戦えない設備保守員ですが、ダンジョンの故障なら私の仕事です
日本にダンジョンが現れて三十年。
今では、もう珍しいものではない。
探索者が毎日潜り、採取した魔石や素材を持ち帰る。
入口には管理棟があり、地下には照明、換気設備、非常隔壁、転移門まで設置されている。
つまり現代のダンジョンは、剣と魔法だけで動いているわけではない。
電気も通っている。
配管もある。
故障もする。
そして、それを直す人間もいる。
「十八階、定期点検異常なし」
「了解です」
私は端末にチェックを入れた。
佐伯美香、四十三歳。
ダンジョン設備保守員。
探索者としてのレベルは十二。
新人研修を終えた探索者なら二十前後。A級ともなれば五十を超える。
戦闘なら新人探索者にも負ける。
でも、このダンジョンの設備なら十一年見てきた。
「佐伯さん、第六中継室も問題なしです」
「了解。じゃあ今日の点検は――」
そこで。
管理室の照明が一度だけ瞬いた。
「……ん?」
警報音。
次の瞬間、目の前の監視盤が一斉に赤く染まった。
「十八階、魔力供給停止!」
「換気系統停止!」
「転移門、応答ありません!」
「非常隔壁、自動閉鎖!」
さっきまで全部正常だった十八階が、数秒で死んだ。
管理主任が立ち上がる。
「ダンジョン異常か!?」
私は警報盤を見た。
魔力供給。
換気。
転移門。
非常隔壁。
別々の設備が、ほぼ同時に止まっている。
それを見た瞬間、背中が冷えた。
「……違う」
「何?」
「これ、ダンジョンの異常じゃありません」
私は工具箱を掴んだ。
「設備側です」
「十八階には誰がいます?」
「A級パーティー二組、十一名!」
「通信は?」
「途絶しています!」
主任が舌打ちした。
十八階は大型モンスターの巡回区域だ。
A級探索者なら戦える。
だが、換気も転移門も止まった場所に閉じ込められたまま、何時間も戦い続けられるわけではない。
「緊急救助班を出す!」
「待ってください」
「何だ?」
「第十七隔壁が閉じています。正規ルートから十八階には入れません」
「手動解除は?」
「現場側です」
「なら十七階まで行けばいい」
「隔壁の制御用魔力も落ちてます」
「非常系統があるだろ?」
「それも停止しています」
主任が黙った。
そう。
そこがおかしい。
主系統だけなら故障。
非常系統だけでも故障。
でも、それらが換気や転移門と一緒に止まった。
別々の設備が同時に壊れたとは考えにくい。
「停止直前のログ、出してください」
「はい!」
若い職員が画面を切り替える。
魔力流量。
換気圧。
温度。
各設備の稼働状況。
大量の数字が並んだ。
その中に、一つだけ飛び出した値がある。
「第六中継室……」
停止直前。
魔力流量が一瞬だけ跳ね上がっている。
「これ、ダンジョン側から魔力が流れ込んだんじゃないのか?」
主任が聞く。
「それならダンジョン監視器にも記録が残ります」
「ない?」
「ありません」
「じゃあ誤検知?」
「可能性が高いです」
「誤検知で全部止まったのか?」
「安全装置が過負荷と判断すれば、連動停止します」
主任が画面を見る。
「第六中継室が原因?」
「……たぶん」
朝の点検では正常だった。
だからこそ、確認する必要がある。
「私、行きます」
「佐伯さんが?」
「設備の問題なら私の担当です」
「十八階との境界近くにはモンスターもいるぞ」
「知ってます」
「レベル十二だろ?」
「それも知ってますよ」
自分のレベルくらい忘れない。
「だからモンスターとは戦いません」
「じゃあどうする?」
「設備を直します」
それが私の仕事だ。
救助班三人と一緒に十七階へ向かった。
エレベーターは十六階まで。
そこから先は非常階段だった。
赤い誘導灯だけが点いている。
「暗いな」
救助班の男性が言った。
「非常灯、半分死んでます?」
「死んでません」
「でも点いてないですよ」
「節電モードです」
「この状況で?」
「この状況だからです」
非常系統の魔力だって無限ではない。
必要な場所だけ点ける。
「なるほど……」
こういう仕様は探索者なら知らなくてもいい。
私たちが知っていればいい。
普段なら。
十七階に着いた。
警告音が鳴り続けている。
目の前には巨大な鉄製の隔壁。
この向こうが十八階だ。
「これ、爆破できます?」
救助班員が隔壁を見る。
「やめてください」
「でも中に人が」
「壁の横に魔力配管があります」
