1-2
◇
――茅原倫一は回想する。
初めての頃から、俺はそれなりに動けた。だから、自分には野球の才能があるんだと勘違いした。
単に早熟だっただけだと分かってきたのは、最近になってのこと。
認めたくはない。だからまだ認めない。
練習あるのみだ。
日頃から、俺は自分にそう言い聞かせていた。
――回想、終了。
グラウンドから部室へ移動する。
鞄を持つと、着替えずに駐輪場へ向かった。
自転車に乗り、部室の側を通り掛かったところで、声を掛けられた。
「もう、待って。あたしも行くから」
声の主は、練習を見ていた古川楓。
マネージャーでもないのによく練習を見に来る変わった女だ。いつの間にか俺とよく話すようになり、そのうちに態度がどんどん馴れ馴れしくなった。
美人ではあるが、こうして付きまとわれるのも煩わしい。
「待つ時間なんかない。来たところでお前、やることないだろ」
「あるよ。練習を見る」
「見るだけじゃないか」
「断る理由だってないでしょ? あたしが自転車取ってくるまで待ってて」
強い調子で言って、彼女は駐輪場へと走った。
俺を見ていることの、何が面白いのかは分からない。だが、彼女の後ろ姿はどういうわけか楽しそうで、俺はそんな彼女に疑問を感じずにはいられなかった。
「……惚れられているわけじゃないよな?」
と考えてみるが、まさかと否定する。
俺より上手い選手なら沢山いる。練習中の俺の動きは、どちらかといえば映えない。
それなりには動ける。最初は誰よりも動けた。だが進歩しない。まるで成長に必要な何かが、最初から備わっていないみたいに。
俺には何かが欠けている。
認めたくはないが、それが才能というやつなのだろう。
結局、俺は楓を待った。自転車で並走する俺達の姿は、客観的に見ればカップルのようにも映るのだろうか。
「中学で野球始めた日、甲子園行きたいって……いや、違う」
楓に語る。
「行ける、甲子園行けるって思ったのさ。時間はたっぷりある。すさまじいスタートダッシュだったから、割と余裕で大物選手になれるなって思った。でも、まあ、それは最初だけだったかな」
うん、と楓が相槌を打つ。
ふと、俺ばかりが喋っていることに気付いた。
「悪い、俺しか喋ってないな」
「ううん、いいよ。あたしにそういう話をしてくれてありがと」
「そういう話?」
「……野球の闇の部分というか」
はっきり闇と言われて変な気持ちがした。
それは向こうも察したようで、今度は楓が俺に謝った。
「ごめん、言い方がちょっと悪かったね」
「まあ、間違っているわけでもないけどな。闇といえば闇だし」
努力すれば夢は叶う、なんて理想を砕く、闇。
……ふと、ある噂を思い出した。
永束には、二人の神様がいる。
一人は才能を見極める神様。もう一人は才能を与える神様。
「もしかして、茅原くんが神社で練習するのって神様に会いたいから?」
楓が言った。
「は? そんなわけないだろ」
「え? でも才能もらえたら、努力が実を結ぶかも」
「……何かそういうの、違うと思わないか?」
楓の顔面にはてなマーク。首を傾げ、
「具体的に何が?」
と聞き返してきた。
「そういう近道みたいなのは邪道っつか……」
「勝つためにできることなら何でもしろって、監督さん言ってたじゃない」
「ルールの上で、だろうさ」
「神頼みのどこがルール違反なの?」
「……本当にそれで覚醒したら馬鹿みたいだろう。俺より沢山努力して、それでも花開かなかった誰かがさ」
「美学ってやつ? それにこだわって花開かずに終わるほうが、よっぽど……」
「うるさいな、文句があるなら構うな、帰れ」
「同情したくもなるよ」
悲しげな表情に、いよいよ腹が立った。
「いい加減に……」
「茅原くんが誰より努力してんの、知ってるから」
「……」
俺は閉口した。途端、恥ずかしくなって俯く。
楓の目を、まともに見られなくなった。
◇
自分は何に向いているのか。
何をすれば、自分の才能が活かせるか。
自分の才能はどこまで飛べるか。その答えを、
大人は職安に、そして、
少年少女は僕に……、
――神社の神様に求める。
