4<彼女の告白>
映画館に着くと人集りはちらほらと見えるものの、昼でも夜でもないこの微妙な時間であるので さほど混雑はしていないようだった。
さて、何を見よう。映画を知らない彼女だ、好みを訊くわけにもいかない。ひとまず迷った時は話題の人気作にしておくのが妥当か。
2人分のチケットと、ポップコーンとジュースも買う。
「それ、なんですか? きらきら光ってて綺麗です」
「これ? キャラメルポップコーン。食べていいよ」
彼女はポップコーンの山から1つ拾い上げ、ブラウンの衣を纏ったそれを矯めつ眇めつして口に放り込んだ。
「…………」
二三、咀嚼して固まる。
「……もしかして、おいしくない?」
「ん、んん……不味くはないですが……」
あんまり口に合わなかったみたいだ。ポップコーンなんて万人受けするような味だと思っていたが、意外とそうでもないらしい。
「じゃあ行こうか」
横を歩く彼女はいまだに不思議そうな表情を浮かべ、周りをきょろきょろと見まわしていた。映画という存在自体を知らないのは内心ちょっと驚いたが、こういう反応を見るのも新鮮で面白い。
そして劇場内へ入る。
「な、なんですかここ? 薄暗い……それにすごく広いですね」
「足下気を付けてね」
「はい……ひゃっ!」
「おっ、と……危ない」忠告するなりつまずいた彼女。反射的に腕を掴んで支える。
「大丈夫? 暗いし段差だらけだから気を付けて」
「はい……ありがとうございます」
そのまま自然な流れで彼女は俺の手を握った。
ちょっと、ドキッとした。
ここのところ俺はホームレスだのなんだのと非現実に当てられたせいか、少し脳が寝ぼけていたのかもしれない。この子がどんな誰であれ歳の近い女の子であることに違いはない。
買い物をして、一緒に遊んで、映画を見に来て、そして手を繋ぎさえして。
向こうはどう思ってるのかわからないけど、こんなの完全にデートじゃないか。
繋いだままのその手を引き、席に着くと手はするりと外れてしまった。今になって湿っていなかったかとか心配してる自分がいた。
何を意識してるんだろう。彼女は昨日からずっと一緒にいたじゃないか、何を今さら……。
「なんだか異様な雰囲気ですね……何が始まるんでしょう」
そうだ、今は映画だ。少なくとも彼女は今、映画というものに興味津々であるはずだ。それ以外のことはきっと考えていない、俺のようには。
すると場内にわずかに点灯していた照明が消え、完全なる暗闇が辺りを包んだかと思うと、次の瞬間には目の前が一気に明るくなった。お馴染みのカメラを頭に被った人が動く映像。
「わ、わわ……! すごい……! こ、こういう映像を、この大きな画面で、皆で、えと、見るんですね」
その途切れ途切れの声から察するに、どうやらいきなりのことで戸惑いながらも興奮している様子。俺も初めて映画を見に来た時はこんな反応だっただろうかと思い可笑しくなる。
いよいよ映画は始まり、場内は大量の音と光に包まれていった。
***
――ご来場ありがとうございました、お帰りの際は足下に気を付けて、忘れ物のないよう……
うん、割と面白い映画だった。
宇宙人に侵攻された地球を守るため戦う主人公、最愛の人が宇宙ウイルスに感染して宇宙人と化してしまうが、それでもなお愛し続け、最後まで地球と最愛の人を守り抜こうと奮闘するストーリー。
ベタな内容ではあったが、俳優の演技には目を見張るものがあったし、臭すぎないお涙頂戴も悪くなかったと思う。
「じゃあ帰ろうか、リュウちゃ……!」
リュウちゃんを見ると、口を半開きにしてぽろぽろと泣いていた。
「……大丈夫? 歩ける?」
