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5<竜の嫁>

 目の前にいた少女は、自分は人間ではないと告げた。

 ドラゴンと人間のハーフ。

 その言葉をすぐに呑み込むことはできなかった。


「……短い間でしたが、楽しかったです。お世話になりました。本当に、ありがとうございました」


 彼女はぺこりと頭を下げると、部屋にあったポーチをさっと取って家を飛び出そうとした。


「ちょ、ちょっと待って!」


 玄関へ向かう彼女の肩を後ろから掴んで制止する。


「そんな急に出ていこうとしないでよ。出ていって……そのあと、どうするつもりなの?」

「どこか違う土地で、今までの生活に戻るだけです」


 今までの生活?

 また公園のベンチで夜を明かすつもりなのか。人目に触れない辺境でひっそりと生きていくつもりなのか。


「そんなの……駄目だよ」

「では、桐生(きりゅう)さんは私と暮らそうとでも言うんですか」

「望むなら当然。独りが幸せだって言うんなら俺は引き止めない、だけど……」


 彼女は俺に背を向けて黙ったままだ。


「それにさっき、俺のこと好きだって言ってくれたじゃん。俺だってリュウちゃんのことその……好き、だし、こんなにあっさり離れたくないよ」

「桐生さんは私と共に過ごすということがどういうことかわかっていません」

「そうかもしれない、だからわかり合いたいんじゃないか。だってまだ一晩 寝てちょっと遊んだだけだろ? まだまだ、これからだよ」


 少しの静寂。


「……なら桐生さんは、私とずっと一緒にいてくれますか? 捨てたり……しませんか?」


 その声と背中は震えていた。

 言葉の内容から察するに、きっと過去になにかあったのだろう。しかし今の俺にそれを知る由はない。


「もちろん、ずっと一緒にいよう」


 こんなセリフ、言ってからちょっと恥ずかしくなった。でも俺に言えるのはこれぐらいしかなかった。


 そして彼女はゆっくりと振り返る。

 頬には何かが伝った跡。


「……そんなの」


 今にも消えてしまいそうな、か細い声を絞り出して俺に向ける。


「そんなの、嘘です」

「嘘なんか()いてない。全部本心だよ」


 またしても沈黙。

 だがその数秒後、何かの決心が付いたようだった。


「桐生さん」


 声から震えは消え、はっきりと通る声で俺の名前を呼んだ。


「その言葉に、嘘偽りはありませんか」

「ないよ。断言する」


 実際、鬱陶しさや嫌悪感があるわけでもなければ、騙してやろうと企んでいるわけでもない。放ってはおけないし、ただ純粋に一緒にいたいだけ――それは本心だった。


「……そうですか。では私の目を見てもらえますか?」


 目を見れば信じてもらえるのだろうか。言うとおりに、俺は彼女の目を見た。


 そこには、いつか見たあの色。


 (あか)かった。


 いや、紅いなんてもんじゃない。この色はあの時よりもさらに強く。


 紅蓮(ぐれん)


 本当にそこで燃えているかのような(はげ)しい紅だった。


 俺はその燃え盛る瞳を見つめた。

 焦点を1ミリだって動かさず、決して逸らすことなく。前のように気圧されたりもせず、ただじっと真剣に見つめ続けた。


 お互いが目を合わせてから数十秒。

 彼女の眼の炎が鎮火し、元の黒色へと戻る。それと同時に彼女はどこか驚いているような表情になった気がした。


「……ひとまずは、あなたのことを信じます」


 目を合わせたたったの数十秒で、拍子抜けするほどあっさりと俺の心を認めてくれた。いったいあの紅眼(こうがん)にはどんな意味があったのだろう。


 ふっと力が抜けたように、彼女はその場にへたり込んだ。


「ど、どうしたの大丈夫?」

「……もう疑う気はありませんが、つい」


 つい、と言った彼女のお腹から虫が鳴く音。そっか。


「……お腹、空いたよね。俺も空いたし、買ってきた肉でも食べようか」




***




「ごちそうさまでした」と、リュウちゃん。


 焼いた肉と生の肉とが同時に食膳に(のぼ)せられる光景はなんとも異様だった。だが今となっては、この光景こそ彼女がドラゴンの血を半分持っているということを裏付けているような気がした。


