傘一つ
昔書いたもの。
男女の微妙な心の機微を表現したく書いた記憶があります。
「またお前、お雪さんまたせて」
そう言って馬頭のどんべえが赤ら顔のたぬき顔でやえべえを見る。
「いいんだよぉ、それが妻の勤めってえ奴なんだ」
やえべえが声を張っていうが力がない。
「もう見栄っ張りは困るね、ほらもう雨やまないよ、せっかく迎えにきたんだから、一緒にお帰り」
天心の女将さんがやれやれと声をあげた。
「おめえ もうすっぴんかんだろ、はったまけたも銭がなきゃどうしょうもねぇーってもんだよ」
「だからよぉ」やえべぇが甘えた声をだす。
「だめよ 貸しちゃあ、お雪さんまた泣いちゃうわよぉ、ほら やえべえさん」
「あぁ しゃーねぇ」
そういってやえべえが門へ向かった。
戸口にお雪の影がみえる。
「おぃ かえるぞ」
傘を広げ 雨中をのっそり歩く。
「あーぁ おめえのせいで今夜も負け越しだぃ」
お雪はだまったまま 顔をうつむけている。
気まずい事は元から逃げ腰のやえべえが我慢できずに雨の中を走っていく。
「ちょいとあんた」お雪はやえべえの後を追った。
暗がりにやえべえが転び "うぉ"と声をだした。
「ばかねぇ 本当に」お雪が泣きそうな顔をした。
それを見てやえべえがあわてて「ほらよ、ちょっと水浴びで頭ひやした所でよぉ」
と ひょうきんな声をだした。
お雪が変わらず泣き出しそうに顔を下にした
「ほらよ」
やえべえがそこに生えてあるアジサイをひとつ差し出した。
「馬子にも衣装じゃなくてお雪にもあじさいってかぁ
…ほら綺麗じゃないか、お雪よぉ なぁ泣かないでくれよ なぁ
なっ もう博打しないからよぉ ごめんよ お雪」
お雪の泣いた顔がこまった顔をして また泣いた顔になった。
「ばかねぇ 本当に こんなに着物汚して 早くはいりんさい」
ため息ひとつお雪がやえべえの手をひっぱった。
アジサイが一面 雨に濡れて咲いている。
「アジサイきれいねぇ」
今気づいたようにお雪は声をあげ、ぼーっとそれを見た。
「そうだなぁ やえべぇとお雪のアジサイ渡りって奴だなぁ」やえべえが静かに答えた。
「ほらアジサイ狩りもなぁ」手にあるアジサイを上げて、よっ!と掛け声をあげた。
2人が仲良く傘にはいり歩いている。
やえべぇが陽気な声をあげている。
しばらくすると やえべえとお雪の笑い声がした。