3-4
鴉からの帰りに、ソラガミさんの家に向かった。
漫画に出てくる金持ちのお嬢様が住んでいそうな、白くて大きな家。呼び鈴を押すと、俺と歳の近そうな少年が玄関を開けた。
「ああ、姉ちゃんに用事っすか?」
「え? あー……」
弟さん? 強い力を持つソラガミさんに比べ、彼の見た目は意外なくらいに凡庸だった。黒い髪に、人懐っこそうな表情。
そりゃ、全員が天才なんていう化物じみた一家を期待するのもおかしい。
しかし、それにしても。
「……確かにソラさんに用事なんだけど、何でそう思ったんだ?」
「うちに来る子供なんて、十中八九が姉ちゃんに用事っすよ。世の中を荒らしたいとか女を襲いたいとかいう犯罪者気質か、あるいは誰かに復讐したいっていう泣きそうな奴が大半。でも、君はどっちにも見えないな。目的を聞きますよ」
「本人に話せば早いんじゃあ……」
「ダメダメ。姉ちゃんは気紛れだから、誰にでも会わせるわけにはいかないっすよ。力が欲しいなら、まずは常識あるおれを納得させてからだ」
「常識あるおれ、か……。まるで、お姉さんが非常識みたいな」
「非常識っすから」
「……そ、そうか」
弟さんは慣れた様子だった。多分、いつもそうやって来客の相手をしているんだろう。
本当のことを言って納得させられるだろうか?嘘を吐こうかとも思ったが、通用しそうにない。
可愛らしくもある彼の目は、不思議とこちらの頭の中を見透かしているように思えた。
「……知り合いが、超能力者集団を作るんだよ。だが、あいつはソラガミさんやメイドラーメンのことを知らない。あいつよりも事情を知る俺がいたほうが、あいつの……ひいては超能力者全体のためになる」
「超能力は要らないっすよ、それ」
「一般人の発言力なんか知れてる。同じ立場から言葉を発するには、少なくとも超能力者である必要があるだろ」
「ふーん、悪くないっすね。でも、どうしようかな……」
自身の唇に指を当てて、分析するかのように、俺の上から下までを視線でなぞる。まるで、スキャンされているような心地だ。
そんな弟さんの後ろから、白い髪が覗く。思わず「あ」と声を漏らしてしまった。
「力が欲しいの?」
パジャマ姿のソラガミさんが、眠そうな目で俺を捕捉する。
弟さんは「げっ」と漏らし、俺を外に押しやって玄関を閉めてしまった。
姉ちゃんは寝てろよ! どいて! どかないうわあ超能力は反則だ! うるさいどいてってば!
そんなやり取りが家の中から聞こえてくる。
……よっしゃ、勝った! 内心ガッツポーズ。
外でしばらく立ち尽くしていると、ソラガミさんが玄関を開けた。その目は、俺を意外そうに見ている。
「……珍しい。私のところに来るのは、もっと追い詰められていそうな人ばかりなんだけど、君は穏やかそう」
まるでヤバイ病院みたいだな、と思った。
健全ってことなのだろうか。しかし、何か、何も考えてなさそうと言われているような気もする。
ちょっと言い返したくなった。
「悩みがなさそうってことですかね。ないわけじゃないんですけどね」
音楽のこととか。まあ、能力を欲しがる動機とは結び付かないか。
ソラガミさんは熱のない目で俺を見て、髪を掻き乱して言った。
「……私と会ったこと、ある? 見覚えあるような……」
「面と向かったことはないかもしれませんけど、仙人と戦っているのを傍観はしていました」
「……何で、力が欲しいの?」
悪魔か、天使か……そんな微笑み。
弟と同じく、嘘は通用しそうにない。
「知り合いが超能力者になったんで、そいつが暴走しないように、俺も力を持っておきたいんです」
俺が正直に答えると、ソラガミさんは笑った。
「……そんな知り合い、放っておけば良いよ。超能力者が暴走することは、今までにも何度だってあった。でも、その度に神社の神様が街を救ってきた。君が気にすることはないんじゃないかな?」
カイさんの姿が浮かぶ。
古川や砂谷の暴走を止めようとする彼の姿を、俺は見てきた。
「そう、かもしれないですけど」
「君は、何の心配もしなくて良い」
「…………」
本屋の栞さんや、メイドラーメンの鼬川さんもいる。問題が起きたとしても、あの人達に任せておけば良いのかもしれない。
……高校中退直後に感じた寂しさを思い出す。自分から脱したはずなのに、あの頃、俺は置いていかれたような感情を抱いていた。
当時と似たような闇が、また心を包んでいく。
そんな俺の心を見透かしたかのように、彼女は言う。
「君は、興味を持っただけなんじゃないかな。超能力者達の世界に、自分も参加したいだけ。そのための言い訳が見つかったから、私に会いに来た」
「……そういう側面も、ないとは言いませんけど」
「言い訳しなくていいよ。全て吐露して。カイが君を修正するには、まず、君が壊れなきゃダメなんだから」
「――……」
その発言に、どういう狙いがあるのかは分からない。この人は、人を壊すために力を与えているのか……?
