Prologue
太陽みたいに眩しくて、闇夜のように深い。
彼女の才能は大きくて、羨ましいなんて感情を持つ余地もなかった。
その気になれば、簡単に世界を変えることができるだろう。豊かにすることも滅ぼすことも容易。そんなことを本気で思っていた。
――神を見ているのだと、信じて疑わなかった。
町の異変から、九年の月日が経った。
あの頃小学生だった僕は、現在、フリーターとして生活している。周囲と足並を合わせて大学に入ってはみたが、風土が肌に合わず、すぐに辞めてしまった。
夢や目標に向かっているわけでもない毎日に、納得できているかといえば首を横に振る。
こんな未来を思い描いていたわけではない。
だが極端な話、僕のことなんか本当はどうでもいい。
僕が納得できていないのは、フィアのことだ。
◇
永束は、民家が密集した窮屈な町である。いわゆるベッドタウンだ。
屋根と電線が邪魔で、空が狭く思える。
かつて巨大なUFOが飛来したことで、世界中から注目を集めたこともあったが、その記憶はすぐ、ほとんどの人間の頭から消された。
そんな町の真ん中に、一際輝く二階建ての一軒家が建っている。ちょっと見ただけで裕福な暮らしぶりが想像できる、広々とした白い家。
玄関チャイムを押すとドアが開き、パジャマ姿のフィアが出た。
「ん……」
見る者を脱力させるような、気の抜けた無表情。
フィアは耳元を隠すくらいの白髪をくしゃくしゃに掻きながら、
「何だ、カイか」
僕から目を反らして、興味なさそうに言った。
「失礼な反応だな。……本屋行こうって約束、忘れたのか?」
「え?」
「一時間前に駅の前に集合って言ってただろうが」
「……今はネット漫画読んでたから忙しいかもしれない」
悪びれる様子もない。本当に完全に約束を忘れていて、それを誤魔化そうとしているのか。
もしくは、こうして自分に構って欲しいだけなのか。
多分、後者だろう。
「……じゃあ、今日は帰るよ」
僕が背を向けると、
「すぐ準備するから待ってて」
慌てて家の中に戻った。ドタバタと賑やかな音。
その、どこからが本気でどこからが嘘なのか、僕には分からない。案外、全てが演技ではないかと疑うこともある。それでも僕にとって、フィアと共にいる時間は幸せだった。
たとえ表面だけだったとしても、フィアは僕を必要としてくれている。
今はフィアこそが、僕の存在理由の全てだ。
数分して出てきたフィアは、ゴスロリファッションに身を包んでいた。
眼帯とシルクハットのおまけ付き。ただでさえ白髪で目立つ女が、生きた人形のようにデコレーションされている。
フィアのファッションには偏りがない。男装、貧乏人、ドレス、和装、何でもありだ。何を着てもそれなりに似合うからこそ、方向性が固まらないのだろう。
だからといって、今日は随分冒険したなと思うが。
「……その格好で行くのか?」
「結構、自分ではお気に入り」
「単体なら悪くないと思うけど、今日、隣に僕がいること忘れてないか?」
「うん、覚えてないよ?」
それが何か? と言わんばかりに首を傾げた。
「せめて、忘れていたくらいにしておいて欲しかった」
僕が言うと、そんな反応を面白がるかのように、フィアは微笑む。
「冗談。私がカイとの約束を忘れたことなんてないでしょ?」
「何回かあったよ」
「早く行こうよ、本屋」
「……誤魔化すなよ」
永束駅まで歩き、呑天方面の電車に乗る。
平日の昼間。電車内に人は多くなかったが、立っていたいとフィアが言うので、それに付き合って僕も吊革を握った。
電車の吊り広告が、専門学校の宣伝をしている。
夢を追うなら! という一言を見て、溜息が出る。
ここにいるのは、高卒一年目のフリーターとニートだ。
