3-1
ホテル冥王星、呑天にゃんにゃん倶楽部、黒猫メイドカフェ。
そんな店の立ち並ぶ怪しい裏通りに、メイドの経営するラーメン屋がある。それは、実力で他のラーメン屋に勝てなかった女の敗北の象徴であり、僕のバイト先でもある。
店員がメイドであることが売りの店では、当然、男である僕に店員は務まらない。だから仕事は裏方作業が主だ。基本的には掃除や調理の手伝いをしている……のだが、客の来ない時間は、サクラの役をやらされる。
ちなみに給与は最低賃金を下回っており、精神が落ち着けば、別の仕事を探そうと思っている。
朝十時。初雪が舞っていた。
メイドラーメン甘恋の店内、窓際のテーブル席から、僕はそれを眺めている。暖かい店内からでも、外の寒さは想像に難くない。仕事はなかった。サクラの時間。僕はテーブル席に座ってくつろいでいる。
「日下、新メニューの開拓に手伝って頂戴」
鼬川さんが僕に言う。そして、僕のテーブルに、一見パフェと見紛うような、奇妙なラーメンが置かれた。具がフルーツで、生クリームがスープに浮いている。漫画でしか見たことがないような組み合わせだが、ある意味、メイドラーメンという響きにはふさわしいものにも思えた。
「毒味なら虹林か死音にお願いします」
「眠っているじゃないの。死音はまだ来てないし」
「起こせば良いじゃないですか。仕事中なんですから」
「もう矯正不可能よ」
既に諦められていた。
……まあ、いいか。ゲテモノではあるが、興味が湧かないわけではない。
それに、一度死体となった僕の味覚を信頼してくれるのも、ありがたいことではある。
「じゃあ、いただきます」
僕は箸を割り、クリームの下に埋まったラーメンを掘り出してすする。クリームの仄かな甘味と塩気が混じって、少なくとも、ラーメンを食べたい人間には出してはいけない代物ではあった。ラーメンとパフェを足すにしても、もう少し上手な足し方があるだろう。同じ器に入っているというだけでまだ分離しているから、半端な混ざり方になってしまう。
「もうちょっと試行錯誤したほうがいいですよ、これ」
僕は器を突き返した。それを回収しながら、鼬川さんは溜息を吐く。
「メイドっぽいものっていうコンセプトだったんだけど、焦り過ぎたようね」
「ゲテモノを名物にするんなら、ありだと思いますけど」
「変わり種で勝負、か。それも悔しいわね。……昔は私も、もっと純粋にラーメンの味を追求していたはずなのに、いつから擦れたのかしらね」
「挑戦してみたらどうですか? そのメイド服を脱いでさ」
「は? 色仕掛けってこと?」
「普通のラーメン屋にしてみたらどうかってことです」
「それは、もう手遅れよ」
歳の割に若々しく、悪く言えば子供っぽい鼬川さんではあるが、諦めを口にしたときの疲れた顔だけは、やけに老けて見えた。
慌ただしく店の入り口が開き、アルバイトの春夏秋冬死音が現れた。
「ごめん遅刻ぅ! 布団があったかかったのは不可抗力だよね!」
「違うわよ」
鼬川さんが冷たい声で言う。
死音は「ひえー」と半笑いで騒ぎながら、店の奥に飛び込み、すぐにメイド服を着て出てきた。客はいないので仕事はない。死音は中学レベルの英語の問題集を荷物から取り出し、テーブルの上に開いた。
彼女は小学校すら卒業しておらず、学力は十歳前半といったところだ。メイドラーメンでバイトを始めてからは、自主的に勉学に励んでいる。
頭の回転は悪くないようで、飲み込みは早いほうだと思う。
「……分かるか?」
聞くと、死音はOKサインで答えた。
「大丈夫。今からでも中学校に通おうかとも考えてんだけど、年上のお姉さんって中学生男子には刺激が強過ぎる気がするんだよね」
