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恋鞘当三本勝負

「梅之助さん、お早いお帰りを」

「はい、行って参ります、義姉(あね)上」


 梅之助は兄嫁の(りつ)に、ほにゃんと笑顔で風呂敷包みを手渡されると、ほにゃんと笑って返す。近所でも評判のなごみ義姉弟(きょうだい)である。

 ちなみにここは裏口であり、ふたりはひそひそと声を交わす。


「ではくれぐれも、重左衛門には内緒で」

「心得ておりますよ」


 外出を知られたくない梅之助であった。

 理由は。


「む、梅之助さま! どちらへお出掛けで!?」

「ああー……見つかった……」

「よもや、千住ではございませんでしょうな?」


 用人の雄島重左衛門に止められるからである。




 雲居家の役宅は、上野寛永寺のふもと、下谷(したや)にあった。

 茶屋や料亭が不忍池と向かい合う背後に、下級武士の米粒ほどの屋敷がみっちみちに詰まっている。その中のひとつである。

 暇を持て余す貧乏御家人の次男坊がどこに行こうが、たいていの家は放任するが、重左衛門は違う。


「あのような輩に近付くものではございませぬ!」


 千住の佐治施療院を、重左衛門は初対面以来、目の敵にしている。

 無頼者の分際で、梅之助のために腹を斬れるかなどと彼を試し、笑いのたねにしおった輩だ。若君の命の恩人には違いないが、それを差し引いてもまだ業腹が続いているらしい。


(だからこっそり行きたかったのに)


 出鼻をくじかれた梅之助はしおしお眉を下げる。

 心配してくれるのは嬉しいが「あの子と遊んじゃいけません」なんて、二十二にもなった男に言うのはさすがに勘弁してほしい。


「今の彼らは宿なしの無頼者じゃないよ。腕のある医者に教えを請うのの、何がいけないんだい?」


 あのときだって、お前の切腹を止めてくれたんだからいいじゃないか。いくら諭しても、重左衛門は聞き入れない。


「いいえ! 奴らは医者の肩書きを利用して根城がほしいだけ。間違いなく、今でも無頼です!」

「そうだけどね」

「そうだけどね!!?」

「別に私が無頼になるわけじゃなし。大丈夫大丈夫。じゃ」

「それがしは認めませんぞおおぉ!」


 重左衛門も今ではすっかり白髪頭となったが、白髪になる前から続くやり取りである。むしろ白髪が増えた原因にはなったかもしれない。




 雲居剣術道場にて、十歳の梅之助が二十人の道場仲間との腕試しを制した。

 あまりの衝撃に、内容を聞いても大げさな作り話だと取り合わない者がほとんどだった。面倒なことにならずに済んで、雲居家は胸を撫で下ろしたが、当の二十人の家とはそれ以来疎遠である。

 この事件の責任を取り、父の藤兵衛は離れに隠居、七つ上の兄の竹士郎が家督を継いだ。兄夫婦は二男一女に恵まれ、めでたく梅之助の役割は終わったのである。

 下級武士は貧しい。嫡男のもしものときの分身である次男以下は、家の負担を減らすため、後継ぎのいない家に養子に入ったり、士分を捨てて商売で身を立てる者も少なくない。


「医者になろうと思います」


 梅之助が兄に告げたとき、兄は、


「そうか」


とだけ、静かに漏らし、


「ありがとう」


と、頭を下げた。

 武骨で優しい兄と、要領がよく好奇心旺盛な弟。仲の良い兄弟の会話は、それだけで通じた。

 竹士郎の後継は長男。次男はいずれ梅之助と同じ岐路に立つ。そのときの前例を、梅之助は作ろうとしているのだ。それを汲み取っての「ありがとう」だった。

 梅之助がいま現在、どんな医者かは置いておくとして。


 病は気から。気を養い充実させることも養生という。

 ひとを笑わせ、おだてて気を良くさせる。やってることがお座敷の太鼓持ちと一緒なので、お太鼓医などと揶揄される梅之助であるが、ここのところは新しい薬を作るのに没頭している。

 剣術道場も竹士郎が継ぎ、多くはないが門弟もいる。

 打ち身や擦り傷などの怪我に効く薬を、梅之助は佐治施療院の捨松の知恵も借りて、門弟で人体実験中であった。

 梅之助がどんな医者かは置いておくとして。




 梅之助は菓子屋で饅頭を五つ見繕うと、千住へ向かって山下の通りを行く。

 山下は、高台に建つ寛永寺を守るようにぐるりと支院が裾野に並び、堀も構えて威容を誇っていた。参拝客目当ての茶屋も多い。

 深川からの道程に比して、下谷の役宅から千住までは半分の距離だ。日暮れまでに余裕で帰ってこれる。

 梅之助は、先日試した軟膏の問題点を未だ解決できないでいた。道々、頭をひねる。


(打ち身に塗ったら火を吹きそうだとか言われたんだよなぁ。何がいけなかったんだろうか)