「ない。その、歌の才能は多分ないよ。ないです。よく見てもないです」
賽銭箱の前に座った僕は、本殿の前に立った少女を見下ろしながら言う。
少女には夢があるのだという。それを叶えるための才能が、自分にはないのかもしれない、と嘆いていた。
だが、ここに来たということは期待もあったのだろう。そして、僕の言葉は彼女の期待を裏切った。少女は怒り始めた。
僕の対応は、少々雑になってきた。
「……えっと、落ち着け。あるほうが珍しいから。何が向いてるかって、そんなはっきりコレ! みたいなものは持っているほうが珍しいから。運動神経は何かありそうな気がするけど、今から始めて間に合うかどうか……競歩でもやったら? 歌いたい? じゃあもう歌えばいいだろ。成功はしないよ、歌では成功しない。まあ、多少音痴でもアイドル路線でなら……何だよ、それは歌の才能とは言いません。アイドルになれるか? 知るか。僕だって未来予知ができるわけじゃないんだから」
正直に答えていたら、とうとう泣かれた。
光るものを持っている人が来た場合は楽だが、特に目立つ光を持っていない人が来た場合は、大抵いつも面倒臭いことになる。正直に答えれば傷付けるし、嘘を伝えれば人生が狂いかねない。
自身に飛び抜けた才能が眠っていることを、沢山の人が願っている。輝くために。逃避のために。充実した人生を送るために。誰かに勝つために。
それができるフィアは、何もしたくないと言う。
石段の上段辺りから脇の広場を覗く。
いつもどおり、球児とそれを眺める女がいた。位置の関係上、僕は二人を少し高いところから見下ろす状態となる。
女がこちらを見上げた。
目が合う。お互いに、小さく会釈をした。
男は僕の存在には気付かず、一回一回、丁寧にバットを振る。そのスイングは完璧ではないものの、既に完成されていた。
未完成であれば、さらに伸びる余地がある。
だが……。
「あの二人のことが気になるの?」
と声がする。いつの間にか、フィアが僕の隣に立っていた。
白髪のゴスロリ。どうも最近、その格好がお気に入りらしい。ある意味神々しさが漂っていたが、神社にはあまり合っていない。
「どっちを見てるの?」
フィアが言うので、僕は男のほうを指差した。
「ふぅん。悪くないスイング。これからが楽しみだね」
「……だったら僕もあの女も、こんなに同情しない。あれがもうピークなんだ。はっきり言って、あの努力は実らない」
努力が必要ないものだとは思わない。才能を開花させるために、相応の努力は必要なものだ。
だが、努力は乗算だ。
単に加算されていくなら、積み上げた分だけ意味があるだろうが……。
「ああいう奴こそ、僕のところに来てくれりゃ良いのに」
「才能ありますかって聞かれて、何て答えるつもり? ありません、なんてはっきり言えるほど、カイは強くないでしょう?」
「……でも、このまま無意味な努力に時間を割くよりマシだろ」
「私は、むしろ女の子のほうに同情するかな」
フィアが言う。意外だった。
「女の、何に?」
「さあ? 何にかな。……例えば、もっと将来有望な男にキャアキャア言っておけばいいのにとか、例えばもっと自分の人生を歩めばいいのにとか。開花しない蕾は可哀想だけど、それを眺める人もまた、可哀想」
「……まあ、ね」
泥舟と、それに乗る人。
どちらにも、同情はできる。
やがて二人が広場を後にし、神社とその付近に、僕ら以外の人影はいなくなった。賽銭箱の前に座って、無言の時間を過ごす。
UFOを探している。非常識なそれが、僕らを攫って、酷い改造を施す。そんな妄想で時間を潰す。十九歳にもなって、実に子供っぽいなとは思う。
僕がフィアの家に行くか、フィアが神社に来るか。僕らはそんな調子で、二日に一回は、必ず顔を合わせている。
言ってしまえばニートとフリーター。
人と関わる機会は、お互いそう多くない。
僕らは依存し合っているのだ。
だから今更、取り立てて話すようなこともなく。無言の時間は続く。居心地は悪くない。
永束には、二人の神様がいる。
一人は才能を見極める神様。もう一人は才能を与える神様。
二人は神社の賽銭箱の前で、ぼんやりと空を眺めている。