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駅から少し外れた、ビル街の裏。
ホテル冥王星、呑天にゃんにゃん倶楽部……雨は、これらの店に妙な色気と寂しさを与えていた。怪しい店の前で老婆が一人、傘を差してパイプ椅子に座っている。悪寒が走った。目を合わせてはいけない。
僕はメイドラーメン甘恋の入り口を開けた。ふわふわした雰囲気に似つかわしくないラーメンの匂いが嗅覚を刺す。客はまだ一人もおらず、鼬川さんが一人、カウンター席でぼんやりとテレビを見ていた。
フィアを連れて来なかったのは、鼬川さんを興奮させないためだ。メイドラーメンにとってのフィアはラスボスである。
「いらっしゃい。あら? どうしたのよ、ニートになった雨野くん」
「どうもこうもないですよ。いい歳して毎日メイド服の鼬川さん」
自分から仕掛けてきたくせに、鼬川さんは少しむっとした。
「……何でそっちの機嫌が悪くなるんですか」
「うるさいわね。歳のことは禁句よ」
「真面目な話をしに来たんです。商店街の件、知ってますか?」
「ああ、朝、通り掛かったときに見たわよ? もう解体作業が始まったのね。ざっくりした崩し方でびっくりしたわ」
ふざけている様子でもなかった。だが、聞きたいのはそんなことではない。
「そんな世間話をしに、わざわざこんなところには来ませんよ」
「こんなところって失礼ね。……もしかして、何かあったの?」
「一晩で商店街が瓦礫と化したらしいんです。それと、中学生くらいの少年の姿が目撃されていたそうです」
彼女の眼光が、途端に鋭くなる。
「……なるほどね。その少年が超能力者かもしれないから、情報を求めてうちにやって来たわけね」
「そういうことです」
超能力者が店主ということもあってか、メイドラーメン甘恋は超能力者の溜まり場となっている。超能力者関連の話題も自然とここに集まる場合が多い。他に頼れる場所もないので来てみたが、流石に早過ぎたか。
「残念ながら、今は、ここには何の情報もないわよ」
「……そうですか」
背を向け、店を去ろうとしたが、
「ちょっと待ちなさい」
と呼び止められた。
「……何ですか?」
「そんな強力な相手、あなた一人の手には負えないでしょう? どうせソラガミは非協力的な態度を取るだろうし、この件、私達に任せてみない?」
「嫌ですよ」
「真面目に言っているのよ」
「……何をするつもりですか?」
「チームを作るのよ。超能力者集団を作って、早急にその少年を捕まえるの。超能力に突然目覚めた者が暴れること自体は珍しくないわ。でも、どれも可愛げがある。商店街をぶっ潰すなんて大規模な暴れ方はマズいわよ」
鼬川さんの目が、情熱的に燃えていた。間違ったことは言っていない。僕一人でどうにかなる問題ではないし、早く解決しなければ、次に何が破壊されるか分からない。だが、
「雨野くん、明日この時間にここに来なさい。これは命令よ!」
「……気が向けば来ますよ」
彼女のその態度が気に食わず、僕はさっさと店を出た。
約束の時間より随分早く、駅前に戻ってしまった。
だが、フィアはすぐに見つかった。和傘を持ったまま、魂が抜けたように立ち尽くしている。
「フィア」
呼ぶと、虚ろな目のまま僕を見た。
「結構時間あったと思うけど、まさか、ずっとここにいたのか?」
こくり、と頷く。
「……何で?」
手首を掴まれた。かと思うと、すごい力で引き寄せられ、僕はフィアに抱き締められた。
