ツクツクボウシはつくづく気分屋
春咲れんげには好きなものが沢山ある。
あぁでも、沢山って漢字で書くよりも「たくさん」の方がもっと広がっていく感じがして、いっぱいだって伝わりやすいかもしれないね。日本語には漢字とひらがなとカタカナがあって、それだけ表現の幅が広いのがいい。漢字にはそれぞれ意味があり、ひらがなは柔らかく丁寧で、カタカナは音を表現するのに最適。
まさに私みたいに細かい違いを気にする人には打ってつけ、とか取ってつけたような感想。やっつけ本番で喋っているから意味はいつも後付け。嘘つけよ、って思うでしょう?事実なんだな、これが。...だなんて、けけけのケの遊びだ。
場当たり的に適当な思考を巡らせながら、杖のようにして長傘で地面を突きながら歩く。雨予報だと聞いたから持ってきたのだけれど今朝の間はなんとか曇りで耐えそうだ。目的地である図書館までは少し歩く。推定十五分。今日はイヤフォンを自宅に忘れたから音楽は聴けない。雨の日特有のアスファルトの匂いをお供に、つらつらと考え事を並べ立てるのは自然な流れだ。私が春咲れんげであるが故に尚更。
何気ない言葉遊びはもうすっかり癖になっていた。頭韻、脚韻、字口、同音異義語の並べ立て。これはもはや春咲れんげの悪癖と呼ぶべき?いつから始めたのかも覚えていないな。とにかく私は言葉のリズムを愛している。そういえば「とにかく」だって兎にも角にもじゃないですか。なんて語呂の良いことか。ニモニモしてる。こんな風に特定の言葉に対してトキメキを感じることはしょっちゅうあるのだ。
例えば、ツクツクボウシ。
別名つくつく法師。寒蝉とも書くように晩夏から初秋に姿を現すセミらしい。「オーシンツクツク、オーシンツクツク」とかいう愉快な鳴き声と「ジューッ」という合いの手のような音の二種類を発する。と、これはネットで調べてみて初めて知ったこと。それもそうだ、現代っ子で都会っ子な私には如何せん馴染みがない子なんだもの。
では何故、わざわざそんなことを調べたのか。それはとあるフレーズが瞬間電撃的に私の脳内に爆誕して、以来すっかり棲みついてしまったからに他ならなかった。
ツクツクボウシはつくづく気分屋。
くだらないと思うなら鼻で笑えばいい。でもこれってすごく気持ちの良い日本語ですよね?同じ音が繰り返されたオノマトペに濁音を付けて遊ぶ。控えめに言って最高だ。舌の上で転がすのがこんなにも楽しい。少なくとも私はすき。大好き。
ツクツクボウシはつくづく気分屋。
信号待ちの赤に引っかかった私は黄色い点字ブロックの手前に立って、ぼおっと前を見つめながら考える。他にないかな、そういう言葉。自転車が私の後ろを通り過ぎて、左隣に濃紺のスーツを着たサラリーマンが立ち止まった。右手にビニール傘を持っている。ビニールは「気にいる」と韻が踏めるな、と思った。
ツクツク、つくづく。
頭の中の語彙すべてを洗い出し、何なら微かに口まで動かして言葉を探す。いや多分、正確には音を探している。私は俯いて自分の足元に視線を向け、右足の踵を掲げてつま先で軽く地面を叩いた。とんとん。——そうだ、トントン拍子とかどうだろう。トントン、どんどん。トントン拍子に、どんどん進む。ううん、進むだと遅いかも。もっと別の速くて硬い言葉がいい。まだ具体的には思いつかないんだけど。
ふと顔を上げると信号はまだ赤。やけに長い。と、対岸に濃紺のスーツとビニール傘を補足。あ、一回青になったのか。あちゃー、と傘を突いた。そうして信号の切り替わりもう一周分の猶予を得たのでまた考えてみる。ツクツクボウシはつくづく気分屋で……それで、何だろう?
