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叢雲書店は、都市計画の影響で商店街ごと潰れる。
場所を移すという手もあったと思うが、潔く消えてなくなるらしい。
「お父さんは、知り合いの会社で雇ってもらえそうなんだって。少なくともあたしが大学を卒業するまでは、何とかなるでしょ多分」
他人事のように、栞が言った。
「……結構、楽観的なんだな」
「フリーターに言われたくない」
栞は経営者の娘だ。ボブカットの黒髪に、白いTシャツとショートデニム。外見も性格もさっぱりした、人間より人間っぽい女。
そんな彼女は僕の幼馴染でもある。僕がこの書店でバイトを始めたのは、高校在学中に栞から誘われたことがきっかけだった。
「カイはどうすんのよ?」
自分のことより自分のことのように憂う声。
「……どうするって、何が?」
「とぼけるな。ここなくなったら、他に働くところがないでしょ?」
「……しばらくはニートしようかなと思ってる。親も多分、もうしばらく仕事続けるだろうし」
少し迷ったが、正直に答える。
「うわ、本格的ダメ人間じゃん」
嘘を吐けば良かった。
「……でもまあ、一応、賽銭で食いつないでいけるし」
「はぁ? カイって、神社でそんなにお金もらってるの?」
呆れる前に一瞬、羨むように目が輝いた。
儲けの匂いに誘われたのだろうか。
「……現人神の力だよ」
「あらひとがみ……? そんな、大袈裟な」
「そうでもないと思うけどね」
自分で言うのも何だが、人の才能を推し量る僕の力は、実際に神の力として崇められても全く不思議ではない。
時代によっては、歴史に名が残っていた。
それこそ、僕のために神社が建てられてもおかしくはなかったはずだ。
「むしろ、現人神が書店でレジ打ちやってるこの状況がおかしい」
その言葉を聞いて、栞は苦笑した。
「カイがそういうなら、あたしだって天女ですけど」
「それはただの外来種」
「し、失敬な。伝承か何かにはなってるから。……でも、カイのレベルで現人神ってことは、フィアは……」
栞は促すように僕を見た。
僕は頷き、言う。
「フィアも神になる。僕みたいに大勢の神の一人って感じじゃなくて、唯一神扱いされても不思議じゃないかも」
「いや、充分過ぎるくらい不思議だよ。フィアがすごいのは認めるけど、唯一神までいっちゃう? ……いっそ、宗教でも作ったらどうなの?」
「うん、正直それもありだと思うけどね。信者を得ることを、フィア自身が望んでないから何とも」
栞が左右非対称の、呆れたような笑みを浮かべた。
「……あー、ありだと思っちゃうの? 冗談で言ったつもりだったんだけど」
「その気になれば実現可能だと思うよ」
実際、企てたこともある。当初はフィアも乗り気だったが、徐々に話が風化し、結局自然消滅という形で終わった計画だ。
「まあ、実際成功したらお布施も入ってくるから、経済的に助かるよね。信者を得ることは目的じゃなくて通過点ってことでさ」
「お前、分前狙ってないか?」
「あー……バレた? ま、ホント言うとカルトの類は好きじゃないから、渡されても受け取らないけどね。カルトというか、宗教全般?」
「ちょっと極端な気もするけど。洗脳なんか始めたら確かにちょっと危険かな。実際、フィアにはそれができるから何とも……。知ってたっけ? フィアが人を魅了する力を持ってるって」
「美人ってこと?」
冗談ではなく真顔だった。
確かにフィアが美人なことは間違いないのだが。
「そうじゃなくて、超能力だよ。具体的な範囲や持続時間までは知らないけど、相手を自分に夢中にさせる力が使えるんだ、あいつ」
「はぁ。フィアの持つ超能力なんか、あり過ぎて特にびっくりもしないけど……」
栞は口元に指を当てた。
思考を巡らせています、というようなポーズだ。
「その力って、使い方次第ではめちゃくちゃ危険なんじゃない? どの程度夢中にさせるのか分からないけど、『あたしのために死んで?』みたいなこと言ったら本当に相手が死んじゃったり……」
「あり得る」
ムンクの叫びみたいに、栞が頬に手を当ててギョっとした。
「すごく危険だし有用だし儲けにも繋がる。まあ、フィアにとっては沢山あるうちの一つでしかないと思うけどね」
「うっわぁ……宗教なんか二日で作れるじゃん。お布施で丸儲け……月幾らくらいが妥当だと思う?」
「お前の思考も、ちょっと危ないと思う」
最早、渡されても受け取らないなどと発言する人間の目をしていない。
「え? あ、いや、冗談よ? ……でも、魅了ねぇ。ひょっとしてカイがフィアを放っておけないのも、実はその能力に掛かってるからじゃない?」
さらりと怖いことを言う。
