ごはんのお供の小咄
三養堂さんからは、たまに恐ろしい臭いがする。
薬だと思いたい。
羽州から江戸に出てきたという長尾刹那先生は、若い時分から町医者三養堂を始められて、あっという間に深川蛤町一番との評判をとりなすった。
俺みたいな、長屋の店賃もぴーぴー言いながら払ってる貧乏絵描きなんかより、よっぽど立派だ。
見立てがまっとうで優しくて、何より、水もしたたるいい男。
いや、美人といった方がしっくりくる。
欠点といやぁ、人見知りがひどくて、俺ら裏の長屋の連中とほとんど喋らないことくらいだ。
はじめの頃は、刹那先生の噂をきいた娘さんがたが、そりゃもうひっきりなしで三養堂を訪れてた。本当に治療かも怪しいもんだったが。
最近ぱったりなのは、その恐ろしい臭いのせいじゃねえかと俺は思っている。
その日は長屋の全員が悶絶してる。何というか……ゲテモノを煮てる臭い。鼻が曲がるどころか一回転して背中に着く勢いの悪臭だ。
いったい何の臭いなんだか気にはなるけど、正体を知るのが怖くて誰も聞けないでいるのだ。
今朝はなんだか妙だった。
前栽売りから大根を買おうとしたら、
「悪いな、そこの店の兄ちゃんに全部売っちまったんだ。茄子ならあるけどよ」
「え、三養堂さんがかい?」
男三人暮らしとはいえ、大根そんな食う?
「じゃあ仕方ないか。明日買うよ」
「茄子どうだい茄子うまいぜ茄子」
「ごめん、味噌汁は大根派なんだ」
「てめえ俺の茄子が食えねえってのかオウ」
「あーれー、この大根茄子売りの人、暴力的ー」
「騒ぐんじゃねえ。ちっ、今日は勘弁してやる」
よく商売やってんなこの人。
どうにか茄子売りを撃退したが、刹那先生の大根あさりが気になる。
豆腐と納豆を棒手振りから買って、つましい朝飯をすませると、仕事に取りかかる。
今もらっている仕事は、怪談の挿絵だ。
平家の落人の家に伝わる刀が、毎年ある日が近づくとカタカタと震えだし、大根を斬って震えを鎮める、という。
今日は大根に縁があるな。
手元に大根があったら、葉っぱがわさわさして、幽霊の振り乱したざんばら髪に見えたかも。
ああ、そうなるとやっぱ欲しいな大根。
刹那先生もう切っちゃったかな。一本貸してくれないかな。駄目元で頼んでみようか。
ぶしつけなお願いをしに、三養堂さんの表に回る。
一応、着たきりすずめの一張羅に米つぶとかくっついてないか確認する。できるだけシワものばして、と。
「御免下さーい……」
まだ店を開けてないのか、返事がない。
裏にいるのかな。でもさすがに、裏口から入るのはなあ……。
診療待ち用の床几が置かれた前土間を過ぎて、裏の台所に続く通り庭へ。何か、わさわさ音がする。
「刹那先生?」
「ふぁいっ!?」
どさどさどさ。
ひっくり返った声に、ひっくり返った笊の山。
たすき掛けした刹那先生が、足元を笊で埋め尽くし、空き巣に遭った目で固まっている。
いや、確かに空き巣と同じことしてるけどな!
「……だれ……?」
ぷるぷるしてる!
なんか泣きそう!
罪悪感!
「すみません! 返事がなくて、勝手に入っちゃいました、すみませんっ!」
「……あ、えーと、長屋の……」
「クロモジです、絵師やってる黒文字瓜実ですっ」
人見知りなのに、一度大家さんと挨拶に回ったからか、俺のことを覚えててくれた。良かった、空き巣の疑いは晴れた。
泣きそうな顔は明らかにほっとしたものに変わって、恥ずかしそうに笊を拾う。
「こちらこそ、すみません……。作業に夢中で、聞こえてなかったようで」
と、笊に隠れていた大根を目で指す。
俺も訪問理由を思い出した。
「あの、大根を大量に買ったと伺ったんですが」
「あ、はい……」
「……どうやって食べるんですか?」
違うだろ俺!
資料のために一本貸してほしくて来たんだろ!
