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夜四つと明け六つの間・3

「おお、刹那どののところの、ヒモの御仁」


 まさかの再会であった。


「……よう、髭のお大尽」


 さすがの弥九郎も二度見した。

 灸すえ日の三養堂で正体がばれ、姿をくらました盗賊『橋の弁慶』こと意休である。

 永代寺門前仲町の女郎屋に顔を出した弥九郎は、半裸の女郎ふたりを侍らせる老爺に旧友のように出迎えられた。

 廊下への障子を全開にしていると、誰が思うだろうか。弥九郎は盛大に眉をひん曲げる。


「まだひと月も経ってねえってのに、呆れたじじいだな。岡っ引き呼ばれてェのか?」

「ふふ、お前さんは呼ばぬよ。夢のさめきらぬ花街を、ごたごたさせるのは好むまい」

「その通りなのが癪に障るな」

「まあ、呼んだところで、金を掴ませればどうにでもなろうが」

「そりゃ言えてらァ」


 懐を重くして黒も白とする岡っ引きの姿を思いおこし、弥九郎は苦笑した。


 永代寺から隅田川までの一帯にある七つの盛り場を、合わせて深川七場所と呼ぶ。

 江戸市中から永代橋を渡って右、隅田川と大島川の交わるあたりは絶景自慢の料亭が並ぶ新地(しんち)

 一ノ鳥居の近く、火の見櫓のそばに櫓下(やぐらした)裾継(すそつぎ)。牡丹一丁目の石場。

 三十三間堂跡の周りは土橋。その川向かいに、あひるとも呼ばれる(つくだ)