(梅と木天蓼(またたび)は、どちらも鎮痛に効くと書いてたから合わせたのに)

(新しい梅がなくて、梅干しを使ったのがダメだったのかなぁ)


 千住で、捨松に助言を仰ぐつもりである。


 下谷広小路から続く道の先。往来の幅いっぱいに拡がって歩く団体が、前方からやってきた。

 稽古着姿は、どこかの剣術道場の門弟らであるらしい。笑い声も粗野で、無駄に声がでかい。

 なんと迷惑な連中だろう。そう思った、その迷惑連中の中に、梅之助は知った顔を発見してしまった。


桂馬(けいま)さま……」

「げっ」


 相手も気づき、取り巻き連中に向かって露骨に眉をしかめた。

 げっ、と言いたいのは梅之助もだ。しかし左は堀割、右は白壁。身を潜める場所がなかった。

 ぴり、とした緊張のような、腹痛のような不快な石が内に溜まる。


(ああ、私はこんなに、彼に遭うのが嫌だったのだな)


 もう何とも思っていない、と自身に言い聞かせていたつもりだったけれど。

 梅之助は、自分にも人並みにわだかまりというものがあったのかと改めて知った。

 奥野桂馬は旗本の三男坊。例の事件で梅之助にこてんぱんにのされた、かつての道場仲間である。事件の主犯と言っていい。

 歳も上、身分も上の顔見知りとあっては挨拶しないわけにもゆかぬ。梅之助は渋々といったていで、ぺこりと頭を下げた。


「えー……本日は御日柄もよく」

「皆、近づくな。貧乏御家人のせがれだ、貧乏がうつるぞ」


「うわー」「寄るな寄るな」と笑ってはやし立てる取り巻きは、今の道場の仲間だろうか。

 当然だが今の雲居道場には、梅之助にのされた門弟は誰ひとり残っていない。


「桂馬さまにはご機嫌麗しゅう。ご友人がたも、それなりに麗しゅう」

「相変わらず貧乏臭い男だ。まだ貧乏剣術をやっているのか?」

「まだ貧乏剣術をやっております」


 面倒なのでおうむ返しで話を合わせてやる。貧乏と罵れば、梅之助に負けたことが相殺された気になるらしい。

 桂馬はそれを聞いてふんぞり返った。


「ふん。俺は今や、雷帝鬼神流剣術の師範代だ。いずれ師範を追い抜く。貧乏剣術では俺のまことの実力を測れなかったようだな!」

「雷帝鬼神流……」


 いかにも強そうな、とってつけた感のある名前。習ってるだけで強いと勘違いされそうだ。

 剣術道場は、剣の腕だけでなく心技体を鍛える所。梅之助は父である師範からそう教えられ育った。相手を敬う心を持つこと、技を磨く努力をすること、健康な体を作ること、である。

 桂馬の尊大なもの言いは、十年経っても心はまったく成長していないことを物語っていた。体だけは縦にも横にも成長しているが。

 桂馬に同調し持ち上げる周囲の仲間も同等だろう。笑う声に含むものが、かつて梅之助を貶めた者らとそっくりだ。

 もてはやされ、気を大きくした桂馬が、もはや眠くなってきた梅之助に木刀を突き付け、不敵に笑う。


「どうだ、今の俺と腕試しをせぬか?」

「うわあ」


 思わず天を仰ぐ。成長してないどころか変わってもいない。これから実りある勉強をしにいこうというときに。


「申し訳ございませんが、本日は先約があります。また後日にして頂きたく……」

怖気(おじけ)づいたか!」


 早くも勝ち誇る桂馬と肩を落とした梅之助を、仲間らが取り囲んだ。往来の人々の迷惑も考えず大きな輪になり、土俵をしつらえる。

 まるで構ってほしくて仕方ない甘えん坊だ。構えば満足するのなら、さっさと片づけようかと梅之助は溜息をつく。


「分かりました。喜んでお相手ツカマツリます……それで今日は、おひとりですか、全員ですか?」


 小首をかしげて桂馬と、そのうしろの輪に尋ねる。輪の男らも首をかしげた。

 意味を理解したのは桂馬だけであった。かつて『全員』で梅之助に挑み敗れたことを、仲間には伝えていないようだ。


「お、俺ひとりだ! 決まってるだろ!」


 けっこうな野次馬の輪もできている。大勢の前で過去の醜聞を漏らしかねない梅之助に、桂馬がむきになって牽制する。余計なことを言うな、と真っ赤な顔が語っていた。


「じゃあ、はい」

「はい?」


 輪を作る手近な男に、梅之助が「ちょうだい」と掌をのべ、ほにゃんと笑う。


「木刀、貸して頂けますか?」


 丸腰なので。

 借りにも武士が、外出時に丸腰。囲んだ男らの梅之助への目は、いっそう呆れたものになった。

 渡された木刀の握りを確かめる。いま借りたものだ、折れるなどの細工はないだろう。


「あ、それからもうひとつ。ご友人がたの加勢は今日は、ありですか、なしですか?」

「そ、そんな卑怯なまね、するか! なしだ!」

「大事な荷物があるんですが、持ったままで良いですか?」

「置けよ!」

「それから」

「ええい長い! 問答無用っ!」


 あとひとつ、大事な注文があったのに。

 梅之助は風呂敷包みを、野次馬の中の娘に預けた。華やかな百花が薄桃色の振袖に咲いた娘だ。乳母らしきお付きの者もいたので、持ち去られる心配はなしと見てだ。


「持ってて」

「え、えっ!?」

「すぐ済むから」


 慌てる娘に、ほにゃんと笑って手を振った。


(血飛沫は飛ばせないな)


