4-10
手が震える。
五メートル先に、これから戦う相手……星熊透生が立っている。
白い肌と中性的な容姿。死人が生き返って歩いているかのような、儚げで不気味な出で立ち。僕より、ずっと鬼が似合う。
その光は強烈。
自分で鬼を名乗るだけのことはある。
彼に何もかも劣っている、とは思わない。
だが暴力に関して言えば、僕は先天的に負けている。
「さあ、この序盤でいきなり優勝候補同士の対決です! どちらにも言いたいことが一つあるので言わせてもらいます! お前ら働け!」
「今言うことじゃねーだろ! 優勝したら卒業まで養う約束忘れんなよ!」
「養われながらでも働くことはできますけどねー。それでは勝負開始!」
「雑なスタートしやがって!」
言いながら、彼は自身の周りに大量の眼球を発生させた。そして、僕を指差す。指示を受けた眼球は、次々とこちらに飛んできた。
グロテスクなマシンガン。僕は目の前に、できるだけ巨大な氷の盾を張った。
目玉は氷にぶつかると小さく爆発した、が、単体の威力は微弱。
仙人と同じような技。
他の誰かがその力を持っていれば、僕はそれを『雷を落とす力』と呼んだと思う。
実際の行動とは、まるで結び付かない解析結果だ。
……分からない。
その超能力の正体が具体的に掴めないことと、瀬尾さんのスタートが唐突だったことが相まって、僕は少し、戦い方に迷っていた。
接近戦は不利だ。向こうから遠距離戦に持ち込んでくれたのはありがたい。
氷の盾で、しばらく目玉を防ぎ続ける。
眼球の弾幕が、不意に止んだ。
かと思うと彼自身が飛んできて、氷は彼の飛び蹴りによって砕かれた。
遠距離戦なんてとんでもない。弾幕はただの目眩まし。
彼はその勢いのままで、僕に飛びかかってきた。逃げることはできない。距離は一気に詰められる。空手……拳法? レスリング、カポエラ? 何?
氷のつぶてを放つも躱され、足元を凍らしてみても溶かされ、もう一度盾を張っても、拳で簡単に砕かれてしまう。
圧倒的だった。背中を見せずに逃げていることが奇跡。それとも、向こうが僕に合わせてくれているのか。まともにぶつかって勝てる相手ではない。
地上に逃げ場がないなら、と。僕は飛び退き、数メートルほどの空中まで浮遊する。
「あー! 飛んだー! 飛びましたぁあー!」
瀬尾さんがはしゃぐ。
「……もはや人間じゃねぇな」
星熊は言った。口振りの割に、表情に余裕が感じられる。
「周りに神やら鬼やら呼ばせておいて、普通の人間じゃ恥ずかしい」
「出し惜しみしてんなよ。絶対に死なないから、殺すつもりで攻めてこい」
両手を前に運び、何だか達人のようなすごそうな構え。
地上戦ならともかく、空中にいる僕に対してのそれは、意味があるのかどうか……。
「……手加減しているのはあんただろ」
「だったら俺も、もうちょいギアを上げてやるぜ」
彼が再び、目玉を発生させる。本人の周囲、だけではない。
まるでプラネタリウムのようだ。幾つもの目玉が、彼と、僕と、グラウンドと、その上空をも取り囲む。
それらは一斉に僕を捕捉すると、同時にこちらへと飛んできた。
今の自分の本気が、どれほどのものかは分からない。
集めた力を総動員すれば、人が一人死ぬだけではおそらく済まない。
「……分かった。手加減する」
複数の超能力を同時に使う。
体は鋼となり、人体とはかけ離れた重さを手に入れる。そして僕は僕自身を燃やし、炎の塊となる。
目玉が命中したところで、痛みも感じない。
空中を蹴り、そのまま弾丸となって、僕は星熊へと飛び込む。
もし逃げるようなら、中断しないと。
僕だって人殺しにはなりたくない。
頭から飛び込む僕に、星熊は掌を突き出し、こちらに向けた。
飛び道具で迎撃してくるのかと思ったが、違う。彼は、僕の体当たりを掌で受けたと同時に、左足を地面に叩き付けた。
彼の体は、ビクともしなかった。
大きな反動を待っていた僕の体は、枕の上に落ちた人形のように、ぼす、と力を飲み込まれて、そのまま地面に尻餅をついた。軽い感触とは裏腹に、星熊の足を中心にして、グラウンドは視界を覆うような砂埃が巻き上がる。
僅かではあるが、星熊の足元の地面がひび割れていた。
僕らが受けるはずだったダメージが、そのまま地面に向けられた……?
