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恋鞘当三本勝負・4

「あれ、煎じ薬だぞ」

「え?」


 蛤の貝殻につめた赤黒い軟膏を、傷や打ち身に効くとして、お十美の店、薬種問屋三ツ葉屋に置いてもらった梅之助である。

 塗る薬として調薬したのだが、刹那に衝撃の事実を聞かされた。


「梅というか、烏梅(うばい)を使う」

「うばい」


 青梅を(いぶ)して乾燥させたものである。いぶりがっこみたいな作り方で作られる。梅之助は「聞いたことあるような」という顔をしている。

 捨松も、この薬を「いいんじゃない?」と笑っていたのだけど。あ、笑ってたなそういえば。師匠とそっくりな黒い笑い方で。


「鎮痛には、烏梅を煎じて飲む。傷には山梔子(さんしし)の粉末を軟膏にしたりだ。あとは、梅酒を染み込ませた布を打ち身や火傷にあてるというが、俺はやったことないな。もったいないし」

「青梅なかったから梅干しを使ったんだけど、まずかったのかな」

「……塩と梅の酸を、傷口に擦り込むことになるんだよな」

「あ」


 原料しか合ってなかった。そもそも作業内容が大幅に違った。


「…………」

「…………」 


 ふたりは神妙な面持ちで、それを買った被害者に、主に奥野桂馬に思いをはせる。傷に塩をもみ込む……想像しただけで痛い。


「…………置いてもらっちゃったものは仕方ないよね。迷惑料迷惑料」

「そ、そうだな。迷惑料迷惑料」


 刹那は聞かなかったことにした。というか自分の悪ノリもあったので、口を(つぐ)むことにした。

 こうして江戸に迷医と迷薬が増えてゆく。




 梅之助が鰻重を三つ、土産に要求したら、お十美は気前よく金を払ってくれた。迷惑料、便利な言葉である。乳母は渋い顔をしていたが。

 おかげで今夜は鰻を囲んで、はしゃぎながらの夕餉となった。

 ふっくらこんがり、焼き目がついた肉厚の鰻は、残暑のだるさを払拭する美味さだ。山椒の効いた甘辛い醤油だれが下の飯にもたっぷりしみ込んで、箸が止まらない。

 鰻の席で梅之助は、不破伴左衛門との決闘の顛末を語って聞かせた。

 弥九郎は「何でそんな面白そうな喧嘩に俺を呼ばねえ!」と怒り、刹那は「何で見届けに俺を呼ばない! 相手が阿呆になったらどうするんだ!」と怒る。梅之助が負ける心配は微塵もしていない。

 しかし、お十美の境遇には、ふたりとも眉をひそめた。

 大店の娘にしては不可解な縁組なのだ。許嫁候補が三人もいるのが、そもそもおかしい。

 刹那は首をかしげる。


「冷遇……とは言わないんだろうが、それをして家に何の得があるんだ?」

「うん、冷遇じゃあないと思うんだよね。好きに金を使うし、きっちり世話役の乳母もついてくる。本人も縁組に不満はあっても、家への不満はないみたいだし」

「その点だけなら、ただの甘やかされすぎにも見えるんだがな」

「ただ娘が出ていくだけ、って、ねえ」

「なら、あれじゃねえの? 旦那と男妾(めかけ)


 いち早く食べ終えた弥九郎の、茶をすすりながらの戯言に、刹那と梅之助はむせた。

 もはやお十美は関係なく、三ツ葉屋の主が男好きである可能性だ。

 不破伴左衛門が男と睦み合う姿を想像した梅之助は、遠い目で天井を仰ぐ。


「あー……それは…………考えの外だったなあ……」

「侍も坊主も、稚児だの寺小姓だの囲うだろ。人の色好みなんざ複雑怪奇だ」

「……鰻って、雌雄同体だというよな…………いや、何でもない……」


 刹那はあさっての方向に話を変えようとして失敗した。

 年下ふたりが困り果てるのを眺めて楽しむ弥九郎である。そしてそれは残念なことに、あり得ない商売ではない。


「世の旦那の全部じゃあねえだろうが、ひと月いくらで妾を囲ってる旦那なんざいくらでもいるぜ。大店ならそんなの端金(はしたがね)だろ」


 妾とは商売である。遊女のように店に置かれるのでなく、未亡人や遊女上がりの三味線の師匠など、亭主を持たない女がこっそり務める。といって、それは女しかやってはいけない、という決まりもない。

