闇契約の令嬢 ~魔王と結んだ復讐の誓い~
いつもお読みいただき、ありがとうございます。魔王との契約や闇の魔法といったダークファンタジー要素もありますが、最終的には希望のある結末を迎えます。最後まで読んでいただければ幸いです。
王宮の大広間に、重々しい鐘の音が響いた。
「リディア・ヴァン・クロウフォード侯爵令嬢。前に出なさい」
国王の厳粛な声が響く中、深紅のドレスに身を包んだ美しい女性がゆっくりと歩み出た。漆黒の髪を優雅に結い上げ、深い紫の瞳を持つリディアは、この王国でも屈指の美貌を誇っていた。
「リディア・ヴァン・クロウフォード。汝は禁術である黒魔法を使用し、王国に災いをもたらした罪により、全財産没収の上、国外永久追放を言い渡す」
大広間がざわめいた。リディアは静かに顔を上げ、玉座を見据えた。
「異議申し立ては許されません」
国王の隣に立つ金髪の美青年——第一王子ロドリック——が冷たい声で言い放った。彼はリディアの婚約者だった。いや、元婚約者と言うべきか。
「ロドリック様……」
リディアの声が小さく響いた。しかし、ロドリックは一切目を合わせようとしない。
「私は確かに、王国を救うため禁術を使いました。しかし、それは国民を守るため——」
「黙れ!」
ロドリックの怒声が大広間に響いた。
「禁術は禁術だ!理由など関係ない!汝の行為は王国の法に反する重大な罪である!」
廷臣たちがささやき始めた。
「やはり侯爵令嬢は危険な存在だった」
「黒魔法など、悪魔の所業だ」
「追放は当然の処置だ」
リディアは周囲の冷たい視線と嘲笑を浴びながら、しかし毅然として立っていた。
「最後に申し上げます」
リディアは玉座に向かって一礼した。
「私は王国への忠誠を誓い、民を守るために戦いました。しかし、その行為が罪とされるなら、甘んじて罰を受けます」
「立派な言葉だ」
ロドリックが皮肉な笑みを浮かべた。
「では、二度とこの国の土を踏むことなく、速やかに立ち去るがよい」
リディアは最後にロドリックを見つめた。その瞳に、一瞬だけ深い悲しみが宿った。
『なぜ?なぜあなたは……』
しかし、その想いを口にすることはなかった。リディアは深々と頭を下げると、大広間から立ち去った。
廷臣たちの嘲笑と罵声が背中に突き刺さる。
「魔女め!」
「二度と戻ってくるな!」
「王国の恥さらしが!」
リディアは振り返ることなく、王宮の門をくぐった。そして心の奥で、静かに誓いを立てた。
『真実を知る。必ず』
* * *
王都から馬車で三日の道のり。リディアは護送の騎士たちと共に、国境に向かって進んでいた。
馬車の中で一人、彼女は断罪の場面を思い返していた。
『ロドリック……なぜ』
幼い頃から婚約者として育った彼。共に学び、共に笑い、共に王国の未来を語り合った日々。それが全て偽りだったというのか。
「お嬢様」
護送の騎士長が馬車の窓を叩いた。
「休憩です。少し外の空気を吸われますか?」
「ありがとう、エドワード」
リディアは馬車から降りた。騎士長エドワードは、彼女の幼い頃からの守護騎士だった。
「エドワード、あなたは私を信じてくれているのですね?」
「当然です。お嬢様が王国を裏切るなど、ありえません」
エドワードの真摯な言葉に、リディアは少し救われた気持ちになった。
「ありがとう……でも、私には隠していることがあります」
「隠していること?」
リディアは空を見上げた。夕日が雲を赤く染めている。
「私の家系の秘密。そして、私の本当の力について」
十二歳の誕生日の夜。リディアは祖母から家系の秘密を聞かされた。
『リディア、我が家には代々受け継がれる特別な血が流れている。それは闇の魔法を操る力——魔王の血脈だ』
『魔王の?』
『太古の昔、我が家の先祖は魔王と契約を結んだ。その契約により、我が家の女性は代々、強大な闇の魔力を受け継ぐことになった』
『でも、闇の魔法は禁術……』
『だからこそ、この力は封印しなければならない。決して使ってはいけない。この力を知る者は、必ず汝を利用しようとするだろう』