「……音楽とか、しないの?」
フィアに問い掛ける。フィアには芸術系の才能もある。
「しない」
素っ気ない返事。
「小説でも書けば? 絵を描くとか。ネット漫画好きなんだし、漫画描けば?」
「描かない」
「ゲーム作ったり……アプリ開発者になるとか……」
「作らない」
「働く?」
「働かない」
「じゃあ、何すんだよ」
「何もしない」
電車がトンネルに入る。窓が闇を纏う。
「……何もしない、か」
トンネルを出る。
「――――何も、したくない」
答えはいつもと変わらない。僕は吊革を握る力を強めた。
社会での成功なんて、僕だってそうこだわっていない。だが、フィアならそんな社会の檻すら突き抜けて、どこまでも羽ばたける。
それなのに。
「カイ」
フィアが僕を呼ぶ。
「……着いたよ」
呑天駅の周辺では再開発が行われている。
都市計画と銘打って、何かを犠牲にしながらの工事現場が数箇所。
県の中心にしてはやたら古臭かった駅前商店街も、もうすぐ跡形もなく消されるらしい。
僕のバイト先である叢雲書店も例外ではないので、僕はフリーターからニートにジョブチェンジする予定だ。
空いた土地には商業ビルか何かが建つらしい。
「止まらないね、街は」
フィアが言った。人形のような……どことなく無機質な格好と相まって、その発言は、人を超越したような不思議な響きを持っていた。
周囲の注目を集めている。
横で普通の簡素な格好でいる僕のほうが、居所がない。
「……止まって欲しいのか?」
問うも、フィアは答えない。
建設中の建物を眺めながら、佇んでいるだけだ。
九年前、永束に現れた宇宙人は、僕を捕らえ、右目をカメラに改造した。僕が生きている間にデータを収集させ、後々回収しようという魂胆だ。
改造された後、どういう理屈かは分からないが、僕の右目は光以外のものを視ることができるようになった。
中でも一番よく視えるようになったのが、才能だ。
目的地の叢雲書店。
店員が僕を見つけて嬉しそうな顔をする。働いてく? と軽い調子で言ってくるのを無視して、適当に店内を回る。
フィアが立ち止まった。
ビジネス本のコーナー。
「でも、ポテンシャルがあるからって、成功するとは限らないんでしょ」
転職関係の本を手に取って、フィアが言った。
「……何もしない場合は、だろ。才能を開花させるために努力があるんだろ。努力が実る保証があるっていうのは、幸せなことだ」
どんなに努力しても、才能がないが故にパッとしない人も大勢いる。そんな失敗を回避できる幸せが、フィアにはある。
「努力が実っても、力はあるのに報われない人だって沢山いるよ。出会いとか、運とか……」
「凡人の話だよ、それは」
本当に眩しい光は、自然と運も出会いも引き寄せているものだ。
「私は凡人じゃない、と?」
開きもしないまま本を棚に戻すと、フィアは疲れた目で僕を見た。
「……ハウツー本を一冊、奢る」
ほとんど思い付きで、僕は言った。
「読まないと思うよ?」
「別に、それでいい。僕の自己満足だ」
「……その優しさ、私以外に向けないと勿体ないよ」
本気とも冗談ともつかない調子で、フィアが言う。
「お前が勿体ないなんて言葉を使うなよ」
僕の憎まれ口を、フィアは笑って受け流した。
帰宅時。永束の住宅街の中で、嫌な場面に遭遇した。
中学生……。気の弱そうな男子生徒に、四人の、彼の同級生と思しき連中が絡んでいる。
連中は殴る、蹴るなどの暴行を加えている……わけではなかった。
気の弱そうな彼が何か言うと、四人はゲラゲラと笑う。
イジリ、くらいか。
イジメではない、軽度の蹂躙。
そのうちに、四人のうちの一人が、気の弱そうな彼を蹴った。
流石にまずいと思ったようで、別の一人が慌ててやめさせる。
