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ソラガミ  作者: 大塩
4 不思議な二人
39/52

4-6

 轟さん宅での生活は、多分、自由そのものだった。

 何もしなくていい日々。本を読んだりアニメを見ることよりは、ゲームで時間を潰すことが僕の性には合っていた。自分の意思で動くことで、何となく、前に進んでいるような気分になれる。ただ、結局のところ、それは慰めに過ぎない。

 自由。解放的。小学校に行く必要のない小学生。

 唯一の不自由は、玄関の外に出てはいけない、ということ。


 僕はいつの間にか、服を買いに行くという約束にすがっていた。

 日曜日。朝の六時に目を覚ました僕は、寝袋に入った轟さんを転がす。

「朝だよ」

「んん……あぁああ……寝かせろぉ……」

「服買いに行くんだろ」

「まだ早ぇよ……デパートは十時開店だから……」

 朝日が差し込む。

 僕は外に出たくて、落ち着いていられない。



 結局、家を出たのは午前十一時。

 呑天の駅から直行バスに乗って、轟さんと二人で大型デパートに辿り着く。

 バスも街も人だらけで、デパートの駐車場は車で埋まっていた。家族連れ、カップル、若者のグループが主。僕ら二人のような構成は珍しい。

「先に言っとくけど、私はあんまり大金持ってないから、馬鹿高ぇもんは買えない」

「うん。……あのさ、僕がもし九年後の姿に戻ったら、買ってもらった服は無駄になるよね?」

「子供の服ってそういうもんだろ? お前が気にするなら、戻ったときに請求するよ。……何だよ、元に戻りたいのか?」

「……そういうわけじゃないよ」

 嘘を吐いたわけではない。ただ、本心でもない。

 砂谷の言葉が本当なら、僕はすぐにでも戻れる。

 ……僕の行動次第で、未知なる九年後……本来の自分に戻れてしまう。


 食品売り場からエスカレーターに乗る。上に運ばれながら、僕は辺りを見渡す。

 どこに目を移しても人がいる。人の数だけ、光が見える。

 オーラとか、精神力とか、才能とか。

 ……多分、僕が見ているのはそういうものなんだと思う。


 僕は炎を連想した。

 命が燃える。赤に。青に。黄に。虹色に。

 しかし、星々が輝くのは夜。太陽の見えない時間だ。


 フードコートの真ん中で、僕は立ち止まった。

 遥か先に、強烈な光が見える。


「どうした?」

「……向こうに……」

 僕は、光を指差した。

「ゲーセン……? 行きたいのか?」

「そうじゃない。向こうに、アマノさんがいる」

「ソラガミが? ……見えるのか?」

「姿までは見えないけどね。右目に光が映るんだ。あの眩しさは間違いないと思うよ」

「そうか。……厄介なことになったな」

 轟さんは頭をくしゃくしゃと掻いて、溜息交じりに僕を見た。

「見えたらダメだった?」

「いや」

 彼女は首を横に振った。

「むしろ警戒できて助かる。子供一人で出歩いているわけじゃねぇだろ。瀬尾や星熊はマシなほうだが、何かの間違いで叢雲なんかがいると厄介だ。近くにいるか?」

「流石に、そこまでは分からないよ」


 太陽を見ているようなものだ。

 近くの星々の煌めきなんて、かき消されて見えない。

 その光が、本当にオーラとか、精神力とか、才能だとすれば。

 僕がアマノさんに挑むのは無謀なのかもしれない。


「会いに行くか?」

 轟さんが言った。

「……いいの?」

「はっきり言えば嫌だよ。無難に買い物済ませて帰りたいのが本音。だが滅多にない機会だ」

 そう言って、先に歩き出した。僕はその後に続く。

 歩きながら、頭の中で第一声を考える。会って、どうするのかが分からない。

 アマノさんはベンチに座って、他の人のプレイ画面を観戦していた。

 彼女の視線が動き、こちらに向く。

「あ」

 気付かれた。後戻りはできない。

 周囲には、他に知った顔は見えなかった。

 轟さんがふと立ち止まる。と、僕の背中を押して耳打ちする。

「私は邪魔だろ。見守ってるから、二人っきりで話してこい」


 同じような境遇の少女。でも、今は敵同士。

 仲良く話したいわけでも、憎たらしく挑発したいわけでもない。


 彼女は座ったまま、ぼやっとした顔が僕を見上げる。

 白い髪に、白いカーディガン。黒のスカートに、黒いタイツだか靴下だか。

「……一人?」

 迷った挙句、ただ、気になったことを質問するだけ。

