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蓬莱の玉の枝・7

 ふたつの四手駕籠は小田原提灯を揺らしながら、夕暮れの本所の町を走る。

 曲がりくねる道でもないので、刹那は周りの景色を見ながら道程を推測した。


(さっき越えたのが南割下水、右に折れたから……横川の方に向かうのか)


 大川を離れ、内へ内へと向かっている。

 千代田の城(江戸城)に向かって縦に掘られた竪川、横に掘られた横川と、目印になる大きな掘が本所にはある。

 先をゆく次郎吉の駕籠は、それほど本所に詳しくない刹那にも分かりやすい道を通っていた。


(もしこの先で放られても、ひとりで帰ってこられそうだ。……帰らせてくれれば、だけど)


 駕籠に隠れた次郎吉の背を見やる。

 昨日は放蕩息子のいでたちであったが、今夜は上物の薄藍の袷に濃藍の綿入れと、まるで歌会にかよう通人のような装いだ。

 まだ幼さの残る彼の顔立ちに似合っていない。人のことは言えないが。


(あの匂い、確かに樟脳(しょうのう)だった)


 待ち合わせた次郎吉の着物からは、かすかに虫除けの薬の匂いがした。

 この男、ひと癖ある。

 刹那は静かに警戒の糸を張った。


(今日の目的は知らないが、人拐いの類いではないな)


 田舎者で人を信じやすい刹那とて、昨日初めて会った男を一から十まで信用したわけではない。

 料亭に行くのは、何かの口実だろう。

 身の、外傷の危険は少ない、と判断した。内臓の危険はもしかしたらあるかもしれないが。

 けれど、そこは医者。

 不老不死とまで噂される料理が何なのか、興味をそそられないわけがない。


(さて、何が出てくるか)


 昇天するほど美味い毒か、死ぬほど不味い会席料理か。

 心はわくわくしており、ふふ、と口元に笑みが乗る。

 刹那もしっかりと、千住の博徒の血を受け継いでいるのだった。



 武家の下屋敷がびっしりと建ち並ぶ本所は、日が落ちて人通りも少なく、寂しい風情の町だった。屋敷の辻々では形ばかりの年寄りの辻番がぼーっとしている。

 深川のような盛り場があるわけでもない。忘れた頃にぽつんと顔を出す夜鳴き蕎麦の屋台で、金のなさげな下級武士が数人、蕎麦をすすっていた。

 駕籠が向かう東の田畑はもう、闇のとばりが下りている。


「旦那」


 背後から声がかかったが、刹那は自分を呼ばれたとは思わなかった。


「なあ、本当にこの先まで行くのかい……?」

「え」


 それでやっと、駕籠かきの男が自分に尋ねているのだと分かった。借りた着物が良すぎるために、どこぞの旦那だと思われているのだろう。

 筵の隙間から、そろりと半分だけ顔を出し、うしろの駕籠かきに返事をする。


「あの……すみません、私は、行き先の場所を知らないのです。どこに向かうのか、兄さんたちはご存知ですか?」

「に、兄さん……?」


 呼ばれ慣れない敬称に、駕籠かきの男ふたりは数度まばたきをし、ついで鼻の下をのばした。

 夕暮れの両国広小路、立場(たてば)で駕籠を頼む連中は、親の金で遊んだ坊ちゃんや羽目を外して千鳥足になった親父などで、「おい駕籠屋」だの「てめえ」だのと下男のように呼ばれる。

 そういうムカつく客には、わざと担ぎ棒を揺らして乗り心地を悪くしてやるのだ。

 「兄さん」なんて呼ぶ上品な客など、会ったためしがない。

 ちなみに刹那は、知識や経験を教えてくれる年上の男を皆、兄さんと呼ぶ。佐治施療院の流儀である。

 上物の着物の美しい青年を、若旦那に身請けされた男妾か何かだろうと思っていた駕籠かきふたりは、筵に見え隠れする白いかんばせと怯えた風な(しと)やかな色気に、すっかり見惚れた。


(可愛い……)

(世間知らず……!)

(騙されてる……?)

(俺が守らなきゃあ……!!)


 ふたりの駕籠かきは、いいとこ見せようと、持てる知識を総動員した。


「この先の横川を越えたとこの、法恩寺って寺に向かってんだ。聞いたことねえかい?」

「法恩寺……ですか」

「そう、大権現さまより前に江戸を開いた、太田道灌さまの墓所がある寺さ!」

「前田さま田代さまの屋敷なんか目じゃねえぜ。広すぎて、本堂なんか見えやしねえ」

「その広すぎる寺は、周りぐるりと、うっそうとした林が囲んでるのさ……不気味なくれえに……」


 前の男が声を落とすと、うしろの男も低い声で続く。


「その辺りで、妙な提灯を見ることがあるんだよ……。けど、近づいていっても、いっこうに提灯には追いつけねえ……。近づいたと思ったら提灯は、ふっといなくなって、しばらくするとまた現れる……。いってえそれは、誰なのか……」

「追いつけない提灯……ですか」

「世に言う本所の七不思議、送り提灯の怪、ってな」


 七つできかない七不思議があると、刹那は柳水亭の隠居から聞いたことがあった。

 いわく、置いてけ堀、足洗い屋敷、馬鹿囃子……夏の夜には喜ばれそうな、ほんのり怖い怪談である。


「その舞台に向かっているんですね」

「怖くねえかい……?」

「怖いです」


 うすぼんやりと、提灯に照らされてる駕籠かきの顔の方が怖かった。


「怖えぇよなあ……。それに、ついこないだも、横川に人が放りこまれたって噂だしなあ……」

「え?」


 思わず刹那は声を上げた。

 駕籠かきは「怖がらせるつもりはねえんだけどよぉ」とニヤニヤ笑っているが、そんなことはどうでもいい。

 横川を流れ下ると、水は南割下水、竪川と交差する。それらはやがて大川に流れ出る。


(舟が行き来する大きな川だ。人ひとりくらい、どうとでも流れる)


 その放りこまれたのは、柳水亭の板前だった吉次ではないのか。

 大川に突き落されたのだと町方は柳水亭の女将に探りを入れたが、そもそも落ちたのが大川だったとは限らないのだ。見た者がいないのだから。

 吉次がこの辺りに来ていたのだとしたら。

 元板前の男が向かう先とは。


(……料亭……)


 刹那の胸がざわつく。

 吉次は何をしたのか、何を見たのか。何故、命を落とすことになったのか……。

 料亭『龍宮』が、答えを知っているかもしれない。


「着いたぜ、刹那さん」


 筵を上げて、次郎吉が提灯を差し出した。

 法恩寺の重厚な山門を過ぎ、辻に降り立つ。

 ふたりと駕籠かきたちの目の前には、暗闇に吸い込まれてゆく一本道と、法恩寺を囲む林の際にひとつ、ぽつんと浮かぶ提灯があった。



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