祖母の警告を胸に、リディアは長年その力を封印してきた。しかし、先日の魔族の侵攻の際、王国の危機を救うため、やむを得ず禁術を使用したのだ。
「そして、その力を知っていた者がいた……」
リディアの脳裏に、ロドリックの顔が浮かんだ。
『五年前の夜、私が寝言で魔法の詠唱をしていた時……ロドリックが聞いていた』
あの時、ロドリックは興味深そうに質問してきた。
『リディア、君の家系には特別な魔法があるのか?』
『いえ、ただの夢です』
リディアは慌てて誤魔化した。しかし、ロドリックの目には、既に狩人の光が宿っていたのかもしれない。
「まさか……最初から?」
リディアは震えた。全てが計算されていたのだとしたら。婚約も、愛の言葉も、全てが彼女の力を手に入れるための芝居だったのだとしたら。
「お嬢様、どうされました?」
エドワードが心配そうに声をかけた。
「いえ、何でもありません。行きましょう」
リディアは馬車に戻った。しかし、心の奥で復讐の炎がゆらめき始めていた。
* * *
国境の町で一夜を過ごした後、リディアは正式に王国から追放された。
「これでお別れです、お嬢様」
エドワードが涙を浮かべて言った。
「私も一緒に——」
「だめです」
リディアは首を振った。
「あなたには家族がいる。私のために全てを犠牲にすることはありません」
「しかし……」
「これは私の戦いです」
リディアは微笑んだ。
「必ず真実を明らかにします。そして……」
彼女の瞳に、冷たい光が宿った。
「相応の報いを受けてもらいます」
エドワードは何かを察したようだったが、何も言わなかった。
リディアは一人、隣国へと向かった。そして、人里離れた深い森の中で、ついに禁断の儀式を行った。
「来てください、我が血脈の主よ」
古代の詠唱が森に響く。空間が歪み、闇の中から巨大な影が現れた。
『久しいな、我が血族よ』
低く響く声。それは魔王ベルゼバブだった。
「契約を結びたい」
リディアは跪いた。
「私に力を。復讐を果たすための力を」
『フ……面白い。代償は何だ?』
「私の魂の半分を差し出します」
魔王は笑った。
『貴様の魂など、最初から我がものだ。だが、別の代償を求めよう』
「何を?」
『契約の代償として、貴様は永遠に闇の中を歩むことになる。光の世界には、二度と戻れぬ』
リディアは躊躇しなかった。
「構いません」
『よかろう。契約成立だ』
魔王の手がリディアに触れた瞬間、彼女の体内に眠っていた魔力が一気に解放された。髪が銀色に変わり、瞳は深い紅色に染まる。
「これが……私の本当の力」
リディアは立ち上がった。体内を駆け巡る魔力は、今まで感じたことのないほど強大だった。
『今の貴様なら、王国程度、容易く滅ぼせよう』
「いえ、滅ぼしません」
リディアは首を振った。
「私が欲しいのは、ただ一人の男の破滅だけです」
魔王は興味深そうに彼女を見つめた。
『復讐の女神となるか。面白い……』
その頃、王国では異変が起こり始めていた。
「殿下、大変です!」
ロドリックの元に、慌てふためいた部下が駆け込んできた。
「何事だ?」
「リディア様を陥れた証拠が見つかったという噂が広まっています!」
ロドリックの顔が青ざめた。
「何だと?」
「それに、魔族の侵攻を防いだのは実はリディア様だったという証言も……」
「黙れ!そんな戯言に惑わされるな!」
ロドリックは怒鳴ったが、内心では焦りを感じていた。
『まさか、リディアが生きて戻ってくるとは思わなかったが……』
彼の陰謀が暴かれる日が、着実に近づいていた。
* * *
追放から三ヶ月後、王国に奇妙な事件が相次いで起こり始めた。
「また貴族の屋敷が襲われました」
「今度はバートン伯爵家です」
「犯人の手がかりは?」
「全く……まるで影のように現れて消えていきます」
襲撃を受けた貴族たちには、ある共通点があった。全員が、リディアの断罪に賛成票を投じた者たちだったのだ。
「これは偶然ではない」
ロドリックは王宮の執務室で、苦々しい顔をしていた。
「殿下、まさか……」
「ああ、リディアだ。間違いない」
ロドリックは立ち上がった。
「だが、どうやって?彼女は追放されたはずだ。それに、こんな芸当ができるほどの力など……」
