2-8 宙神
この星に来たばかりの頃を、最近よく思い出す。
瓦も夜風も冷たいし、月も星も雲に隠れて見えない。
「……見張りの役目は今日でオシマイ」
メイドと幽霊が交戦している、その反対側。
民家の屋根の上を、叢雲栞の死体……仙人が、少年を連れて歩いている。あたしが天乃家の屋根から睨み付けると、仙人は微笑した。
尻尾を出す。そのまま蜥蜴モードに変身。
一応、臨戦態勢。とはいえ、あの少年が本気を出せば、あたしなんて壁にもならずに終わってしまうだろうが……。
尻尾を屋根に突き刺す。起きて、フィア。あんたの出番よ。
「意外だったよ。九年前に助けてあげた君が、俺の味方をしないとはね」
三軒先の屋根から、仙人が言った。
「……悪いですか」
「恩知らずの所業さ」
クカカ、と笑い声。
恩着せがましいところもあるが、仙人の言うことも間違いではないと思う。あたしが彼……? 彼女……? の立場だったら怒る。
手段はどうあれ、仙人はあたしを助けてくれた。
でもあたしは、仙人の味方にはなれない。
「……アマノソラには、もっと深い恩がありますから」
「……なるほど」
仙人は瓦の上で胡座を掻き、
「奇襲は失敗だ」
そう言って、クカカと笑い始めた。
細い目が、尖る。
「だが、君も幽霊もメイドも、実のところはどうでもいい存在さ。あわよくば味方につけたい。その程度の認識でしかなかった。君の見張りがあろうがなかろうが、奇襲なんか通用しないことも分かっていたさ」
仙人は魔法使いのように、上に向けた人差指をくるくると回した。すると、その指先に目玉が出現した。仙人はその指をあたしに向けた。
――弾丸のように、目玉が飛んでくる。
「ちょ」
あたしは咄嗟に右横の屋根に飛び移った。二発目、三発目の目玉が襲ってくる。それだけではない。目玉は追尾機能付きのようで、一発目の目玉もあたしを追ってきていた。
「……躱すのが無理なら!」
追わせなければ良い。幸い、擬態はあたしの得意技だ。
肌の色を変え、景色に溶け込む。
「消えた?」
仙人が狼狽える。同時に、目玉の動きが止まった。
音を立てず、忍び寄ることも容易。屋根から屋根へ移動し、仙人の背後に回り込むと、その無防備な頭に回し蹴りを、
「……え……?」
封じられた。勢いを付けて振り回した足は片手で掴まれてしまった。
仙人はあたしを、背負投の要領で瓦屋根に叩き付けた。
「ぐぇええ……」
凸凹の上に背中を打ち付け、鈍い痛みが神経を揺らす。でも今は耐えよう。肉弾戦なら、地球人より優れた身体能力を持つあたしのほうが有利。倒れたまま、あたしは仙人の足を掴んだ。そして、
「お返し!」
仙人を上空へ放り投げる。
「ハハ! やるね、君!」
しかし、仙人は空中で体勢を整え、落下することなく、停止した。
「恐るべき身体能力。だが、無駄だね。所詮君は、ちょっと喧嘩が強い程度でしかない。外来種とはいえ、君は常識に塗れた凡人なのさ」
浮遊したまま、仙人は目玉を飛ばしてきた。
目玉は、擬態したままのあたしが見えていないようだ……けど、出鱈目に動き回られるのは、それはそれで脅威。
逃げ場を失ったあたしに、仙人は何か投げた。手錠だった。
「え、ちょ、何……?」
回避しようとしたが、これも追尾性あり。しかも、目玉とは違い、あたしが見えているらしい。
あたしの手首はあっさり捕まってしまった。
「は、放して!」
「そんな意味のない催促をしてていいのかい? 擬態した君が見えなくとも、手錠は見えるんだ」
……や、やだやだぁ! 見つかる!
