。……あたし一体何のためにここに来たんだろう……」
「勝手に現れて勝手に落ち込むとは、なかなか面倒臭い人だな」
雷が俺に耳打ちした。いや俺もちょっと思ったけど、口にしちゃダメだろ。小声ではあったが死音さんの耳にもばっちり届いていたらしく、彼女は困ったように雷を見て微笑み、
「……まあ、エントリーするからには頑張って勝ち抜いてね。じゃ、あたしはこれで」
ふらりと立ち上がって俺達に背中を見せると、ああそうだ、と振り向いて、俺に向けて指を差した。
「――霧生くん。正直、音楽でも超能力でも発言力でも外見の美しさでもユーモアセンスでも先見性でも、あたしは君に優っていると思う。でも何故か、君から目が離せない。君のことが気になって仕方がない。……トーナメントで当たるの、楽しみにしてるよ」
ちょっと巫山戯た風にウィンクすると、スキップしながら離れていく。
通り掛かった学生らしき男性数人が、奇異の目でその様子を見ている。死音さんが去った後、彼らは内輪で言葉を交わす。
「すっげー揺れてたな」
どこ見てんだよあんたら。いや、分かるけど……。
直後、死音さんからメッセージが届く。
「恋してるってわけじゃないけどね!」
……だったら、トーナメントで惚れさせてやる。
しかし迎えた当日。
あろうことか、初戦の相手がソラガミさん。
そんでもって、いない! 死音さんの姿ががトーナメントどころかグラウンドのどこにもいないじゃないかどうなってる!
ほとんど勝つ気も失って。
それでも心のどっかで、諦め切れなくて。
ああなればこうなれば、の非現実的な妄想ではあるけど、目の前に立ち塞がる『最強の存在』を打ち破れば、憧れの人に少しだけ近付ける気がして。
……とはいえ、気合だけでは勝てない。
ソラガミさんに与えられ、カイさんに『名付けられた』能力をそのまま使ったところで、勝てる見込みは皆無だ。
だったら、如月のように超能力の性質を変化させる。
星熊さんの言葉を信じて、超能力の可能性を俺自身が広げていく。
……要は何でもありだ。何でもありに、俺がする。
博打ではある。
わざわざ勝負中に、できるかどうかも分からないことを試そうなんて、馬鹿みたいだ。
――馬鹿で上等。
まともな思考で、神様になんか勝てるわけがない。
◇
「何かが起こったぁああ! てっきり勝敗は決したと思っていましたがとんでもない! 一方的な肉弾戦からようやく超能力バトルが始まったぁああ!」
素人同士の喧嘩が一転。突如、フィアの体が宙を舞う。
不自然な体勢から、見えない手に放り投げられたかのような動き。何が起こったのか本人にも分からないらしい。フィアにしては珍しく、驚いた顔を浮かべていた。
だが、隙のある顔を見せたのも一瞬だった。すぐさま空中で体勢を立て直すと、両足と腕一本で、忍者のように着地する。
「おい何だ今の? 自分で跳んだのか?」
星熊が僕に問う。
「確かに、そんな風にも見えなくはなかったけど……」
戸惑うフィアと、辛そうに立ち上がりながらも、口角を上げて挑戦的に笑む霧生。
実体のないものを掴み、捉える力。
その力で、遠距離から強引に相手を掴んだ?
