深川寺町怨面影・7
(何だろう、この者たちは?)
梅之助と桂馬は追いつ追われつ、仙台堀をまたぐ正覚寺橋に差しかかる。そこで、橋のたもとをうろつく浪人の集団を目にした。
様子がどうにも妙で、橋を渡りたいのか留まりたいのか、揃って太い支柱を撫で撫ですりすりしている。
桂馬が眉をひそめる。
「恋する者との待ち合わせだろうか」
「多分違うと思いますよ」
乙女か。
口には出さない梅之助である。
(橋に何か、仕掛けを……?)
浪人らは安物の派手な小袖を纏っており、不釣り合いなほど立派な刀も提げている。深川に数多いるチンピラ集団と思われるが、面々までは梅之助は把握していない。
(弥九郎なら詳しいだろうけど。これから喧嘩……にしても殺気がないな)
喧嘩待ち、恋人待ち、何を待っていたにしても、橋を渡りたい者たちは遠巻きにして、隅に寄りながら通るほかない。
桂馬がずい、と進み出た。
「貴様ら、皆の邪魔になっているのがわからぬか」
どこから来た正義感か、正論でチンピラに喰ってかかる。
梅之助はぎょっとした。できれば静かに事を探りたかったのに。
「道行く者に喧嘩を売るなら、我々が相手をしよう。我らは上野下谷、雷帝鬼神流道場、九門館師範、雲居梅之助と、師範代、奥野桂馬である!」
とんでもなく恥ずかしい。
梅之助は道行く人に「お騒がせしてます」と頭を下げつつ苦笑する。
当のチンピラ共は橋から離れる気配はない。そもそも喧嘩をする気がないように見えた。
「かかってこぬか!」
「桂馬さま、ちょっと下がっててください」
邪魔な男をわきに退け、梅之助は橋にすり寄るひとりに尋ねる。
「橋に、何か御用ですか?」
「うむ」
男は夢うつつな眼差しで、締まりのない唇がぼそぼそと動いた。
「橋を渡らねば、向こうへ行けぬ」
「そうだね」
「橋の内は、腐っておる」
「うん、そうだね」
「腐敗は、排除せねばならぬ」
「……どうやって?」
この正覚寺橋のことを言っているのではない、と梅之助は直感した。
深川、本所、両国のことを江戸市中の者は『橋向こう』と呼ぶ。あからさまに田舎とは言わないが、市中より格下、という暗喩である。
なので江戸の者にとって橋といえば、永代橋、両国橋などの隅田川にかかる橋のこと。
その内側の腐敗を排除すると浪人は言う。
それはつまり、江戸幕府に喧嘩を仕掛けるということだ。
男ひとり、集団ひとつの話だろうか。答えによっては大騒動になる予兆を孕む。
梅之助は気取られぬよう、身構える。
「火を、放つ」
「……!」
まだだ。動揺を悟らせるな。
梅之助はつとめて優しく、詰問を続ける。
「……私と同じ、永代橋に?」
かまかけである。
「俺たちは、山下御門に」
「山下御門は他の奴らが行ったよ。間違いではない?」
「俺たちは、山下御門……」
あとはそれを繰り返すばかりであった。
梅之助は息を吐く。
小さな声でよかった。こんなこと桂馬には聞かせられない。大声で吹聴しまくるだろう。
刷り込まれた文言を繰り返しただけだ。この男の意思ではない。梅之助はそう判断し、背後の桂馬へ振り返る。
「桂馬さま、お願いがあります」
「お前のお願いはやたら難しいからなぁ……」
渋るそぶりを見せた桂馬であったが。
「では、雷帝鬼神流師範として命ずる。奥野桂馬!」
正しく、青天の霹靂。
珍しいにもほどがある梅之助の怒声に、びしりと桂馬の背筋が伸びた。
「今すぐ奉行所に走り、山下御門を襲撃する賊がいると伝えよ! 一両日中に、江戸の全ての御門が襲われるかも知れぬ。お前はその足で門弟を率い、永代橋の両岸を見張れ。橋を賊から守護せよ! 死んでも護れ!」
「心得ましたあッ!!」
直角に辞儀を返すと、桂馬は江戸市中へと飛び去っていった。
ふう、と一芝居終えた梅之助が、頑張ってこしらえた眉間のシワを緩める。
「使えるなあ、この肩書き」
「頭ぁ、足が……っ!」
「気にすんな」
「でもっ」
「俺が気にしてねえから気にすんな!」
蛤町へと駆ける弥九郎の足からは、ぼたぼたと血が流れ落ち、道に赤黒い染みを残してゆく。
いくら化け物みたいな男でも、斬られて痛くないわけがないのに。手当てする間も惜しむ弥九郎に、無法組の若衆は悔しそうに目を歪める。
弥九郎は隣を走るその男に、にかりと笑いかけた。
「悪りィが、千住に走ってくれるか。意休が火遊びを始めたって言やぁ分かる。うちの師匠に伝えてくれ」
「わ、わかりましたっ」
医者にそんなこと伝えてどうすんだろう?
とは思っても今聞くことではない。若衆は弥九郎と分かれ、道を北へと替えた。
(これで千住の橋は問題ねえ)
足の痛みに歯を食いしばり、弥九郎は走る。
やくざが縄張りを護るとき、ことのほか大事にするのが橋である。
佐治施療院では朝の日課として、千住大橋を掃除する。各宿、十日ごとの回り番である。
「橋ってのは物流の要だ。変な奴が町に入ってこねえかも見張れる。何より、火事から逃げる避難路だ。振り袖火事みてえな悲惨なことにならねえようにな。だから毎日掃除するんだぜ」
刹那、弥九郎、梅之助は、陣内や兄弟子たちにそう教わって育った。
だから江戸に火を放たれると聞いて、三人が真っ先に動いたのは、橋を護るためである。
市中の門は役人に任せれば良い。火消もいる。
しかしそれは火が出てからの話。
火が出る前に事を収める。そのために三人は動いていた。