その時、執務室の窓が静かに開いた。
「お久しぶりですね、ロドリック」
美しい女性の声が響いた。しかし、その声は以前のリディアとは明らかに違っていた。
「リディア……」
ロドリックが振り返ると、そこには銀髪紅眼の美女が立っていた。
「随分と変わりましたね。でも、これが本当の私です」
リディアは優雅に微笑んだ。
「何の用だ?」
「用?」
リディアは首を傾げた。
「復讐に決まっているじゃありませんか」
「復讐だと?君が犯した罪に対する正当な処罰だったのだぞ!」
「罪?」
リディアの瞳が冷たく光った。
「私の罪は、あなたを愛したことですね」
「何を——」
「バートン伯爵が白状しましたよ。あなたから金を受け取って、偽証したことを」
ロドリックの顔が青ざめた。
「それに、マーカス子爵も、ダンテ男爵も……皆、あなたの指示で動いていたことを認めました」
「証拠などない!」
「あら、ありますよ」
リディアは手を翳した。すると、空中に光の文字が浮かび上がった。
「これは魔法で記録された音声です。あなたが貴族たちに指示を出している場面ですね」
ロドリックは絶句した。
「な、なぜ……なぜそんなことを?」
「あなたの口から聞きたいのです」
リディアは一歩近づいた。
「なぜ私を陥れたのか。なぜ私の力を狙ったのか」
「……」
ロドリックは沈黙した。
「答えないのですね。では、こちらから推測してみましょう」
リディアは優雅に椅子に座った。
「あなたは王位継承の権利を得るため、強大な力を必要としていた。そこで目をつけたのが、私の闇の魔法。しかし、その力を奪うには、まず私を無力化する必要があった」
「……」
「そこで、私を犯罪者に仕立て上げ、追放することで孤立させる。そして、契約か何かで力を奪い取るつもりだったのでしょう?」
ロドリックの表情が変わった。
「さすがだな、リディア。全て図星だ」
「やはり」
「だが、計算違いだった。まさか君が魔王と契約を結ぶとは思わなかった」
「知っていたのですね。魔王の血脈のことも」
「当然だ。君の家系について、徹底的に調べ上げた。そして、その力を我がものにしようと思った」
ロドリックは開き直った。
「愛など、最初からなかった。君は道具だ。王位を得るための道具でしかない」
リディアは静かに微笑んだ。
「ありがとう。それが聞けて、心の整理がつきました」
「今更後悔しても遅い。君はもう闇に堕ちた。光の世界には戻れない」
「ええ、その通りです」
リディアは立ち上がった。
「でも、私は後悔していません。この力で、あなたを完全に破滅させることができるのですから」
「何をする気だ?」
「あなたの悪行を、王国中に知らしめます。そして、王位継承権を剥奪させ、全てを失わせる」
リディアは窓に向かった。
「殺しはしません。死ぬより辛い屈辱を味わわせてあげます」
「待て!」
ロドリックが叫んだが、リディアは既に姿を消していた。
* * *
それから一週間後、王国は大騒動に包まれた。
「ロドリック王子の陰謀が暴露されました!」
「リディア・ヴァン・クロウフォード令嬢は無実だった!」
「王子が自ら令嬢を陥れていた!」
街中に響く民衆の声。リディアが集めた証拠は、王国の隅々まで広まった。
「これは……」
国王は玉座で、山積みの証拠書類を前に愕然としていた。
「ロドリック、これは本当なのか?」
「父上……」
ロドリック王子は、もはや言い逃れできなかった。
「リディア令嬢を陥れたのは、本当なのか?」
「……はい」
国王の顔が怒りで真っ赤になった。
「なぜだ!なぜそんなことを!」
「王位のためです!力が必要だった!」
「王位だと!」
国王は立ち上がった。
「王位とは民のためにあるものだ!己の欲望のために民を欺くような者に、王位を継がせるわけにはいかん!」
「父上……」
「ロドリック、汝の王位継承権を剥奪する!」
大広間がざわめいた。
「そして、リディア・ヴァン・クロウフォード令嬢に対する冤罪を正式に認める!直ちに名誉を回復し、追放令を取り消す!」
しかし、当のリディアは王国にはいなかった。
