2-2
記憶喪失ということにして、小学校は登校拒否。両親はあまりあたしに関心がなかったが、それは返って幸いだった。
あたしは毎日のように雨野空と会い、日本語を教わった。彼だけでなく、彼の友達と会う機会も少なくはなかった。彼には不思議と人望があった。生まれ持ったカリスマ性のようなものが、自然と周囲の人間を引き寄せている。そんな風に見えた。もう一人の天才、天乃宙と違って、手の届く範囲にいることも、彼の武器になっていたのかもしれない。
そのうち両親が離婚し、あたしは父親と二人暮らしすることになった。断片的に集めた両親からの話を整理して考えるに、本物の叢雲栞があんな時間に外にいたのも、その辺りの家庭事情が関係していたようだ。日記でも見つかれば、過去をもっとはっきり知ることができるのだが……。
結局、小学校は卒業式すら欠席。だが、その時間を有効活用し、あたしは最低限の日本語を習得することに成功した。
中学になって、登校に挑戦。
まだ日本語はぎこちないレベルだったが、無口な女子を演じていれば、案外変な風に見られることはなかった。適当に頷いて、話しかけられたら適当に答えて。そのうちに英語や数学の成績が平均を超え、自信も付いてきた。同級生に話し掛けられて、雨野以外の友人までできてしまった。
そしていつしか、自分が宇宙人であることも忘れてしまっていて。
あたしは完全に、叢雲栞になっていた。
中学卒業後、あたしは地元の呑天高校に進んだ。学力のレベルも合っていたし、自転車で通える距離にあったからだ。家から出たいとも考えたが、父親を一人にするのはどうも気が引けた。本物の娘を奪ってしまった分、あたしが娘をやらなければ。そんな罪滅ぼしみたいな思いも、どこかにあった。
クラス名簿を確認する。あたしは呑天高校一年三組。
同じクラスの出席番号一番の生徒は、雨野空。
「――……ぁ」
別の小学校、別の中学校だった雨野と、同じクラス。
「雨野!」
教室に入って彼の姿を見つけたあたしは、飛び掛かるくらいの勢いで、席に座っていた彼の元へ走った。
彼の机に両手を叩き付け、数秒間の息切れ。
「……ああ、栞」
「同じクラスなんだね。嬉しい。あたしさ、雨野一緒に学校生活を過ごしたいって、ずっと思ってたんだ」
口にしていて、何だか変に思われそうだな、とむず痒くなる。だから言い訳をしようと、浮かんだ言葉を並べていく。
「へ、変な意味じゃないよ? 異性とか付き合いたいとか、そういう感情があったわけじゃないからね。その、あの、何て言うか」
「まさかとは思うけど、新手の告白?」
動じる様子もなく、雨野が言った。密かな想いを見透かされたような気がして、こっちは平常心が行方不明。
「ち、違う違う違う! 自惚れるなよ変態!」
「言い過ぎ」
「変態に変態って言って何が悪いのよ! 好きとか嫌いとか関係なくまあ、もう、何だろ、とにかく一緒になったわけだしよろしく!」
「……うん、まあ」
素っ気ない返事。変態は流石に言い過ぎだったのか。それとも。
「もしかして照れてる?」
雨野の頬が赤くなった。
たまに思う。あたしがこの星へ来ず、本物の栞が生きていたとしたら、空と栞の関係は一体どうなっていたのだろう……と。
遺品……というのも変だが、生前の彼女の私物を探ると、ひらがなだらけのラブレターやら、告白計画やらが出土した。栞が幼い頃から雨野空に恋をしていたことは明白だった。
あたしのせいで、その想いは叶わずじまいとなった。伝えることもできずに、彼女は叢雲栞の座から引きずり降ろされた。
……だったら、せめて引き継ごう。
それが叶わない恋情だとしても、破れる日まで、絶やさない。
◇
……回想、終了。意識を現実に戻す。
あたしは叢雲書店の屋根に仰向けになって、ぼんやりと空を眺めていた。瓦の感触が冷たい。風が吹いて寒い。
