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ソラガミ  作者: 大塩
4 不思議な二人
40/52

4-7

 月曜日。

 轟さんが外出した隙に部屋を抜け出し、僕は呑天の駅前に向かった。

「遅い」

 先に到着していた彼女は、溜息交じりに早速僕に文句を言う。

「……仕方ないだろ。轟さんがなかなか家を出てくれなかったんだ」

「まあ、いい。それで、どこ行くの?」

「永束の、知り合いの家。二人分の電車賃は部屋から盗ってきた」

「泥棒……だよ、それ」

「後で返すから、これはただの借金」

 呑天から永束までは、歩けない距離ではない。

 ただその間、ずっとアマノさんと一緒というのが嫌だ。また喧嘩になったら、今度こそ本当に、彼女が僕らの前から姿を消してしまいそうで。

 だから僕は失言を恐れて、少し無言になっていた。

 改札を通って、ホームで電車が来るのを待って。

 ……電車の乗り方なんか、知っていたっけ。



 会話は弾まない。

 永束に辿り着いて、事前に砂谷に教えてもらっていた住所へ向かう。


「……変質者に私を売る気?」

 辿り着いたアパートを見て、アマノさんはあからさまに嫌そうな顔を浮かべた。

 そう思われても不思議ではない。

 救いだったのは、砂谷が女性だということだ。


 五階、砂谷家。

 薄暗い蛍光灯の下、うっすらと殺虫剤の臭いがした。湿った空気の台所を通り過ぎ、奥にある部屋に案内された。部屋にはさらに引き戸がある。押入れのようにも見えたが、「昴」と書かれた紙が貼ってあるので部屋になっているようだった。

「随分早かったわね。私のところに来るのは、もっとずっと後のことだと思っていたのに。……むしろ、ずっと戻りたがらなくて周りを困らせる、とか」

「そんなに意外?」

「私は若返りたいもの。……でも、そっか、子供は早く大人になりたいと思うものよね」

 戸が開かれる。部屋の様子は、きっと普段の装いではない。

 部屋全体が片付けられ、真ん中には綺麗に布団が敷かれている。眠るためのスペースが出来上がっていた。

「あの、日と卯の漢字は……」

「スバルと読むの。弟の部屋よ。フィアさんは私の部屋で眠ってもらうから、雨野くんは昴の部屋で眠ってもらえるかしら。……悪いけど、裸で……」

 もしかして、本当に変質者にアマノさんを売ってしまったのだろうか。

 いや、子供の服を着たまま大人になるわけにもいかないか。

「二人が大人に戻ってからの服は、私がどうにかするわ」

 ここまで来たら、もう信じるしかない。

 戸が閉まる。僕は服を脱いで、裸で布団の中に潜り込んだ。



 新幹線の中から、一瞬で過ぎていく外の景色を眺めているのに近い。

 九年の歳月を、時系列順に思い出していく。

 UFOの中で目を改造され、栞が死んで幽霊になって、アマノさんが街中の人々から超能力を奪い、鼬川さんが仲間を集めて奇妙な集団を組み。

 雨野と天乃は、カイとフィアになった。



 目覚めると、傍にはフィアが座っていた。

 白い半袖Tシャツにジーンズ。フィアのくせに何だか普通過ぎる。

「……何だよ、その格好。ゴスロリでも和服でもなく……? 冬だぞ、寒くない?」

「私が選んだわけじゃないよ。これは砂谷さんからの借り物。カイの服は星熊さんからのレンタルだよ。下着はないけど」

 枕元には禍々しい濃赤一色の何が布の塊があった。

 着物……? 和服の種類なんて、よく知りはしないが。

「……いやいや、あの人普段、普通の洋服着てただろ……」

「要らないからこそ押し付けたのかも」

「なるほど。捨てるのも何だし良い機会とでも思われたのかな」

 血の色に似ている。というより、まさに血で染まっている可能性もある。

 これを着なきゃいけないのか。

 と、そこでようやく、自分が裸であることを思い出した。

「……何で当たり前のように部屋の中に入ってんの?」

 わざわざ砂谷が部屋を分けてくれたのに。

「ん? 嫌だった?」

「……立場が逆だったら、お前だって何か思うだろ?」

「別に何も。布団がほぼ服の役割果たしてるし」

 合理的というか、感情を排除しているというか、ただ面倒臭がっているだけというか、からかわれているというか。

「むしろ、立場が逆だったら、カイは入ってこないの? 私が裸で布団の中にいたり、着替え中だったりしたら」

「入るわけないだろ」

「それこそ破廉恥だよ」

「何でだよ」

「裸体の犬や猫に特別な感情は持たないでしょ。一体のホモサピエンスの裸体がある。それ以外に、何の意味があるんだか。社会が性的な言葉で飾り付けるから、実際以上の過激なイメージが膨らんじゃうんだ」

