4-3
炎が空中で渦を巻き、一匹の竜となる。そこら中の小石が集まって人形となる。手をゴムのように伸ばす人、体中油まみれになる人、口からトランプを吐き出す人、耳がでっかくなっちゃった人。
この世の光景じゃないみたいだった。まるで、遊園地のショーを見ているような……遊園地はこの世なんだけども。
「こ、これが大学生……」
「そうよ、これが大学生よ! 正確には呑天大学の学生達ね! T大やW大の人間はもっと普通の人間だけどね!」
栞は笑っていた。笑うしかないのかもしれない。
いつか図鑑で見た、何匹ものミツバチがスズメバチ一匹に群がる様子を思い出した。ミツバチのほうが少しだけ熱に強いから、密集して温度が上がると、スズメバチは死んでしまう。
数は力だ。どんなに強かろうと、栞は一人しかいない。
「……参ったなぁ、逃げ場がない」
飛んできたり突っ込んできたりする色々なものを上手に避けながら、栞は溜息を吐いた。囲まれて防戦一方。アパートから轟さんの声が響く。
「単体ならまだしも、子供を肩車したままでは強行突破することもできんだろ! 降参しろ! 来週のサンデー読み終わったら貸すからお願いマジで! 近所迷惑にもなるし!」
「あたしが読みたいのはヤンジャンですよ!」
栞は僕を地面に降ろすと、ズボンから尻尾を出し、
「反撃するけど文句言わないでよ? 元々、そっちから仕掛けてきたわけだし」
そう言って、消えた。
かと思うと、僕の周囲の大学生達が次々と倒れていく。
拡声器で指示が飛ぶ。
「怯むな! 見えない敵と戦おうとするな! 子供を狙え! 一人で飛び出すなよ! 息を整えて、一斉に行け!」
それから二分くらい経っただろうか。
「離せぇええ! カイを返せぇええ! ショタコン! 誘拐犯どもがぁああ!」
あれだけ格好付けといて、栞はあっさり取り押さえられてしまった。
アパートから下りてきた轟さんによって、僕は手を光の縄で縛られ、散歩中の犬みたいに繋がれている。縄といってもかなり細いのに、無理矢理引き千切ろうとしてもビクともしない。
栞はじたばたしながら騒ぐ。
「誘拐犯! 警察呼ぶぞぉおお! 轟先輩! 待てぇえ! 待ってください! 今度ヤンジャン貸すから!」
「私が読みたいのはスピリッツだから。じゃーな」
「サンデーは? サンデー貸すってさっき言ったのは何だったの! ちょ、待ってホントちょっとぉお!」
轟さんが僕を引っ張り、栞との距離は離れていく。
ちょっと抵抗してはみたけど、大学生に力で敵うはずもなかった。
「本当に警察呼ばれたらどうするつもり」
僕は轟さんに問い掛ける。
「どうかね。下手に通報できんだろう。お前はこの世に存在しないはずの子供だからな」
確かに、僕と関わった人は口を揃えて、自分のことを誘拐犯と言っていた。通報すれば、栞も瀬尾さんも怪しまれるのだ。
「捕まえて酷いことしようってわけじゃない。お前はアイドルになってくれればそれでいい」
「ジャニーズ的な」
「そーいうんじゃなくて偶像というか象徴というか。とにかく人気を集めて欲しいんだ。ゆるキャラやCMキャラクターみたいに。何しろ、お前は神様だからな」
「……神様」
1+1=3
透生さんから聞いた話が、ふと頭をよぎった。
僕は神じゃない。でも、その場にいるほとんどの人が神だと信じてしまえば、神みたいなものだ。
それが、正解じゃなくても。
アパートを離れて、賑やかな表の道に出る。
白い、こじんまりとした車が脇に停まっていて、助手席から男の人が顔を出した。彼は轟さんに手を振った。仲間なんだろう。
僕は相変わらず光の縄で縛られている。轟さんは人目を気にしてか、僕をその車の影に隠れる位置に立たせた。
「轟先輩! 敵は? 追ってきてます? 助太刀しましょうか!」
「必要ない。叢雲栞は身体能力には目を見張るものがあるが、所詮は脳筋。多数の超能力者には手も足も出なかったよ」
「案外楽だったんすね。あー、あと、山田が運転疲れたっていうんすけど俺はAT限定なんで、できれば大学までの運転を轟さんに……」
轟さんが身震いしたのが、光の縄越しに伝わってきた。
「嫌だ! できるけど! しないだけなんだけど運転はしない! 疲れてるから! 叢雲めっちゃ強敵だったから!」
「坂道発進できなさ過ぎて運転中よく泣くって噂が真実味を帯びて……」
「ぶっ殺すぞテメぇ! そんなわけないだろ!」
轟さんは後部座席のドアを開いて、強引に僕を車の中へと押し込んだ。
それから運転席に向かって怒鳴る。
「山田! 運転中の私のことは絶対誰にも言うなって言っただろうが!」
怒鳴られた小太りの男は、溜息を吐いて、
「大丈夫ですよ。先輩が運転下手なことは、みんな薄々気付いていますから」
「何だよ! 私はMTだぞ! ちゃんと国から『あなたはミッション乗れます』って認められた人間なんだ! 『えーATでよくない?』なんて言われながら頑張ったんだぞ! 国家資格なんだぞ! 運転できるんだ! しないけどな! 山田! 出発!」
「うぃっす」
促されて、山田さんは車を発進させた。
夜の街を車が走る。
眠気の中、今日の出来事が再生される。
夢よりも奇怪な現実。超能力者や尻尾の生えた宇宙人。おかしい街の中で、どういうわけかアマノさんがそのままの姿でいる。
何で、お前なんだ。