「――」
古川楓に見せられた幻が蘇る。裸の女を抱いた、あの感じ。
だが、違う。あのときは燃え上がるものを感じたが、フィアと密着した感じは、温かいのに何故か冷たい。
和傘を差した死神に抱かれ、僕は死を連想する。
「私を置いて死なないでね、カイ」
それは、まるで懇願するような響きだった。
「……どうしたんだよ」
「分かんない。きっと、久々に人の多いところで一人になって、おかしくなっちゃったの。通行人が死体に思えて……それで、カイがちゃんと帰って来ない気がしたの。死んじゃうんじゃないかって、そんな気がした」
「そう簡単には死なないよ」
「死ぬよ」
それが強い口調だったので、僕は少し驚いた。
フィアの不吉な勘はよく当たる。死ぬのかな、と、僕は半分本気で自分の身を案じた。どうせなら、フィアと一緒に死にたい。抱き合った僕達が一本の刀に貫かれる。そんな様子を想像して、つい、いいなと思ってしまった。
「……帰ろう」
天気は悪いし、書店叢雲はもうない。栞のことが気になったが、瓦礫の中にいないなら、多分、大丈夫だろう。
死ぬよというフィアの言葉が、しばらく頭の中で反響していた。
◇
翌日。
天気が悪ければ逃げようとも考えたが、昨日とは打って変わって生憎の快晴。少し迷ったが仕方なく、僕は約束どおりメイドラーメンに顔を出した。
「おはよう、雨野くん。遅かったわね」
二十六歳メイド店長の出迎え。
「……そういや、お帰りなさいませとは言わないんですね」
「曲がりなりにも、うちはラーメン屋よ。道を誤りはしないわ」
既に手遅れだ。
店には鼬川さんの他に、戦力になるであろうメイド達と、鼬川さんが集めたらしい超能力者がいた。あと大量の幽霊と、それを率いる栞。彼女の移動手段となっている、ギター少年の霧生進。
栞が僕に向けて手を振る。
「おはよう、カイ。とりあえず戦力を集めろって聞いて幽霊いっぱい連れてきたんだけど、何かすごい面子だね。イタチ率いるメイド軍団に、あたしこと巨乳の楽団長、その他、野良超能力者が数名、そして才能を視る神社の神様! こんな顔ぶれが一同に結集するなんて珍しい!」
怒涛の二つ名攻撃。
「……暴走族みたいでダサいからやめろ」
「え? 何が?」
十歳で死んでいるから、その辺の感性は若いままなのだろう。
「はい聞いて聞いて! 集まってもらったのは、単に騒ぐためじゃないの」
鼬川さんが声を張る。
「既に知っている人もいるでしょうけど、駅前の商店街が、何者かによって瓦礫の山にされてしまいました。周辺の目撃情報などによると、やったのは中学生くらいの超能力者という線が濃厚です。……野放しにはしておけないわ」
二十六歳メイドの目が鋭く光る。
「超能力者界隈の秩序を守るためにも、総戦力で捕獲するべきよ。九年前の、誰も超能力のことなんか分からなかった時代とは違うわ」
「でも、ちょっと大袈裟過ぎやしませんか?」
メイドの虹林が言う。
「戦闘になったとしても、店長や私達メイドだけでどうにかできそうなものじゃないですか。こんなに呼ばなくても……」
「むしろ、戦闘を避けるための戦力よ。これだけの人数を敵に回しているんだってことを教えてあげるの。この人数に怯まず戦える超能力者なんて、ソラガミくらいしかいないでしょ」
鼬川さんが言う。少しだけ違和感を覚えた。害のない超能力者にすら力の剥奪を強行しようとする彼女にしては、随分と寛容な措置。
威圧するだけなのか?