「破廉恥以前に、セクハラで訴えられるリスクとかが……」

「虎穴に入らずんば虎児を得ず、だよ」

 フィアは笑う。

 楽しそうでありながらも、どうでもよさそうな眠気混じりの目。自虐的であり、同時に人を小馬鹿にするような表情。だが真面目だった子供のフィアを思うと、僕が見ている無気力なその顔は、彼女自身、彼女の全て……ではないのだと感じる。

 あの歳で大真面目に死にたがるほど、繊細な心の持ち主だったのだ。

 平気な顔で超能力をばら撒く飄々としたその顔は、彼女の固い心を守るための緩衝材なのかもしれない。

「……起きたばっかりだからかな、妄想が……すごい……」

「変態」

「そういう系じゃないやつ。……飽きたら、さっさと出てってくれよ」

 僕は布団に潜った。流石に見られながら着替えたくはない。


 立ち上がる音。

 戸が開閉する音。溜息。そして、

「何が自殺だ。……私が深読みし過ぎちゃったせいで、台無しだよ」

 と、呆れるフィアの声。



 部屋を出る。

 薄暗い蛍光灯の下。台所と隣接したダイニングで、砂谷とフィアがテーブルを囲んでいた。

「おはよう、雨野くん」

 砂谷が言う。

「……『確かめたかったこと』、教えてもらえるか?」

 轟さんの家で、砂谷が何を確かめたのか。

 砂谷は、僕から少し目を逸らし、きまり悪そうに頭を掻いた。

「……子供に戻った雨野くんが、私のことを思い出したかどうか、よ」

 視線が泳ぐ。

「少し前に弟が暴走したとき、雨野くんは私の顔にピンときていなかったでしょう? それが残念で、ソラガミ様に相談することにしたのよ。……思い出させる方法はないかって」

 ね、と砂谷がフィアに話を振る。

「フィアは何て答えたんだ?」

「子供に戻せばって言ったよ。それから、そのための力を貸した」

「……絶対、他に手段があったと思うけど」

 少し大袈裟に呆れてみせると、砂谷は目を逸らし、フィアは「まあね」と軽く答えた。

 要するに、いつもどおりだ。古川や、砂谷の弟、昴に力を貸したときと同じ。今回、砂谷は特に暴走もしていないから、むしろいつもよりマシだったかもしれない。

 ……暴走していない?

 僕だけを子供に戻せば済んだ話だ。それに、思い出すことだけが目的だったのなら、何日も子供の状態のままでいる意味はない。

「何で、フィアまで子供に戻したんだ?」

 力を得て舞い上がった砂谷が、必要以上に力を使った結果では……?

「私が自分で頼んだ」

 フィアが言う。

「何で?」

「さあ、一言でこれっていう理由はないよ」

「はぐらかすなよ」

「……少なくとも、私は子供に戻って正解だった。カイと喧嘩できて嬉しかった。殴られて、カイのことを怖いと思いながら、私も必死になって対抗して……」


 大学在学中に比べて良い目になったな、という轟さんの発言を思い出した。

 恐れを知らない子供だったからだ。自分の見ている光が何なのかすら、まともにわかっていなかった。無謀。炎の中に自ら飛び込めるのは、熱さを知らない子供だけだ。

「カイには、私を信仰して欲しくない」

 いつになく真面目な顔で、フィアが言う。

「僕だって、できることなら、お前なんか信仰したくないんだ」

 見えないのなら信じない。だが生憎、僕の目は神懸ったその才能や能力が見えてしまう。

「私は人だよ。神じゃない。誰もが私を別の世界に追いやろうとするけど、私は間違いなく、みんなと同じ土俵にいる」

「……」


「人だと認めて。私の居場所は空じゃない。私は、地上にいるの」


 フィアは立ち上がると、僕の背後に立ち、

「翼は、もう要らない」

 僕の目を掌で覆った。

 暗闇の中で、右目にだけ、強烈な光が映る。


 力を渡し、奪う力。

 その力を僕に渡してしまったものだから、彼女はもう、奪うことも渡すこともできない。



 赤い着物に、目を隠すほどの長い髪。

 おまけに機械仕掛けの右目は、時折不気味な光を放つ。……これは元からなのだが。

「条件を満たすと登場する隠しボスみたいね」

 砂谷が言う。

「隠れてないと駄目なくらい恥ずかしい格好、と理解しても?」

「い、いや、そんなつもりじゃないよ……」

「私の白髪よりはまともでしょ」

 自分の頭を指差して、やや自虐的に微笑むフィア。瀬尾さんの寄越した服装がまともな分、ゴスロリや和服のときより、白髪の存在感が強烈。

「まさかコンプレックスだったのか」

「んー? 気にしていたこともあるかな。帽子で隠したりね。……才能と引き換えに生まれ持った、忌々しい警戒色。なんて思うことも、未だにある」

「今の僕の服も、警戒色と思えばいいかな」

 こっちは後天的で、その気になればいつでも脱げるわけだが。


「……私、先に帰るよ。せっかく思い出したんだし、後は砂谷さんの時間」

 そう言って、フィアは一足先に砂谷家を出ていく。

 二人きりになると、砂谷は改めて謝罪の言葉を口にした。


「……ごめんね」「申し訳なかったと思う」「本当にごめんなさい」「悪かったと思ってる」「思い出してくれてありがとう。ごめん」「弟のことも助けてくれて感謝しているの。なのに……ごめんなさい」「ごめんね」


