1-9 lots of love 3
◇
天乃家に押し掛け、弟にフィアを起こさせる。
「古川楓に能力を貸した?」
開口一番、出てきたフィアに問う。
「うん」
フィアはあっさりと肯定した。
「……魅了する力か」
「うん」
「今日、僕のところに男子高生が来た。古川楓のことが好きなんだって。どういうことか分かるか? 多分、古川は無差別に能力を使っている」
「貸した甲斐があるね」
「違うだろ! ……古川は神から認可されたと思って、思考停止して好き放題やっている。恋心を押し付けるなんて非道徳的なことをだ」
先輩に指示された後輩。先生に許可された生徒。上司に命令された部下。親に言われた子供。責任を伴わない分、自分で考えない者の行動は恐ろしい。古川以外の人間も、ほとんどはそうだった。
現人神に許されたという免罪符が、彼らの気を大きくする。
別に誰が悪いなどと言うつもりはないが、古川楓のやっていることを放っておくわけにもいかない。
……何より、フィアを守るために。
「古川楓の暴走は、僕が止める」
「うん、待ってた」
フィアが微笑む。
まるで、全てがフィアのシナリオどおりに進んでいるみたいだった。
天乃家を出ると、門の側に人影。
そこには幽霊の栞と、その連れのギター少年が立っていた。
「こんにちは、雨野空さん」
そう言って、少年が軽く頭を下げた。
「……この街に、アマノソラは二人いる。その呼び方は紛らわしいから、次からはカイって呼んでくれるかな」
天乃家の表札を指差してみせると、彼は困惑し始めた。
「え? ふ、二人ってどういう……」
「この家にも天乃宙が住んでいる。僕らが友達同士だから、尚更ややこしいんだ」
「あはは、だからこの人達、空と宙で呼び分けしてんだよ。……にしても探したよ? 家にも神社にもいないんだから……」
幽霊の栞が言う。
何となく、どういう用件か察しがついた。
「うちのご主人様、もとい霧生進くんがやめた高校の様子がおかしいんで、君から意見を聞こうと思ってね。以前通っていただけあって、進くんには在学生との繋がりがある。どうだい? もしも問題があるってんなら、あたし達と一緒に解決するってのは!」
随分と活き活きしている。幽霊の生活はよっぽど暇なんだなと思った。
だが確かに、在校生との繋がりがあるのは助かる。
「じゃあ霧生くん。古川楓の連絡先って分かる?」
「メアドやらSNSのアカウントやら知ってますけど」
「今から神社に呼び出して欲しい。……トラブルを引き起こしているのは、あの女に与えられた力だから」
◇
神社には、既に古川楓の姿があった。
僕の姿を見て、ちょっと意外そうな顔をする。
「こんにちは」
こちらから挨拶をする。彼女は会釈し、
「……こんばんは」
と、少し遅れて、小さな声で挨拶を返した。
「霧生進に呼ばれて来たんだね」
「は、はい。そうです、……けど。何で知ってるんですか?」
大体、事情に気付いたらしい。言葉が少し芝居がかっていた。
「……僕の目、見ないね」
「そ、そうですか? あたし、少し人見知りですから……」
「何か、後ろめたいことでも?」
一瞬。目が見開き、顔の筋肉がこわばって、体が縮こまった。一応、罪悪感はあるのかもしれない。
彼女はやはり、他人を魅了する超能力を持っていた。……正確に言えば、相手に好きだと思い込ませる能力。
罪を暴かれそうな子供の顔。僕の言葉を怖がるその表情が、
一瞬、恍惚の顔に塗り替わる。
「綺麗……」
どうやら僕の目のことを言っているようだった。
自分で確認したことはないが、肉眼で見える以上のものを視たとき、僕の右目は虹色に光るらしい。
「神様――」
古川楓は泣きそうな顔をした。
「――――神様も、あたしのこと好きになる…………?」
彼女が右手を僕に向けて伸ばす。
その人差指から、赤い光が撃ち出された。
派手なエフェクトだが、おそらく僕の目だからこそ視えるのだろう。無数の小さな光が連なって、まるで蛇のように。
「――っと……」
横に回避。光は鞭のように襲ってくる。弾幕ゲームは得意じゃない。だが被弾すれば、おそらくは惚れさせられる。
「逃げないでよ……!」
彼女が左手を僕に向けた。
「ねえ、気付いたの。何かに取り憑かれて苦しんでいる人は、あたしに恋をして、難しいことを忘れたら良いんだって。今、神様はとっても苦しそう」
