4-14
距離を置いて向かい合う、フィアと霧生。
ソラガミという名が告げられ、会場の空気が張り詰める。
実際にフィアの力を見た者は、この場にいる中の半分にも満たないはずだ。だが、化物揃いの超能力者達の中で、九年もの間、最強の地位を譲らなかった存在。
注目度は飛び抜けている。
「ソラガミを見るためにここに来た者も、少なくはないでしょうね。かくいう私や雷も、そのうちの一人でしたが」
如月が言う。
「過去形なのか……」
「ルールが変更されましたからね。一試合中に一つしか力を使えないとなると、本来の彼女を見ることは難しくなりますから」
タートルネック。
シンプルな装いが、白い髪の異質さを引き立てる。だが、それだけだ。
神様が人の形で現れたのか、はたまた神を騙った人間が正体を現したのか。普段と大きく違う雰囲気には未だ見慣れることができないが、超能力の使用が限られた今となっては、いつもよりは動きやすそうな服装で良かった、とも思える。
後ろから、誰かが僕の肩に触れる。
「なるほど、放送席の近くなら、戦況が分かりやすいな」
星熊だった。彼に続いて、雷をはじめとする中高生が数人。わらわら集まったせいで、トーナメント表の前が途端に混雑していく。
「……何しに来たんだ」
「帰って来ないから探しに来た。一人だけ女子高生と観戦なんか許してたまるか」
「そんなに女子高生が好きだったのか……」
「初恋が高二だったからかな」
恋人がいる男の初恋なんか聞きたくもない。
「……冗談だよ。誰がこんなニセ片言」
挑発的な態度で、星熊は如月に指を差す。
「失礼なことをおっしゃらないでください」
如月が答える。
「流暢じゃねーか! おい大丈夫か! アイデンティティ的に!」
あれだけ嫌悪感を示していた割に、いざ片言が消えるとこの反応だ。
よほど衝撃的だったのか素っ頓狂な顔のままの星熊を見て、如月は吹き出して笑い始め、そのうちに咽せて苦しそうにしながら何故か雷の背中を叩き始めた。「痛ぇ!」と本当に痛そうにしながら雷は逃げ回る。
「結局あの片言は何だったんだ……まあ置いておくか。おい雨野……」
素ではないのだろうか。
楽しそうに笑うのも、僕らに合わせた言外の仮面なのだろうか……?
そんなことを考えていると、如月の言動に、いちいち目が離せない。
星熊が僕に何かを言ったが、僕は全く聞いていなかった。
「え?」
聞き返す。
「は?」
「いやごめん、聞いてなかった」
流石に如月を見ていたからとは言えないが、
「はぁ? 恋煩いかよ。大丈夫か?」
そんなことを言われ、軽く心を読まれたような気分になる。しかし、恋? 興味があることに違いはないのだが。
「言葉の選択に悪意があるような……」
「文学的と言え。いや、そんなことはどうでもいいっての。ソラガミの相手は、何が得意だって質問したんだ。この街っぽく言えば『どういう能力の持ち主だ?』」
霧生進。
人体を取り戻す前の死音……元、叢雲栞……の移動手段。いわば乗り物だった少年。
「掴む力、とだけ。……言葉にし難い能力の一つだよ」
「ソラガミを倒し得るかね?」
「……無理だよ」
まともに考えるまでもない。
霧生の超能力の正体は、フィアに知られている。というか、そもそもフィアが渡したものだ。
それに、勝つための何か強力な武器になるものが、霧生にはない。少なくとも、そんなものは僕の右目には見えない。霊視に関して類稀なる才能を持っているくらいで、他は……少なくとも、この場で役に立つようなものはない。
「だがソラガミだって格闘技を習得しているわけでもないんだろ? ルール変更で『複数の力を扱う』特権を失ったのは痛いぞ。……んで、ニート」
「私生活は関係ないだろ!」
「あるね。負けを恐れる人間ならまず座らない椅子だ。……油断とか、諦め癖とか。気持ちが勝負を決めることなんてよくあることだぜ? 生き方が中途半端な奴はさ、いざというとき、負けても良いと思っちまうんだよ」
単なる独自の精神論。
だが、全く頷けないというわけでもなく、返す言葉も、すぐには思い浮かばなかった。
確かに、私生活において、フィアは自ら敗北を選択していた。だが星熊は知らない。フィアと対峙する霧生もまた、ニートの一人だということを。
「ま、信者に何言っても仕方ないかもな」
わざとらしく、呆れたような笑い顔で溜息を吐く星熊。
「……そのとおりだよ」
僕はフィアを信じる。
「はいそれじゃ勝負開始!」
不意を突くスタートの合図。
タイミングを読ませない、突然の始まり。……を、フィアは完璧に捉え、一気に走り出した。放送に翻弄された霧生は、最初から防御態勢を強いられる。
様子見の時間が、この試合には存在しない。フィアは勢いを落とさないまま、霧生の足元めがけてスライディングを繰り出した。
地を這う蹴り。