「……おいしかった?」


 食べている間、ずっと物憂げな顔をしていたのでつい訊いてしまう。憂鬱ながらも満足さの見え隠れする複雑な表情でこくこくと頷いた。

 しかし以前から食事の際に見てきたような屈託のない幸せそうな顔はそこにない。おそらくこれから話すであろう内容が彼女を悩ませているのだろう。


「無理しないで話したいことだけ話してよ。問い詰めたりはしないからさ」

「……ありがとうございます。でも全部話させてください」


 それから俺は彼女の言葉のすべてに耳を傾けた。




***




 まずは、私の生まれから話しましょうか。

 私がどこでどうやって生まれたのかは知りません。母親がいたのは確かなようですが、顔も名前も覚えていません。父親に至っては所在どころか存在すら不明です。


 そして昨晩話したように、母は幼い私をある男の人に預けたようです。言わずもがな私の母親とその男の人がどんな関係にあったのかはわかりません。


 その男の人の名前は『(やしろ)』といいます。見た目は30歳から40歳ぐらいの普通のおじさんでした。小さい頃から一緒にいたので、実質その人が父親のようなものでした。


 私がドラゴンと人間のハーフであることは既知のようでしたが、社さんは私のことを我が娘のように扱ってくれました。


 社さんの家はどこかの廃墟の敷地内にある物置小屋を改良したような場所で、他に人気(ひとけ)もなく、ちゃんとした住まいではなかったのでおそらく彼もホームレスだったのだと思います。


 それでも社さんはなにか仕事をしていたのか、収入源はあったようです。少ない実入りながらも私を養ってくれました。


 食事に関しては生肉が主で、私にはドラゴンの血が流れているせいか生野菜を食べた日は吐いてしまったこともありました。


 そして、物心がつくほどに成長した私に立ち塞がったのは教育の壁でした。つまり、学校です。


 私が学校へ行くとなると準備が必要で、社さんは身を粉にしてお金を稼いでくれました……体が心配になるぐらいに。

 そしてついに私は学校に行けるというところまで辿り着きました。


……しかし、実際には、学校に通う現実はやってきませんでした。

 正体を感付かれたのか、はたまた戸籍や名前が不明だったからなのか、理由はわかりません。私の入学は秘密裏に取り消されたようでした。


 私は悲しいし悔しかったです。自分が学校に行けないことよりも、社さんの苦労が報われなかったことが……。


 それからというもの、私はずっと家の中で社さんと一緒に生活しました。特別な用事がない限り外に出ることもありませんでした。


 社さんの家には本が大量にあり、知識のほとんどはそれらから入手しました。


 時に学び、時に食べ、時に遊んで……およそ普通の人間が充分生きるに足る生活を社さんと共にしていきました。


 やがて私は成長して、15歳か16歳になった頃――




「…………」俺はただじっと彼女の話を聞いていた。


 彼女は『社さん』と言ったその男の人を思い出してか、少し表情が明るくなってはまたすぐに暗くなる。ぽつりぽつりと呟くように、話せることを断片的に話していく。


 そして、ここからは彼女の顔がさらに暗くなる。この先は思い出したくない記憶なのだろう。



「……だんだんと、食事の量と回数が減っていきました。お腹は空くけれど、自分のことより社さんが心配でした。食べ物に困るということはお金がなくなってきたということですから。そして……」


 彼女はぐっ、と絞り出すように次の言葉を紡いだ。


「そして、ある春の朝、目が覚めたら――私はどこか見知らぬ山の中にいました」


「えっ……? それは、どうして……?」


「……わかりません。ただ、気が付いたら私は大きめの段ボールに入れられていて、毛布と『許してくれ』という手紙が1枚あっただけで、山の中に独りでした」


 どうしてそうなったのか。食べ物に困ってきたという話とその状況を併せて考えると理由は単純明快、言葉は悪いが、十中八九捨てたに違いない。負担が大きかったのだろうか。彼女もきっとそのことはわかっているのだろう。


「混乱して目の前の現実が呑み込めず、どうすればいいのかわかりませんでした。しかし、考えたところでどうしようもなかったんです。……私はその山を基点として生活することにしました」


