深川寺町怨面影・2
ついてない人生を送ってきた男だった。
五つにもならぬうちに大工の父親が火事で死に、流行り病で母も死んだ。
奉公に出た店も、隣の店からのもらい火で焼けた。それで食いっぱぐれがない木挽き職についた。
人足として船にも乗った。着いた港町で地酒をあおり憂さを晴らせば、俺の人生も悪いことばかりでないと笑えた。
けれど、北国野代の港で人生を終わらせるほどの不運に見舞われた。
その月に降った雨は土をゆるゆる崩し、川の堤防を決壊させた。港に停泊していた十を超える船は濁流を逃れようと沖へ出たが、押し寄せた何百何千という丸太に一隻潰れ二隻潰れ、男の乗った船も潰された。
可愛がってくれた親方も仲間も皆、丸太にすり潰された。自分だけが何故だか丸太の上にいて、体中に傷は負ったが命は助かった。
野代の町は泥で埋まり、生き残った船乗りたちはどうにかこうにか、次の停泊港だった土崎に寄って医者の世話になった。
病床で毎晩うなされた。
丸太の上にいる自分を恨むような仲間の顔は、今もなお男を苛む。
何故、俺を助けない?
何故、お前も死なない?
そんな顔、顔、顔が、暗い波間に沈んでゆくのを見てきた。
生き残ったことは罪なのか。
生きたいと願う自分は悪人なのか。
俺は天の助けを得たのだ。もう海とも山とも関わりなく生きたい。そう願って何が悪い。
人助けをしていては、俺が死んでいたのだ……。
「義助、か……」
義理と人助けの義助。男は自分の名を嗤う。
今となっては、おそろしく皮肉な名であった。
台所に、まな板ふたつ。
ごとん、ごとん、とん、とん、とん。不規則で小気味よい音が鳴っている。
医者と絵描きが一心不乱に、甘藷(薩摩芋)を小間切れに刻んでいた。筆より重いものを持ったことがない絵描きが、腰を伸ばして悲鳴を上げる。
「はああ、腰にきますねえ、これ」
「そうですね……どれも太くて立派だし、硬いし」
芋の話である。
青物屋に走った刹那は、たまたま店で貧乏絵師の黒文字瓜実とはち合わせした。棄てる大根の葉っぱをタダでもらえないか交渉していたらしい。
太い芋を手に取りじっと吟味する美貌の青年に、店の親父がにやにやしている。赤く長大な芋が、なにやらヒワイなものに見えてくる。
「刹那先生、俺がそれ買ってあげますから帰りましょ」
「いえ、俺が使うものですから……」
「使うとか言わない!」
「?」
「兄ちゃん、太いのが好みかい」
「は、はい、太くて、美味しそう……です」
「美味しそうとか言わない!」
「俺の芋はもっと太いぜ、どうだい?」
「え、あの、あまり太いと大変そうな……」
「太いと大変とか言わない!」
芋の話である。
瓜実はさっさと親父に金を渡し、虫除けついでに手伝いを買ってでた。
三養堂の台所には、まな板がいくつかある。柔らかい杉板は普段使うもの。硬い松の板は、南瓜や胡桃、桃仁など、鉈や木槌を用いるもののときに使う。
刹那は松のまな板を瓜実に貸した。
「どうぞ、硬い方が切りやすいと思うので。ヤッパはこれで」
「ヤッパ……」
包丁のことである。
やくざは刃物全般をヤッパと呼ぶ。刹那は兄弟子たちから習った言葉はそのまま使う子であった。
なので寝込んだ若旦那などに往診に行って「貴方の命は強いですよ」と励まし、若旦那を前屈みにして帰ってきたりするのだ。
まな板に立派な芋を乗せて、包丁をぐっと押し当てる。刃は入らない。両手でぐりぐりと、押し切りにする。
「んっ、硬い……っ」
ごとん、と真っ二つになる芋。ふう、と息をつく。
「やっぱり太いと大変ですね、切るのが」
一連の流れにひゅっと脚を閉じる絵師であった。
ふたりの前に置かれた笊に、親指の爪ほどの大きさにされた芋が山を作る。小さすぎた気もするが、まんべんなく火を通すにはこれくらいでいいだろう。
竈門に鉄鍋をかけ、菜種油を少量入れる。
「天ぷらですか」
「いえ、天ぷらだと砂糖に合わないと思うので、甘露煮、のようなものにしようかと」
「ようなもの?」
梅や金柑の甘露煮は皮が身崩れを防ぐけれど、芋はくたくたに崩れてしまうだろう。
ならば炒り豆のようにして、砂糖を絡めるのはどうだろうか。花梨糖みたいになるかも、と刹那は考えた。
笊の芋を、ざっと鍋にあける。じゅわっと焼き芋の匂いが立ち込めた。もう美味しそうだ。
あっという間に火が通り、底の方の芋が鍋にへばりついてしまう。慌てて木べらでこそぎ取る。
「うわ、焦げついたっ」
「先生、少しだけ水入れましょうっ」
「お願いしますっ」
全体に油が絡むように混ぜると、芋がほくほくからカリカリになってきた。きつね色というやつだ。刹那はそこに、壺の砂糖を存分に加える。
「贅沢ですねえ」
「いっぱいありますから、いっぱい使わないと」
木杓子を五回往復させて、全体に砂糖をまぶす。さらに焦げつきやすくなったので手早くかき混ぜる。
溶けた砂糖はだんだんと飴になり、粘りが出てくる。固まってしまう前に、火から下ろした。
芋を二、三個箸で拾い、小皿に乗せて瓜実に差し出す。
「え、俺が一番で良いんで?」
「はい、お手伝い下さいましたし」
あつあつの芋を、瓜実は指でひょいと摘んで、口の中へ。
外側は砂糖がカリカリで甘く、中は芋の甘みでほくほくだ。
熱さで上顎を火傷しないようにしながら「おいひいでふ」と瓜実は笑顔になった。
刹那も食べてみる。
砂糖がしっかりと芋を包んで、芋の味を引き立ててくれている。子供はもちろん、大人も好むおやつができた。
大人も…………
「……あ」
最大の難関が立ちはだかった。
「どうしました?」
「……この芋、どうしましょう……」
砂糖の消費は解決したが、芋の消費という新たな問題が生まれてしまった。とてもふたりで食べ切れる量ではないのだ。
「なんだ、それなら」
何でもないことのように、瓜実が膝を打つ。
「長屋の連中に食ってもらいましょうよ」