信号が青に変わり、私は歩きだした。残念ながら待っている間に特に目立った成果は得られなかった。最初からセットで思いつくのは難しい。まずは同じ音が繰り返されたオノマトペを列挙した方が早いかも。ゴトゴト、ザアザア、しとしと、けらけら、パキパキ、ゆらゆら……ダメダメ、濁音を付けて韻を踏みたいんだから「か行・さ行・た行・は行」のどれかは入っていないと。うーん。ガラガラでからから?サクサクでザクザク?ちょっと違うよねえ。「ツクツクボウシ」みたいなオノマトペじゃないものとセットにしたいんだもの。名詞か副詞かな……あ!「コトコト」は「ことごと」く、になるんじゃないか。悉く—— ひとつも残さず、全部が同じ状態であるという意味だったはずだ。これいいじゃん。悉くコトコト、をどう意味が通った表現に落とし込むのかは問題だけれど。コトコトするものって何だろう、鍋?煮物とか角煮かな。
こんな調子で暫く考えていると、候補となりそうな表現を幾つか思いついた。それらを頭の中に書き留めて、多少無理矢理ながらもひとつの文章にまとめ上げてみる。
できた、かも。
ツクツクボウシはつくづく気分屋で、コトコト煮た鍋は悉く失敗。トントン拍子にどんどん加速で担々麺も段々辛くなるし、黙々ともぐもぐしてるから君にドキドキするのは時々でいい・・・と思うんだけど、どうかな。
ツクツク、つくづく。
コトコト、悉く。
トントン、どんどん
担々、段々。
黙々、もぐもぐ。
ドキドキ、時々。
うん、良いのでは?何より最後が問いかけになっているのがお気に入り。「君にドキドキするのは時々でいいと思うんだけど、どうかな」って、本当に言いたいことはそれだけなのにこんなにも色々と並べ立てているって感じがする。遠回りして誤魔化して、恐る恐るに問いかける。勢いに乗らないと訊けないだなんて、照れてる感じが伝わってきて可愛い……ということにしておこう。意味はいつも後付けだ。
そうこうしているうちに図書館に辿り着いた。私はせかせかと階段を駆け上がり、そそくさと席を取る。持ってきた長傘は背もたれに引っ掛けた。まだ午前中だというのに各所に散らばった座席はもう既に人で埋まり始めている。勤勉なのは結構なことだ。ふかふかのひとりがけソファで気持ちよさそうに爆睡している人だっているけど。
そんな観察もそこそこに、私はさっとスマホを取り出してメモアプリを開き、忘れないうちに先ほどの閃きを書き留めた。ツクツクボウシはつくづく気分屋。そこから始まって跳ねた一連の言葉たち。それをなんとか記憶から抜け落ちる前に保存することに成功。来るまでの間に反芻していた甲斐があったというものだ。ふうっと小さく息をつき、椅子の背もたれに寄りかかる。んふふ、いい遊びだったな。
——と、私はここに来た当初の目的を思い出してトートバッグから筆箱を取り出して手に取り、席を立った。館内を見回す。……あった。蔵書検索ができるパソコンは大きくてがっしりとしているから、遠目からでも分かりやすい。私はそのなかの一台に歩み寄り、文字キーがチロルチョコみたいな形になっている分厚いキーボードに両手を乗せた。そして「チロルチョコ、久しぶりに食べたいなぁ」とか思いながら出来るだけ音を立てないように優しく静かに打ち込む。これはとある人の影響だ。やたらと強くキーボードを押してカチャカチャと鳴らすのは「やっている」感があって気持ち良いけれど、とろとろと白く濁った温泉のお湯を注ぐみたいにして静かに文字が打ち込まれていくのもなかなかにカッコ良いと思っている。逆張り上等、ってやつだ。
ツクツクボウシはつくづく気分屋。
パソコンと同じ卓上に設置された箱からメモ用紙を一枚引っこ抜き、筆箱から出したボールペンで識別番号をメモする。そして、柱に張り出された館内図を見て目的の本がある区画を探した。