 帰らなければ、無限に謝罪が繰り返されそうだった。

「また来るよ。今日はもう帰る。……一つ聞きたいんだけど、お前、何で僕をあのときの僕に戻したんだ?」

「それは、さっき説明したじゃない」

「小六の、小学校卒業間際とかでも良かったはずだ」

 思考はUFOに改造される前の僕だった。だが、改造された目までもが当時の状態に戻るわけではなかった。

「それは、フィアちゃんの指定。どういう意味があったのかまでは……」

 砂谷は首を傾げてみせた。


 偶然か?

 フィアにとっては、単純に過去の自分に戻っただけだ。

 だが僕にとっては違う。『改造された自覚のない日々』を送ったのは初めてだ。


 アパートを後にして、目的地もはっきりしないまま歩き出す。帰宅するか、それとも。

 そういえば、今日の交通費と子供服の代金。

「……あー」

 戻らなければ、生活費のことも考えずに済んだのに。

 僕も財産に余裕はない。半額だけ返して後は謝ろう。財布の行方は知らないが、自宅に通帳はあったはずだ。

 一旦帰宅した後、郵便局へ。

 それから、今朝まで住んでいた部屋へと向かう。


 改めて見ると、砂谷のところより小綺麗なアパート。

 轟さんの部屋の鍵は開いていた。僕が出てからずっと開いていたのだ。ものが失くなったり盗聴器が仕掛けられていたりしたら、もれなく僕のせいじゃないか。

 帰ってくるのを待つか。

 それとも、時間を改めて出直すか。

 迷うほどの間もなかった。足音が聞こえて、近付いてくる。

 一言目も決まっていないのに。

 スーツ姿の金髪ポニーテール。

「うげぇっ! 何で戻ってんだ! そして何でここにいるんだよ! 復讐か!」

 轟さんは後ずさりしながら、ボクサーのように身構えた。身構えられるとこちらも思わず、腕を前に構えてしまう。今の状態でも身長は彼女のほうが上だ。やや細身なこともあってより高さを感じる。どんとしていれば迫力もあったはずだが、プルプル震えられると、むしろ怯えさせてしまって申し訳ない。

 お互い、すぐにでも殴り合いに対応できる格好。

 ……別に、殴り合う意思はない。

「借金、返しに」

「え?」

 間抜けな空気が漂う。

 僕は構えを解き、懐から五千円札を取り出す。

「……服代」

「私もっと払ったんだが」

「今は職無しだから」

「いやその、すまん」

「何回謝るんだよ!」

「一回しか謝ってねぇよ! いいよその金はもう……軟禁の慰謝料ってことで……」

 轟さんはこちらに歩いてくると、差し出した五千円を受け取ることなく、僕を通り過ぎて部屋に向かう。玄関を開けて、片足を部屋に入れると。

「……やっぱお前、大学在学中に比べて良い目になったよ」

 と微笑んだ。やたら照れくさそうに、目を逸らしながら。

 バタン、と玄関が閉じられ、僕は一人、そこに立っている。


 手持ちにあるのは、奪う力。

 フィアと同レベルで使いこなせる自信はなかった。だが、だとしても、この力が最強クラスのポテンシャルを秘めていることに違いはない。

 力を手にして、僕は少し冷静ではなくなっている。嫌というほどあいつの眩しさを知っているはずなのに、ひょっとしたらフィアに届くかもしれない……なんてことを、半ば本気で考えてしまっている。


「……勝手に袂を分かつなよ! 戻ったからって敵になったわけじゃない」


 良い目になったよ、じゃないだろ。

 何勝手に綺麗な別れを演出しようとしてんだ。玄関を数回叩いて、開けろと催促する。

「ええ? ちょ、待って、着替え終わったら開けるから……」

「裸体の犬や猫に特別な感情は持たないだろ。一体のホモサピエンスの裸体がある以外に、何の意味が……」

「私の裸はそんなに安いのかよ!」

 怒っているような笑っているような、よく通る声。玄関の向こうだ。表情が見えない分、その感情はよく分からない。……どちらにしろ、フィアよりは常識的な返事。

 メイドとソラガミの二強に喧嘩を売るために、僕はもう少し、この野心家と手を組もうと思う。

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