 綺麗な振袖が汚れてしまう。

 風呂敷をぎゅうと抱えた娘を背に、梅之助は木刀を握り、突きに構える。集中する。


「合図を、どうぞ」

「……!!」


 桂馬は一瞬で、かつての勝負を、嫌な思い出を蘇らせた。

 目の前の男は昔と変わらず、ひょろりと痩躯で、やる気があるようにも見えぬ昼行灯顔である。

 けれど、その眼は。

 脳天、眉間、喉笛、心臓、鳩尾……どこを串刺しにしてやろうかという、(きり)の眼だ。

 ごくり、唾を飲み込む。

 人目があるから、加勢なしと言ってしまった。

 いつもなら背後から襲わせていたのに。

 道場主に金を握らせて、師範代になった。取り巻きを作って他の道場の奴らに喧嘩を売り、数を頼んで叩き潰した。たいした努力をせずに勝つ味をしめた。

 大勢の前で、師範代となった自分と梅之助のみすぼらしさの差を見せつけ、笑って冷やかせればそれでよかったのだ。

 まさか、本当に一騎討ちになるなんて。


「はじめ!」


 はじめじゃねえよ、と桂馬は心中で怒鳴り。

 その怒鳴りの間に、梅之助が一歩の距離まで詰めていた。

 逃げる思考すらさせてもらえなかった。


()ッ」


 突き、と見せかけて強烈な下段斬りが足を撃つ。


「ぎゃああいっ……!!!!」


 桂馬は顔面から地にもんどりうった。

 弁慶の泣きどころをさすりさすり、奥歯を噛みしめボロボロ泣いている。痛みに口もきけないらしい。

 野次馬らは、ひ弱そうな貧乏侍の胸がすくような勝利に、わっと歓声を上げた。梅之助の風呂敷を持った娘も、興奮気味に拍手している。


「師範代っ」


 輪になっていた門弟らが駆け寄る。しかし、一太刀も浴びせられず無様に泣いている師範代に、かける言葉もなくおろおろするばかり。


「あの、ちょっといいですか?」


 楽しげな声が割って入り、門弟らはびくりと振り返る。

 風呂敷を娘から受け取った梅之助が、いそいそと中身を取り出しているではないか。大量の蛤の貝殻に詰められた、赤いような黒いような、おそらく軟膏だろうものを。

 門弟の輪を掻き分けて、涙目の桂馬のそばに膝をつく。何故かわくわくしている。


「先ほどは言いそびれましたが、実は私は、士分を返上して医者になろうと思っております。これは私が作った傷や腫れに効く薬でして、うちの道場でも使っているものでございます。まだ配合は試してる途中なのですが、私が勝ちましたら、これを桂馬さまに塗って頂くことをお約定頂きたかったのです。勝ったからいいですよね? あ、もちろん試作だからお代は頂きません。毒でもないからご安心下さい。梅と木天蓼を合わせた鎮痛薬にございます」


 ちなみに刹那にこれを見せたら、


「よいのではないか。昔の道場仲間にでも塗ってやれれば……」


と笑った。その笑いは、にやあああ……といった、大変腹黒そうな邪悪な笑顔だった。

 佐治陣内の悪巧み顔にそっくりなので、ああ、師弟って顔まで似るんだなぁと梅之助は思った。

 門弟のひとりがおっかなびっくり、蛤の貝殻の中身を桂馬の脛に塗る。


「師範代、鎮痛薬です」


 ぬるり。


「……ッああああああ――!!!!」


 傷口に、塩と酢を塗り込まれた桂馬は、


「火が出る、火がッッ火がああああ!!!!」


と叫んで、恥も外聞もなく遁走した。

 あれ、と思っている梅之助のもとへ、先ほど風呂敷包みを預けた娘が寄ってくる。

 何やらとても興奮していて、キラキラした目を向けてくる。そして。

 びし、と梅之助を指差すと、振袖が舞った。


「見つけた!」

「ん?」

「お侍さま! 貴方、私の許嫁(いいなずけ)を演じて下さいませんこと!?」

「…………んん?」


梅之助回です。

『梅』は薬(お太鼓医)にもバーサーカーにもなるとこをうまいこと書きたいんですが、なかなか難しいです。

あと他のキャラではできないテンプレをさせたいです。一度使ってみたかったんですよね、ざまぁタグ(笑)

幕府の役職は調べるだけで気が狂う!

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