4-12
冷たい風が吹いて。
日差しは、大して暖かくない。テントの後ろで、体操を始める人。カイロを握りしめる人、屋台で買ってきた豚汁をすする人。
グラウンドで繰り広げられる勝負は、熱戦とも言い難いものばかりだった。超能力の相性次第では、数秒で決着がつくことも当たり前。降参も当然のように頻発。
意外に盛り上がるのは、弱い超能力者同士の戦い。
とは言っても本格的な喧嘩になると瀬尾さんが「両者退場!」などと脅すので、勝負は殴る蹴る、ではなく押し合い、掴み合いの相撲やレスリングに近いものになる……か、あるいは心理戦。早い話がじゃんけん。
「アフリカのティヴ族には、幽霊という概念がないんです」
心奈が言った。
相当負けたショックが大きかったみたいで、その声は涙声。
鼬川さんは同情的な視線を送った後、心奈の丸まった背中を撫でた。
「信じるとか疑うとか、そういう話じゃない。それは、幽霊という存在が、文化によって生み出された……いわば集団妄想……だという確固たる証拠だと、私は今でも思っています」
「でも、この街には実際」
「だってわたしには見えないんだもん!」
心奈は顔を上げると、目から涙を溢れさせながら鼬川さんに抱きついた。つられたのか、鼬川さんまでちょっと涙目。
「ねえねえ、サイダーの件、何て謝ればいいかな?」
と私が相談するも、
「フィアはちょっと黙ってなさい! よしよし、好きなだけ泣きなさい、心奈」
といって後回しにされた。
「お母さんかよ……」
日下くんが苦笑いを浮かべる。
「……ねえ、そんなに勝ちたかった?」
私は心奈に問う。
ルールは曖昧で、勝負は偶然覚醒した力の大きさで決まってしまう。案外危険でめちゃくちゃな割に、優勝賞品もなく、街の人間以外に自慢することもできない。
優勝候補の戦力は、ほとんどインチキで勝ち目も薄い。だから、きっと出場者の大半は、優勝を狙ってはいないはず。お祭り好きだから参加したとか、お店の宣伝を兼ねているとか。
勿論、勝ったほうが嬉しいのは間違いないけれど。
「……勝ちたかったよ」
心奈は頷く。
「少なくともちょっとはトーナメントを荒らして、モブ臭を払拭したかった」
「モブ臭?」
聞き返すと、心奈は、小さく、悲しげに微笑み。
「この街の超能力者事情は、わたしには幾つかの物語の集合体みたいに見える。物語には主人公がいるでしょ? カイとフィアは間違いなく、一つの物語の中心にいる」
私は頷く。
「んで、わたしは、その物語の端にいるモブキャラの一人」
自虐する心奈。
「確かに……」
納得して頷く私の頬を、鼬川さんが軽く触れる程度に殴った。
「何てこというのよ、この白髪女! 恥知らず! 天才! 神!」
「悪口が下手くそ過ぎる」
「あのねぇ! 心奈は……まあ……確かにその……何か……特に目立ったことは……寝てばっかで……仕事中も居眠りばっかりで役立たずというか……うん……その……」
「うわあああん!」
鼬川さんの発言が中途半端なうちに、心奈はテントを飛び出してしまった。
「ああ! 心奈!」
「鼬川さん何で傷口に塩塗ったの?」
「あんたのせいでしょうが!」
そうだっけ?
鼬川さんは私の頬を再び緩くパンチすると、急いで心奈の後を追った。
別に、全ての物語の中でのモブ、なんて言ったわけではない。例えば鼬川さんにフォーカスを当てれば、心奈は私よりずっと中心に近くなる。
……なんて言葉に意味がないことも、何となくは分かる。
御座には、私と日下くんと、数人のメイドが残された。
「あれも承認欲求の現れなんでしょうね」
メイドの一人が言う。
「……うん、そうだね」
「虹林先輩は何が不満なんだか。モブだの何だの言い出したら、私のほうがよっぽど存在感ないし……私なんて……うわああん!」
名前も知らない見知らぬメイドさんまで飛び出してしまった。数人のメイド達の中に、自分達もやったほうがいいのか、とでもいうような、変な空気が漂う。
「虹林は……」
日下くんが口を開く。
「……カラフルなんだ」
「虹だけに?」
「うるさい。実際、色んな素質を持っている。ただ、本気の出し方がよく分かっていないんだと思う。熟考すべきところを気合で乗り切ろうとするし、かと思えば変なところで立ち止まって、どうでもいいことで考え込んで悩む。ピンチやチャンスに限って失敗するから、ああやって自己嫌悪に陥る」
「……自分を乗りこなせていないのかな。……ちょっとだけ、私に似てる?」
聞くと、日下くんは首を傾げ、わざとらしく苦笑して答えた。
「決定的に違うのは、虹林が本気を出さないとポンコツでしかないのに対して、お前は手を抜いても化物じみていることだ」