遠く離れた山奥の古城で、リディアは新たな生活を始めていた。
「お嬢様、王国から正式な謝罪と復帰要請が届いています」
忠実な召使いが、手紙を差し出した。
「不要です」
リディアは一瞥もせずに答えた。
「燃やしてしまいなさい」
「しかし……」
「私はもう、あの国の人間ではありません」
リディアは古城の窓から、遠くの山々を眺めていた。
「これからは、この力を正しく使う方法を学びます」
魔王との契約の代償で、彼女は光の世界から永遠に切り離された。しかし、それは同時に、誰にも縛られない自由を意味していた。
「復讐は終わりました。これからは、私自身のために生きていきます」
古城の図書館で、リディアは古代魔法の研究に没頭していた。闇の魔法を、破壊ではなく創造のために使う方法を模索していた。
「魔王様」
夜中、リディアは魔王を呼び出した。
『何だ?』
「契約の代償について、質問があります」
『ほう?』
「私は本当に、光の世界に戻れないのですか?」
魔王は笑った。
『光の世界とは何だ?』
「普通の人間として生きる世界です」
『愚かな。光と闇など、人間が勝手に決めた概念に過ぎん』
「どういう意味ですか?」
『貴様が善行を積めば、それは光だ。悪行を重ねれば、それは闇だ。魔法の属性など関係ない』
リディアは目を見開いた。
『大切なのは、貴様の心だ。闇の魔法を使おうとも、それが人のためならば、それは光となる』
「そうか……」
リディアは理解した。契約の代償とは、物理的な制約ではなく、精神的な試練だったのだ。
『貴様がどう生きるかは、貴様次第だ』
魔王は消えた。
リディアは微笑んだ。
「私の道は、私が決める」
* * *
一年後、辺境の村に一人の美しい治療師が現れた。
「先生、ありがとうございました!」
病気の子どもを治してもらった母親が、深々と頭を下げた。
「いえいえ、お気になさらず」
銀髪の美女——リディアは優しく微笑んだ。
彼女は今、偽名を使って各地を回り、病気の治療や災害の復旧に力を貸していた。闇の魔法を、人々を救うために使っていた。
「先生は、まるで天使のようです」
村の神父が感謝を込めて言った。
「天使なんて大げさです」
リディアは苦笑いした。
「私はただの魔法使いです」
しかし、心の中では別のことを考えていた。
『天使ではなく、悪魔の力を借りた堕天使かもしれませんね』
それでも、彼女は自分の道に迷いはなかった。
夜、一人で山道を歩きながら、リディアは空を見上げた。
「ロドリックは今、どうしているでしょうか」
王位継承権を失ったロドリックは、現在は辺境の領地で謹慎生活を送っているという。
「まあ、どうでもいいことですが」
リディアは肩をすくめた。
復讐は完了した。もう、過去に縛られる必要はない。
「魔王様、聞こえますか?」
『何だ?』
「私は正しい道を歩んでいるでしょうか?」
『それは貴様が決めることだ』
「そうですね」
リディアは微笑んだ。
「でも、一つだけ確かなことがあります」
『何だ?』
「契約の闇に飲まれても、私は私の光を失わない。これが私の選んだ道」
魔王は静かに笑った。
『その通りだ。貴様は立派な魔法使いになった』
リディアは歩き続けた。光と闇の境界線で、自分だけの道を。
彼女の新しい物語は、まだ始まったばかりだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。この作品では「光と闇」「善と悪」といった二元論的な価値観に対する疑問を投げかけたつもりです。リディアは確かに「闇の魔法」を使い、「魔王」と契約しますが、その力をどう使うかは彼女自身の意志によって決まります。復讐は確かに完遂しますが、それで終わりではなく、そこから新しい人生を歩み始める——そんな「再生」の物語として書きました。ロドリックのような「悪役」も、単純に悪いだけではなく、王位への渇望という動機があることで、立体的なキャラクターにしようと心がけました。読者の皆様はリディアの選択をどう思われるでしょうか。コメントやご感想をいただけると、とても嬉しいです。