「おい、そりゃ流石にカワイソウだろうが」
「あぁ? 別にこれくらい……」
「やめとけって、そういうのすぐ内申響くから……」
加減が上手いな、と思った。
賢い……いや普通か。多分、どこにでもある風景。
気に入らないが、立ち止まっても仕方がない。黙って通り過ぎる……つもりだったのだが、フィアが立ち止まって、彼らを凝視してしまった。
それに応じるように、五人の視線もフィアに集中する。
戸惑いの目、訝しむ目、色気づいた目。
「……あの、何か用」
「殺すぞ?」
唐突にフィアが言う。
「……………………」
一瞬、その場の空気が凍り付いた。
いきなり現れた白髪の変な女に、少年達は戸惑いを隠せない。
「……は、はぁ? 何で? 別に俺達、こいつをイジメてたわけじゃねぇし」
僕はフィアを止めようかどうか迷ったが、そのうちにタイミングを失った。
「イジメはしてない、と。……だから何なの?」
理路整然と話したところで無駄なのはよく分かるが、
「イジメとか関係ないよ。単に、こっちの機嫌悪いから襲い掛かるだけ」
乱暴過ぎる。
「おい、行こうぜ」
「え、あ、ああ……」
関わりたくないと思ったようで、少年達は早足で退散。
気の弱そうな彼だけが残った。
……逃げ遅れた、という表現が正しいかもしれない。
「ごめんね、脅かした?」
フィアは、彼に優しく語り掛けた。
「い、いえ、その」
「君の代わりにあいつら殺してあげようかと思ったけど、逃げられた」
「べ、別に……単に俺、いじられキャラってだけで、あいつら友達ですから……」
「君が許しても私が許さない」
四人に絡まれているとき以上に困った顔をする少年。
「カイ、視てあげて」
フィアが言う。
僕は彼の持つ光を視るが、
「……特別なものは見えない。良くも悪くも普通だよ」
才能がないとも言わないが、あるとも言い難い。
そして、特殊な能力を持っているわけでもないようだった。
「……なら、私が与える」
フィアは彼の頭にポンと手を置いた。
そして、僕の目でしか確認できないことではあるが、
――超能力を一つ、少年に渡した。
「おい、フィア」
「気に入らない奴は殺しちゃえ」
僕を無視して、フィアが少年に言う。
「得た力は見せびらかせば良い。それがどんな経緯で手に入れた力だろうと、君のものであることに変わりはない。でも勘違いしないようにね。君はクラスで最強になるのかもしれないけど、所詮それだけ。私はいつでも君を殺せる。努々自重されたし」
通りすがりの変な女に、こんなことを言われて。
「最後に聞かせて。君の名前は、何て言うの?」
「……砂谷昴です」
手に入れたその力を、彼がどう使うのか。
僕はフィアと共に、いずれその顛末を見届けることになるだろう。
フィアはいじめられっ子を助けたわけではない。
ただ、ゲームがしたいだけだ。
僕とフィアの名は、読みが同じだ。
呼び分けるために存在するはずの名が同じ。
周囲も僕ら自身も、そのことで幾度となく混乱してきた。
ひとまず小学校の頃はアマノくん、アマノさんと呼び分けられていたが、中学になって「スカイ」「スフィア」というあだ名が付けられ、そのうちに「ス」が削られた。
「もし性別が一緒だったら、もっとややこしいことになってたかもね」
クラスメイトからそんな言葉を掛けられる度、僕は苦笑いで返していた。
「……まあ、ね」
フィアが異性であることに、僕は心底感謝していた。
もしも同性であれば、フィアは僕の完全上位互換となっていただろう。
――私は凡人じゃない、と?
そんな昼間の言葉に、今頃答える。
「……神童だよ、お前は。お前が凡人なわけがないだろ」
「……そうだったね、私は普通じゃない」
諦めたような、力のない笑み。
「――神童だよ、私は」