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ソラガミ  作者: 大塩
2 復讐者
15/52

2-4


 また雨が降っている。時刻は正午過ぎ。

 その日、僕は朝から神社にいた。肌寒さに体を震わせる。灰色の空は、いつまでここにいようかと僕に悩ませた。

 賽銭箱の裏側にもたれ、本を読む。参拝客は来ない。聞こえるのは雨の音と、遠くを走る車の音だけだ。

 背後に人の気配がした。

 参拝客だろうか。背を向けたままでは不気味に思われそうだ。振り返ろうかどうか悩んでいると、

「随分暇そうじゃない? ニートの雨野くん」

 栞の声がした。宇宙人のほうだ。

「……無事だったんだな」

「ま、何とかね。相手が強くて勝負にはならなかったけど、逃げるのは簡単だったわ。擬態は得意だからね」

 水色のパーカーにダメージジーンズ。どこか中性的な服装……のおまけとして、にゅるりと下半身後ろから飛び出した尻尾。

「……猥褻物、しまえば?」

「あたしのチャームポイントに何てことを!」

「冗談だよ。それより、よくここが分かったね」

 聞くと、栞は苦笑いを浮かべた。

「それが全然分かんなくて、結構あっちこっち回ったんだ。商店街だった瓦礫の周辺、メイドラーメン、フィアの家、自宅。で、ここが終着点よ」

 栞は本殿に入ってきて、僕の隣に腰を下ろした。

「大体の事情は把握しているつもり。鼬川さんとフィアから話を聞いたわ。商店街とあたしを襲った少年を捕まえたいんでしょう?」

「……まあね。敵が誰なのかも大体見当が付いている。でも手が出せずにいる。今回の相手は、下手するとすぐに殺されそうだ」

 破壊力は抜群で、栞でさえ勝負にならない相手だ。古川楓や今までの超能力者とはレベルが違う。闇雲に突っ込むわけにはいかない。

「どうすんの?」

「分からない。……悔しいけど、鼬川さんに任せるしかないかも」

 フィア贔屓の僕からすれば気分が悪いが、並の強さの超能力者なら、鼬川さんに任せておくのが一番安全な道といえる。フィアのように強大な力を持つ超能力者でなければ、それで済むのだが。

「あたしが見たその少年は、簡単に懐柔できる相手には見えなかった。あたしが今まで会った中では、フィアと仙人の次くらいに怖かったよ?」

「……随分、厄介な相手だな」

 フィアが砂谷昴に渡したた力は、そこまで強力なものではなかったはずだ。商店街を襲ったのは、別の誰かと考えるのが妥当……か。

「どうするの?」

 栞が言う。

「ひとまずは情報収集。ここにいれば、神社の神様に会いに中高生が来る。弱点なんかが分かるかもしれないし、置かれた環境に不満を持っているなら、そっちを解決すれば良い」