 どこだろう。この近くに山はない。おそらく本当に人の目に触れないような辺鄙(へんぴ)な所なのだろう。


「その間 食事はどうしてたの?」


 当然、食べ物を買う場所もお金もないはずだ。


「飲み水は川が流れてましたし、食べ物は山にたくさんありました。……私、獲物を捕らえるくらいの力はありますので」


 一瞬、ギラリと眼が光ったような気がしてちょっと血の気が引いた。どうやらこの子には本当に獣の血が流れているようだ。

 そういえば彼女が最初に着ていたブラウスはほんのりとピンク色だった。あれは元々真っ白な服だったのかもしれない。


「そこの山は人の管理がされていないのか、鬱蒼と生い茂る草木が天を埋め地を覆い、土地は荒れ果て道もない、そんな場所でした。しかし生きるうえでそこまでの不便はなく、春、夏、秋と過ごして……冬は冬眠しました」


「冬眠なんてできるの?」


「私もした経験がないのでわかりませんでしたが……冬が本格的にやって来る前に食べ物を目いっぱい食べておいて、ゆっくりと寝てみたらできました。山は寒いですし、山火事が怖いので、人里に下りて見つけた公園で――桐生さんと出会った所ですね。そこは人目も多くありませんでしたし」


 なるほど、あの公園にずっといたわけじゃなく、山から下りて移動して来たのか。


 この町は田舎染みた町だ。どれくらいの距離を歩いたのかは知らないが、夜間であれば人に見つからずに歩きまわることも可能だろう。


 そこの公園だってベンチがある場所を除けば、中は軽い林みたいなものだ。真冬は人も立ち入らない。


「深い眠りから覚めると辺りは春の様相でした。社さんと別れてから次の春を公園で迎えて数日、ベンチで寝ていたところ、桐生さんと出会いました」


 彼女が自分の素性と過去を明かしていくにつれて、節々に点在していた疑問が少しずつ解氷していった。


 彼女は初めからホームレスではなかった。社さんという保護者がいた。


 肉の生食も、彼女がドラゴンの血を引いているということもあってか、昔からの習慣ゆえに彼女にとってはそれが普通だった。


 教育も受ける寸前のところまで漕ぎ着けていた。

 彼女が言う『学校』が普通の学校のことを指しているのか、児童擁護施設みたいな場所を指しているのかはわからなかったが、どちらにせよ戸籍がなくても教育は受けられるとどこかで聞いたことがある。

 だとすれば問題が生じたのは戸籍や名前の不明なんかが原因ではないということだろう。これは明らかな忌避か差別だ。


 それでも彼女は生活に必要な知識は充分に持っているし、言葉に目立った不自由もない。それは社さんの家(?)で読んだたくさんの本のおかげなのか。


 彼女は自分の両親の名前はおろか顔もわからない。友達もいない。唯一拠り所としていた大人も今はもういない。


 波瀾の人生。掛けるべき言葉が見当たらない。

 気が付くと彼女はまた泣いていた。


「……ねえ、リュウちゃん。うまく言えないけどさ、社さんはリュウちゃんを見捨てたりなんかしてないよ」


 本当にうまく言えない。だけど黙ってるわけにもいかない。この話を聞いた以上、余計に放っておけなくなった。


「どうしてそう言い切れるんですか」

「だって何年も一緒にいたんだろ。そんなに長い時間を掛けて生まれた愛情がそう簡単になくなるはずないよ」

「そうかもしれません。でも仮にそうだとしても、置いていかれたのは事実です」


 彼女は伏せた目を上げこちらに向ける。


「桐生さんは私と一緒にいたいと言いました。10年以上時間を共にした人とこんなにもあっさりと別れたというのに、それでも桐生さんは私と一緒にいられると言い切れるんですか?」


 紛れもなく、その悲しみを味わったのは彼女だ。共に過ごした人と別れ、独りで生きる運命を背負ったのも彼女だ。

 でも、それでも俺は……。


「言い切れる」

「口ではなんとでも言えます」


 彼女の言うとおりだ。口ではなんとでも言える。

 それどころか口でだって言えない。俺はこんな境遇の女の子を慰める言葉なんて持ち合わせてないんだ。


 でも。

 だからこそ放ってはおけない。

 口で言って駄目なら!