閉店して数日。ついに商店街で最後の一人となったあたしは、ここでの最後の夜を、野外で過ごすことにした。
「誰もいないよね? ……いませんように」
ひょいとズボンの中から尻尾を出してみる。人間の姿で尻尾だけ宇宙人というスタイル。この姿を人に見られたら……コスプレくらいにしか思われないか。完全に素の姿になったとしても、特殊メイクくらいにしか思われないのではないだろうか。
超能力者と宇宙人がいて。
それでもこの地域の時間は、普通に過ぎている。
この屋根から、商店街とその向こうを眺めるのが好きだったのに。
「……立退き、か」
九年間過ごしてきたこの家ともお別れである。
そう遠くに引っ越すわけでもない。
でも、寂しいとか悲しいとかいう感情も、あって当然でしょう。
――爆音がした。
「び……っくりしたぁ。何事よ、一体」
後方、音のした辺りへ目を向ける。そこにあったはずのスナックが倒壊していた。地震? 雷? いや、違う。凝視していると、今度は隣の酒屋が突然、まるで握り潰されたかのように崩れた。
「……いるのね、誰か」
あたしは擬態を解いた。臨戦態勢。蜥蜴にも似た素の姿を晒す。
人間の姿でいるより、こちらのほうが感覚は尖る。屋根伝いに商店街を移動し、人の気配を追う。
……発見。
あたしは下へ降り立ち、楽器屋、巽の前にいる敵と対峙した。
敵は、少年だった。どちらかといえば気はあまり強くなさそうな、中学生くらいの少年。髪が完全に耳を隠していて、下手をすれば少女にも見えてしまう。派手に暴れるようなタイプには見えなかった。
いや、溜め込んで爆発させるような雰囲気はあるかな。
「――君が、やったの?」
彼は答えない。目の前に化物が現れたら、絶句もしたくなるかな。互いに探り合うような、緊迫した空気。
「……蜥蜴の怪獣?」
ようやく口を開いた彼の一言目がそれだった。
「し、失敬な! あたしは単なる宇宙人よ!」
「あまり変わらないと思うけどね。……今さ、ぼく、壊したくて仕方がないんだ。人間でも街でも良い。人を傷付けちゃいけないと思って無人の商店街を選んだつもりだったんだけど、宇宙人なら壊してもイイよね?」
うわぁ、思ったよりイカれてる。
ちょっと怖いけど、構え。
「……カイに倣って、こういう奴はフィアに渡さないとね」
身体能力では負けない自信がある。だから勝敗は、相手の能力次第。あたしは一歩、彼へと足を踏み出した。
――破壊の音。
商店街が吹き飛んだ。瓦礫が舞う。雨のように降り注ぐ。
「ちょ、タンマ」
勝ち負け以前に、生きるか死ぬか。
無残に崩れていく叢雲書店が見えて、ちょっと涙が出た。
◇
「私、思うんだけど」
朝、呑天駅のすぐ近く。少しだけ雨が降っている。
KEEP OUTが張られた向こうは、瓦礫の山。
一見すると工事現場のようにも見え、何も事情を知らなければ、何の感情も持たずに通り過ぎてしまいそうな光景だった。
「傘お化けの擬人化って、今の私みたいなのじゃないかな」
フィアは、今日は和装の気分だったらしい。紫の着物に身を包んで、和傘を差している。艶やか。傘お化けにしては、纏う雰囲気が立派過ぎる。他に相応しい妖怪もいそうだ。
「……今、そういう話をする気分じゃないから」
「じゃあ、どういう話が良いの?」
フィアはどこまでもマイペースだ。僕は思わず溜息を吐いて、言った。
「ひとまず、目の前のこれについて話そう」
昨日まで、ここは商店街だった。それがどういうわけか、今朝には瓦礫の山と化していたという。朝、テレビのローカルニュースで状況を知った僕は、慌ててフィアを叩き起こし、ここまで来た。
フィアを連れて来た理由は、自分でもよく分からない。……一人でここに来る勇気がなかったのは確かだが。
フィアが言う。
「もぬけの殻だったから、怪我人はいないだろうね。……いや、空っぽだったからこそ、ここを襲ったのかも。道路に瓦礫が出ないよう気を遣いながら崩したみたいだから、几帳面なんだね」