「傷付いた」
「褒めたはずなんだけど」
◇
「正直、メイド相手にそんなあっさり勝ってくるたぁ予想外だったぜ」
「サンダー雷ボーイはワターシを見くびり過ぎネ」
「あんたら顔合わせる度にいがみ合うのやめない……?」
好戦的な笑みを向け合う雷と如月。霧生は何だか僕らのほうをチラチラ見ながら、二人を制しようとしている。
青いベンチに座った僕と星熊。それから、新世代の超能力者とも言うべき中高生集団。
テントの後ろに位置するここは、グラウンドの様子を見るには適さない。どのようなことが起きているのかを知る手段は、ほぼ、瀬尾さんの放送くらいしかない。
戦況を知れない。当然、不利だ。
そして、わざわざそんな場所に構える雷や如月は、自分達の超能力に相当な自信があるようだった。確かに二人とも尖った性能ではある。単純に眩しいの一言では、片付けられそうになかったが。
「なあ雨野。あの女さ……」
星熊が、何だか真面目なトーンで言ってきた。
「うん?」
「アニオタの猿真似をする中途半端な女子小学生って感じだな」
真剣に聞こうとしていた僕は肩透かしを食らい、溜息で返す。
陰口というわけでもなさそうだった。おそらく星熊は、わざと如月本人にも聞かせようとしている。本人にギリギリ聞こえる程度の絶妙なボリュームコントロール。
何か言いたくなる気持ちは分からないでもないが、一緒になって騒ぐ気にはなれなかった。如月は怒りを含んだ笑顔を星熊に向ける。
星熊は嬉しそうにはしゃぎ、
「あの『漫画でよくあるゴゴゴゴゴ……って擬音と同時に描かれる笑顔』もそんな感じだな。あの笑顔を向けられた者は『ひぃい』と震え上がってヒロインのご機嫌取りをしなければならないサダメなのだ」
サダメなのだじゃないよ。そして星熊の言葉に小さく頷いている霧生。お前は一体誰の味方なんだ。よく見れば雷も何だか口元が笑っている。如月にとっては四面楚歌だ。
「仮面は見せるためにある。誰もいないところで被ったって、虚しいだけだろ? ああいう喋り方をしているのは、構って欲しいからに他ならんだろう」
「……それは、そうなのかもしれないけど」
「構ってどうなるのか。興味が湧いたもんでな」
そう言われると、何だか納得してしまいそうになる。
「ユーも同類デス。ちょっかいを出すのは自らが構われたいときに他なりマセンヨ」
如月がこちらに向かってきた。
「……謝ってやれよ。こっちから仕掛けたことだ」
二人が互いに向ける敵意が無意味に思え、僕は星熊に言う。しかし。
「ふん、元不登校児透生くんの歪んだ性格見せてやんよ。何だ、やんのかコラ?」
星熊は怒りを含んだ笑顔を如月に向けた。ゴゴゴゴゴ……という擬音と同時に描かれる笑顔を自分で浮かべてしまっている。
「『何だやんのか』はワターシのセリフデース! 歪み具合なら負ける気がしまセン!」
笑顔で一触即発の彼らを、僕は呆れ気味に、雷はニヤニヤして、霧生はハラハラしたような、困ったような面持ちで眺めている。
そのとき、
「実行から連絡でーす! 雨野くん、如月ちゃん、フィアちゃん! 至急、私のところに来なさい!」
と、お呼びが掛かった。
如月は僕のほうを見て、きょとんとした様子で首を傾げる。如月だけではない。霧生は不思議そうに如月を見ており、星熊は訝しげな表情で考え込んでしまった。
「行こう」
僕はベンチから立ち上がって、如月に言う。
思い当たる共通点が、一つだけあった。
運営テントに辿り着くまでに、僕と如月は一言も発することはなかった。
片言を喋る陽気な女、というイメージは、僕の中で早くも改められる。黙っていれば、彼女が中途半端に英語を混ぜた片言の日本語を話す、などとは想像もつかない。
テントには瀬尾さんと轟さん、それから、フィアの姿もあった。
「盗ったの? サイダー盗ったの?」
「店番が宇宙人だったからびっくりして思わず……」
「見慣れてるでしょうが!」
「大体何でこんな冷たいもの売ってるの? 時期的に」
「運動会気分で準備しちゃったからよ! 売れてるからいいけど!」
「買い手も運動会気分だからかな……」
瀬尾さんとフィアは謎のやり取りをしている。怒られながら、フィアは僕に視線を向けて僅かに微笑んだ。
……彼女の服装は、普通。
この仮装大会みたいな舞台に、タートルネックにジーンズときた。
「あら、揃ったわね。んじゃサイダーの件は後回しとして、さっさと用件伝えるわ」
能天気な声で瀬尾さんが言う。
「急ですがルールの変更を行います。今後、試合中、一人の選手が複数の超能力を使用することを禁止します!」