「!? きっ、桐生さん……!?」


 彼女は俺のことを好きだと言ってくれた。俺だってもうすっかり彼女のことが好きだ。言葉で届かないなら行動に移すほか手立てが思い付かない。


 リュウちゃんを抱き締めた。

 強く、それはもう強く。

 これで俺の思いが届くとは思えない。安直な考えだ。それでもいいから彼女を抱き締めた。


「あの、桐生さん……?」

「約束する、俺と一緒にいよう」


 耳元で囁いた。

 同じように彼女も俺の耳元でぽつりとこぼす。この距離では彼女の息遣いさえも聞こえてくる。


「……駄目です、できません」


「どうして。さっきは俺のこと好きだって言ってくれたじゃないか。こうなればすぐに別れるつもりだったなら、どうして好きだなんて言ったんだ。それは俺と一緒にいようと、少しでも思ってくれたからじゃないの」


「そっ、それは、でも……っ! でも駄目なんです! 私は人と一緒には生活できない! 誰かに拒まれるのも、置いていかれるのも……。もう、たくさんなんです……」


 息遣いが荒くなり、そしてしぼんでいく彼女の声。


「……俺は、いや俺も(・・)、リュウちゃんを裏切らない。捨てたりしない。きっと社さんだってそうだったよ。言葉だけじゃ届かないかもしれないけど、信じてほしい」


 彼女は無言のまま、俺を引き剥がして目を合わせようとした。それを食い止めるようにさらに強く抱き締める。


「その不思議な眼になにか特有の力があるのはわかってる、でも今はそれも使わなくていい。リュウちゃんを独りにはしない、悲しい思いも寂しい思いもさせないから……!」


「……ドラゴンの血? そんなもの関係あるか! ドラゴンだろうとリュウちゃんはひとりの女の子だろ、全部俺が受け入れて全力で自由な毎日を送らせてやる!」


 息も()かずに言葉を続ける。


「目の前に障害があるなら俺が全部取り除く、周りの目が気になるなら俺が全部肯定する! 人と一緒に生きられないなんてことはない、俺が受け入れて周りにも認めさせてやる! こんなにっ……こんなに! たくましく生きてきた子が! 世間から隔離されてたまるか!!!」


 彼女を抱き締めたまま息が上がるほど思いを叫んだ。果たして伝わったかはわからない、だけど俺の中にあったものはすべて吐き出したつもりだ。


「……き、きりゅ、うさん……もう、もういいです……」


 声が震えている。

 そこはかとなく自分の肩が冷たい。彼女が流した涙が濡らしているのだろうか。


 もうどうだって構わない、絶対に彼女を孤独にはさせない。


 抱き締めていた腕を(ほど)き、向かい合う。

 そして俺は(おもむろ)に、そして強く彼女の手を握って言った。


「口だけの約束じゃ信じられないなら、ちゃんとした形で約束を結ぼう。付き合ってくれなんて(ぬる)いことは言わない、結婚しよう……!」


 まだ出会って間もないこんな時に。まだ学生なんてこんな身分で。結婚なんて言葉、口に出すだけでもおこがましい。

 でも俺は至って真剣だった。

 嘘でも冗談でもない、本気だ。


 しばらくの沈黙。部屋にすすり泣く音だけが響く。


「……桐生、さん……!」


 まだ泣きやまぬ彼女が涙ながらに飛びついてきた。

 そして驚くなかれ、同時に信じがたい出来事が起こったのだ。



 お互いの唇が重なっている。



 それを理解する頃にはもう唇は離れていて、彼女はそっと耳元でこう告げた。


――これで“約束”の証、ですね。


 俺は力が抜けて、抱きついてきた彼女を支えきれずそのまま後ろに倒れ込んでしまう。予想だにしなかったキスのせいでうまく頭が回らなかったが、ぼんやりとした意識の中でひとつだけ――



――彼女は確かに、笑っているように見えた。



ブライドという言葉は、日本語でお嫁さんとか花嫁とかいう意味です。

本作のタイトル『ドラゴンブライド』は、今話のサブタイトルと同じく、“竜の嫁”という意味になります。


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