「本当に負けるかもな、ソラガミ」
星熊が言う。
「霧生には一つ、大きな隠し玉がある。あいつは、俺とお前の会話を聞いていただろ?」
「……いたね、後ろに」
僕が見ていたのは超能力の『才能』で、『可能なこと全て』ではないという、星熊の仮説。霧生は雷達と共に、その話を聞いていた。
……が、だから何なんだ。
彼よりは素質のある僕ですら、目玉をたった一つ出現させることに一度しか成功していない。時間を使って努力したなら話は別だが。
半日にも満たないこの短時間で、あの会話をヒントに何ができるんだ。
フィアが横っ飛びした。
直後、フィアが立っていた辺りの砂が空中に巻き上がる。
サイコキネシスを回避して、フィアは円を描くように、霧生の周囲を駆け回る。
「流石の対応力って感じだな。超能力を使わずに互角の勝負を繰り広げるとは。……勝ちそうだな、この調子だと」
「……うん」
反撃に転じない。
逃げ回るばかりで、フィアから何かを仕掛けることはない。
表情は、どこか虚。こんなときにフィアは、考え事を始めてしまったようだ。
◇
予想外の事態にも対応して、いつでも、勝とうと思えば勝てそうで。
またいつものように、頭が動き出した。
どうすればいいんだろう。
一つ目標を定めれば、それを達成するのは簡単なことなのに。
勝つことは楽なのに、何故勝つのか……なんて考えるのは、人の……私の悪い癖。
勝ちたい。
正しくありたい、
間違えたくない。
善くありたい、
死にたくない。
その目標はどこから来たの?
機械のように設定されたそれに、疑問を抱いたことくらいはあるでしょう?
疑問に思った瞬間、負け慣れた心は虚無感に襲われて。
……だって、私の場合、いつでも勝とうと思えば勝てるんだから。
頑張っている霧生くんを、わざわざ踏み台にする必要、ないよ……?
私だって、心奈が憧れるような「主人公」じゃない。
確かに私は物語の中心にいたかもしれない。けど、それは主人公として……ではなかったと思う。私だって心奈と同じ、存在しない「主人公」の椅子に憧れる一人。モブではないから心奈よりはマシかもしれないけど。
ボスキャラクターの一番大事な仕事。
それは、最強だ最凶だと散々ハードルを上げた後、自分の元へ辿り着いた主人公を圧倒的な力で追い詰め、ドラマチックに、――負けること。
「……もしかして、あんまり勝つ気がない……んですか?」
霧生くんが言う。特に感情を伴わない声。
同じセリフでも、きっとカイなら怒りながら言っていた、と思う。
「手を抜かれるのは嫌かな?」
「……俺は勝ち上がるためにここにいます。カイさんとは違う。あんたとの勝負に、特別な思い入れはありません」
「何のために勝ち上がりたいの?」
「――憧れの人に、近付くため」
少し笑ってしまった。
感銘を受ける、わけがない。でも即答できるのは、ちょっと羨ましい。余計なことを考えず、機械のように一つの目標のためだけに動く。
子供の一人遊びを邪魔したくないのと同じ。
馬鹿馬鹿しいとか意味がないとか思うけど、それを邪魔したくない。
その感情を打ち消すほどの、勝利への渇望が、私にはない。
再び、今度は右腕を掴まれる感触。
そして、投げられる……のではなく、掴まれたまま空中へ。振り回されるような格好。さっきよりも体の自由が効かない。
負けるチャンス。打ちどころに気を付けて。
後頭部以外なら、まあ、多少は怪我してもいいかな。
「何と! 為す術もなくソラガミが押されています! まさかの大番狂わせなるか! は? 試合時間? んなもんルール捻じ曲げてでも延長するに決まってるでしょうが!」
瀬尾さんが盛り上げる。
でも別に、延長なんか必要ない。
謎の念動力に捉えられた私は、このまま地面にぶつけられて倒れるのだ。
――ソラガミが負ける! なんて、きっと珍しいことのように騒ぐだろうけど、当の私が新鮮味を感じていない。
ああ、カイに何て言い訳しようかな。なんて考えながら。
わざと、右腕を下敷きにするような変な格好で着地。予想以上の痛みと変な音。