そして、それを完全には否定できないことも怖い。
フィアに普通の倫理観を当て嵌めることはできない。
人を殺すとか、ものを盗るとかいうわけではないが、フィアの思考回路は、……僕も人のことを言える立場にはないが……正常か異常かで言えば、異常だ。
いや、もしかしたら世界が異常で、フィアだけが正常なのかもしれない。
とにかく、一般的な善悪や倫理が、必ずしもフィアに通用するとは限らない。フィアなら、さらりと他人の心を塗り替えても不思議ではなさそうだ。
あいつは割と僕を気に入っている。
――気に入っているからこそ――……。
「本当に魅了されているんじゃないかって気がしてきた」
「ま、そんな風に疑えるなら大丈夫よ。恋は盲目。カイは盲目にはなっていないと思うから」
「だと願いたいけどね。……恋か。あれも一種の信仰みたいなもんかな?」
再び、思考を巡らせるポーズ。
「んー、似てないとも言い切れないけど、違うんじゃない? 恋愛の根本にあるのは結局のところ欲望だし……」
「命を賭して守りたい、なんて感情のどこに欲望が?」
「いや、それはもうフィクションでしょ。恋心を超越しているわよ」
「……じゃあ、具体的に恋愛感情って何だよ」
「一緒にいたいとか、手を繋ぎたいとか? お互い認め合って自尊心を保ち合いたいとか。ごめん、あたしにもすぐには浮かばないわ」
「……」
ふと。
「恋愛感情と性欲って、イコールだと思う?」
気になったことを投げ掛ける。
「え? いや、全く同じだとは思いたくないけど繋がってないこともないんじゃないの? エッチしたいって感情はそりゃあ……馬鹿、何言わすのよ」
勝手に言っておいてこの言い草である。
「大体、恋愛と信仰が同じだって言うなら、友情とか常識とか法律とか社会とか、あらゆるものが根本的に同じようなものになっちゃうんじゃないの」
「極端な話、そう言いたい」
「……あー、何かこういう話をした日の夜は眠れなくなるのよね。面白くないわけじゃないけど、今日はパス。憂鬱になりたい日とそうじゃない日があって、今日は後者」
どっと疲れた目で軽く微笑むと、栞は店の奥へと移動した。
思考を巡らせた後、口直しにギャグ漫画を読む。それが栞のお決まりのパターンだ。
ちなみに栞が天女であるというのは、本当のことだったりする。
◇
バイト終了後に神社でしばらく過ごした後、帰りにフィアの家に寄った。
「はいっす、姉ちゃん起こしてきます」
「寝てるならいいよ。……あー……」
いつものように僕の応対に出てきた弟が、フィアの部屋に向かう。
目覚まし時計が鳴らされて、ギョエエエとフィアが悲鳴を上げる。
階段を下りてきたフィアを見て、
……違和感を持った。
いつもと違う。それは顔とか服とかいった外面上のことではなく、
「何視てるの?」
「いや、……もしかして誰かに貸した?」
僅かにではあるが、昨日までと輝き方が違うように見えた。気のせいだろうかとも思ったが、……凝視する。
足りない。
よりによって、魅了する能力が見当たらない。
「流石、鋭いね」
フィアは澄ました顔で言う。
「……人の才能なんて、数日でコロコロ変わるもんじゃないからな。ましてや超能力は強大な光なんだ。一つ足りないだけでもかなり違って見える」
「超能力一つで、私の輝きはそんなにも弱くなるものなのかな?」
「……むしろ、普通はもっと輝きを失うべきなんだ」
フィアは超能力を一つ失っているというのに、その輝きが変化したことに、すぐには確信を持てなかった。そんなことは普通じゃない。
超能力が僕に見せる輝きは強烈なものだ。
凝視してやっと見えるような、微弱なものでは決してない。
「使い方次第で凶器にもなる能力を渡した。でも、相手は悪知恵が働くような人じゃなくて、素直で、あんまり頭の回転が早くない人だから大丈夫。ちょっとした混乱が起こるかもしれないけど、それもまた楽しみの一つだよ」
「……本当に、ちょっとした混乱しか起こらないと思うか?」
「ちょっとかどうか、捉え方は人それぞれ。私基準では、ちょっとしたこと」
フィアにとっては大抵のことがちょっとしたことなので、正直この発言はアテになりそうにもない。
「……何か起こる前に、何とかしようと思うんだけど」
「それじゃあ私が能力を貸した意味がなくなる」
「何か起こったところで、意味なんてないだろ? もう、あんまりほいほい能力を渡すな。命令する権利なんてないけど、頼み事くらいさせてくれ」
「ふふん、悪いことすると、カイが沢山構ってくれるから嬉しいんだ」
もうダメだこいつ。
だが、そんな風に思いつつも、フィアが笑ってくれることに、僕は喜んでいた。
僕は、能力によって魅了されているのだろうか。




