4-2
「はぁ? トーナメントのミーティング? 轟さんが主催するって言ってた超能力者のあれ? そんなの私から轟さんに何か上手いこと説明しとくわよ! どうせ優勝すんのはうちのヒモ……はぁ? 課題もある? 単位の一つや二つ、諦めなさい! え? 必修? 留年すればいいでしょ! うちにいる本名ヒモ、あだ名が透生くんを見なさい! 課題なんか最終日まで残して……あーでも結局何だかんだで全部やってたわ。え? 彼氏自慢? 違うわよ。……何? 違うわ、ゲームの対戦相手ならむしろ間に合ってます。今うちに四人いるから。……はぁ? 何で呼ばなかったのかって、じゃあ来なさいよ馬鹿!」
料理をしながら頬と肩で電話を挟み、瀬尾さんは栞との交渉を続けている。
1+1=3
と、透生さんがコピー用紙に書き込んだ。
僕とアマノさんは黙ってそれを見守っていた。本人も分かっている間違いを、いちいち指摘するのは格好悪い。
「……何だよ、子供のくせに反応薄いな。まさか足し算できないのか?」
透生さんが不満そうに言う。
仕方がないから指を差し、
「式の答えが間違っています」
と言ってみる。
「本当に間違っているのか?」
透生さんの言葉に、思わず怯む。答えは2だと思う。絶対に2だと自信を持って言えた。でも3を示したのは、小学生の僕なんかより知識が豊富な大学生。
迷って言葉の出ない僕の肩を、アマノさんが後ろから引っ張る。
「アマノくんは下がってて。……本当に間違っています。もし本当に答えが3になるのなら、小学生の知識では解けないような問題を出すあなたが幼い」
何故か喧嘩腰。
透生さんは苦笑いしながら、
「正解だ。2で合ってる」
と言って、3を消しゴムで『なかったこと』にした。
そして、
「だが、例えば自分以外のクラスメイト全員が『1+1=3』だと本気で信じていたとしたら?」
「それでも正しいのは2です」
アマノさんは間髪を入れずにそう答えた。
「正しいのはな。だが、その答えを受け止めてくれるのは一部の賢人だけだ」
「……何が言いたいんですか?」
「信仰それ自体に、何か物体を動かすようなオカルティックなパワーはない。だが無意味というわけでもなくて、強い信仰心は、時として正しさをも超える強大な影響力を持つこともある。つまり……」
透生さんは親指を立てると、それを自分に向け、
「俺が鬼だって信じてくれりゃ、俺は鬼になれるってこと」
鬼になれる。
僕とアマノさんは顔を見合わせ、どちらともなく、微かに首を傾げた。何じゃそりゃ。
僕らの反応を見て、透生さんは軽く鼻で笑った。
「お前らだって似たようなもんだぜ? 他人がお前らを神様扱いする限り、お前らは神様でいられる。……社会的にであって、それ以上の意味はないけど」
「要するに透生くんは鬼を自称する痛い人ってことよね」
電話を終えた瀬尾さんが口を挟む。
勿論、瀬尾さんが言うほど簡単な話ではないんだと思うけど……今の僕に、透生さんの言葉の真意を理解することは難しいように思えた。
透生さんが瀬尾さんを睨む。
「あのな、信仰心の恐ろしさは早いうちに教えておくべきだろ。都合の悪いことを隠した教育を受けてきたから、大学生になって暴走すんだよ」
「教祖ごっこくらい許してあげたら? 轟さんも砂谷さんも、実際大したことない人達よ。大体その二人だって神様ごっこやってた人達だし。あー、それより、来てくれるって、叢雲ちゃん」
玄関チャイムが鳴った。それから、声。
「すいません叢雲です。来てくれってことだったんで来ましたけど……」
「応対するのも面倒臭い……玄関開いてるから勝手に入って」
瀬尾さんは玄関に向けて声を張った。
「呼んどいて……まあ、いいですけど……」
と返事をして、入ってきたのは、黒髪の女の人。
叢雲と名乗っていたから、間違いないと思う。この人が、未来の栞。
「おじゃましまーす。ん、子供? …………………………」
栞は僕を見て、口をポカンと開けて静止した。
それから尻から蛇のような尻尾が出てきた。
……尻尾が、出てきた。
――――尻尾が! 出てきた!