「漫画かよ! ……私は今日これからこのセリフを何回言うのか!」
瀬尾さんがはしゃぐ。
星熊は受けた右手を抱え込んで、涙目で半笑いを浮かべている。立っている。向こうも大したダメージは受けていないようだった。
咄嗟に、僕は彼の頭上に、野球ボール大の、氷のつぶてを作る。
この化物に勝てるとすれば、今しかない。
「ははは……どうだ? 右手に多少の痛みは残ったが、俺はほとんどの衝撃を地面に受け流し……」
と、言葉の途中。彼は、降ってきたつぶてを脳天に喰らって倒れた。
◇
「さあ次々いきますよー! 自分の試合が近い人は準備しておいてくださいねー! あと、さっきの試合のような、グラウンドのコンディションを荒らす行為はできるだけ避けてくださーい! それでは三試合目! お、お前は……! そして対するは……ああっと!」
一度自分の番が終わると、次の試合までにかなりの時間が空く。かといって、外に出て休憩……なんてことをしていたら、時間に遅れて失格になるかもしれない。
案外、学生の的屋は混み合っていて、むしろそっちがメインのようになっていた。迂闊に近寄れば出られなくなって、やはり失格になるかもしれない。
食欲があるわけでもなく、単に手持ち無沙汰なだけだが。
「すごいことに気付いた! このトーナメント、負けたら外で休んでもいいっつーか、何なら帰っても良いんじゃねーか!」
星熊が騒ぐ。
「……黙っていれば文豪なのに……」
「遠回しに何か買ってきてやろうかって言ってんだよ理解しろ」
「奢ってくれるのはありがたいけど、後でいい」
「いや奢るわけでは」
「それより、少し話がしたい」
僕の言葉に、彼は半笑いで首を傾げた。
テントより後ろ。
公園の隅のほうに、乾いた鳥の糞がこびりついた、プラスチック製の青いベンチがある。
その更に後ろには木が生えていて、根の凹凸が天然の椅子と化していた。何人か、中高生が溜まっている。見た顔も何人か。霧生と尿意男、一試合目の勝者である短剣符の何とか……。霧生は僕に軽く会釈し、次の対戦相手である短剣符は、こちらを睨み付けてきた。僕は一瞬迷って、中途半端に笑うだけに留めた。
星熊はベンチに胡座をかき、隣に僕が座る。
「で?」
「……星熊の、その超能力の正体が知りたい」
「視えるんじゃないのかよ」
「活字で出てくるわけじゃないから、説明が必要なこともあるよ」
超能力の歴史は浅いものだ、と僕は思っていた。
だが、それはあくまでこの街に限った場合ではないだろうか。
右目で視た彼の光と、実際に見た彼の行動がどうにも一致しない。意図的にずらしているようにさえ思える。彼は、この街の人間が誰一人知らないことを知っている。
「……正体と言われても、何と答えていいやら。お前、口のことを『喋る能力』やら『食べる能力』やら言ったりするか? 腕のことを『投げる能力』とか『掴む能力』とか」
「それと超能力は……」
「同じじゃね? 俺から言わせりゃ、この街の人間が『ああいう能力』『こういう能力』って決め付けているのが不思議なくらいだ」
彼は上を向いて、息を小さく吸い込み、ぼぅ、と口から炎を吹いた。
何でもやってみせてくれる。その超能力は、変幻自在。
「刀が一本あるとするだろ? 『刀は殺すものだ』とお前が言う。だがその気になれば料理をすることもできるし、地面を掘ったり、草を刈ったりすることも、不向きではあるかもしれないが不可能ではない。推測だが、お前が見てんのは超能力そのものじゃなくて、『超能力が持つ才能』じゃないのか」
雷を落とす超能力……ではなく、雷を落とす『という才能を持つ』超能力?
だとしたら、僕は今までずっと、超能力という存在を誤解していたことになる。僕だけではない。この街の人間のほとんどがそうだ。
僕が視ることができるのは、才能という漠然としたものだ。
握力何キロだとか、何分間息を止められるかだとか、そんなことまでは視ることができない。
それを、超能力に当てはめて考えたことは、なかった。
「……だったら、僕やフィアが超能力を奪ってきたことには、あまり意味がないのか……?」
「そうか? 腕にしろ口にしろ刀にしろ、いっぱいあったら便利だろ」
試しに僕は、空中に、彼の作り出すような目玉をイメージしてみる。空に一つ、咲くように瞼を開いた目玉が、幻のように消えていった。
いや、実際に幻だったのかもしれない。
何度か挑戦してみるも、二度目の成功はなかった。
「ま、『ああいう能力』っていう名付けが、思い込みというか、良い自己暗示になっている面はあるんだろうけどな。……悪いな。全然質問の答えになっていない」
「いや……ありがとう。得るものは充分あった」
「ちなみにこれ、次の対戦相手に聞かせんのはまずかった?」
星熊が後ろに目を向けるので、つられる形で僕も背後を見る。
何とかの雷の短剣符は咄嗟に目を逸らし、霧生は困ったように微笑する。
「あの、俺達、場所移しましょうか……?」
と言う霧生を、雷が制する。
「おい馬鹿、こっちが先に陣取ってただろうが」
「いや、でも真面目な話をなさっておられ……」
「俺らだってふざけてねぇだろ! ……負けませんからね、言っときますけど」
生意気です、と言わんばかりの目で睨み付けてくる雷。
「おう俺も負ける気ないぞ」
何故か星熊が答える。負けただろ、お前は。
「さあ、呆気なく三試合目も終了しました! 今日中に終わらせなきゃいけないんだからテンポよくさっさと次! お……っと、注目の人物ね。ダークホースと噂される奇妙な女、『シュールストレミング』の登場です!」
既存人物です。