余計なお世話だ。自分の惚れる相手くらい、自分で決めさせてくれ。
「……お前には惚れてやらない」
蛇が二匹になる。回避し続けるのは無理な話だ。
そうして僕は、赤い光に包まれた。途端、古川楓の存在が大きくなる。緊張して顔が見れないくらい、初々しく惹かれている。
ああ、恋だ。
惚れている。恍惚の光。
何て眩しいんだろう。性格なんかよく知らないけど他より可愛くて可愛くて可愛くて可愛くてくすぐるくすぐられるくすぐられている。
「何も考えなくて良いんだよ……?」
脳が蕩けるような、心地の良い響き。
そこに裸の古川楓がいる。
綺麗な裸体だった。汚れを感じさせない、飴細工のような曲線美。じっとしてはいられない。僕は手を伸ばし、彼女の肩を抱く。
甘美な味がする。性欲。あるいは食欲? 意識が飛びそうになる。抱き合ったまま眠りたい。そんな願望が頭を埋め尽くす。
「……カイの目は、視え過ぎるんだろうね」
いつか、フィアに言われたことを思い出す。
「だから一部の能力に対して、カイは滅法強いと思う。でも逆に、視えるからこそ強烈に効いてしまう場合もあると思うんだ」
誘惑のイメージ。
僕の中で今起こっていることを、僕自身が視ている。
落ち着け。所詮まやかしだ。この感情は無理やり掴まされたものだと、僕は知っているはずだ。
恋を忘れろ。機械的に動け。足を一歩、彼女へと踏み出す。
――僕が好きなのは、目の前にいるこの女じゃないだろう?
油断している彼女の前に立ち、その右頬を叩いた。
途端、超能力の作用が解けたらしい。厄介な恋心はなくなり、僕は冷静に彼女を見れるようになっていた。
「――何で、効かないの?」
古川は右手で頬を押さえ、やっぱり泣きそうな顔をして、僕を見た。僕は彼女へ、捕獲の意思を持って手を伸ばす。
だが、僕の手は彼女の腕を掴み損ねた。
「……あ、あたしは、まだ、……まだ、終わりたくない!」
古川はそう叫び、赤い光を僕に撒き散らしながら逃げ出した。僕が怯んだ隙に、彼女は僕の視界から完全にいなくなっていた。
◇
「……まだ、まだだよ、せっかく神様が力をくれたのに……!」
あたしは逃げた。
もう一人の神様から、必死で。追い掛けてくる気配はなかったけど、止まることが怖くて、体が限界を訴えるまで走り続けた。
いつの頃からか、頑張っている人に惹かれるようになっていた。
自分が努力するのは、辛いから。だから代わりに誰かに頑張ってもらって、一緒に頑張った気になっていた。
漫画のヒロインみたいな美少女になれたら……なんて、くだらないことを夢見ていた時期があった。学校で一番モテる、すごい女。そんなにモテるのに一人だけ、自分に惚れない男がいる。空想の中の彼は、ちょっと冴えないけど努力家で、他の人とは違う角度から物事を眺めている。
茅原が彼だと思っていた。
……でも、茅原じゃなかった。
「神様、ああ、ぁ……!」
力をくれた。あたしがヒロインになるための力をくれた。
神様が本性に気付かせてくれた。
あたしが咲くんだ。
努力ではなく、後天的な才能によって、あたしが……!
「あ、あたしは、強いんだ。あたしだって神様になったんだから、救わなくちゃ。惚れさせて、あたしに夢中にして嫌なこと全部忘れさせて褒めて褒めてあたしのこと褒めてもらうんだから!」
嫌だ。邪魔されたくない。あたしが特別なんだから、みんなは普通じゃなきゃダメなんだ。なのに、あの男はあたしを叩いた。叩いた! 例外がいた! しかも、それがもう一人の神様だなんて!
待ち伏せされているかもしれないと思うと、しばらく家に帰れなかった。でも他に行く宛も思い付かない。外泊できるほどのお金も持っていなかったので、仕方なく家に戻った。
幸い、神様はいなかった。走り疲れてへとへとになった体をベッドに投げ、あたしはそのまま眠ってしまった。
朝が来た。
漠然とした恐怖から逃れたくて、あたしは高校を休んだ。沢山の人達が、心配してメールを送ってくれた。男のメールからは下心を感じる。でも、それで良い。あたしはモテる女なんだから、それくらいは仕方がない。
「……大丈夫。もう、あたしは他人に努力してもらわなくったって……」
あたしは咲く。
誰かが咲くのを待たなくたって、自分で咲けるから。