「叢雲ちゃん、しっかりして」
瀬尾さんが栞の背中を叩く。混乱でいっぱいだった栞の目が現実に戻り、
「え? ああ、ご、ごめんなさい! 予想外状況だったから! えっと、この子はカイの親戚か何か? フィアのちっちゃいのもいるけど、これはその、え?」
「そんなに驚く? この街では何があっても不思議じゃないって、初対面でドヤ顔しながら言っていたのは叢雲ちゃんでしょうが」
「ど、ドヤ顔してましたか? いや、それより、この二人は?」
「かの有名な、二人の神様よ」
「……カイとフィアってことですよね……」
「まあ遠慮しないで片方持って帰りなさい」
「色々と説明不足ですよ!」
言葉は常識的なんだけど、人間が尻尾を振り回すのは常識的ではない。
……本当に、僕の知っている栞? そもそも人間? 僕の憧れた栞は、もっと浮世離れしていて、危なっかしい精神の持ち主だったんだけどな……
「巣立つまで預かってくれって言われた。それだけよ」
どっちかといえば瀬尾さんのほうが危なっかしい。
「誰だか知らんが大学生カップルに二人も子供押し付けるなんて無責任過ぎる! でも無理な頼みを聞いちゃう先輩も悪い!」
「無理? 世の中には地球救えって言われて救っちゃった女子高生だっているのよ! それに比べれば……」
「んなこと言う割に早々と一人手放そうとしてるじゃないですか!」
「無理なこともあるのよ」
「あんた言ってることめちゃくちゃですよ……」
栞は諦めたように溜息を吐くと、僕とアマノさんを交互に見て、しばらく考え始めた。それから、視線は僕に絞られ、
「じゃあ、男の子のほうで……」
選ばれた。
「おねショタ展開ね。……盗撮すれば売れ……」
「色んな意味で危ないんでやめてください! も、もう帰りますから!」
尻尾を伸ばして僕の腕に絡め、栞は早歩きで玄関へ向かった。
「ちょっと、叢雲ちゃん! 手と尻尾間違えてるわよ!」
「あ! 動揺し過ぎてつい! っていうか瀬尾先輩、あたしの尻尾を見たことって今までありましたっけ?」
「え? いや、今日初めて見たけど? ……あ、ああ! 驚いたほうが良かったの? ごめん」
「……あああ、もう!」
栞は顔を赤くしながら、僕の腕を引っ張って玄関を出た。
◇
所詮ちょっと発展した程度で、呑天の街は相変わらずだった。
さっきまでいたアパートも、外観は知っている。
車が飛ぶだのロボットが道端を歩くだのいう変化はなかった。大きなビルが新しく建っていたり、古い建物が消えていたり……くらいの、常識的な変化。
九年の歳月が経ったにしては、些細。
「念のため聞くけど、アマノソラよね、あんた」
「うん」
「どっから来たの? それとも、元々大きかったのが縮んだの?」
「知らない。目が覚めたら、あの部屋にいたんだ」
「まるで誘拐の被害者みたいね」
「まあ、誘拐の被害者みたいなもんだよ」
「そんな子供を連れて歩いてるあたしの立場、結構ヤバいよね……」
「瀬尾さんも同じようなこと言ってた」
「……だろうね」
呑天駅周辺。
商店街だった場所は防音シートに囲まれて、大規模な工事が行われている。僕の住んでいた場所も、栞の書店も、ない。
「一応、見せなきゃと思ってね。本屋も商店街も、最近なくなった」
「……最近まで残ってたんだ……」
重機の音で、耳が鈍る。
壊れていく。そこにあったかつての生活が、壊されていくような。
「ところで、カイ。超能力のことは覚えてる?」
栞が言う。からかわれているのかと思ったけど、栞は真剣な顔。
「……知らないよ。あるわけない……なんて否定する気はないけどさ」
「UFOのことも? 幽霊楽団のことも覚えてない?」
「何それ」
「ということは改造前……? 光は見える? その、視力がどうとかじゃなくて、人が持ってる光は」
「……うん、見えるよ。フィアの光だけ、異様に強かった」
言われてみれば、ほとんどの人は光を持っていた。フィアの光があまりに強烈で、他の微弱な光なんて意識の中に入ってきていなかったけど、確かにそこら中が光だらけだった。
でも、その光がどういう意味を持つのかは分からない。
あまり、知りたいとも思えなかった。
「……UFOのことは記憶にないのに、改造済……? 過去から来たなんてわけじゃなく、縮んだだけってことなのかな」
栞はしゃがんで、僕と視線の高さを合わせた。
困っているような、呆れているような、疲れているような。その原因が僕にあるのかと思うと、自然と目が栞を視線から外そうとする。
「ちょ、あたしのこと嫌い? こっち見てよ、こっち」
栞が慌てて言う。見ろと言われて見るのも、何となく照れる。
「……あんたの記憶にはないだろうけど……初めてあんたと会った時も、あたし、どうすりゃ良いのか分かんない状況だったんだよ。親に捨てられて、ああきっと死ぬんだなーなんて思っててさ」
「……え?」
僕の記憶にはないけど、初対面時の話?
「あーあ、あの頃みたいに、仙人が助けてくれりゃ良いんだけど」
僕が忘れているだけ? それとも、目の前のこの人が、僕の知っている栞とは別の誰か?