 武家にしても、次男三男がぐれて暴れて尻拭いをさせられるより、妾商売をしてくれた方がまだ良いのではなかろうか。


「粋な黒塀、見越しの松、その内によもや男がいるとは、知らぬは妻子ばかりなり、ってな」

「もういいもういい」

「聞きたくない聞きたくない」

「そのお十美ってのを隠れみのに、親父が三人の男妾を囲ってても不思議じゃあ……と思ったが、これはねえな」


 さんざん盛り上げておいて、弥九郎はあっさりと自分の説を否定した。

 耳を傾けていたふたりは、半分どうでもよかったが、それでも「何故わかる?」という目線を向ける。


「親父と娘がきょうだいになっちまう」

「うん、心底どうでもいいね」

「危なかった、納得しかけた……」


 その線は棄てることにした三人であった。

 顔も合わせたことのない相手との縁組は珍しくはない。けれど、今回ばかりはどうもしっくりこない。

 大店とはいえ、旗本家の方が庶民に選り好みされているのだ。無礼にもあたるだろうに、何故、三ツ葉屋は対等にふるまえるのか。弱みでも握っているのだろうか。


「まあ、鰻にありつけるんだから、三本勝負きっちり受けろや」

「私の決闘は鰻のついでかい?」

「ご馳走さま。また頼むぞ」

「せっちゃんまで!?」


 鰻の脂を二杯目の茶で流し、ふう、と一息つく。贅沢は毎日するものではない。たまにしかしないから、有難(ありがた)みがわく。

 お十美のわがままは、上げ膳据え膳のように許嫁を三人もととのえられて、有難みを失った末の破談計画だろう。梅之助を巻き込んで、自分の思うような許嫁を選びたいのだ。

 出世の見込みもない旗本の三男坊やらに嫁がせる親の心は、子を谷に突き落として鍛える獅子の気持ちなのやも。良い方に考えれば、ではあるが。


「それで、あとふたり、か」

「うん。名古屋山三(なごやさんざ)葛城丹前(かつらぎたんぜん)、だね」


 お十美にきけば、残りのふたりは共に剣術道場の主だという。家の敷地の離れに、なけなしの道場を構えているのだとか。

 伴左衛門のように人のできた男だとよいが、為人(ひととなり)を先に下見しておいて損はない。もし本当にお十美をもらうつもりなら、梅之助が勝ってしまうとまずいだろう。


「負けてやる気はあるのか?」


 梅之助が勝つことを疑いもせず刹那が聞けば、


「相手次第かな。もしものときは治療をお願いするよ。せっちゃんの薬で」


 ほにゃんとした笑みの中に、少しだけやる気が湧いていた。





 名古屋山三の聞き込みは弥九郎が引き受け、刹那は薬種問屋の繋がりから、お十美の実家、三ツ葉屋の評判を探る。

 梅之助は、湯島の御家来屋敷へ葛城丹前の道場を訪ねることにした。

 別にお十美が気の毒だからとか、助けてあげたいなどとは思わない。単に、乗りかかった舟の底に良くないものが隠されている、そんな気持ち悪さを取り除きたいからである。


(気持ち悪いといえば)


 梅之助は、自分を()けてくる男がいるのを察していた。

 不破伴左衛門との決闘のときから、ずっと付かず離れずで見張られている。その格好がどうも、奥野桂馬に塩を塗ったとき着ていたものと同じに見えるのだが。というか奥野桂馬だろあれ。


(やはり報復、かな。今はやめてほしいんだけどなぁ……)


 なにしろ尾行が下手なのだ。

 そっと振り向けば、でかい体をびくりとさせて隠れ場所をあたふた探し、菓子屋などに飛び込んで身を隠す。いち、にい、さん。ひょこっと顔を出す。目が合う。隠れる。その調子である。

 本当やめてほしい。

 旗本家の様子を探ろうというときに、あの調子でうろつかれては、怪しんで下さいと宣伝しているようなものだ。


(仕方ない、帰ってもらうしかないか……)


 桂馬に話をつけようと梅之助が振り向こうとしたとき、向かいの小路から知った顔が出てきた。

 お十美の乳母、お兼であった。

 店の使いだろうか、上質な着物に、艶やかな金の蒔絵の入った櫛を品よく髪に刺している。

 涼やかな青い紫陽花をあしらった風呂敷包みを手に、梅之助の視線に気づく様子もなく、見届けのときのような無関心顔で去ってゆく。

 出てきた小路は湯島天神に延びる道だ。参拝や遊山の名所でもある天神社の周りは、高級な茶屋が並び、裕福な屋敷も……

 梅之助は迷わず、桂馬に駆け寄った。

 蕎麦屋の看板に隠れた、隠れきれてない袖を引っつかむ。


「お願いがあります、桂馬さま」

「え、ええっ!?」


 何故ばれた、という顔をしている。無視した。


「わけは後日。調べてほしいことがあります」


 有無を言わさず小声で指図する。


「そこの小路に、お兼という女が住む屋敷があると思います。他に一緒に住む者がいるのか、お兼の評判や出入りする者がいるか、それとなく周りに尋ねて頂きたいのです。何故そんなことを知りたいのかと訊かれたら、後妻に迎えたい旦那がいるとでも」

「多い! やること多い!」

「私もこれからやることがありますので。お互い首尾よく行きましたら、明日、私の屋敷へお出で下さいませ」


 雲居家へ、と聞いて、桂馬は顔を引きつらせた。

 苦い思い出のある場所である。あれからずっと、屋敷の前を通ることさえ避けてきた。

 卑怯者と、家の中から指をさされている心地になる。自分と家の面子を守るために差し向けた刺客も、雲居家が雇った用心棒らに返り討ちにされた。

 自業自得であるのは分かっている。しかしもう梅之助と正面から口をきくなど、剣術『仲間』と名乗るなど、できないと思っていた。


「家に、行っていいのか」


 桂馬の問いに、梅之助はきょとんと答えた。


「え、ではどこで桂馬さまを待てばよいですか?」





「馬鹿な……俺の轟天怒涛流が、こんな貧乏御家人にっ……!!」


 葛城道場の門弟たちが、床に寝そべる師範を囲んで、極悪人でも見るように憎々しげに梅之助を仰ぐ。

 葛城丹前は歯ぎしりしつつ、板床に拳を打ちつけた。びりりと床が軋む。


「真剣だ、真剣での勝負なら、俺が負けるわけがないっ!!」

「ご心配なさらず、私は道場破りではありません。お手前に勝ったことは誰にも言いませんから。……ただ」


 丹前の喉元に木刀を突き付け、梅之助は静かに言い渡す。


「お十美さんを殺すなら、私も本気を出しますよ」



今さらですが、本作に登場する薬は薬草図鑑等を参考にはしていますが、効能を保証するものではありません。決して製造したり転作したりしないで下さい(本当今さらですが)

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