別れる理由があるとすれば、それは付き合う理由がなくなったからだと思う
瞬くと、花丸のついたカレンダーが揺れていた。
音も無く降り始めた雨は、時折、狂ったように吹きすさぶ風に乗って部屋の中を濡らした。
雨は出かけるときには降っていなかった。ナツキに今日は夕方から雨だから必ず家を出るとき降っていなくても窓を締めておくようにと言われたのだが、タケシはそのことはすっかり忘れて出かけてしまったのだった。
「だから言ったじゃない」
窓の閉め方がナツキのイラつきを表していた。彼女は濡れてシナシナになったカレンダーや床を手際よく拭く。タケシは見る間に整頓されていく自分の部屋をいつもながら関心しながら見えていたが、それどころではない状況だということに思い当たって、重苦しい息を吐き出しながらソファに腰を下ろした。
一通りの掃除が終わると彼女は二人掛けのソファの肘掛に腰掛けた。
「付き合おうってなったとき、私はあなたにはっきり言ったわ」
付き合って一年目の記念日にまさか別れ話を切り出されるとは。しかも特に上手くいっていないわけではないと思っていたタケシには寝耳に水の出来事だった。
「あなたのことは嫌いじゃないし、好きでもない。でも、気になっているから、付き合っているうちに好きになるかもしれない。それでもいい? 私がそう訊いたらあなた、それでも良いって言ったわよ」
一年前のこの日、それは確かに言った。
「それは憶えているよ。だからってそんなことを言い出すのがきっかり一年目の今日である必要はないじゃないか」
タケシは別れを切り出されるまでそれなりに今日という日に浮かれていたのだ。二人で一年間の記憶を振り返ろうとさえ考え、携帯電話に撮り貯めた写真を整理したりしていた。
「じゃあ、いつだったらいいの? 明日?」
「そういうことじゃなくて」
そう言って彼は頭を強く掻く。
「じゃあ何?」
「じゃあ聞くけど、俺のことが嫌いになったの」
すると彼女は首を横に振りそれを否定した。
「なら、別れる理由なんてないじゃない」
安堵した様子を隠さずタケシは言うが、彼女は濡れたカレンダーを躊躇いもなく破り捨て、丸めてゴミ箱に捨てた。そこには捨てずに置いておいた去年のカレンダーも含まれていた。
「理由は言ったとおりよ。一年間であなたのことが好きになれなかったってこと」
「ほら、やっぱり嫌いになったんじゃないか」
「嫌いにはなってないって。あなたを出来るだけ傷つけたくないから言うけど、私はあなたを嫌いだと思ったことはないの。あなたは私が言うのもなんだけど、誠実でやさしい良い人よ。だから今でもあなたのことは好きだけど、それが一年前の感情からそれ以上に発展しなかったってこと。つまり、恋人としてはどうしても見れなかったてことなのよ」
ナツキはそんなことを自分に確認するように言った。
「別れる理由があるとすれば、それは付き合う理由がなくなったからだと思う。一年間一緒に過ごしてみて、これから先どれだけ長く付き合おうとも私はあなたを恋人として見ることはできないっていう結論に至ったの。だから、このままグダグダと付き合っていても私たち二人のために良いことがないと思ったから」
ナツキは少しムキになって説明した後、我に帰ってとても気の毒そうにタケシを見た。
「気を持たせるようなことをしてしまって悪かったわ。でも、一年間付き合ってくれてありがとう」
そう言って彼女はソファの肘掛から立ち上がった。いつもナツキが座っていた場所が埋まっていない喪失感にタケシも思わず立ち上がった。しかし、ナツキを引き止めたい気持ちとは裏腹に、そのために効果的な言葉は一向に彼の胸には思い浮かんでこなかった。
「あのさ・・・」
玄関まで追いすがりナツキがドアに手をかけたとき、タケシは何も浮かばないまま引き止めの声を上げた。
「でもさ」
すると彼女は振り返り、タケシを真正面に見据えながら、
「それはあなたも一緒だったよね」
そう言い捨てると、再び踵を返したのだった。
タケシはドアの向こうから聞こえる、階段を駆け降りる子気味の良い靴音を聞きながら、彼女の言葉を反芻した。