「あっ、はい……大丈夫です」
熱涙を頬に伝わす彼女。背中をそっとさする。
こういう映画でちゃんと泣けるのはすごいな。いや、嫌みとかではなくて。きっと感性が豊かなんだろう。
映画館を出てモールの出口を目指す。
彼女はまだ溢れる涙を拭っていた。
「映画なかなか良かったね。リュウちゃんもかなりまともに食らったみたいだね」
「はい、クライマックスで宇宙人に成りゆく愛人を抱き締めて、それでもずっと愛してると囁くシーンに――思わずやられてしまいました。私に投影してしまってつい……あ、帰る前にちょっとお手洗いに」
「……ん? うん、行ってらっしゃい」
去り際の言葉が何か引っ掛かった。『私に投影して』? 宇宙人になった愛人が? 感情移入したって意味かな。まあ、言い方なんて言葉の綾だ、どうでもいいか。
それにしてもトイレか、やたら回数が多いな。実はモールに来てからずっとだ。化粧直しってわけでもないだろうし、こうも頻繁だと心配してしまう。彼女の場合生肉の件もあるし、お腹を壊してるわけじゃないといいけど。
モールから出るともう日は暮れかけ、茜色に染まり始めた空が一日の終わりを示しているようだった。
駅に着くと電車はすぐに来た。席は空いていた。
さっきの映画の話の続きでもしようかと思ったが、気が付くと彼女は横で静かに寝息を立てていた。
……結局のところ、この子は何者なのか。
この子は女の子で、今日俺と遊んだ。でもそれは学校の友達の女の子じゃない。バイト先で知り合った女の子でもない。
この子は公園で出会った、知らないどこかの女の子。
少し常識が欠如しているような部分があるものの、言葉や体に不自由もなく、むしろ学や教養があるとさえ見受けられる言動のせいかそのことを忘れそうになる。
なぜ家がないのか? いつからないのか? 今までどうやって生きていたのか? 友達は、学校は、“とある男の人”は?
訊きたい事はたくさんあった。でもそれらの疑問は、無闇やたらにぶつければこの子を傷付けてしまうかもしれない。
根掘り葉掘り聞き出すような真似はよそう。彼女の気が赴くのを、“その時”を待つんだ。
――北春日坂~、北春日坂~、お出口は右側です。
家から最寄りの駅だ、ここで降りなきゃ。
「リュウちゃんごめんね、起きられる?」
「ふぁっ……あ、すみません私、寝て」
「うん、いいよ。お疲れ。降りよう」
電車を降りて改札をくぐったらあとは家まで歩いて行く。
外の空気は赤く染まり、遠くに見える空の端はだんだんと黒ずんできていた。もう間もなく夜だ。
「……今日はとても楽しかったです。こんな風に遊びまわったのは久し振りでした」
「そっか、それは良かった。俺も楽しかったよ」
「ふふ……なんだかデートみたいですね」
「ぅえっ!? い、いやそんな……!」思わず変な声が出てしまう。反射的に否定したものの、内心同じことを思ってたり。
「桐生さんは面白いし優しくて悪意も見えないし、一緒にいて楽しいです」
にこっ、と笑う。
この何気ない笑顔が、すごく可愛かった。
面白くて優しくて悪意がなくて一緒にいて楽しい、か。そのセリフ、全部君に返すよ。
ああ駄目だ、俺、この子のこと本気で好きになってきてるんじゃないのか。最初はこんなつもりじゃなかったのに。
きゅっ。
「!?」
突然、彼女は空いていた俺の手を掴んで繋いだ。
「桐生さん、彼女はいませんよね?」
「え……うん」
「私、桐生さんのことが好きかもしれません」
「うん……ん!?」
「良かったら私を彼女にしてもらえませんか? 桐生さんは私のこと、どう思ってますか? 」
こっ、告白……!? ど、どうして!?
