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7<明日への前進>

 家に着いてしばらくして、夜。


 夕方の微妙な時間にラーメンを食べたせいで夕飯はほとんど入らなかった。底無しの食欲を持つリュウちゃんはがつがつとおいしそうに肉を食べてたけど。そのうち生肉は飲み物とか言い出しそうで怖い。


 現在リュウちゃんは入浴中。その間に俺は服を洗濯しベランダに干す。

 このまま同棲を続けるつもりではあるし、もっと服を買い揃える必要があるな。さすがに1着2着を着てまわすわけにはいかない。


桐生(きりゅう)さん、今 上がりました」


 風呂上がりの格好はゆるゆるのジャージ姿。これはこれで可愛いのだが、如何せん俺の服なのでサイズが合っていない。寝巻きも考えた方がいいな。


 彼女に続いて風呂場に入ると、シャンプーもボディーソープも周りにある製品は全部男モノだな、なんてことを思う。それも当然か、たった数日 遡れば俺の家には俺しかいなかったんだ。




「ふう、良い湯だった……あれ? リュウちゃんの腕……鱗、消えた?」


 腕だけじゃない、首筋もだ。昨日今日と見てきたような波打った模様が今は見えなかった。


「ああ、消えたわけじゃありませんよ。お風呂上がりだから見えづらくなっているだけです」腕回りを自ら確認しながら言う。


「鱗自体はですね、薄く半透明なので目視するのは難しいかと。ですから、見えている模様というのは鱗の溝に溜まった汚れが作ったものなんです……って、喋りすぎました。あまり綺麗な話ではないですよね、すみません」


「いやいやそんな、生活してる限り誰だって体表は汚れるものだし気にしないよ。もっと聞かせてよ、リュウちゃんのこと色々知りたいし」


 話の内容ももちろん気になる。けどそれより、彼女に自分で自分のことを語ってほしい。そして恥じないでほしい。立派に生きているんだから。


「そう、ですか? ……えっと、この鱗は薄くはありますが脆くはないんですよ、しなやかで丈夫なので下の皮膚を守る役割はきちんと果たしています。おそらく桐生さんが想像している何倍も頑丈ですよ。たとえば市販のナイフでは突き立てても傷ひとつ付きませんから」


 腕の鱗をそっと触らせてもらう。見えづらいが感触は確かにある。薄いけど弾性もあってしっかりとした強度がある。触った感じは爪の亜種、みたいな。


「ですが、鱗は外界からの刺激を受け取りやすく、砂埃や排気ガスなどに過敏に反応します。その結果、汚れが鱗の輪郭線に沿って見えるわけです」


 つまり外に出て生活してるとだんだん鱗の線が浮き出てくるってことか。そして洗い流せば一時的にリセットされる。なるほどなあ。


「鱗って全身に生えてるの?」

「見たいんですか?」


 見たい……? 「まあ、うん」というよりは知りたいだけだけど。


「それは遠回しに私の裸を見たい、と?」


 はっ!?


「いやいや! そういう意味じゃないし! そんなつもりもないから!」

「冗談で言ったんですけどどうしてそんなに必死で拒むんですか? まさか図星ですか?」

「違うって! な、何言ってんの!?」


 にやにやと笑いながら、冗談めかしく不純を訴えるような目でこちらを見てくる。くそ、俺の反応を見て楽しんでるな……!

 あまり耐性のない俺をたまにこうして翻弄してくるから困る。からかうのはやめていただきたい。


「鱗はですね、首筋・腕・脇腹・背中・足にそれぞれ少しずつ生えています。それと、ここです。ここには絶対に触らないようにしてください」


 彼女がここ、と言って指差したのは喉だった。

 目を凝らしてよく見てみるとなにか小さな棘のようなものが生えていた。これはもしかして……逆鱗?


 そういえば先日買った生物の伝説についての本にはドラゴンについての記載もあった。

 そこにはこんな情報が載っていた。確か……ドラゴンには顎の下、喉元に1枚だけ逆さに生える鱗――逆鱗があって、そこに触れられると怒り狂い触れた人を食い殺すとかなんとか。


「逆鱗か。万が一、触っちゃったらどうなるの?」

「そうですね、理性を失って激昂(げっこう)して……桐生さんを食べちゃいます」

「そっか、本当にそうなんだ。気を付けるよ」


 やっぱり伝説のとおりなのか、興味本位で買った本だったけど案外的を射ているのかもしれない――なんて思っていたら、こちらを見ていた彼女が堰を切ったように笑い出した。


「あははは! 面白いですね、もう! そんなに真剣な顔しないでくださいよ、本当に私が桐生さんのことを食べると思ったんですか?」

「え、なんだ冗談か! けっこう本気で信じちゃったよ」

「ふふっ、実際には何も起こりませんよ。でも触るなら、あえて逆鱗ではなく他の鱗でお願いしますね」


 言葉遣いこそ かしこまっているものの、こんな風に冗談を言ったり悪戯(いたずら)でからかったりもするんだな。それが彼女への親しみやすさに通じているのかもしれない。そう、彼女は怖くもなければ不気味でもないのだ。


