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◇
また雨が降っている。時刻は正午過ぎ。
その日、僕は朝から神社にいた。肌寒さに体を震わせる。灰色の空は、いつまでここにいようかと僕に悩ませた。
賽銭箱の裏側にもたれ、本を読む。参拝客は来ない。聞こえるのは雨の音と、遠くを走る車の音だけだ。
背後に人の気配がした。
参拝客だろうか。背を向けたままでは不気味に思われそうだ。振り返ろうかどうか悩んでいると、
「随分暇そうじゃない? ニートの雨野くん」
栞の声がした。宇宙人のほうだ。
「……無事だったんだな」
「ま、何とかね。相手が強くて勝負にはならなかったけど、逃げるのは簡単だったわ。擬態は得意だからね」
水色のパーカーにダメージジーンズ。どこか中性的な服装……のおまけとして、にゅるりと下半身後ろから飛び出した尻尾。
「……猥褻物、しまえば?」
「あたしのチャームポイントに何てことを!」
「冗談だよ。それより、よくここが分かったね」
聞くと、栞は苦笑いを浮かべた。
「それが全然分かんなくて、結構あっちこっち回ったんだ。商店街だった瓦礫の周辺、メイドラーメン、フィアの家、自宅。で、ここが終着点よ」
栞は本殿に入ってきて、僕の隣に腰を下ろした。
「大体の事情は把握しているつもり。鼬川さんとフィアから話を聞いたわ。商店街とあたしを襲った少年を捕まえたいんでしょう?」
「……まあね。敵が誰なのかも大体見当が付いている。でも手が出せずにいる。今回の相手は、下手するとすぐに殺されそうだ」
破壊力は抜群で、栞でさえ勝負にならない相手だ。古川楓や今までの超能力者とはレベルが違う。闇雲に突っ込むわけにはいかない。
「どうすんの?」
「分からない。……悔しいけど、鼬川さんに任せるしかないかも」
フィア贔屓の僕からすれば気分が悪いが、並の強さの超能力者なら、鼬川さんに任せておくのが一番安全な道といえる。フィアのように強大な力を持つ超能力者でなければ、それで済むのだが。
「あたしが見たその少年は、簡単に懐柔できる相手には見えなかった。あたしが今まで会った中では、フィアと仙人の次くらいに怖かったよ?」
「……随分、厄介な相手だな」
フィアが砂谷昴に渡したた力は、そこまで強力なものではなかったはずだ。商店街を襲ったのは、別の誰かと考えるのが妥当……か。
「どうするの?」
栞が言う。
「ひとまずは情報収集。ここにいれば、神社の神様に会いに中高生が来る。弱点なんかが分かるかもしれないし、置かれた環境に不満を持っているなら、そっちを解決すれば良い」
暴走は負の感情から起こることが多い。強引に止めることができないなら、原因を動かせばいい。使われない超能力は、無力に等しい。
「改善ねぇ。……できるの?」
「時間は掛かる」
「悠長な話だわ」
栞は、呆れたように溜息を吐いた。
「もたもたしていると、第二の駅前商店街が生まれちゃうかもよ? 一晩で瓦礫の山。事態は一刻を争うのかもしれない」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ」
「フィアを動かすのよ。あいつに勝てる超能力者なんていたら世も末だわ。他の人ならともかく、あんたなら説得することだってできるんじゃないの?」
提案、というよりは、そうすべきだという意見。
僕は首を横に振る。
「……無理強いはしたくない。フィアの望みは、何もしないことだから」
代わりに動くことが、僕の役割だ。
午後になって雨が弱まり、そのうち完全に止んだ。いつまた降り出すか分からない灰色の空の下、僕と栞は拾ったゴムボールで遊ぶことにした。
まさかそんなことで数時間が経過するとは思っていなかった。