お前さえいなければ、僕はずっと天才でいられた。自分は凡才なんじゃないかなんて悩みは、お前と出会わなければ生まれなかったはずだ。
アマノソラは一人で良い。一番離れたいお前が、何で、こんなわけの分からない場所でまで付いてくるんだ。
「うおっ! な、泣いてる! おい山田、ティッシュ!」
「無茶言わんといてください運転中です! 名倉! ティッシュ! 名倉寝てやがるよ役に立たねーな!」
「おい、ソラ! 拉致してる分際で言うことでもねーが大丈夫か? どうしたんだ? 坂道発進失敗したのか?」
轟さんが僕の顔を覗き込む。
光の反射の具合で、彼女の金髪が白髪に見えた。
……その白に、僕は敵意を覚えた。
何を信じて何を疑えば良いのか、分からない。
実は瀬尾さんや栞さんが悪者かもしれないし、轟さんが良い人なのかもしれない。もしかしたら良い悪いなんてなくて、ただ、僕はどちらからも利用されようとしているだけなのかもしれない。
正しい道が分からないなら、もう、自分のやりたいようにやるしかない。
僕は、アマノさんに勝ちたい。
そのためなら、魂を悪魔に売ることも厭わない。
神様になって信仰を集めることは、直接的な勝利にはならないかもしれないけど……少なくとも、力にはなると思うから。
「……轟さん」
僕は、覗き込む彼女の目を睨み付けた。
「な、何だ?」
「僕を使うなら、一つだけお願いしたいことがある」
「言ってみろよ」
「女のほうのアマノソラを、味方にしないで欲しい」
轟さんは少しだけ驚いた顔をして、警戒した様子で聞いてくる。
「……女を庇っているつもりか?」
僕は首を横に振って、答える。
「そうじゃなくて、あいつに信仰を渡したくないんだ」
轟さんがきょとんとした顔をして、助手席の名倉さんが珍しい物を見るような目で振り返って、山田さんの運転が一瞬乱れる。
「……そんなに変なこと言ったかな、僕」
「い、いや、変というか、子供にしては随分利己的というか何というか……」
轟さんは苦笑いを浮かべながら、パチンと指を鳴らした。僕を縛っていた光の縄が消えて、僕は自由になる。
「逃げるよ?」
車の中とはいえ、体が自由なら。
「嘘を吐け。逃げる気なんか、もうないだろ」
轟さんが僕の口元を指差して言った。
思わず自分の頬を触ってみると、確かに口角が上がっている。
「私としてはどちらも採用といきたかったんだがな。片方しか使えないのなら、より優れた人材を使いたいというのが本音だが?」
下位互換を使う理由なんてない。
そんなこと、分かっている。
「……超えてみせるよ。あいつより使える駒になってみせる」
轟さんは僕の頭を鷲掴みにして、無邪気に微笑んだ。
◇
「流石、天乃さん」
皆が私を誉める。
「ああいうの、天才って言うんでしょうね」
負けて当然だって顔をする。
「天乃さんのことが好きって男子、ちょっと多過ぎない? 何でもできるのはいいけど、だからって調子乗らないでよ!」
意味不明な八つ当たりをしてくる。
普通にしているだけなのに。
皆と同じことをしているつもりなのに、私だけが浮く。
私はどうやら特別な人間として見られているらしかった。
仕方がないから、特別な人間らしい振る舞いをしよう。できると思われるなら、やろう。実際、期待される大抵のことは難なくできたから、天才とか神童とかいう周囲からの評価は正しかったんだと思う。
転校生が現れた。
呑天から引っ越してきたという彼は、他のクラスメイトとは纏う空気が違った。
◇
「ふぅん、雨野くんって、最初からソラガミ信者ってわけじゃなかったのね」
表情はどちらかといえば柔らかくて、微笑んでいるはずなのに何となく怖い。まるで存在そのものが、指を傷付ける刃物のようなのだった。そんな雰囲気にメイドの格好は、良い感じにゴシック……かもしれないけれど、ラーメン屋でする格好ではないと思う。
ここは、そんな彼女の経営するラーメン屋さん。
私は今日から保護者になった瀬尾夏鈴さん、星熊透生さんと、その後輩でアマノくんの保護者になるはずだった叢雲栞さんと、ラーメンを食べている。
「カイがはっきりと負けを認めたのは、目を改造されてからみたいだよ。まあ、その日の気分で言葉はころころ変わってたけどね」
別のメイドさんが言った。こっちのメイドさんはすごく朗らか。服装のせいであまり気にならなかったけれど、その顔は叢雲さんととても似ている。
「絶望したり、いきなり前向きになったり。まあ、心の値は一定じゃないから、当たり前だよね。愛憎入り乱れた複雑な感情って感じで。……勿論、楽器から離れることのできなかったあたしの見ていた彼の姿なんて、ほんの一部なんだろうけど」
と言って自虐的に笑う朗らかメイドさんに、瀬尾さんが意味が分からないといった感じで、作り笑いで首を傾げる。
「楽器から離れられないって何? 病気?」
「水源から離れられない生き物的な感じみたいな……というかカイの話ならさ、カイ二号くんがあそこにいるから直接聞こうよ」
朗らかなメイドさんは厨房を指差す。その先にいた銀色の髪をした若い男の人が、嫌そうな顔で目を逸らす。
カイ二号。カイがアマノくんのことなら、二号である彼は……? その顔には、確かにアマノくんの面影がある。アマノくんに双子の兄弟がいたなんて話は、聞いたことがないけれど……?