それから退屈そうに瞼をとろんと閉じかけ、欠伸をした。
「空っぽじゃない。栞は、まだ商店街に残っていたはずだ」
「そ」
無関心、か。フィアが相手とはいえ、流石に怒りも感じる。
「……友達が埋まっているかもしれないんだぞ? 強制はしないけど、もうちょっと相応の態度があるだろ」
「欠伸するなって?」
「するなとは言わないけど、して欲しくない」
フィアの社会性は僕以上に異常だ。だが冷静になれ。勝手にここへ連れてきたのは僕だろう。文句を言う筋合いは、僕にはない。
「死んでるかもしれないよね、あの宇宙人」
発言には、何の感情も含まれていない。
「……フィアにとって、栞の死は関心の持てないことなのか?」
「歓迎される事態じゃないよ。でもいつか死ぬなら、今死のうが未来で死のうが、同じことでしょ? むしろ、悔やまれて死ぬほうが良いくらいだよ。ヨボヨボで誰にも悔やまれずに死ぬよりマシじゃないかとさえ思えてくる」
「神の言葉というよりは、ニートの詭弁って感じだな」
「でも本心だよ」
態度を見れば分かる。まるで、栞がこの瓦礫の下で死んでいることを望んでいるようにさえ見えた。
「カイ、あんまりイライラしないで」
フィアが言う。
「してないよ」
「してるよ」
「……ごめん」
感情的になっているのは僕のほうだ。自分が間違っているとは思わなかったが、フィアが間違っているわけでもない。
「私がどう思おうと勝手だよ。倫理は押し付け合うものじゃなくて、各々が勝手に持つものであって欲しいな。それよりカイの目、レントゲンとか付いてないの?」
フィアは僕の目を指差した。
「……できないよ。試したことはあるけど、ダメだった」
使えたとしても、こんなところで使うのは危険だと思うが。
「じゃあ、私がやる」
フィアは瓦礫へ足を進めると、両手を軽くかざした。
光が放たれる。その神々しい背中を、僕は後ろから眺めている。
……超能力だ。
光はすぐに止んだ。振り返ったフィアが、ちょっと悪戯っぽく微笑む。
「栞はここには埋まっていないよ。立ち去ったのか攫われたのか知らないけど、とにかくここにはいない」
「……レントゲン?」
「うん」
「危なくない?」
「さあ、どうなんだろうね」
フィアは悪びれる様子もなく、舌を出して薄ら笑いを浮かべている。
「……帰ろうよ。私、もうちょっと布団の中で眠りたいんだ。これ以上ここにいる理由もないでしょ?」
確かに、ずっとここにいても仕方がない。帰ろうと、足を一歩前へ。
しかし、ふと聞こえてきた会話で、僕は思わず足を止めた。
「……見たって言うんだよ。マンションから遠巻きにな」
「中学生くらいの子供が飛んでたって?」
「おうよ。そんで、手も使わずに建物を一気に壊したと。しかしまあ、元々壊す予定だったんだ。手間が省けて、業者は商売上がったりだろうな……」
単なる野次馬同士の会話だったが、その中に、無視できない言葉があった。
中学生くらいの子供。思い当たる人物がいる。
「砂谷昴」
フィアは首を傾げる。
「誰だっけ?」
「お前が超能力を貸した、中学生くらいの」
「ああ、あの子か。……でも、一人でここまで大規模な破壊ができるほどの超能力を渡した覚えはないよ?」
「……そう、だよな……」
砂谷昴に超能力が渡される現場には、僕も居合わせた。記憶が正しければ、その力は僕の目で見ても並程度だったはずだ。
別人の仕業だろうか。……情報が足りない。現状では、まだ何とも言えない。
「ごめん。他に行くところができた。悪いけど先に帰ってて」
歩き出そうとしたところ、
「やーだ、一緒に帰る」
ぐいと腕を引っ張られ、危うくバランスを崩しそうになる。
「……じゃあ、二時間後にここで待ち合わせで。それまで適当に時間潰してて」
「うん、分かった」
フィアは子供のように、こくりと頷いた。