「暇なんだって痛感するわ。……大学生とニートだものね」
自嘲的に微笑む栞。
夕方。雲が晴れることはなく、陰気に闇が世界を包む。
帰ろうか、と話し合っていたところで、来客の登場。
「あ、いた。神様。やっぱりここにいたんですね」
現れたのは、古川楓。自覚もしていなかったが、僕は彼女に対して苦手意識を持っているらしい。大袈裟に心臓が働いた後、つい身構えてしまった。
「こんばんは。霧生くんに頼まれて情報を集めたので、報告に来ました」
「……僕に?」
霧生か、彼に指令を出した鼬川さんに報告するなら分かるが……。
「霧生くんからは、『栞さんからの指示』と言えば伝わる、と」
どうやら幽霊の栞が気を利かせてくれたらしい。
「……了解。それで、何か分かった?」
「収穫は上々です。うちの高校とその周辺で得られる情報なら、ほぼ搾り取れたと思いますよ。例の一件以来、あたしの発言力はやたら強くなっておりまして、大袈裟なくらいに人が動いてくれました」
古川は薄い自嘲を浮かべた。それから学校指定の鞄から数枚のレポート用紙を取り出し、僕に差し出した。
「怪しい生徒は、呑天中学の山川、島田、萩原、永束高校の寺門、楪、砂谷、鈴木、呑天高校の松下、飛田。この八名です。詳細はこちらに……字はあまり綺麗ではありませんが……まとめてあります」
受け取ったレポートには名前と詳細なプロフィール、関連する噂や最近の様子などが書かれていた。住所や電話番号まで書かれており、その気になれば全員とすぐ会えるようになっている。
砂谷に関する記述を見た。彼は現在、登校拒否をしているらしい。時期は、商店街が襲われる少し前。また、教室に顔を見せなくなる直前辺りから、周囲にやや強気な態度を取っていたという。不登校になって以降のことについては、特に記述がなかった。
ざっくりと、その他の能力者についての記述にも目を通す。不登校、いじめ被害者、万引き犯。弱い立場の者ばかりで、気が滅入ってくる。
「役に立ちそうですか?」
「……うん、助かるよ。想像以上の成果だった」
相手は危険な超能力者だ。直接会うのはできるだけ避けたい。
だが結局、それ以外に選択肢が思い付かなかった。
星の見えない夜が来た。神社を後にした僕と栞は、古川のレポートに従い、永束の中にある砂谷昴の住まいに向かった。
砂谷家は五階建てアパートの最上階。
「……ねえ、大丈夫なの?」
階段を上り、入り口の前に着いたとき、栞が言った。僕は頷く。
「いきなり喧嘩を吹っ掛けるわけじゃないから大丈夫だろ。家で日常生活を送っているんだとしたら、それだけの理性があることの保証になる。むしろ、問題なのは家にいない場合……帰れない精神状態だった場合だよ」
「会って、何て言うのよ。下手に超能力の話なんかして刺激するのは、得策とは言えないでしょ?」
考えていなかった。
「……大学祭の招待とでも言えばいいよ。近所の中高生の家を訪問して回っていることにするんだ」
「何その不審者」
「でも、見た目からして不自然じゃない。僕の髪が長い以外、ガラの悪い感じもないし……大丈夫だろ」
「まあ、じゃあ、それで良いわ。行きましょ」
玄関チャイムを押す。
足音がして、僕らと同年代くらいの女が出てきた。
「はい、……何ですか?」
訝しげな目だった。
僕は彼女の才能を視た。運動神経は高水準で、おそらく思考の回転も遅くはない。よくいる器用貧乏なタイプだ。努力次第で何にでもなれる分、頂点には辿り着けない。
「……もしかしてあなた、雨野くん?」
女、おそらくは昴の姉、が言った。鋭利な表情が緩んでいく。
「ええ、そうですけど」
「隣のクラスの砂谷よ。覚えてない?」
「ああ……えーと……」
思い出せない。隣のクラスって、いつのだ。