「まあ、確かに」
顔は整っているし、グラマーでもある。だが子供には高嶺の花だろう。教室にいたところで、弊害はないように思えるが。
「高校とか大学にも行きたいけど、そのためには出身中学がどうしても必要になるからなぁ。ああ、どうしよ。……カイ二号、一緒に大学行かない?」
「誰が二号だ」
僕が言うと、死音はキャッキャと喜び始め、二号二号と笑いながら指を差し、連呼し始める。
「……栞二号。いい加減にしろ」
仕返しにそう呼ぶと、彼女は大袈裟に仰け反ってジタバタし始めた。
「ぐおお! 誰が栞二号じゃ!」
「お前だよ」
「ぐ、ぐぬぬぬぬ……」
否定しきれないようで、死音は悔しそうに僕を見ながら黙った。僕らは同じような劣等感を抱えている。僕らはどちらともなく、自嘲した。
日下穹と春夏秋冬死音が誕生して、およそ一ヶ月。当初は鼬川さんの世話になるのが癪だったが、もう慣れた。今は、この日常が気に入っている。
……正直なところ、あの神童から離れて生活することが、こんなに楽なことだとは思わなかった。
バイトは八時間。その後もサクラをやらされることも珍しくはない。捕まらないうちに店を出た。午後五時過ぎ。特に向かう先があるわけでもなく、僕は街を散歩することにした。
雪は止んでいたが、風は刃物のように冷たい。厚着をすれば良かったと後悔する。道行く人の抱く光は、見様によっては暖かそうにも思える。だが、あれに温度はない。下校途中の高校生、これから仕事に向かうらしき派手な服の女、仕事帰りの中年。人間観察をしながら歩いていて、気付けば知らない道にいた。
僕の目には人の才能が見える。そして、一部の人間が持っている超能力も、才能として僕の目に映る。
そんな僕の目だからこそ分かる異常がある。
……少し前に比べ、超能力者が多過ぎるのだ。
最近、永束に宇宙人が現れた。そのことが関係しているのだろう。自分の力に気付いてすらいなさそうな、新しい超能力者が急増している。中には強力な超能力者もいた。放っておけば、悪いことが起こるだろう。実際、九年前にも様々な事件が起こった。しばらく続くだろうと思われていた超能力者騒動は、フィアがほとんどの能力を回収したことにより、唐突に終わりを告げたのだ。
UFOが来る度に、これか。
おそらくはカイも気付いているだろう。となれば、またフィアが動き出すはずだ。僕が動く必要はない。……のだが、何となく、カイやフィアに任せっきりなのも癪だ。小物は小物なりに、挑戦してみたいと思った。
ちょうど、乗ってくれそうな人材が身近にいるじゃないか。
翌日、朝。
「早く言いなさいよ! 宇宙人がまた来たなんて知らなかったし、超能力者が増えてるって、ええ? ちょっと! どうするのよ!」
僕が街の様子を伝えると、鼬川さんはパニックに陥った。ある意味、予想どおりの反応だ。メイドラーメンは開店直前。しかし、放っておけば鼬川さんはそのまま店を飛び出して超能力者狩りを開始してしまいそうだった。
サクラの準備はすっかりできており、僕はテーブル席に背中を預けていた。これから鼬川さんに連れられて超能力者を探すなんてことは面倒臭い。
「落ち着いてくださいよ……。まだ何も起こってないんですから」
慌てたところで仕方がない。闇雲に超能力者狩りを行ったところで、消すことのできる超能力はほんの一部だけでしかない。
「これから僕が、強力な超能力者を見つけてリストにします。その中で危険なタイプだけに狙いを絞って、鼬川さんがその力を消す。ひとまず、それがベターじゃないですか?」
手当たり次第では、それこそ時間切れになってしまう。何か起こる前に状況を安定させるには、何か起こりそうな箇所だけに集中するべきだ。