 アマノさんは首を横に振った。

「……瀬尾さんと透生さんと、あと、叢雲さんもいるよ。でも今、私は迷子」

 投げやりな言葉。

「迷子って……はぐれたのか」

「逃げてきた」

「は? 虐待でも受けたのか?」

「まさか! あの二人は良い人達だよ?」

 僕の反応を面白がるように、彼女は微笑した。

「でも別に、あの人達の元に帰らなきゃいけないわけでもないから。……現にそっちは別の人のところに住んでるでしょ」

「僕の場合は、他に居場所があったよ。ぽつんと一人になってたら、もっと困ってる」

「困る?」

「困るよ。衣食住は確保しないと、生きていくだけでも大変だろ」


 地球にポツンと残された宇宙人。そんな物語が思い浮かんだ。

 それは、まるで実際にあった出来事のように、明確に頭の中を走っていく。

 僕は、それを作っているのか。

 それとも、思い出しているのか。

「……私は、そこまで明日に執着はないかな……」

 アマノさんは言った。


 未来を蔑ろにする言葉。

 僅かな沈黙の後、彼女は微笑んだ。

 自虐とも煽りとも。作り笑いであることをわざと教えるような、無機物みたいに完璧で、血のぬくもりのない微笑み。

 類稀な光を宿した少女の、その無気力が許せない。

「――悟りでも開いたつもりかよ」

 直後、僕は彼女の胸ぐらを掴んでいた。

 一瞬驚いた顔をした後、彼女はあかんべえをしてみせた。


 僕は彼女の頬を殴った。

 直後、殴り返された。

「お、おい! お前らやめろ!」

 遠巻きに見ていた轟さんが叫んだ。

 周囲が騒然とする。何事かと集まる大人達の声。

 掴み合い、殴り合い。

 アマノさんは足を絡めて僕をひっくり返し、反撃に転じた。僕は彼女にへばりつく。

 床を這うように暴れて、叩き合い、引っ張り合いの泥仕合。


 僕が悪い。

 全く言い逃れができない。

 それでも止まれない。

 黙っていれば完全な被害者でいられただろうに、アマノさんも反撃をやめない。僕の腕に噛み付いて、八重歯が僕の肌に食い込む。

 怯んじゃ駄目だ。踵で、彼女の尻だか太ももだかを何度も蹴る。

 吠える声が、どっちのものだかよく分からない。


 十秒、あったかどうか。

 にわか雨みたいな、暴力のぶつけ合い。

 騒ぐ大人達。

「やめろ餓鬼共!」

「保護者いない? ねえ保護者」

「あぁあ! 瀬尾さんこっち!」

「って何どういう状況! 轟さん何ビビってんの子供の喧嘩くらい止めなさい!」

 栞と瀬尾さんの声も混じる。


 誰か大人の腕が、僕らを力ずくで引き剥がした。

 涎と涙と血が、納豆のように糸を引いて、僕らを繋いでいる。アマノさんは見知らぬ大人に背後から引っ張られ、僕から離れていく。

「医務室に連れてって。そっちの男の子も」

 見知らぬ大人の指示。去り際。鼻血を垂らして涙で顔を汚しながらも、彼女はどこか挑発的で、楽しそうな微笑みを見せた。

 僕は、こんなに必死なのに。


 何で、そんな顔ができるんだよ。

 怯えて欲しい。憎んで、殺意を感じて欲しい。

 震える歯を食いしばって、僕は彼女を睨み付ける。


 轟さんが、いかにも恐る恐るといった感じで、僕に言う。

「大丈夫か……?」

「うるさいっ!」

 感情が収まらない。興奮している。鉄臭い。



「ま、狭い場所だったし、お互い無意識に手加減してたんでしょ。寝転がった状態からのパンチやキックには、ロクに力が入らないし」

「いや、でも念のため病院行ったほうがいいって」

「轟さんよく考えて。この子達には保険証がないのよ」

「……大丈夫か?」

 轟さんが僕に問う。

「大丈夫だよ」

 笑って返事をしようとしたけど、表情が強張ってしまう。


 屋上。建物の中と繋がる出入り口の付近に自動販売機があって、あとは一面、広い駐車場になっている。光を反射する灰色の空間に車。


 包帯と絆創膏で軽い手当を受けた。

 瀬尾さんの言うとおり、僕らは多分、無意識に手加減し合っていた。……お互い顔に当てた、最初の一撃を別にして。

「……一気にブスになるよな」

「お互い様」

 鼻血を止めるために詰めたティッシュを、互いに笑い合い、貶し合う。

 僕とアマノさんと、透生さんと瀬尾さんと、栞と轟さん。

 誰と誰が敵同士で友達同士なんだか、結局、よく分からない。


 車と車の間はまるで路地のようになっていて、僕はその光景に住宅街を連想した。高い壁に覆われているから、僕の背丈では景色を見ることもできない。上に空が見えるだけだ。

