表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
25/44

ごはんのお供の小咄

 三養堂さんからは、たまに恐ろしい臭いがする。

 薬だと思いたい。


 羽州から江戸に出てきたという長尾刹那先生は、若い時分から町医者三養堂を始められて、あっという間に深川蛤町一番との評判をとりなすった。

 俺みたいな、長屋の店賃もぴーぴー言いながら払ってる貧乏絵描きなんかより、よっぽど立派だ。

 見立てがまっとうで優しくて、何より、水もしたたるいい男。

 いや、美人といった方がしっくりくる。

 欠点といやぁ、人見知りがひどくて、俺ら裏の長屋の連中とほとんど喋らないことくらいだ。


 はじめの頃は、刹那先生の噂をきいた娘さんがたが、そりゃもうひっきりなしで三養堂を訪れてた。本当に治療かも怪しいもんだったが。

 最近ぱったりなのは、その恐ろしい臭いのせいじゃねえかと俺は思っている。

 その日は長屋の全員が悶絶してる。何というか……ゲテモノを煮てる臭い。鼻が曲がるどころか一回転して背中に着く勢いの悪臭だ。

 いったい何の臭いなんだか気にはなるけど、正体を知るのが怖くて誰も聞けないでいるのだ。



 今朝はなんだか妙だった。

 前栽売りから大根を買おうとしたら、


「悪いな、そこの店の兄ちゃんに全部売っちまったんだ。茄子(なす)ならあるけどよ」

「え、三養堂さんがかい?」


 男三人暮らしとはいえ、大根そんな食う?


「じゃあ仕方ないか。明日買うよ」

「茄子どうだい茄子うまいぜ茄子」

「ごめん、味噌汁は大根派なんだ」

「てめえ俺の茄子が食えねえってのかオウ」

「あーれー、この大根茄子売りの人、暴力的ー」

「騒ぐんじゃねえ。ちっ、今日は勘弁してやる」


 よく商売やってんなこの人。

 どうにか茄子売りを撃退したが、刹那先生の大根あさりが気になる。

 豆腐と納豆を棒手振りから買って、つましい朝飯をすませると、仕事に取りかかる。

 今もらっている仕事は、怪談の挿絵だ。

 平家の落人の家に伝わる刀が、毎年ある日が近づくとカタカタと震えだし、大根を斬って震えを鎮める、という。

 今日は大根に縁があるな。

 手元に大根があったら、葉っぱがわさわさして、幽霊の振り乱したざんばら髪に見えたかも。

 ああ、そうなるとやっぱ欲しいな大根。

 刹那先生もう切っちゃったかな。一本貸してくれないかな。駄目元で頼んでみようか。

 ぶしつけなお願いをしに、三養堂さんの表に回る。

 一応、着たきりすずめの一張羅に米つぶとかくっついてないか確認する。できるだけシワものばして、と。


「御免下さーい……」


 まだ店を開けてないのか、返事がない。

 裏にいるのかな。でもさすがに、裏口から入るのはなあ……。

 診療待ち用の床几が置かれた前土間を過ぎて、裏の台所に続く通り庭へ。何か、わさわさ音がする。


「刹那先生?」

「ふぁいっ!?」


 どさどさどさ。

 ひっくり返った声に、ひっくり返った(ざる)の山。

 たすき掛けした刹那先生が、足元を笊で埋め尽くし、空き巣に遭った目で固まっている。

 いや、確かに空き巣と同じことしてるけどな!


「……だれ……?」


 ぷるぷるしてる!

 なんか泣きそう!

 罪悪感!


「すみません! 返事がなくて、勝手に入っちゃいました、すみませんっ!」

「……あ、えーと、長屋の……」

「クロモジです、絵師やってる黒文字瓜実(くろもじうりざね)ですっ」


 人見知りなのに、一度大家さんと挨拶に回ったからか、俺のことを覚えててくれた。良かった、空き巣の疑いは晴れた。

 泣きそうな顔は明らかにほっとしたものに変わって、恥ずかしそうに笊を拾う。


「こちらこそ、すみません……。作業に夢中で、聞こえてなかったようで」


 と、笊に隠れていた大根を目で指す。

 俺も訪問理由を思い出した。


「あの、大根を大量に買ったと伺ったんですが」

「あ、はい……」

「……どうやって食べるんですか?」


 違うだろ俺!

 資料のために一本貸してほしくて来たんだろ!