「そう身構えないで。これは面接じゃないんだから」
彼女は自身の心臓辺りをトントン、と指で叩き、その指を俺に向けた。
「ばぁん」
弾丸を発射するような仕草。何か超能力を使ったのかと思ったが、変わったことは起こっていない。
「な、何すか今の?」
戸惑う俺に、彼女はフフ、と小さく笑い、
「また来てね」
そう言って、家の中へと引っ込んでしまった。
多分、力を与えられたのだろう。それは、何となく分かる。
どうすれば使えるんだ?
変にぶっ放したら危ないかもしれない。
あまり力まないよう、指先とか目とか、それらしい箇所の神経を意識してみる。
分からん。
色々試してはみたが、何も起こる気配がなかった。案外、さっさと俺を納得させて、帰らせたかっただけなんじゃ……?
帰宅して親の作った晩飯を食べた後、パソコンの前に向かう。
作曲作業の前に、動画サイトを開く。こんなことばかりしているから成果が出ないんじゃないかとは自分でもたまに思うが、アウトプット作業には、それ以上のインプット作業が必要だろう。
「……馬鹿なのか俺は」
屁理屈言うな! と怒られたい。そんな欲求が、実はどこかにある。
ああ、恋してんだな。
ここのところ毎日聞いている音楽を流す。
――ふと、変な感じがした。聞こえてくる音に、触れられそうな気がしたのだ。手を伸ばす。何だ? この感じ。
伸ばした手が、歌詞を掴んだ。
俺は、立体的なひらがなの「ま」を握っている。
「……はぁ?」
これが、俺が受け取った超能力なのか……?
――歌詞を掴む力? いやいや、一発芸にくらいしか使えないだろ。
とりあえず「ま」を足元に置いてみる。俺の手を離れると、「ま」はすぐに消えてしまった。他の歌詞も掴んでみる。掴める。歌詞は俺の手を離れると、やはり、元々存在しなかったかのように消えていった。
◇
午前十時。目を覚ます。
適当に身支度を済ませると、俺は神社へと向かった。
民家と電線で隠れた空は、眩しいくらい晴れている。視覚的には暖かいのに、空気が冷えていて辛い。出不精の俺が、栞さんに引っ張られるまでもなく外に出ている。これで雨野さんがいなかったら、しばらく引きこもろう。
石段の先へ走る。案ずることはなかった。雨野さんは賽銭箱の裏に、こちらに背を向けるようにして座っている。
「……何か、ラスボス感が半端ないですね……」
息切れに混じって、安堵で自然と笑いが漏れる。
雨野さんは振り返り、一瞬、目を見開いた。
「――目覚めた……わけじゃないよな。フィアから受け取ったのか」
彼の発言に溜息が交じる。
俺は頷き、雨野さんの発した言葉を手に取ってみせた。フィアという三文字が、俺の手の中で、発泡スチロールのように具現化される。
「カイさんなら分かりますよね。……何なんすか、この力」
「持ってる本人なら、感覚で分かるもんだよ。そういう力としか」
カイさんは、どうも冷めた調子だった。
俺はカイさんに問う。
「……もしかして、呆れてますか?」
「何で?」
「何となく、そんな感じがしたんで」
「フィアに対して、少しね。……砂谷のことで懲りたかと思ったんだけど」
溜息を吐き、カイさんは軽く笑ってみせた。それから立ち上がり、長い黒髪を掻き分け、虹色に光る右目に、俺を映す。
「掴めないものを掴む力って言えば、伝わるかな。――水とか、炎とか……光とか、言葉とか。そういうものを掴めるんだ」
「はぁ。……結構、強そうですね」
「どうかな。便利ではあるけど、喧嘩で使えるような力かどうかと言われれば微妙なんじゃないかな」
残念、と言わんばかりにカイさんが笑う。
それは挑発ですか?
――もう、凡人枠は嫌だ。
「こういうのはどうですか?」
言葉が掴めるのだとしたら、イメージはどうだ?
俺は頭に木製バットを思い浮かべ、それを掴む。
「こんな感じで、即興で武器を生成することができます。刀や銃を、大したコストもなしで掴むことができるんです」
しかし、カイさんの表情は変わらない。
ああダメなのか、と悟る。そりゃそうか。この程度のアイデア、カイさんが思い付かないはずがない。
「……残念だけどさ」
カイさんは立ち上がり、俺の前に立った。その手が、俺の握ったバットに軽く触れる。
――ふわり。カイさんの腕が木製バットをすり抜けて、
「実体を与えることまではできないから、こうなる」
バットは、最初から何もなかったかのように消えてしまった。
いや、最初からなかった。そこにないものを俺が掴んでいただけだ。
「……一癖ありますね、これ」
「フィアのお気に入りの一つだよ。単純な能力より、変なものを好むから。……そんなものを渡されるくらいだから、霧生くんは気に入られたんだろう」
気に入られた、か。
確かにソラガミさんの態度は、好意的ではあった。
「……嫉妬とか、してますか?」
問うと、カイさんは微笑し、頷いた。
「少しね」
軽い調子の割に、目がマジだった。