「……その仙人は、どうやって栞を助けたんだ?」
聞くと、栞はちょっとだけ嫌な顔をした。
それから少し悩んだ後、誤魔化すような、すっとぼけた声で答えた。
「本物の叢雲栞を殺して、あたしとすり替えたんだよ」
「――死んだ? 栞が?」
目の前の女が、敵に変わる。他の感情を差し置いて、怒りとか憎しみとか、そういう感情が先行する。
僕の顔を見て、偽物の栞は慌てた様子で首を横に振り、
「待った! 大丈夫だから! 生き返って、今は楽しく生きてるから!」
「……な、何、どういうこと?」
一旦湧いた黒い感情は出し入れ自由ともいかず、どんな顔をしていいか分からなくなって、苦く笑う。栞はひょいと尻尾を出して笑い、
「一言で説明するのも難しいけど、とりあえずあんたの知ってる栞は、今は栞じゃない別人としてちゃんと生きてるから。……おかしいと思わなかった? 尻尾がある時点でさ」
「そりゃびっくりしたけど。でも、僕の知ってる栞に、絶対に尻尾がなかったって言えるわけでもないから」
「まあ同級生の女の子の裸なんか見る機会ないもんね」
さらり、と何でもないように言われた言葉だったけど、裸という言葉は僕の耳に入るなり、劇薬のように僕の頬を赤く染めた。
僕が俯いていたから、栞がどんな顔をしていたのかは分からないけど。
「……か、可愛いけど、おねショタ展開に向かっちゃダメだってば……!」
自虐的な色を含んで、栞が言った。
さっきから耳にする「おねショタ」って、一体何……!
◇
星の輝きも呑んだ、眩しい街を歩く。
県道を外れて辿り着いたのは、瀬尾さん達の住居よりランクの落ちるボロいアパート。
「まあ一人だと若干持て余す広さだったから、あんまり窮屈ではないと思うよ」
「……お父さんは? 本屋、この前までやっていたなら、一緒に暮らしていてもおかしくはないんじゃ……」
「転勤で、結構遠くに。まあ、稼ぎは書店時代よりずっと増えたみたいだけど」
「……そっか」
階段を上る先に見える、叢雲と書かれた表札。
……その玄関の前で、金髪の人が胡座を掻いていた。
「おかえり」
とても背が高く、ちょっと見ただけでは男か女かも分からない。白いYシャツに黒いスラックス。ホストみたいな存在感を放ちつつも、ポニーテールが女性的。胸は微かにあるような気はするけど、性別、どっちなんだろう。
「げ」
栞さんはあからさまに嫌そうな顔をすると、立ち止まって、僕の手を握る。
「失礼な顔をするんじゃねぇ! 一応、お前の二つ上だぞ?」
少年のような声で、口調まで男っぽい。やたら格好良い。
栞は溜息を吐き、冷たい視線を金髪の人……轟さんに向けた。
「家の前で待ち伏せするような変質者を、先輩と呼びたくはないです。で、何か用ですか? 轟さん」
「子供を預かりに来た」
轟さんが僕に向く。
「……何ですか? 本格的に変質者になっちゃいました?」
僕の手を握ったまま、栞は階段を一歩下りる。
それに応えるかのように、轟さんは一つ、こちらに歩みを進める。
「その子供、アマノソラなんだろ? 神様は色々と有効活用できそうなんでな」
「は? いや、その、この子はふつうのこどもデスヨ」
徐々に棒読みに。
「口の軽い瀬尾から色々聞かせてもらったぞ」
ニヤリ、と轟さんが笑む。
「くっそぉ! あの女ぁあああ!」
栞は叫びながら僕を抱きかかえ、アパートから飛び降りた。
「えええ!」
僕は叫ぶ。ちょっと涙も出る。あまりにも栞に躊躇がなかったから、怖いとかじゃなくて、何てことをしてしまったんだって感じだった。
しかし、体は宙にはいない。
栞は落ちるというより、壁伝いにアパートの外側を駆け下りていた。
「地球人風情が、あたしの身体能力に勝てるわけないのよ! あああどうしよう帰れないよぉ! とりあえず瀬尾先輩はぶっ飛ばす!」
ほとんど衝撃もなく、静かに地面へ降り立つ。轟さんはというと、追ってくるわけでもなく、拡声器を握って叫ぶ。
「ふはははは! 甘いわ! テメーらを待っていたのは私だけじゃねーんだよ!」
その声と同時に、アパートの周辺に隠れていた人達がわんさか現れる。
「ウェーイ!」
「ワンチャンアルデ!」
揃いも揃って茶髪! さわやか! たまに黒縁眼鏡! 特に女の人は没個性的で、ほとんど見分けが付かない!
「……何なんだ、この人達!」
肩車されながら、栞に問う。
「まあ、あたしも含まれるんだけど」と前置きして、栞は答える。
「――この街でメイドの次に恐ろしい存在、大学生よ」