負けるにしても、ここまでやんなくても良かったかな。……起きない。起き上がれない。仰向けになるのが限界。普通に怪我した。痛いよ。
観戦者は静まり返る。
「……嘘でしょ……?」
瀬尾さんでさえ、静かにそんな感想を漏らすに留まった。
足音がした。
追い打ちでも仕掛けてくるのかと思ったけど、違った。
「――ソラガミさんは何のために、俺の前に立っていたんですか」
勝ったくせにどこか悔しそうに。
呆れたような溜息も混じりつつ、霧生くんが聞いてくる。
どんな顔をしているのか、倒れたままの私にはよく分からない。ただ傍で……見下すように私を見ているのだけ分かる。
相手がカイだったら、きっと悔しかった。
他の誰に負けようが、興味ないんだよ。
カイが私に勝てないのは、きっと、彼が私の心を動かすからだと思う。「本気で負けたくない」と思わせてくれる。だからカイは、私に勝てない。
私はカイにしか勝てない。
「何のため? ……分かんないから負けたんだよ……」
決勝でカイと会うつもりだった。
それが目標だった。でも、見失った。
霧生くんに負けたくない、とは思えなかった。
興奮状態の頭を、一度真っ白にする。見苦しい言い訳ばっかり浮かぶのは、何だかんだ、本当は悔しいからに他ならないんじゃないかな……なんて、自分に語りかけながら。
「救急車! あんなもん、ちょっとした飛び降りみたいなもんでしょ! トーナメント継続とか気にしてる場合か!」
それ以上、事を大きくするのも悪いかな。
変な方向に曲がった腕を、超能力で自己修復。ぴょんと立ち上がる。「平気なんかい!」と瀬尾さんが声を荒げた。
◇
「負けちゃった」
と言って、気まずそうな顔でこちらにやってくるフィアの頬を叩く。星熊が僕を後ろから引っ張り、強引にフィアとの距離を空けた。
「おい、手を出して分かるような女じゃねぇだろ。落ち着け」
星熊の言葉は正しい。
理性では自分をコントロールすることができなかった。
僕は彼を払い除け、フィアの服の首元を掴んだ。フィアは、何の抵抗もしない。
地上にいるんじゃなかったのか。
同じ土俵にいるんじゃなかったのかよ。
結局、手を抜いて負けた。……自分が周囲と同じ土俵にいることを、一番否定したがっているのは、結局お前自身じゃないか。
流石に、微笑むことはなかった。
フィアはちょっと困ったような顔をすると、僕から目を背けて、黙り込んだ。
もう一発、今度は拳を握って殴る。一切避けることなく直撃したフィアは、頬を押さえて一言、「ごめん」と漏らした。
本気を出して負けるのが、怖いだけだろ。
予期せぬ敗北や失敗が怖いから、自分から負けて、失敗して。
「……お前は僕達と同じ土俵にはいない。ただの、土俵にすら上れない臆病者だ」
フィアは頷いた。
頷くなよ。
肯定しないで、否定してくれ。
言い返してくれよ!
「言い返せないよ!」
そう叫んで、フィアは僕を殴り返した。あろうことか何か超能力を使ったらしく、殴られたその勢いのまま、僕の体はグラウンドの中央まで吹き飛ばされた。
「怖いよ。本気を出して負けるのが。バイトの面接落ちたらとか、働いて失敗したらとか思うと恐ろしくて何もできない。……私が本気を出せるとしたら、それは……!」
格闘ゲームのキャラクターみたいな動きで走ってくる。
……飛んだりワープしたりしないのは、この喧嘩が、トーナメントのルールに則って行われるという合図、だと思う。
限られたカードで如何に勝つか。
化物じみた僕らが本気を出し合うには、ちょうどいい制約なのかもしれない。
「おぉっと、謎のエキシビションが始まったぁぁ! どうせ二回戦までしばらく休憩時間挟むつもりだったし、しばらく勝手にしろぉおお!」
そんな瀬尾さんの発言とは裏腹に、辺りに奇妙な緊張感が走る。
興味深く見てくれているのか、奇異な目で見られているのか……よく分からない。
待っていた。
この時間のために、僕は赤鬼になった。
そんな風に考えると、二回戦も……いっそ決勝戦なんかも、もうどうでもいい他人事のように思えてきてしまった。