 しかし、大量の大根をどうするのか知りたいのも事実。そして何故、笊と格闘してるのか。

 空き巣みたいにやってきて大根の活用方法を訊いてくる俺に、刹那先生はびくびくしながら、


「冬の備えに、干します」


 と教えてくれた。



 大根を干すのが刹那先生の趣味らしい。……趣味っていうのかなそれ。

 大根を薄い輪切りにして、重ねて細く切って、笊にぱらぱらと敷き詰めて三日ほど天日干しをする。

 切り干し大根というやつだ。自分で作ってる人、初めて見た。買うと高価いもんなあ。

 でも、何でそんなに大量に。


「冬に他の青物は食べないんですか?」

「冬は青物ないでしょう」

「ありますよ、小松菜とかセリとか、里芋とか」


 刹那先生は目をぱちくりさせた。ついで、ぽぽぽ、と頬を赤く染めてゆく。


「……恥ずかしい…………」

「いや! あの! 雪積もるとこはそうですよね、俺が辱めた感じになってごめんなさい!」


 こんなとこ、同居のチンピラ……もとい弥九郎さんにでも見られたら、俺は簀巻(すま)きにされて隅田川にボーンだ。


 大根大量天日干しは、羽州にいた頃からの習慣だそうな。

 冬の前に、鮭や鰯、茸など様々なものを干したり塩漬けにして保存しておかないと、食べるものがなくなるのだという。

 刹那先生は懐かしむように、自嘲のように、ふわりとほほ笑む。哀しい微笑だった。

 どうして江戸に出てきたのか訊いたことはないけど、訊かない方がいいこともある。


「一年のうち、半分近くは雪に覆われますから……畑のものは育たないし、人や物の往来も途絶えます。だから……」

「そうでしたね。羽州は……飢饉が多いんでしたよね、すみません」


 大根を干すのは、生きるための作業だ。 

 青物市場(やっちゃば)や魚河岸、米蔵、全国から食べるものが集まる江戸ではあり得ない話だ。どれだけ江戸が恵まれているかが分かる。


「あの、……大根、私が買い占めてしまったんですよね。すみません」


 俺の訪問理由を察したらしい刹那先生が、大根を一本、俺に差し出す。


「どうぞ。お詫びと言っては何ですが」

「いえいえ! 先生が買ったものでしょ。俺は別に明日でもいいんですよ」


 たまたま大根を思いついただけで、味噌汁の具はしじみでもアサリでもかぼちゃでもいいのだ。幽霊なんか、ついでのついでだ。

 受け取らない俺に、刹那先生は「では、代わりに」と包丁を手に取る。


「ごはんのお供を、おすそ分けさせて下さい」



 夢じゃなかろうか。

 刹那先生が俺の飯のために、台所に立っている。

 世の娘さんがた、申し訳ない。俺は今、新婚さん気分を味わっている。

 大根を短冊に刻んで、さらしで軽く水気を切る。

 油揚げも湯通ししてから、細長く切っておく。

 鉄鍋に胡麻油を落として熱してから、大根をざっと入れた。


「え、大根を炒るんですか?」

「その方が、水気が飛んで、味が染み込むんです」


 料理をはじめた刹那先生は、最初の人見知りが嘘のように楽しげに喋る。

 酒と砂糖を少量と、鍋肌に醤油を回しがけ。じゅっ、と焦げた醤油の匂いがもう、たまらない。

 きっと今、長屋の皆が、この匂いにうっとりしている。最高のごはんのお供だ。新婚さん万歳。


「どうぞ。ごはんに混ぜてもいいですし、酒のお供にもいいと思います」


 刹那先生の手には、小ぶりの丼。

 中には、できたての大根と油揚げの煮つけが!


「他の皆さんにはないしょです」


 と、唇の前で人差し指を立てる。

 めっちゃ嬉しい!

 近所付き合いが嫌いな人なのかなと思ってたけど、人見知りなだけで、こんなに喋ってくれる人なんだ。。

 ないしょと言っても、匂いでばれてると思うけどね!

 そうだ、この流れで、訊いてみたらどうだ!? あの災害級の臭いの正体を!


「あのっ、先生!前からお聞きしたかったことが!」

「は、はい、何でしょう……」

「たまにですけど、すんごい臭いする時ありますよね? ゲテモノ……いや失礼、何かを煮てると思うんですけど……何を煮てるんですか?」

「ああ、熊でしょうか」

「……え?」

「熊の肉を酒で、煮るんですけど……」

「……手に入るもんなんですか?」

「まぁ……師匠のつてで……。熊の胆嚢が、高級漢方薬の原料になりますので……解体ついでに肉をもらって来るんです。羽州にいた頃は、雨の日に外で三日ほど煮たりしたんですが……き、気になりますか……?」

「…………少し……」

「……慣れたら、美味しいです、よ……?」


 上目遣いで熊肉を勧めてくる美人。

 これは、食わなければ隅田川にボーンされる案件だろうか……。

 羽州怖い……。



調理参考:友人の父ちゃんのレシピ。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