「戦力に取り込もうなんて思っていませんよね?」
聞くと、鼬川さんの表情が少しだけ引きつった。
「……そうよ。ソラガミに対抗するには、一人でも多くの戦力が結び付く必要があるわ。勿論、そんなの状況次第よ。どうにもならないのなら、力を消すしかないけれど」
「あまり良い気分ではないですね」
「それでも敵の敵は味方でしょう?」
鼬川さんは様子を窺うかのように、しばらく僕を見ていた。
「皆、聞いて頂戴。商店街を破壊した後の行方は不明。行動の基準も、商店街を壊した理由もよく分かっていないわ」
「えー、何も分かってないじゃーん」
幽霊の栞が口を挟む。
「……だから、まずは情報を集める必要があります。相手は中学生だし、若い年代に頑張ってもらいたいところね。そういう意味では、現段階では貴女の連れが一番役に立つかもしれないわね」
霧生に注目が集まる。
「え、俺ですか?」
「できれば友達や後輩なんかも巻き込んで、できるだけ早急に調べて欲しいわね。若くて強い超能力者は、その力を周囲に誇示している場合も多いわ。だから、見つけること自体は、そう難しいことでもないと思うわ」
「……えー、いや、でも、その、俺は」
「ひとまず任せたわよ」
横から見ているだけでも感じることができた。笑顔の奥で、鼬川さんの眼光が刃物のように光る。
「敵の正体が分かったら、全員で捕まえに行くわよ。賛同してくれる人は手を上げて頂戴!」
ほぼ全員が手を上げる。
悪目立ちしたくなかったので、僕も手を上げておいた。
店を出た直後、霧生に捕まった。
「いやいや、無理ですって。だって俺、ほとんど家にいますからね。外に出ることなんて少ないですし、情報収集なんて柄じゃないですから」
それをぶつける相手が何故僕なのかは分からない。
「僕に言われても」
「大体何であの人はあんなに偉そうなんですか。メイドの格好なのに! メイドって従う側の人間じゃないんですか? トップがメイドってどういう……何か他にもっといるでしょう、情報集めるのが得意な人が!」
「だったら、店長にその旨を」
「ほぇ? 胸? たぷんたぷんだけど? 呼んだ?」
幽霊の栞が口を挟む。
僕はそれを無視した。
「……その旨を伝えてくれば良いだろ。『やりたくないです』って」
「でもあのメイド店長、下手に逆らうと殺されそうじゃないですか?」
「栞がいるんだから、もっと自信を持てば良いよ。お前の発言力は、自分で思っているよりも強いはずだから」
「……そうです、ね。分かりました。ちょっと話してみます」
彼はメイドラーメンに戻り、しばらく鼬川さんと話した後、浮かない顔をして戻って来た。
「……茅原と古川に頼ってみることにします。特に古川の人気は健在ですから、あいつが動いてくれたら、情報なんてあっという間に集まるでしょう」
「……健在なのか、古川の人気」
本人の暴走が終わった後も、取り巻く環境まですっかり元通りとはいかなかたようだ。一度火の付いた人気は、そう簡単に冷めるものでもないらしい。
「それじゃあカイさん、俺達はこれで」
やることが決まって気が済んだようだ。すぐ近くのコンビニに自転車が一台。どうやら霧生のものらしく、二人はそれに乗って颯爽と帰っていった。
大型書店やゲームセンターを行ったり来たりしながら昼を過ごし、夕方になって神社で時間を潰した後、フィアの家に向かう。
「姉ちゃん起こしてきますね」
と言って弟がドタドタと二階へ走り、目覚ましが鳴って、フィアが下りてくる。彼女は目をこすりながら、甘えたような声で言った。
「おはよう、カイ。大好き」
棒読みでなければもう少し喜んでいたのだが。
「……最近、情緒不安定だな。どうしたんだよ」
「謎」
フィアは、どうでもいいことのように言った。
「……あのさ、とりあえず、僕は砂谷昴を捕まえようと思う」
「例の、商店街を壊したのは彼だってこと?」
フィアが真っ直ぐ僕を見る。そのせいで、僕はフィアを直視できなくなった。
「……確証はないよ。でも最近超能力に目覚めた中学生なんて条件で引っ掛かる人物なんて、そう多くもないだろ。それに、下手に鼬川さんに捕まったら、フィアの貸した能力が消される」
「気を付けて」
フィアが僕の手を掴む。
「絶対、私のこと置いていかないでね」
「……死刑宣告はやめてくれ」
僕は掴まれた手を引っ込めようとしたが、フィアは僕の手をなかなか離さなかった。
「これ、使って」
フィアの手から僕の手へ、光が送り込まれる。超能力だ。それはフィアの持つ超能力の中でも、一際強い光を放っていた。
「私の大技。……きっと、役に立つと思うから」