ツクツクボウシはつくづく気分屋。
できるだけ音を立てないようにして歩き、書架に近づく。並んだ背表紙を撫でるようにして目を滑らせていき、読みたい本の背表紙を優しく引っ張った。本は丁重に扱うべし、これは春咲家の家訓である。嘘である。私の教訓だ。
ツクツクボウシはつくづく気分屋。
そして席に戻り——遂に脳内の「ツクツクボウシの囁き」を無視することを諦めた。認めよう。私はこの素晴らしい言葉の響きを、誰かに共有したくて堪らないのだ。というか、自慢したい。だって我ながらよく出来てるんだもの。眠らせておくのは勿体ない気がする。大学の御学友たちか、或いは私の妹か。自覚したその衝動に忠実に従い、私はスマホを取り出してメッセージアプリを開いた。私の自己満足のために、このくだらない随想を送りつけられる被害者を私自身の手で選び出さなくっちゃいけない。
私の気紛れを面白がってくれる優しい人で、欲を言えば言葉遊びが好きな人……更には会話にユーモアを求める奇特な人だと良いよなあ。
そう思ったときに思い浮かんだのは「彼」ひとりだった。私はニヤニヤしながら先ほどメモに書き留めた文をコピー&ペーストした。
ツクツクボウシはつくづく気分屋で、コトコト煮た鍋は悉く失敗。トントン拍子にどんどん加速で担々麺も段々辛くなるし、黙々ともぐもぐしてるから君にドキドキするのは時々でいい・・・と思うんだけど、どうかな?
そして送信ボタンを押そう……としてやめた。
気づいたのだ。ひとつ、無視できないほどに大きな問題点がある。「君にドキドキするのは時々でいい」という最後の文章、これがよろしくない。兎にも角にも私にとっては不都合というか、冗談では済まされない。何故なら、私は「彼」のことを憎からず思っているからである。大切なのである。そこはかとなく慕っているのである。つまり好きなのだ。
別にコトコト煮るだけの鍋料理で失敗するつもりもないし?そもそも辛いものが苦手だから担々麺も食べないけれど?もしかしたらツクツクボウシにも気分屋な個体はいる……かもしれないけれど!咀嚼中の口の中を見せるなんてことはしないから食べるときは黙々ともぐもぐしてるけれど!
君にドキドキするのには心当たりしかないのである。困った。
どうしよう、これ。
最後の一文が大事だけれど、よりにもよって、それを一番分かり合えそうな相手には小っ恥ずかしくてとても言えたものじゃあない。ただの言葉遊びじゃなくなっちゃったんですけど...⁉︎
だって、さっき私はこの文章が完成したときに何を思った?——「君にドキドキするのは時々でいいと思うんだけど、どうかな」って、本当に言いたいことはそれだけなのにこんなにも色々と並べ立てているって感じがする。遠回りして誤魔化して、恐る恐るに問いかける。勢いに乗らないと訊けないだなんて、照れてる感じが伝わってきて可愛い……ということにしておこう——そう思ったはずだ!
もし仮に向こうにも(つまり彼にも)同じ感想を抱かれたら?顔面蒼白、いや羞恥心があるから赤面だろうか……ってそんなことはどうでもよくって。兎にも角にも想像したくもない事態である。乙女の純情を弄ぶだなんて!一体誰がこんなえげつないことを...私か。全く哀しい一人芝居である。まるでブーメランだ。自分で後付けした意味に振り回されている。
私は送りかけた文章を全部消し、メッセージアプリを閉じて、とりあえずはすべて無かったことにした。言葉遊びをしていたと思っていたけれど、どうやら私の方が言葉に遊ばれていたらしい。「ぐう」と、せめてぐうの音は出しておこう。
やれやれ。ひとりで過ごす休日でもこんなにワタワタと忙しなく感情が動いて右往左往できるんだから、まったく落ち着かない。「人生楽しそうだね?」と親友に言われるのも納得だ。私は自分で自分に呆れて、読書に集中することにした。