しかし、大量の大根をどうするのか知りたいのも事実。そして何故、笊と格闘してるのか。
空き巣みたいにやってきて大根の活用方法を訊いてくる俺に、刹那先生はびくびくしながら、
「冬の備えに、干します」
と教えてくれた。
大根を干すのが刹那先生の趣味らしい。……趣味っていうのかなそれ。
大根を薄い輪切りにして、重ねて細く切って、笊にぱらぱらと敷き詰めて三日ほど天日干しをする。
切り干し大根というやつだ。自分で作ってる人、初めて見た。買うと高価いもんなあ。
でも、何でそんなに大量に。
「冬に他の青物は食べないんですか?」
「冬は青物ないでしょう」
「ありますよ、小松菜とかセリとか、里芋とか」
刹那先生は目をぱちくりさせた。ついで、ぽぽぽ、と頬を赤く染めてゆく。
「……恥ずかしい…………」
「いや! あの! 雪積もるとこはそうですよね、俺が辱めた感じになってごめんなさい!」
こんなとこ、同居のチンピラ……もとい弥九郎さんにでも見られたら、俺は簀巻きにされて隅田川にボーンだ。
大根大量天日干しは、羽州にいた頃からの習慣だそうな。
冬の前に、鮭や鰯、茸など様々なものを干したり塩漬けにして保存しておかないと、食べるものがなくなるのだという。
刹那先生は懐かしむように、自嘲のように、ふわりとほほ笑む。哀しい微笑だった。
どうして江戸に出てきたのか訊いたことはないけど、訊かない方がいいこともある。
「一年のうち、半分近くは雪に覆われますから……畑のものは育たないし、人や物の往来も途絶えます。だから……」
「そうでしたね。羽州は……飢饉が多いんでしたよね、すみません」
大根を干すのは、生きるための作業だ。
青物市場や魚河岸、米蔵、全国から食べるものが集まる江戸ではあり得ない話だ。どれだけ江戸が恵まれているかが分かる。
「あの、……大根、私が買い占めてしまったんですよね。すみません」
俺の訪問理由を察したらしい刹那先生が、大根を一本、俺に差し出す。
「どうぞ。お詫びと言っては何ですが」
「いえいえ! 先生が買ったものでしょ。俺は別に明日でもいいんですよ」
たまたま大根を思いついただけで、味噌汁の具はしじみでもアサリでもかぼちゃでもいいのだ。幽霊なんか、ついでのついでだ。
受け取らない俺に、刹那先生は「では、代わりに」と包丁を手に取る。
「ごはんのお供を、おすそ分けさせて下さい」
夢じゃなかろうか。
刹那先生が俺の飯のために、台所に立っている。
世の娘さんがた、申し訳ない。俺は今、新婚さん気分を味わっている。
大根を短冊に刻んで、さらしで軽く水気を切る。
油揚げも湯通ししてから、細長く切っておく。
鉄鍋に胡麻油を落として熱してから、大根をざっと入れた。
「え、大根を炒るんですか?」
「その方が、水気が飛んで、味が染み込むんです」
料理をはじめた刹那先生は、最初の人見知りが嘘のように楽しげに喋る。
酒と砂糖を少量と、鍋肌に醤油を回しがけ。じゅっ、と焦げた醤油の匂いがもう、たまらない。
きっと今、長屋の皆が、この匂いにうっとりしている。最高のごはんのお供だ。新婚さん万歳。
「どうぞ。ごはんに混ぜてもいいですし、酒のお供にもいいと思います」
刹那先生の手には、小ぶりの丼。
中には、できたての大根と油揚げの煮つけが!
「他の皆さんにはないしょです」
と、唇の前で人差し指を立てる。
めっちゃ嬉しい!
近所付き合いが嫌いな人なのかなと思ってたけど、人見知りなだけで、こんなに喋ってくれる人なんだ。。
ないしょと言っても、匂いでばれてると思うけどね!
そうだ、この流れで、訊いてみたらどうだ!? あの災害級の臭いの正体を!
「あのっ、先生!前からお聞きしたかったことが!」
「は、はい、何でしょう……」
「たまにですけど、すんごい臭いする時ありますよね? ゲテモノ……いや失礼、何かを煮てると思うんですけど……何を煮てるんですか?」
「ああ、熊でしょうか」
「……え?」
「熊の肉を酒で、煮るんですけど……」
「……手に入るもんなんですか?」
「まぁ……師匠のつてで……。熊の胆嚢が、高級漢方薬の原料になりますので……解体ついでに肉をもらって来るんです。羽州にいた頃は、雨の日に外で三日ほど煮たりしたんですが……き、気になりますか……?」
「…………少し……」
「……慣れたら、美味しいです、よ……?」
上目遣いで熊肉を勧めてくる美人。
これは、食わなければ隅田川にボーンされる案件だろうか……。
羽州怖い……。
調理参考:友人の父ちゃんのレシピ。