「……爆破したら?」
「最悪、十九階まで止まります」
「やめます」
「お願いします」
私は隔壁横の点検扉を開けた。
表示は赤。
安全停止。
「ここから解除できます?」
「原因を取り除かないと無理です。解除してもまた閉じます」
「じゃあ第六中継室へ?」
「はい」
今ある記録だけなら、そこしかない。
第六中継室は十七階の外周通路にある。
普段、探索者は通らない。
「こんな道あったんですね」
「あります」
「探索者用地図に載ってませんよ」
「載せてません」
「なんで?」
「モンスターより危ないものがありますから」
「何が?」
「高出力の魔力線」
「それは載せなくていいですね」
「でしょう」
曲がり角の先から低い唸り声がした。
救助班員が私の前に出る。
「アイアンハウンド。一体」
「倒せます?」
「余裕です」
「お願いします」
戦闘は二十秒で終わった。
私は何もしていない。
できないからだ。
それでいい。
救助班員が戦う。
私は設備を見る。
全員が得意なことをやればいい。
第六中継室の扉を開けた。
焦げ臭さはない。
煙もない。
制御盤を開く。
魔力入力。
正常。
出力。
正常。
通信。
正常。
センサー。
正常。
「……え?」
思わず声が出た。
「どうしました?」
もう一度見る。
同じだった。
「佐伯さん?」
「正常です」
「え?」
「ここ、正常です」
救助班員が制御盤を覗き込む。
「でも、第六が原因だって」
「そう思いました」
ログはそう示していた。
停止直前、第六中継室だけ魔力流量が跳ねている。
だから安全装置が作動した。
そのはずだった。
端子を確認。
緩みなし。
配線。
異常なし。
センサー。
正常。
絶縁。
正常。
何もない。
背中に汗が流れた。
おかしい。
ここじゃないなら、どこ?
無線が鳴った。
『管理室から現場班! 十八階との通信、一時復旧!』
「状況は!?」
『探索者十一名、全員生存! ただし大型種二体が接近中!』
「退避は?」
『隔壁も転移門も停止したままです!』
救助班員が私を見る。
「佐伯さん」
「……ちょっと待って」
頭の中で設備図を開く。
第六中継室。
十八階主系統。
換気。
転移門。
隔壁。
非常系統。
全部つながっている。
だから第六だと思った。
なのに第六は正常。
私が間違えた?
十一年、この設備を見てきた私が?
ある。
設備員だって間違える。
でも。
間違えたまま止まっている時間はない。
「ログをもう一度見ます」
「ここで?」
「停止直前だけ端末に保存してあります」
画面を開く。
第六中継室。
魔力流量、急上昇。
その〇・四秒後。
安全停止。
その〇・二秒後。
十八階主系統停止。
換気停止。
転移門停止。
隔壁作動。
「……待って」
何か引っかかった。
もう一度、少し前から見る。
「あった」
「何が?」
「これ」
第六の異常より前。
警報にすら分類されていない、小さな記録。
第三中継室。
瞬間魔力低下。
わずか〇・一秒。
直後に正常値へ復帰している。
「第三?」
「はい」
「でも、すぐ戻ってますよ」
「だからです」
「え?」
「第六が異常を出したから全部止まったんじゃない」
設備図を頭の中で重ねる。
第三から第六へ伸びる予備系統。
通常は使わない。
主系統に異常があった場合だけ、自動で切り替わる。
「第三の魔力供給が一瞬落ちて、予備系統が第六へ送った」
「はい」
「でも第三はすぐ復旧した」
「早すぎたんです」
本線が復帰する。
予備系統が切れる。
その切り替えが間に合わなかった。
一瞬だけ二つの系統から魔力が流れた。
「だから第六の流量が跳ねた……?」
「第六は壊れてなかった」
正常だったからこそ。
流れ込んできた異常な魔力量を、正しく検知した。
「原因は第三です」
私は工具箱を閉じた。
「行きます!」
「佐伯さん、待って!」
救助班員が追ってくる。
「第三って反対側ですよ!」
「知ってます!」
「走らなくても!」
「十八階で大型種二体来てるんでしょう!」
四十三歳に全力疾走はつらい。
工具箱は重い。
息が切れる。
それでも走った。
外周通路。
階段。
角を曲がる。
第三中継室。
扉を開ける。
「どこ……!」
制御盤。
正常。
魔力供給。
正常。
予備系統。
正常。
「ここも正常じゃないですか?」
「今は!」
〇・一秒だけ魔力供給が落ちた。
完全な故障なら、そのまま落ちている。
接触不良?
保護回路?
端子?
