魔族 1
「ば、バカなッ!…勇者が…ハルトが…死んだ…?」
謁見の間の主が報告を噛み締めた。彼女は俯き目を閉じ、揺れる紅い髪が蝋燭に照らされた。その場にいる者と共に深い沈黙の中で、かつての勇者に想いを馳せる。
報告をもたらした者が、この沈黙を破ってさらなる情報を伝えるのに躊躇いを感じるほどの痛ましい空気の中、彼の身動ぎを感じ取った彼女は目を開き、唇を震わせながら詳細を求めた。
「ハ、ゆ、勇者は…なぜ…どうやって…その、死んだ…のだ?」
「はい。実家の寝室にて、何者かによって殺害されたようです」
彼は頭を垂れて主の表情を見まいとする。
「…な、なに?なんだと?こ、殺された?い、いや、聞き間違いか?殺されたと聞こえたが?」
声が震えている。その声を聞くのが辛い。
「勇者は、深夜から明け方に掛けての眠っている間に、何者かに襲われ、その命を断たれたと思われます」
「バカなっ!」
王座から立ち上がり、声を上げる。同様に、重臣たちも動揺を露わにしている。
「ゆ、勇者だぞ?あのハルトを…殺した?そ、それはまことか?」
「詳細は不明ですが、殺された、ということは確かのようです」
「う、嘘だ、嘘だ…いやだ…いやだぞハルト…」
もはや掛ける言葉が見つからない、といったふうに重臣たちも俯く。
それは、或いは、その場の主であり彼らの主である、魔王その人の、涙を見ないためかもしれなかった。
ややあって、鼻をすする音が途切れる頃。彼女、魔王はとぎれとぎれに言葉を紡ぐ。
「し、死体は…?死体、は、ど、どうなったんだ?」
「「「姫様!!」」」
その言葉に、重臣たちが声を上げた。彼らにとって、彼女が恐ろしいことを考えていることは明らかだった。
「し、死体さえ、死体さえ、あ、あれば…」
しかし、彼女のその顔を見て言葉をなくす。
魔王の朱の入った桃のような頬が、今や青白くなり、もはや拭うこともしない溢れだす涙が、その頬を撫でていた。
視線がどこへも定まっておらず、今は何を言っても届かないだろう。
報告者は、未だ顔を上げず、重い口を開く。
「死体は、我らには確認できませんでした。しかし、葬儀はすでに…」
魔王ではなく、重臣のひとり、小柄な男が安堵の息を吐いた。
「そ、そうか…」
魔王はその報告に、とすん、と王座に腰を下ろし、肘掛けを震える手で握りしめている。
やがて、
「…だ、誰だ…?誰が、ハ、ハルトを…殺したんだ?」
ぞわぞわと、辺りの気配が蠢きだした。魔王から圧するばかりの力の奔流が感じられる。
報告者は背中に脂汗を流しながら、懸命に答える。
「そ、それが…申し訳ありません…未だ不明です。人間たちも、同様のようです。ただ…」
震える報告者に、別の重臣である背の高い禿頭の男がその背丈よりも長い杖を持って声を掛ける。
「人間どもは、我ら魔族の手のものと考えておるのか?」
「…はっ。何故か、未だ詳細は不明ですが、その手掛かりなるものを見つけた、とのこ」
とです
とは、言い切れなかった。
魔王が、その怒りに広間の空気を激変させた。
もはや息を吸うも苦しく、傅いた膝が笑う。
「あっははははははっ!手掛かり、だと?そんなものがあるか!!」
ごぅ、と魔王を中心とした風が吹く。
「ワタシたち魔族が、勇者を殺すわけがないだろう!!なぁ、そうだろう?」
ギラリと、その銀色の眼がその場の全員を刺す。
報告者は崩れ落ちた。気を失ったのだろう。
小柄の重臣も、顔を青くしながら答える
「そ、そのとおりでございます、姫様」
他の重臣たちもツバを飲み込んで、異口同音に同意する。
小柄の男が続ける。
「ですから、ですから、どうか、お、お収めください」
しかし、その諌めは耳に入らなかったらしく、
「だろう?では、だ。では、だぞ。だ・れ・が、ハルトを殺したのだろうなぁ、んん?」
ひぃ、と小柄の男がその眼に竦み上がる。涙に濡れた瞳はその輝きを増し、しかし、その色は狂気のそれに近い。
その声を聞いて、大柄な、四本の腕全てが筋肉に塗れた重臣が、声を震わせた。
「な、なれば、に、人間が、ハルトを討った、と…?」
答えたのは女の重臣。大きな蝙蝠のような羽を持つ、扇情的な衣装を身にまとっている。
普段ならその美貌はどんな男でも眼を惹かれるだろうが、愕然とする余り歪み切ったその表情には、欲情のしようがないだろう。
「そ、そんな!?…いえ、でも、可能性は…」
その言葉も尻すぼみだ。
全員の言葉が途切れた頃、魔王がややその力を収め、口を開く。
「皆殺しだ。戦争だ。人間全てを狩り尽くしてやる…」
繰り返し呪詛の言葉を紡ぎ出す魔王に、線の細い身体の女が割り入った。
彼女の耳は、その身体同様細く、また長かった。
「いけません!姫様っ!」
「うるさいぞ」
しかし、その一言と同時に発せられる圧に耐え切れず、膝を着く。それでも、声を絞り出す。
「ハ、ハルトの言葉を思い出してくださいっ!姫様っ!」
「…ハルトの…?」
途端、場の空気が緩む。
女はやや安心して、王女に優しく声を掛ける。
「そうです。彼の、ハルトの望みは、何でしたか?」
「ハルトの、望み…」
「そうです」
「う、うぅ…わ、忘れるはずが、ない…」
一層、涙がその量を増し、魔王の膝に落ちていく。
「人間たちとの戦争は、避けましょう」
「だがっ!だがっ!」
魔王は感情の矛先をどこへ向ければよいかわからず否定の言葉を上げる。
と、そこへ別の男。黒いマントに身を包み、その姿は知れないが、獰猛に笑んだ口に長い牙が覗く。
「戦争は避けようとも、下手人を裁くのは問題なかろうぞ」
「そ、それは…」
耳の長い女もその言葉を否定することはできない。
そこへ、長身の男が、述べる。
「では、戦はせぬこととし、下手人を裁く、ということでよかろう」
すると、そこまで一言も話さなかった男が口を開いた。
頬や腕に鱗の見える美丈夫だ。
「我は獣人たちに自重を厳命しておきまする」
長身の男がそれに続けて、
「いかがですかな、姫様」
「う、うぅ…ぐす…よい。ただし、」
魔王は一呼吸置いて、
――下手人は、必ず生きたまま、ワタシの前に連れてこい。――
その言葉はこれまでのどの言葉よりも重い圧を秘め、その場の重臣たちは全て息を呑んだ。