「あはは。聞こえるところで自分の過去の話なんかされちゃ、そりゃ嫌だよね」
「死音ちゃん、彼のあの灰色は何なの? バンドでも組んでんの? 私も大学生だし、もっと奇抜な髪型に……」
「んな和やかに話してる場合じゃないんだよぉお!」
テーブルを掌でバン、と叩いて、叢雲さんが勢いよく立ち上がる。
「カイが! あたしの子が攫われたんですよ!」
尻尾がにゅるりと出て、プロペラみたいにぐるぐる回る。
「お? 結婚は諦めて、養子縁組で手を打とうってことかな?」
なんて指を差して言った朗らかメイドさんは、直後に栞さんから拳骨のお見舞いを受けた。
「……でも実際、引き取って育ててくれるなら都合良いんじゃないの?」
刃物メイドさんが言った。瀬尾さんが頷いて、
「そうそう、店長さんの言うとおりよ。無理に叢雲ちゃんの元にいなくてもいいんだし? 栞ちゃんより轟さんのほうが、人望あるし頼れるわ」
涼しげな二人は、何だか意気投合し始めた。
「むしろ引き取ってもらってありがとうって感じよね?」
「そうそう! あぁ、私最初から轟さんに引き取ってもらってりゃ良かったのかもしれないわ。何かあの後すぐ『二人子供がいるだろ』とか言い出すから、『叢雲ちゃんに任せちゃったー』って。ねぇ透生くん。……透生くん? おいコラ」
ぼーっと、透生さんは厨房の銀髪を見ていた。
阪神ファンが異国で巨人ファンを見つけたような、敵意と親しみがごっちゃになったような、複雑な目だった。銀髪のほうは、何だかよく分かっていないみたいで、透生さんの視線には戸惑ってみせるだけだったけれど。
瀬尾さんに肩を叩かれて、ようやく透生さんは反応した。
「……ん? お、おう、何て?」
「アマノくんが轟さんに取られても別に問題ないよねって話! 何、もしかして聞いてなかったの? 働いてないのに?」
「働いてないのは関係ねーだろうが! ……あの人に引き取られるのは、俺は、どっちかといえば反対だぜ? 単に子供が大学生に攫われただけじゃねぇ。邪教に神様が持っていかれたんだ」
「そういうオカルティックなのはもういいから」
「これでも俺は、アカデミックな見地から言葉を発してんだが」
「アカデミックといえば星熊くん、今度紹介したい女子高生がいるんだけど……」
「穏やかに話してる場合じゃないとか言ったのは誰でしたかね栞さん!」
楽しそうな雰囲気。
私も大人だったら、この空気に馴染めたのかな。
それとも、大人になっても、私は特別扱いだったかな……?
……――?
頭をツンツンつつかれて、私は目を開ける。
大人達の声が、何だか遠くに感じる。
「ここで寝かすのも酷だしな、帰るぞ夏鈴」
「はー? 夜はこれからでしょうが! 私は残るから、二人で帰ってロリコン同人誌みたいな展開をだなぁ!」
「お前自由だな! 分かったよ! 俺も正直残りたいがお前だけ残れ! ……あと厨房の兄ちゃん、あんたもちょっと来い」
透生さんが銀髪の彼に手招きする。彼には寝耳に水だったみたいで、ビクリと顔を上げて半笑い。
「は? な、何か気に障ることでもやらかしましたか?」
「少し、話したいことがある」
「はぁ。えっと、じゃあ……いいですか、鼬川さん」
銀髪さんが店長メイドさんを見る。
「まあ営業時間はとっくに過ぎているから行ってらっしゃい」
メイドさんは店内の掛け時計を指差す。
針は、いつの間にか大晦日みたいな時間を示していた。
今回の栞は轟さんに負ける予定だったのに、実際書いてみたら轟さんが出る前に負けてしまっていて自分でびっくりです。
超能力のない世界だったらチート級の強さなのに。