私は盤の下を見る。
何もない。
横。
何もない。
上。
「……あ」
「何かありました?」
「これ」
壁を這う一本のケーブル。
その固定金具だけが、わずかに黒く変色している。
「焦げてる?」
「少しだけ」
工具で金具を外した。
裏側から銀色の粉が落ちる。
「魔晶粉?」
「そう」
昨日、この区画には清掃作業が入っていた。
魔晶粉そのものは珍しくない。
問題は場所だった。
「このケーブル、魔力流量の監視線です」
「粉が入った?」
「金具との隙間に。たぶん振動した瞬間だけ信号が乱れた」
「それで〇・一秒?」
「たぶん」
「直せます?」
私は工具箱を開いた。
「直します」
今度は「たぶん」と言いたくなかった。
清掃。
絶縁。
端子確認。
固定金具交換。
監視線を再接続。
手が少し震えている。
焦るな。
急げ。
でも雑にするな。
雑に直して、もう一度止まったら意味がない。
『現場班!』
無線が鳴った。
『十八階、交戦開始!』
返事はしなかった。
最後の端子を締める。
「再起動します!」
スイッチを入れる。
一秒。
二秒。
三秒。
表示は――。
緑。
「第六は!?」
救助班員が端末を見る。
「正常!」
「十八階!」
「待って――」
通路の非常灯が白く変わった。
換気音が戻る。
遠くで巨大な機械音が響く。
隔壁が動き始めた。
無線が鳴る。
『十八階、魔力供給復旧!』
続けて。
『転移門、再起動確認!』
さらに。
『探索者十一名、転移開始!』
一人。
二人。
数秒が長い。
『八名帰還!』
まだ。
『十名!』
あと一人。
私は工具を握ったまま、無線を見つめた。
『十一名!』
息が止まる。
『全員帰還しました! 負傷者二名、いずれも軽傷!』
膝から力が抜けた。
その場に座り込む。
「佐伯さん!?」
「……よかった」
本当に、それしか出なかった。
救助班員も壁にもたれた。
「間に合いましたね」
「はい」
「最初、第六だと思ってましたよね」
「……今それ言います?」
「いや、そこから第三を見つけるのがすごいなって」
「なら最初からそう言ってください」
「すみません」
少しだけ笑った。
それから私は、黒くなった固定金具を見る。
「これ、他にもあるかもしれない」
「同じ設備?」
「同じ監視線。同じ固定方法。同じ施工時期」
「全部調べるんですか?」
「当然です」
「今日?」
「まさか」
救助班員が胸を撫で下ろした。
「明日からです」
「設備班だけでお願いします」
「そのつもりです」
今度は二人で笑った。
管理室へ戻ると、警報盤は全部緑だった。
いつもの色だ。
主任が私を見るなり立ち上がった。
「佐伯さん」
「はい」
「十一人、全員無事だ」
「聞きました」
「よく見つけたな」
「最初は外しましたけどね」
「そこから見つけたんだろ」
「まあ……はい」
「助かった」
「どうも」
私は自分の席へ戻ろうとした。
「それと、佐伯さん」
「はい?」
「同型設備、全部点検するんだろ?」
「そのつもりです」
「交換が必要なところは?」
「交換します」
「何か所くらいになりそうだ?」
「まだ分かりません。施工時期が同じ区画だけでも、かなりあります」
「見積もり出してくれ」
「出しますけど」
私は主任を見る。
「また『まだ使える』って戻ってきません?」
主任が黙った。
設備予算では、よくある話だ。
壊れた設備を直す予算は出る。
壊れていない設備を交換する予算は、なかなか出ない。
「今回は戻さない」
「……本当に?」
「ああ」
「まだ使える設備もありますよ?」
「危ないと判断したら交換する」
「全部?」
「必要なら全部」
私は主任を見た。
「もう一回言ってもらっていいですか?」
「必要なら全部交換する」
「録音していいです?」
「信用ないな!?」
「今まで何回『まだ動いてる』って返されたと思ってるんですか」
「分かった! 書面で出す!」
「ありがとうございます!」
今日一番大きな声が出た。
主任が呆れた顔をする。
「十一人助かったときより喜んでないか?」
「だって予防交換ですよ!」
「人命救助より?」
「それとこれは別です!」
管理室に笑い声が広がった。
翌朝。
私の机には一枚の書類が置かれていた。
『ダンジョン設備予防更新計画』
昨日の事故を受け、老朽化や構造上の危険が認められる設備について、故障前の交換を認める。
そんな内容だった。
承認欄には、もう印鑑が押してある。
「……本当に書面にしたんだ」
思わず笑った。
今日から全中継室の点検。
仕事は間違いなく増える。
面倒だ。
たぶん残業も増える。
それでも、悪い気はしなかった。
警報盤を見る。
全部緑。
魔力供給正常。
換気正常。
転移門正常。
隔壁正常。
探索者たちは、今日も何事もなかったように地下へ降りていく。
それでいい。
設備保守なんて、何も起きない日のほうが正しい。
私は新しい点検表と工具箱を持って立ち上がった。
壊れてから直すだけじゃない。
今日からは、壊れる前にも直せる。
そのほうが、ずっといい。