 暴走は負の感情から起こることが多い。強引に止めることができないなら、原因を動かせばいい。使われない超能力は、無力に等しい。

「改善ねぇ。……できるの?」

「時間は掛かる」

「悠長な話だわ」

 栞は、呆れたように溜息を吐いた。

「もたもたしていると、第二の駅前商店街が生まれちゃうかもよ? 一晩で瓦礫の山。事態は一刻を争うのかもしれない」

「じゃあ、どうしろって言うんだよ」

「フィアを動かすのよ。あいつに勝てる超能力者なんていたら世も末だわ。他の人ならともかく、あんたなら説得することだってできるんじゃないの?」

 提案、というよりは、そうすべきだという意見。

 僕は首を横に振る。

「……無理強いはしたくない。フィアの望みは、何もしないことだから」

 代わりに動くことが、僕の役割だ。


 午後になって雨が弱まり、そのうち完全に止んだ。いつまた降り出すか分からない灰色の空の下、僕と栞は拾ったゴムボールで遊ぶことにした。

 まさかそんなことで数時間が経過するとは思っていなかった。

「暇なんだって痛感するわ。……大学生とニートだものね」

 自嘲的に微笑む栞。

 夕方。雲が晴れることはなく、陰気に闇が世界を包む。

 帰ろうか、と話し合っていたところで、来客の登場。

「あ、いた。神様。やっぱりここにいたんですね」

 現れたのは、古川楓。自覚もしていなかったが、僕は彼女に対して苦手意識を持っているらしい。大袈裟に心臓が働いた後、つい身構えてしまった。

「こんばんは。霧生くんに頼まれて情報を集めたので、報告に来ました」

「……僕に?」

 霧生か、彼に指令を出した鼬川さんに報告するなら分かるが……。

「霧生くんからは、『栞さんからの指示』と言えば伝わる、と」

 どうやら幽霊の栞が気を利かせてくれたらしい。

「……了解。それで、何か分かった?」

「収穫は上々です。うちの高校とその周辺で得られる情報なら、ほぼ搾り取れたと思いますよ。例の一件以来、あたしの発言力はやたら強くなっておりまして、大袈裟なくらいに人が動いてくれました」

 古川は薄い自嘲を浮かべた。それから学校指定の鞄から数枚のレポート用紙を取り出し、僕に差し出した。

「怪しい生徒は、呑天中学の山川、島田、萩原、永束高校の寺門、楪、砂谷、鈴木、呑天高校の松下、飛田。この八名です。詳細はこちらに……字はあまり綺麗ではありませんが……まとめてあります」

 受け取ったレポートには名前と詳細なプロフィール、関連する噂や最近の様子などが書かれていた。住所や電話番号まで書かれており、その気になれば全員とすぐ会えるようになっている。

 砂谷に関する記述を見た。彼は現在、登校拒否をしているらしい。時期は、商店街が襲われる少し前。また、教室に顔を見せなくなる直前辺りから、周囲にやや強気な態度を取っていたという。不登校になって以降のことについては、特に記述がなかった。

 ざっくりと、その他の能力者についての記述にも目を通す。不登校、いじめ被害者、万引き犯。弱い立場の者ばかりで、気が滅入ってくる。

「役に立ちそうですか?」

「……うん、助かるよ。想像以上の成果だった」

 相手は危険な超能力者だ。直接会うのはできるだけ避けたい。

 だが結局、それ以外に選択肢が思い付かなかった。


 星の見えない夜が来た。神社を後にした僕と栞は、古川のレポートに従い、永束の中にある砂谷昴の住まいに向かった。

 砂谷家は五階建てアパートの最上階。

「……ねえ、大丈夫なの?」

 階段を上り、入り口の前に着いたとき、栞が言った。僕は頷く。

「いきなり喧嘩を吹っ掛けるわけじゃないから大丈夫だろ。家で日常生活を送っているんだとしたら、それだけの理性があることの保証になる。むしろ、問題なのは家にいない場合……帰れない精神状態だった場合だよ」