動き回っていた目玉が一斉にあたしを見た。
襲い来る目玉。包囲されてしまっては行き場がない。逃げたが、逃げ切れなかった。命中、小爆発。命中、命中、小爆発。その、繰り返し。連続ヒットのダメージは大きく、あたしは屋根に倒れた。
「君は傍観者だ」
仙人は空中から鳶のようにあたしを捕まえ、天乃家の隣に投げ捨てた。
痛いし、悔しい。あたしがこんなにボロクソになっても、仙人にほとんどダメージを与えられなかったことが、悲しい。
手数は多いし、その一つ一つが強力。
フィアといえど、これは手こずるんじゃない……?
「さあ、昴」
空中に浮かびながら、仙人が言う。
少年が、掌を天乃家に向けた。ベキリ。そんな音がした。かと思うと瓦が砕けて、屋根が崩れていく。
物音に反応してか、周辺にはいつの間にか見物人がいた。
……お膳立ては完璧。
「さあ、出てこい、ソラガミ!」
呼び掛けに呼応するかのように、屋根に空いた穴から、白い髪が覗く。
パジャマ姿のフィアが顔を出した。表情は酷くつまらなそうだ。目は閉じかけているし、口はへの字に歪んでいる。
まるで、この状況に興味がないみたいだ。
「……うるさいよ。何時だと思ってんの」
フィアは頭を掻き毟りながら、眠気いっぱいの眼差しを仙人へと飛ばす。
「その余裕が、いつまで持つかな。……昴!」
少年がフィアに掌を向ける。
ベキベキベキ。音を立てて、天乃家の二階が崩れていく。
それを回避するように、フィアは飛び立った。
背中に天使みたいな翼を生やし、空へ。
「復讐だ。九年前に俺を否定したお前を、今日、超える!」
仙人が言う。しかし、フィアはそんな彼女を嗤った。
「――超えられないよ」
仙人はフィアに向けて、顔を歪めた。
「……何だと」
「単に武器が多いだけじゃダメなんだよ、仙人。両手に刀を持ったって、二本同時に扱うことができなければ意味がない。……私の強みは、奪った幾多の能力を保持していることじゃなくて」
フィアが仙人に掌を向ける。
「それらを同時に使いこなす、才能なんだよ」
「ほざけ!」
地上からは少年が手をかざし、空中では仙人が、指先から、まるで流星群のように復数の目玉を発射する。
フィアは右手から炎の玉を撃ち出し、目玉を破壊していく。同時に左手を下に向けた。下……? 見ると、少年が、屋根から生えた無数の手に捕まり、身動きを封じられている。
仙人に接近していくフィア。
「撃ち落としてやるさ!」
仙人が指を鳴らす。すると、彼の周囲の空間に穴が空いた。かと思うと、その中から無数の葉が放たれる。
幾つかの束になったそれは、まるで蛇の群れ。
フィアは、ピアノを弾くみたいに、……操り人形を触るみたいに、……コンピューターにデータを打ち込むみたいに、……指を踊らせ始めた。
「……何をしている?」
仙人が問う。
「役立たずの能力達が、束になる」
フィアが何をしたのかは、分からない。
その指の動きが止んだ直後、蛇は砕けて葉に戻り、空中に舞い散っていく。カーテンのように視界を覆い尽くす葉が、風に攫われて消えたとき、フィアは仙人の目前にまで接近していた。
「……チェックメイト」
トンと、その指が仙人の額に触れる。すると、仙人の体は氷像のように凍ってしまった。凍った彼女を抱え、フィアは少年の側に降り立った。
そして、動けない少年を同じように凍らせた。
……そっか、カイはずっと、「これ」の中にあるものを見て育ってきたんだ。「これ」と同じ名前を背負って、「これ」の親友として生きてきた。確かに、「これ」は怖い。鼬川さんのような人が現れるのも、当然のことなのかもしれない。
現人神、か。
「私が力を与えたばっかりに、利用されちゃったんだね」
フィアは凍った砂谷昴の胸元に手を当てると、そこから何かを引っ張りあげるような動作をした。きっと能力を回収しているんだろう。あたしの目では見えない。これは、カイの目じゃないと。
……あたしの意味ってあったのかな。
何だか、見張り番なんてやっていたのが馬鹿みたいに思えた。