少し記憶を巡ってみたが、砂谷という名前の同級生のことは思い出せなかった。自分のクラスメイトの名前も曖昧なのだから仕方がない。
「昴くんに会いに来たんだけど、いる?」
「弟に用事? えっと……いるにはいるわ。でも、今は……」
彼女は少し悩んだ後、
「……上がって」
諦めたように息を吐き、そう言った。
「え、入っていいの?」
弟を玄関まで連れて来れない理由でもあるのか。
「どうぞ」
まさか、罠じゃないだろうな。一応疑いながら、僕は家の中へと入った。栞が僕に続く。
薄暗い蛍光灯の下、うっすらと殺虫剤の臭いがした。湿った空気の台所を通り過ぎ、奥にある部屋に案内された。部屋にはさらに引き戸がある。押入れのようにも見えたが、「昴」と書かれた紙が貼ってあるので部屋になっているようだった。
「実を言うと、昴はしばらく部屋から出てきていないわ」
本人に聞かせたくないのか、昴の姉は小声で僕らに告げた。
「だから、雨野くんとの出会いが良い刺激になれば良いのだけど……勿論、悪影響は与えてほしくないのよ? でも、今がどん底だと思うから、言いたいことがあればどんどん言ってあげて」
昴の姉が引き戸を叩く。
「昴、開けるわよ」
反応はない。しばらく待った後、姉が戸を開けた。中は狭い部屋。布団が敷いてある。
その布団の上に、一本の長い木の棒が転がっていた。
砂谷昴の姿は、ない。
「昴、お客さんよ」
姉は木の棒に話し掛けた。
当然、返事はない。
「……栞、これって」
話し掛ける。だが栞は特に驚く様子もなく、姉と棒とのやり取りを見ていた。僕の視線に気が付くと、彼女は不思議そうに言った。
「何よ、怖い顔しちゃって」
「……実際怖いんだよ」
「はい?」
「お前、まさか昴が見えているわけじゃないだろうな?」
栞は指を唇に添え、少し間を置いた後、
「……いや、見えるも何もそこにいるでしょうが」
棒を指差して言った。
昴の姉と栞は、幻を見ているのか。
いや、僕のほうがおかしいのか? 奇怪な目だ。人が騙されるものを正確に見分けることができるのなら、その逆……僕だけが騙されてしまう状況があったとしても不思議ではない。
いるのか? そこに、砂谷昴が……。
「まあ、多分あんたが正しいよ」
栞が言った。
「騙されているのはあたし達の目だわ」
「……大丈夫だよな?」
「あんたがあんたの目に自信を持たなくてどうすんのよ」
栞が背中をぐいと押す。
僕はその勢いのまま部屋に入り、棒を掴んでみせた。
ひっ、と姉が悲鳴を上げた。それから棒を指差して、
「何これ、木の棒……?」
泣きそうな声で言った。
昴一人で、こんな奇術じみたことはできないはずだ。少なくとも彼がフィアから受け取ったのは、視覚を欺くようなものではない。
「協力者がいる。……というか、利用されているのかもしれない」
「そいつが黒幕かしら」
栞の言葉に、僕は頷いた。
砂谷家を後にする。僕と栞と、それから何故か付いてきた昴の姉の三人は、古川のレポートに書かれていた住所を一つ一つ訪ねてみることにした。全員が永束か呑天のどちらかに住んでいるとはいえ、知らない家を見つけて訪ねるのは時間も労力も掛かった。
結果、誰も超能力を持っていなかった。
「……昴で決定だな」
僕は二人に言う。栞は頷き、昴の姉はうろたえた。
「そんな、昴が……! 雨野くん、一体、あたしはどうすれば……!」
「待ってりゃ良いよ。ここから先は、凡人の出る幕じゃない」
普通の人では力にならない。いや、並の超能力者でも、ほとんどが役に立たないだろう。死ぬよ、とフィアが言っていたことを思い出した。本当は僕も、大人しくしていたほうが良いのかもしれないが……。
「どうすんのよ、カイ。商店街をぶっ壊す少年と、そんな奴を従える黒幕。正直、本格的にフィアを連れてくる必要があるんじゃない?」
栞の言葉に、僕は口を噤んだ。