いや慌ててる場合じゃない、返事を、俺がリュウちゃんのことをどう思ってるか、だって? 今思っていたことじゃないか、答えはもちろん――
「うん……俺も、好き、だよ」
繋いでいた手をぎゅっと、より強く握られる。
「じゃあ、両思いですね!」
図ったかのようなタイミングで、そしてあまりにも急すぎる展開で頭がパンクしそうだった。
好き? 俺のことが? だってまだ出会って1日やそこらだ。……でもそれを言ったら俺だって同じ気持ちだったんだ、人のことは言えないか。
彼女の意図はよくわからないし、もしかしたらまたからかってるだけなのかもしれない。でもどうであれ思いを寄せ始めていた俺にとっては願ったり叶ったりなわけで。
そんな夕暮れに、一陣の風が吹いた。
その風は2人の間をビル風のように通り抜けて、ざあっと彼女の髪を吹き上げる。
強い風ですね。
砂が目に入っちゃいますよ。
春一番でしょうか。
もうそんな季節なんですね……。
告白をしたというのに彼女は飄々とお喋りを続ける。
された側の俺がただ固まって、何も言えずにいるのも情けないもんだ。なにか言おうと、そう思いながらもうまく反応できないまま歩き続けた。心臓の鳴る音が声に代わって強く聞こえる。
P.M.7:00。
やっと家に着く。自分の顔が火照っているような気がしてならない。
「あっお腹空いてるよね肉でも買いに行こうか」
それをごまかすためではないが、帰ったら夕食の用意をしようと初めから思っていたのにもかかわらず、まるで今思い付いたみたいにして早口になってしまう。さっきまで黙っていたくせに。
それを彼女が悟ったのかそうでないのかはわからないが、彼女はくすりと優しい笑みを浮かべて、はい、行きましょう、とだけ答えた。
「おじさん。牛の良いやつ300グラムください」
いつもの肉屋に着くと、なんだろう、今夜はいつもより良いのにしておこうと思ってしまった。
「はいはい300ね。ん、その子は……ああ、今朝の友達か」
なんと答えたものやら。愛想笑いでやり過ごそうとしていると横に立っていた彼女が得意気に言う。
「友達は友達でも、ガールフレンドです」
「……ん? 彼女、ってことか!? はっはっはっ! 今朝は友達で夜にはもう彼女か、そりゃ良かった、青春だなあ」
おじさんの茶化すような笑いにもうまく応対できない。ほんともう、なんて青いんだろうか。
さっきからまともに彼女の顔が見れなかった。
「さて、じゃあ夕飯にしようか」
「はい。……あ、そういえば私が髪を切ってもらっている間に買ったものはなんだったんですか? 袋が増えてましたよね」
「ん? ああ、あれは……」
夕食の後にでもと思っていたが、気になるのなら見せてしまおう。
どうせなら驚かせたいと思い、袋の中のものを目の前にバッと出して見せた。
「じゃん! 服屋でリュウちゃんが最初に見てた服!」
「えっ……」
あれ、思ったより反応が薄い。会計が終わった時に名残惜しそうに見てたからてっきり欲しかったのかと思ったけど、的外れだったかな。
「これは確かに可愛い、ですけど」
「けど? やっぱり半袖は嫌い?」
「えっと、嫌いというか……その……」
言い淀む。特別な理由があるんだろうか。言い出せないでいる彼女を見つめる。
その時だった。
異変に気が付いてしまう。
彼女の首筋には、なにか波打ったような跡が付いていた。怪我? 痣?
「……リュウちゃん、首、どうしたのそれ」
「え? 首……?」数秒後、はっ、と息を呑む。そして慌てて首を手で隠す。
「いや、あの、これは……!」
「どうしたの? 怪我じゃ……ないのか。別に無理に問いただしたりはしないよ」
彼女は苦しそうな表情になって押し黙る。
そして、その苦しそうな顔はやがて哀しそうな顔に変わった。
「……桐生さんには、話さなければいけないことがあります」
話さなければいけないこと。
ついに――“その時”が来た。
「うん。聞くよ」
彼女は哀しみを顔に浮かべたまま、ただするすると腕の袖を捲った。首に見える模様と同じものがそこにあった。
「えっと、これは? 刺青?」
「刺青じゃ、ないです。触ってみてください」
そろりと彼女の腕を撫でる。これは確かに、刺青なんかではない。はっきりとした凹凸がある。これは……!
ここでリュウちゃんに出会ってから今までの記憶が瞬時に蘇る。
出会い頭に見せられた紅眼。
火食用の生肉を躊躇わずにした生食。
異様なまでに肉を好む偏食。
常人よりも鋭く尖って見えた犬歯。
回るスロットの絵柄すら見分ける高い動体視力。
そして今、目の前にある波打った模様。
さっき告白された時、ドキドキと胸が高鳴っていたあの時でさえ心臓が止まっていたんじゃないかと思えるほど、それぐらい今の俺の心臓は速く強く鼓動を打っていた。
これは――鱗だ。
「……私は、人間ではありません」
「私は人間とドラゴンのハーフです」
余談ですが、サブタイトルの<彼女の告白>は2つの意味があったということです。