「会って、何て言うのよ。下手に超能力の話なんかして刺激するのは、得策とは言えないでしょ?」

 考えていなかった。

「……大学祭の招待とでも言えばいいよ。近所の中高生の家を訪問して回っていることにするんだ」

「何その不審者」

「でも、見た目からして不自然じゃない。僕の髪が長い以外、ガラの悪い感じもないし……大丈夫だろ」

「まあ、じゃあ、それで良いわ。行きましょ」

 玄関チャイムを押す。

 足音がして、僕らと同年代くらいの女が出てきた。

「はい、……何ですか?」

 訝しげな目だった。

 僕は彼女の才能を視た。運動神経は高水準で、おそらく思考の回転も遅くはない。よくいる器用貧乏なタイプだ。努力次第で何にでもなれる分、頂点には辿り着けない。

「……もしかしてあなた、雨野くん?」

 女、おそらくは昴の姉、が言った。鋭利な表情が緩んでいく。

「ええ、そうですけど」

「隣のクラスの砂谷よ。覚えてない?」

「ああ……えーと……」

 思い出せない。隣のクラスって、いつのだ。

 少し記憶を巡ってみたが、砂谷という名前の同級生のことは思い出せなかった。自分のクラスメイトの名前も曖昧なのだから仕方がない。

「昴くんに会いに来たんだけど、いる?」

「弟に用事? えっと……いるにはいるわ。でも、今は……」

 彼女は少し悩んだ後、

「……上がって」

 諦めたように息を吐き、そう言った。

「え、入っていいの?」

 弟を玄関まで連れて来れない理由でもあるのか。

「どうぞ」

 まさか、罠じゃないだろうな。一応疑いながら、僕は家の中へと入った。栞が僕に続く。

 薄暗い蛍光灯の下、うっすらと殺虫剤の臭いがした。湿った空気の台所を通り過ぎ、奥にある部屋に案内された。部屋にはさらに引き戸がある。押入れのようにも見えたが、「昴」と書かれた紙が貼ってあるので部屋になっているようだった。

「実を言うと、昴はしばらく部屋から出てきていないわ」

 本人に聞かせたくないのか、昴の姉は小声で僕らに告げた。

「だから、雨野くんとの出会いが良い刺激になれば良いのだけど……勿論、悪影響は与えてほしくないのよ? でも、今がどん底だと思うから、言いたいことがあればどんどん言ってあげて」

 昴の姉が引き戸を叩く。

「昴、開けるわよ」

 反応はない。しばらく待った後、姉が戸を開けた。中は狭い部屋。布団が敷いてある。

 その布団の上に、一本の長い木の棒が転がっていた。

 砂谷昴の姿は、ない。

「昴、お客さんよ」

 姉は木の棒に話し掛けた。

 当然、返事はない。

「……栞、これって」

 話し掛ける。だが栞は特に驚く様子もなく、姉と棒とのやり取りを見ていた。僕の視線に気が付くと、彼女は不思議そうに言った。

「何よ、怖い顔しちゃって」

「……実際怖いんだよ」

「はい?」

「お前、まさか昴が見えているわけじゃないだろうな?」

 栞は指を唇に添え、少し間を置いた後、

「……いや、見えるも何もそこにいるでしょうが」

 棒を指差して言った。

 昴の姉と栞は、幻を見ているのか。

 いや、僕のほうがおかしいのか? 奇怪な目だ。人が騙されるものを正確に見分けることができるのなら、その逆……僕だけが騙されてしまう状況があったとしても不思議ではない。

 いるのか? そこに、砂谷昴が……。

「まあ、多分あんたが正しいよ」

 栞が言った。

「騙されているのはあたし達の目だわ」

「……大丈夫だよな?」

「あんたがあんたの目に自信を持たなくてどうすんのよ」

 栞が背中をぐいと押す。

 僕はその勢いのまま部屋に入り、棒を掴んでみせた。

 ひっ、と姉が悲鳴を上げた。それから棒を指差して、

「何これ、木の棒……?」

 泣きそうな声で言った。

 昴一人で、こんな奇術じみたことはできないはずだ。少なくとも彼がフィアから受け取ったのは、視覚を欺くようなものではない。

「協力者がいる。……というか、利用されているのかもしれない」

「そいつが黒幕かしら」

 栞の言葉に、僕は頷いた。


 砂谷家を後にする。僕と栞と、それから何故か付いてきた昴の姉の三人は、古川のレポートに書かれていた住所を一つ一つ訪ねてみることにした。全員が永束か呑天のどちらかに住んでいるとはいえ、知らない家を見つけて訪ねるのは時間も労力も掛かった。

 結果、誰も超能力を持っていなかった。

「……昴で決定だな」

 僕は二人に言う。栞は頷き、昴の姉はうろたえた。

「そんな、昴が……! 雨野くん、一体、あたしはどうすれば……!」

「待ってりゃ良いよ。ここから先は、凡人の出る幕じゃない」

 普通の人では力にならない。いや、並の超能力者でも、ほとんどが役に立たないだろう。死ぬよ、とフィアが言っていたことを思い出した。本当は僕も、大人しくしていたほうが良いのかもしれないが……。

「どうすんのよ、カイ。商店街をぶっ壊す少年と、そんな奴を従える黒幕。正直、本格的にフィアを連れてくる必要があるんじゃない?」

 栞の言葉に、僕は口を噤んだ。

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