 本人だってもう他人に鱗を見られることにあまり抵抗はないようだ――少なくとも俺に対しては。

 いずれ何の恐れも(わだかま)りもなくなって、そしてそのためにあらゆる人が彼女を受け入れられるようになれば、それが理想だ。



 時計は夜の11時を回った。彼女の大きな欠伸(あくび)を合図に寝る態勢に入った。




「そうだ、今日からはこれを使おうと思います」

「ああうん、良いんじゃないかな」


 手にしているのは昨日のクレーンゲームで取った枕だ。ライトグリーンが目にも優しい。


「じゃあ、寝ましょう」ぐいっ、と腕を引っ張られる。


「や……やっぱり一緒に寝るの?」

「そりゃあそうでしょう。でなかったら桐生さんはどこで寝るんですか」

「いや、床、とか」

「そんなの駄目ですよ、風邪引いちゃいます。それに私と結婚するって言っておいて……お嫁さん放って寝る気ですか? ほら、言質は取れてるんですよ。隣にいてくださいよ」


 不機嫌そうにむくれる。まあ今日ぐらいはいいか、と思ってたらこれから毎日一緒に寝ますからね、と釘を刺された。待って。俺は約束を守れる男になりたいんだ。君に変なことをしないという約束をさっそく破りそうだよ。


「別に変に意識しなくていいんですよ。リラックスです、リラックス」


 そう言って身を寄せてくる。とても落ち着ける状態ではない。


「それに、これが私の幸せです。……それでも駄目ですか?」


 そう言われてしまうと返す言葉がない。俺に断れるほどの理由はないのだ。


「わかったよ。一緒に寝ようか」

「はい、ありがとうございます」


 きゅっ、と腕を抱き締められ、ベッドの中に引っ張り込まれる。腕は組み付いたままで、どうやら離す気はないらしい。


「では、おやすみなさい」

「うん、おやすみ」


 明かりを消して彼女の隣でふと考える。


 そうだ。この子が幸せならそれでいいんだ。そのための俺の形振(なりふ)りは構わない。小さなことでもできる限りの協力をしよう。

 俺はただ付き合いたくて、結婚がしたくてあんなことを言ったんじゃない。

 この子をきっと幸せにする。そして一緒に生きていく。そのつもりで言ったんだ。



「……桐生さん、起きてますか?」


 暗闇から囁く小さな声。


「起きてるよ。どうしたの」

「ちょっとだけ訊きたくて。……桐生さんは私の鱗のこと、どう思ってますか」


 鱗? まだ気にしてるのかな。


「素敵だと思うよ」

「いえ、あの……純粋に、単純にですよ。私の気持ちとか、境遇とかそういうものは一切考慮せずに、単純に鱗の生えた私という生き物を見て……どう思いますか」


 暗くて見えないので表情は読み取れないが、落ち込んでいたり苦しそうだったりする声ではない。

 気を遣わなくていいからただ本音が聞きたいってことだろうか。


「そうだなあ、目の前にした瞬間は驚いたし、不思議だとも確かに思った。でもそれは、なんだろうこれ? どうして? って理解が追い付いてなかっただけ。今は……やっぱり素敵だなって思うよ」


「素敵、ですか?」


「うん。たとえどんな生き物だろうと、自分と同じような人型で、自分と同じような大きさの個体で、自分と同じように生きていて……だからこそ素敵だと思ったんだ」


「どうして……ですか」


「どうして? はは、何度か俺は言ってるよ。それを“個性”として捉えられたからだよ」


 人として生きる彼女だからこそ、彼女の中のドラゴンは個性に見える。魅力の一部として感じられる。


「そう、ですか……。ありがとうございます。……じゃあ隠さずもっと早く見せてもよかったかも。ああでもそれじゃびっくりしますよね。今はもう正体を明かしてるからこんなこと言えるけど……あ、なんでもないです、すみません。おやすみなさい」


 途中からひとり言のようにぼそぼそと呟いた。何の話だったんだろうか。

 隠さず? 早く見せる? そっか、本当なら正体を隠し通そうとしてたんだもんな。だけど俺がたまたま鱗の模様を見つけちゃったから……。


 そして、昨日を振り返って はっと気が付いてしまう。


 どうしようもない気持ちが押し寄せて、思わず彼女を抱き締めてしまった。


「桐生さん……?」


 彼女は昨日、俺と一日中モールで遊んだ。

 腕や足は服の中で見えないし、首は髪で隠れていた。当然俺が鱗に気付くこともない。

 でも髪は途中で切ったんだ、鱗の模様が浮き出ていれば気付かないはずはない。隠れていた部分が(あらわ)になったのだから余計に注視したはずだ。

 しかし現に気付いたのは、遊び終わって家に帰ってきてからだった。



 鱗を見せる汚れは、洗えば落ちる。

 彼女はずっと、洗っていたんだ。



 大げさに飲み物を飲んでいたわけでもないのに、やけにトイレに寄る回数が多いと思った。

 彼女は定期的に首筋を水で洗っていた。その模様が色濃く浮き出てしまう前に。

 それでも帰り道で砂埃を帯びた風が強く吹き上げて、再び模様を浮き上がらせたということか。


 昨日はそんなことをずっと気に掛けながら過ごしていたのか? 満足に外出も楽しめずに?

 俺が昨晩 鱗に気付かなければ今日も隠れて洗い続けていたのだろうか。


 自分の目から涙が伝うのがわかった。なぜ自分が泣いているのか、何のための涙なのか。空しさだろうか、悔しさだろうか。それとも自分の無知を嘆いてだろうか。

 いずれにせよ俺が泣くのはお門違いだ。彼女はきっと同情なんて求めていない。


 また明日から、自由で幸せな日々を共に送ってみせるんだ。

 俺のできる限り。そして、彼女の望む限り。


 間もなく眠りに落ちる午前0時、寄り添う彼女を腕の中に、静かに心に誓いを立てた。

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