「ごめん、そっか、休日か。平日は車が少なくて、もっと開放的なんだけど」

 栞が言う。呆れたように轟さんが笑って、

「お前、普段一人でここ来んの? 何かちょっと……どうなんだ?」

 小馬鹿にするような声。

「そんな痛い人を見る目しないでください。ピクニック感覚です」

「一人でピクニック行く奴なんているか?」

「そう言われると……そうですね」

 案外、あっさり折れた栞。

「駐車場なんて大人数で来る場所でもないけどな。俺ゲーセンで遊んどきたかった」

 透生さんが言う。

「いいじゃない青春っぽくて。男子は透生くんとアマノくんだけなんだし、もっと喜べば良いのに。アマノくんもさ。せっかくなんだから、子供のうちに性的ないたずらを」

「やめろ」

 コートとその下のシャツの裾をめくって、ヘソをチラリと覗かせる瀬尾さん、の頭を、透生さんが筒状に丸めた求人誌で叩いた。

 触れたくなるような、綺麗な肌。

 僕の視線は一瞬そのヘソに釘付けになった後、誤魔化すようにアマノさんを見る。


 彼女は僕達に背を向け、僅かに顔を上に向けて、危なっかしく歩いていた。

 一歩、また一歩。ゆっくりと、距離が開いていく。

「嫌われてるのかしら。透生くんが」

「都合の悪いことを全部俺に押し付けて解決しようとするな」

「ま、嫌われているだけなら問題ないんだけど。ああ、もう、そっくりだなぁ……! 自分から距離を取ろうとする。あれはSOSのサインよ。というわけで、助けに行ってあげなさい」

 瀬尾さんは僕の背中を押した。

「……僕が?」

「仲直りの良い機会でしょうが」

「絶対、逆効果になると思うけど……」

「まあ、その辺は私の知ったことじゃないし」

 無責任な言葉。轟さんとはコミュニケーション能力のレベルが違う。どんな発言も、彼女の余裕から生まれてくるように思えて、僕は彼女に逆らうのをやめた。

 渋々、アマノさんを追いかける。

 そして後ろから腕を掴むと、彼女は振り返ると同時に僕の頬をはたいた。バチン、と綺麗に衝撃が走る。

「――痛っ! いきなり叩くことないだろ!」

 掴んだまま、握る力を強くする。

「さっきいきなり殴ってきたのも、たった今いきなり腕を掴んできたのもそっちじゃん!」

 彼女は早速叫ぶように言うと、力ずくで僕の腕から逃れた。

 また背を向けて、今度ははっきりした足取りで、僕から離れていく。

 SOSだと言われても、僕にはどうしようもない。大体、僕はむしろアマノさんの敵で、追い込んで、傷付けて、負かしたいのに。

 不意に、アマノさんは立ち止まった。そして深く溜息を吐くと、

「……私は、私の生きた九年間を捨てたの」

 背中を向けたまま、そう言った。

 彼女は言葉を続ける。


「死ぬことって、未来を失うとか、生命活動が終わるとか」

「うん」

「じゃないんだよ」

「違うのかよ」

「むしろ過去……綴った時間を忘れることだと思う」

「……」

「忘れて、そして忘れられて、人は死んでいく」

「……」


 もう一度彼女を捕まえようと、腕を伸ばすも避けられて。

 掴み掛かって。避けられて、殺陣みたいに、二人でそれを繰り返す。

 徐々に追い詰めていく。

 僕が少しずつ前進して、アマノさんは後退しながら僕の手を躱し続け、


「私の九年間は、なかったことになった。……私はもう死んだようなひゃあっ!」


 前を見ないものだから停められた車の正面にぶつかり、そのまま反り返る形で、ボンネットに背中を預ける格好となった。

「どんなに才能があっても、背中に目はないもんな」

 逃げ場を失くした彼女の胸ぐらを掴む。間違えた。

「……やめて。離して。一人にして。……迷子になって、幽霊みたいに徘徊して、そのうち飢えで死にたい。明日に頓着しない。私はもう死んだようなものだから、本当に死ななきゃ。消えなきゃ! ……そうしたいの」

 興奮気味だった声が、徐々に落ち着いていく。

 次第に悲しそうな表情になって、泣いてしまった。

 自分より強い、と思っていた相手の弱々しい姿。それは下手な強さより、よっぽど僕を惑わした。


 砂谷のことが頭に浮かぶ。

 助けを求めるとすれば、彼女以外にいない。

「……だったら、生き返すよ」

 二人揃って大人に戻れば解決だ。

 それでも死にたいなら、もう飛び降りでも何でもすればいい。

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