008
明るい調理実習室には、多くの生徒が集まっていた。
いくつものテーブルがあり、窓も空いていた。
ホワイトボードには、私の知っている家庭科の教師がエプロン姿で見えていた。
家庭科室のテーブルには、コンロが置かれていた。
コンロ上のフライパンから、香ばしい匂いが漂ってきた。
私を連れてきたハエも、この匂いにさそわれたのだろう。
「うーん、いい香り」
私は、思わず口に出した。
遠くから見て、私は確信した。
(クレープの授業だ)
ジャムやチューブの生クリームが、テーブルにおかれていた。
卵やフルーツも、テーブルに置かれていた。それが、甘い匂いを漂わせていた。
丁度この前、クレープの授業をしていたので私は覚えていた。
(となると、この授業って一年生?)
私は一年生だ。
もしかしたら、知り合いがいるかもしれない。
残念なことに、私のクラスではないことを私はすぐに理解した。
周囲の生徒を、見回した。
家庭科の選択授業は、ほぼ女子しか受けない。
このテーブルのあたりにも、女子の姿ばかりが見えた。
テーブルには、5人一人組の女子がクレープづくりをしていた。
家庭科室の端にある食器置き場に、私は周囲を見回した。
全員が黒ブレザーにエプロンだ。
様々なエプロンを見ながら、私はある一つのテーブルに目を向けた。
(あれはもしかして、水主)
私は一番奥のテーブルに向かって、走っていった。
壁を伝い、棚を飛び越えて奥のテーブルに近づく。
一番奥のテーブルにも、女子が三人ほど集まっていた。
間違いない、これはB組。つまりは、水主のクラスだ。
もしかしたら、彼女は私に気づいてくれているかもしれない。
「水主っ、水主っ!」
移動しながら、私は叫んでいた。
だけど、水主は私の声が聞こえない。
サイドポニーの少女は、周りの女子と一緒に会話をしていた。
吉瀬 水主は、私の幼なじみだ。
幼なじみというか、隣同士の家に住んでいた。
小さいころからいつも一緒で、登校も一緒だった。
家族同士の交流もあって、よく一緒にご飯も食べた仲だ。
(ダメだ、気づかない)
それでも、私は彼女がいたテーブルまでたどり着いた。
近くには、ボールが見えた。
卵が入ったボールに泡だて器のそばで、私は彼女を見上げた。
彼女を見上げるのは、小学校以来だ。
(でも、彼女に言ってどうしよう)
一番近くのテーブルまで来て、私はためらっていた。
私の姿は、明らかに小さい。
彼女は私に気づいたら、どうなるんだろう。
彼女に対しても心配も、また私には感じられた。
親友だからこそ、助けてほしい。
親友だからこそ、迷惑をかけていけない。
私は声をかけているかためらう中、大きな声が聞こえていた。
「ねえねえ、ここでバターを入れるの?」
「うん、フライパンの熱で広げるのよ」
私に気づかず、料理を作っている水主の班。
四人組の女子生徒の中で、サイドポニーの水主が話をしていた。
紫色のエプロンは、彼女らしい。
「本当だ、水主は詳しいのね」
「私、料理は苦手よ」
「そうなの?」
「うん、あたしは苦手よ」
「それより水主」
女子の一人が、水主に声をかけた。
「なーに?」
「昨日、夕方野球部の乾先輩と一緒にいなかった?」
その言葉を聞いて、なぜか私は少しドキっとしてしまう。
「うん、会ったよ。あたし、彼のファンだから」
「彼って、乾先輩?」
「そ、2年の乾先輩」
水主の言葉に、私はあることを思い出した。
それは、私の彼氏のことだ。
私の彼氏は野球部の一年先輩で、女子にも人気のエース。そのことを私は、思い出した。