どうせ、そうこうしている間にフィアが動く。大多数の能力は、あいつに任せれば良い。
ひとまず鼬川さんは納得してくれたようで、沈静化し、頷いた。
「それじゃ、任せていいのね。何なら雨野くんにも声を掛けるけど……」
「……いや、『俺』一人で大丈夫です」
仲良くなれそうにない相手というのがいる。自分と似過ぎている人間も、その一つだろう。何も知らない向こうが僕を意識しなくとも、僕は雨野空を過剰に意識せずにはいられない。
席を立ち、トイレに入る。
鏡に映っているのはシルバーアッシュのイガ栗頭と、カラコンを仕込んだ青い瞳だ。別に、格好良いと思ってやったわけではない。日下穹は、雨野空が絶対にやらないようなスタイルをわざと選んでいる。
自分が何者なのか、よく分からない。死音と同じく、僕にも戸籍はなく、本名というものもない。
以前の僕は雨野空であり、仙人でもあった。
だが今は、そのどちらでもない。
テーブル席に戻る。死音が僕の正面に陣取って、いつものように数学の教材を開いた。死音本人は気付いていないようだが、彼女の胸にも超能力が見える。
「……ぬ! 何か、やらしい視線を感知!」
死音が言う。ビシッ、と僕に指を差す。
「しかも目が虹色に光った! そんなにあたしの胸を見たいのか!」
「うん」
「ぐおお! そ、その返しはちょっと考えてなかったな……! まさかまさかの肯定ですか! このままでは見せる流れになってしまう……! 一体あたしはどうすれば!」
「お前、自分のこと超能力者だと思うか?」
「ええー? 今のあたしは普通の人間だよ」
彼女の胸に見えるのは、一言で表せば、ものをすり抜ける力だった。目視できる透明人間。まるで幽霊のような状態になれるということだ。
「お前は普通じゃない」
「えー? 何じゃそりゃ。悪口?」
「褒め言葉だよ」
「ぬぅん?」
死音は首を傾げた。
サクラの代わりに外回りを命じられた。超能力者を探せというのだ。ラーメン屋のバイトでこんな探偵じみた仕事内容を任される人間も稀有だろう。
さて。
呑天駅の周辺は人が多いものの、街の外からやってくる人物の比率が高そうなので除外。雨野空だった頃の経験から、超能力者はどうやら若者に多いという認識がある。……のだが、平日の午前中からふらふらしている生徒なんか、そう多くない。小学校や中学、高校に向かうのが手っ取り早いか。
足は雨野空の母校へ。呑天高校の裏門の前で、僕は壁に隠れるようにして立ち止まった。
……覗きみたいで気が引けるが、まあ、いいか。
僕は指先から目玉を発生させる。見た目はグロテスクだ。こんなものが浮いていたら、普通の神経を持つ者なら逃げ出すだろう。この目玉をどうにか隠すことができればいいのだが、ちょうど良い力を仙人は持っていなかった。
この目玉に痛覚はない。それが幸いだ。三つほど発生させた目玉を、僕は街路樹の上のほうへ投げた。上手く葉に隠れるようにして、目玉は浮いている。
あの目玉が得た視覚情報は、僕の頭に送られる。直接視るより精度は劣るが、一応は才能も視ることができる。
同様にして、中学校の敷地内にある藪の中にも目玉を仕掛ける。他、幾つかを街の各所に仕掛けていく。
それぞれの目が見ているものは、聞き流す音楽のようなものだ。意識しない限り、夢のように朧げなまま消えていく。ずっと意識し続けるのは難しいが、眩しい光を放つ超能力者を見つければ、嫌でもその光は僕の注意を引く。
夕方になったら、また街をうろつこう。それまでは、外にいても仕方がないように思えた。鼬川さんにどう説明するかを考えながら、僕はメイドラーメンへと舵を切った。