轢かれる寸前の子供のように構えていた霧生には、突然フィアが消えたかのように見えたのではないだろうか。そのまま片足でモロに受け、バランスを崩し、転がるように倒れた。
「ゲームかよ!」
星熊が叫ぶ。
実際、フィアの動きは……いや、スタートの前、構えていたときから既にどこかゲームじみていた。一番身近な肉弾戦といえば、アニメか漫画か2D格闘ゲームくらいだろう。模倣先がゲームキャラクターの動きになるのも、フィアの生活を考えれば不自然ではない。
先に起き上がったフィアは、じっと霧生の様子を見ている。
わざわざ、待っている。
「あいつ、何で追撃しねぇんだ?」
「……フィアのやっているゲームでは、倒れた相手に追撃はできないからだと思う」
「ゲーム脳かよ!」
いちいち声が大きい。
「マジで負けるんじゃねーのか! 真面目にやる気ねーもんあいつ!」
フィア本人にも確実に聞こえる声量。叱咤しているつもりなのだろう。
◇
失礼なヤジが飛んでくる
変な体勢で地面に転げた霧生くんは、私が想定していた以上のダメージを負ったようで。
痛そうに顔を歪めながら、自嘲気味にゆっくりと立ち上がる。
「……私には真面目にやる気がないらしいよ」
私は、彼に話し掛ける。
「事実でしょ。絶対手加減してますもん、あんた」
「手加減することと、真面目かどうかは別問題じゃないのかな。私に言わせれば、真面目にやる気がないのはそっちだよ。半分諦めた顔してるもん」
「半分じゃなくて四分の三は諦めてます。ラスボス級と初戦で当たるなんて、噛ませ犬以外にあり得ないっすから。……それともあんた、実は一面ボスなんですか?」
ウルトラマンみたいな構えをして、睨み付けてくる。四分の一の闘志、にしては怖い顔。少々童顔で、いまいち迫力がないのが玉にキズ。
よく見ると、何か、踏ん張るような表情。
「お手洗い我慢してる?」
「してませんよ! むしろ出そうとして出ないんです」
「絶対出さないでね」
「いいや、絶対出します」
特別、体を鍛えていたことなんてない。腕力や握力だって並か、それ以下。走る姿勢が綺麗だと言われたことはあるけれど、まともに陸上をやっている同級生には負けたこともある。そして、ひとまず超能力は封印。
……私は、ただの非力な人間。の、はずなんだよ……?
踏み込んで、拳を振り回してくる霧生くん。
視線と動きで狙いは読めた。
回避から反撃。
最適な返しを考えて、そのとおりに動く。
入力、演算、出力。体力も無駄にしたくないし、痛いのも嫌だ。かといって相手を傷付けるのも最低限にしておきたい。それでいて私が有利になるように、最適解を導いてそのとおりに動く。
「ゲームか! 相手の動きが読めているとしか思えない動き! 達人だったの? 違う? 素人? じゃあもう天才的としか言い様がありません!」
瀬尾さんがはしゃいでいる。
――同じことだよ。ゲームと。違うのは痛いかどうかで、痛いのは嫌だ。
私は彼の背中に回り込むと、そのまま蹴っ飛ばしてうつ伏せに倒した。……あまり、気分の良いものでもない。
「くっそ……」
どうにか立ち上がろうとする霧生くん。追い打ちはしない。踏ん張って立ち上がるまでの間、私は少し彼から距離を取り、休むことにした。
体内を血が巡る音。乱れた呼吸。
……疲れた。頭も、体も。
自分でもびっくりするくらい、体力がない。超能力を日常的に使っていた私にとって、それは新たな発見ですらあった。自分では何だか接戦を繰り広げていたつもりだったけど、それは多分、私の頭の中だけで。
「霧生くんどうする! 踏ん張るか! それとも心がついていかないか!」
瀬尾さんがはしゃいでいる。
「真面目にやれよ糞餓鬼! 早く勝負決めてやれ!」
透生さんがヤジを飛ばす。放送と競うように大声を出すから、次第にどっちが何を言っているのか分からなくなっていく。
「……決着の前に聞きたいんだけど、何で参加しようと思ったの?」
倒れた霧生くんに問い掛ける。嫌味を言ったわけじゃないよ。単に疑問だった。
他の中高生と比べて、彼は私やメイドさん達のことをよく知っている。私が力を与えても、思っていたほどの暴走はしなかった。
そんな彼が、変な野心だけでここに立っているとは思えない。
そのとき、何かが私の右足を掴んだ。
不意を突かれて抵抗できないまま、上に引っ張られて宙に浮く。
「わっ」と、素っ頓狂な声が漏れてしまう。幸いにも二本足と手一本で着地。すぐに体勢を整えて、いつでも動けるように身構える。
私が与えた力とは違う何か。私の『渡す力』を受け継いだカイが、別の力を与えた? それとも、彼が自力で目覚めた?
「……ようやく出た……!」
霧生くんが呟いた。立ち上がって、辛そうに、でも挑戦的に笑むその少年が、私には何だか、主人公、のように見えてしまうのであった。