 旅籠や料亭、茶屋がひしめく門前仲町は最も広い花街で、芸子が七十余、女郎が六十余人と、深川随一の遊びどころである。

 江戸の旦那衆のお目当ては、気風のよさは江戸一といわれる辰巳芸者だ。男名をかつぎ、着物は黒、さばさばとした姉御肌の芸子が揃う。

 吉原と違って足抜けを阻む堀も、堅苦しい決まり事もなく、女郎も芸子も船大工も同じ町で暮らしを営んでいる。

 ここに来るまでにも、寺子屋に通う子供らが元気に走っていった。

 そんな場所なので、弥九郎はずかずかと遠慮なく()()の部屋に踏み入り、小さな坪庭を望む窓辺に腰をおろした。

 女郎らは眠たげに赤い襦袢を羽織り、意休の股をするりと撫でつつ脇へ寄った。

 ちなみに女の半裸程度では、弥九郎はびくともしない。賭場の女壺振り師で見慣れている。違いはせいぜい乳輪面積くらいだ。


「ていうか誰がヒモだよ」

「刹那どのの稼ぎにぶら下がっている男をヒモと呼んだまでだが?」

「一応、俺も医者だっつうの」

「お前さんが刹那どのを食わせてやれてるようには、これっぽっちも見えぬな」


 痛い所を突いてくる。しかも今朝できたばかりの傷だ。

 刹那の見立て通り、何の金策もない弥九郎はとりあえず懇意の楼主を当たろうと花街を訪れた。

 日ごろ面倒ごとを引き受けている分、金を無心できないかと訪れた女郎屋で、懲りずに悪所通いしている意休とばったり会ったのだった。

 灸すえ日に見たものとは別の羽織だ。またひと仕事したのだろう。

 軽子(かるこ)(吉原でいう、やりて婆)の年増女が迎え酒を運んできた。盆には盃がふたつある。


「どうだえ、一緒に」


 意休はふたつの盃に酒を満たし、弥九郎にも勧める。旧友は渋い顔をして断った。


「目の毒だ。今、それで首が回らなくなってる」

「百薬の長たる酒だ、何の毒があるものか」

「掛け取りの金に手ェつけちまった。……あいつがそれで、店畳むなんて言い出してる」

「なるほどそれで、金を借りにか。ならばヒモと呼んで間違いはないな」

「うるせえ」


 意休はにやにやと白い髭をもて遊びながら、見た目よりずっとしゅんとしている弥九郎に持ちかける。


「それがしが金を貸してやらんでもないが」


 ぐるん、と首を向けた弥九郎に、指を一本立てて。


「見返りは、刹那どのの褌一枚」

「刺されろ」


 洗濯物にでも手を出したらその手に目打ちが飛んでくることだろう。御免被る。ひとりでやってくれ。弥九郎は即座に断った。

 ひとの褌を何に使うのか。女郎らは、聞かなかったことにした。

 意休は「残念だ」と、さして残念でもなさそうに笑い、ふと思案顔になった。


「ところで、刹那どのの師は、千住の医者と聞いたが」

「俺もだよ」

「寝言は結構」


 一蹴された。


「その医者の(くに)は、戸隠(とがくし)かな?」


 ()ッ、と気が震えた。

 窓辺の方から意休へ向けられた目に見えぬはずの殺気に、女郎らは眠気を吹き飛ばされた。

 ここに居てはならない。話を聞いてはならない。この男らは、喧嘩となれば周りに死人が出ることを厭わないと、肌で感じた。

 女郎ふたりは目を交わし、逃げるように部屋を去った。


「なに探ってやがる」


 当たれば切れる刃に似た、弥九郎の威嚇。常の人当たりの良さは欠片もない。

 意休はどうどう、と犬でもなだめる仕草をして、殺気をかわす。弥九郎の反応を楽しんでいるのか、口元は笑みのままだ。


「蛇の道は蛇ということよ。知ってどうこうするつもりはない」

「どうだかな」

「――ただ、刹那どのはご存知なのかな?」

「その喧嘩、買ったァ!!」


 まさに逆鱗であった。

 弥九郎は一息に意休に飛びかかる。拳が白い口髭を目掛けて繰り出される。

 鼻先でそれを躱すと、意休は伸びた腕を絡め取り、巴投げの格好で浮いたからだを蹴り飛ばした。

 派手な音を立てて障子を突き破り、向かいの部屋で昼見世を楽しんでいた男と女郎が悲鳴を上げる。


 戸隠安陣は、甲州を根城にしていたやくざ者であり、佐治陣内のまことの名である。

 縄張り争いにあけくれ、怪我した手下を趣味の医術で治療していたのが、趣味が高じて医者を始めた、風変わりな男だ。

 安陣の縄張りは、役人には盗区(とうく)と呼ばれていた。

 一味のあまりの強さから、赤子も安心して道を歩けると言われるほど治安が良いことに、皮肉と畏怖を込めての名であった。

 刹那に、このことは秘密である。

 陣内は特に隠せと指示しているわけではない。しかし弟子たちは、刹那にやくざ者との繋がりを持たせたくなかった。

 いつか自分たちが獄門に上がったとき、刹那に連座させないためである。

 刹那とて莫迦(ばか)ではない。薄々、気付いているかもしれない。それでも隠し通したかった。

 やくざ者としてみれば青くさい願いだが、一味は――弥九郎は、刹那に嫌われたくなかった。

 心を許される友でありたいし、心を許している友であるからだ。

 獄門にされる彼の首など断じて見たくはない。

 刹那には綺麗なままで、無垢なままでいてほしいのだった。



 起き上がって、ちっ、と弥九郎は舌打ちをした。

 逃げられた、と踏んだが、人影は見えた。しかし意休ではない。


「誰だ、てめえ」


 意休が消えた場所に顕れた、小柄な男。

 顔の半分、鼻から上を猿のような真っ赤な面で覆っている。

 かしずくような姿勢でいるが、引き絞られた弓を思わせる脚が異様だ。弥九郎の脇を抜けて逃げるか、外へ飛び出すか、あらゆる方向に瞬足で逃げられる脚力にみえた。


「じじいの手下か」


 男は応えない。

 灸すえ日に刀を盗んでいったのは、おそらくこの男だ。気配を消すのが上手い。弥九郎と梅之助は目で追えたが、他の者はこの男が訪れたことすら気付かなかった。


(軽業(かるわざ)師か、それとも素破(すっぱ)とかいうやつか)


と、弥九郎は見てとった。


(あるじ)ヨり、言伝(ことづて)


 少年の声が聴こえたことに弥九郎は驚く。


「本日、夜、土橋(どばし)の『川蝉(かわせみ)』ニテ、待つ」


 これは年配の男の声だ。


「良い儲け話ガ、あル」


 これはしわがれた婆の声。


「信用できっかよ」


 はねつけた。意休でなくとも信用してはいけない話だ。


「見返りに褌くれとかいうじじいをよ」


 男は返答に窮した、ように見えた。


「…………人としテ、どうかと、思ウ」

「だろ?」


 意外と素直だ。弥九郎はこの男に好感を持った。

 主に盲目的に付き従う下僕かと思ったが、少なくとも変態を見たときの気持ちは一緒だ。


「いいぜ、猿面冠者(さるめんかじゃ)。あのじじいでなく、てめえの頼みってんなら乗ってやる」

「猿面、冠者……?」


 赤い猿の面が、きょとん、と呆けた。素の声なのか、弥九郎とたいしてかわらない歳の青年の声だ。

 主からは「おい」としか呼ばれたことがなかった。初めて名前を付けられて、返答に困った。

 弥九郎が苦笑して気を回す。


「長げェかな?」

「いや」


 唇をむずむずさせている。


「……良い名ダと、思ウ」


 嬉しさを隠そうとする恥ずかしがり屋の子供のようだ。どうも気に入ったらしい。


「土橋デ待つ」


 猿面冠者は庭に降り立つと、軽々と白壁を乗り越えて去っていった。

 どたどた廊下を進んでくる足音がする。楼主が駆けつけてきたのだろう。弥九郎は「しまった」と頭を搔く。


「弁慶のせい、と言って信じてもらえっかなあ……」

 



 深川七場所のひとつ、土橋は、広大な八幡宮の敷地のとなり、三十三間堂のそばにあった盛り場である。

 水害で三十三間堂が失われ、お上の改革もあり華やかさは衰えたものの、花街の趣きはしっぽりと残っている。

 料亭『川蝉』は、庭の松の枯木が見事な枝ぶりを見せる、清楚な構えの料理屋だった。


「やれやれ、やっと腰が落ち着く」


 そこに、腰をとんとんしながら伸びをする佐治陣内の姿があった。

 着慣れない、シワのない単衣に絽の薄羽織は、大店の粋な旦那に見える。

 本当なら千住から屋形舟でのんびりと来られるはずが、野分で波が荒いため舟が出られず、駕籠に揺られての道程だったのだ。おかげで腰を痛めた。


「お師匠はまだ良いでしょうが。あたしなんか落ち武者みたいですよ」


 かたわらでは捨松が膨れながら、風で乱れまくった髪を鼈甲の櫛で梳いている。

 駕籠に乗れるのは、金持ちのボンボン以外は原則年寄りだけなので、まだ四十に届かないこちらは徒歩(かち)だったのだ。

 千住から深川まで駆け通しだったのに息の上がっていない捨松を、駕籠かきは化物を見る目で見ている。


「おっ。落ち武者も、髪が整ったら別嬪(べっぴん)になるもんだなァ、見違えたぜ」

「あらやだ、褒めても何も出ませんよぉ」


 あとから到着した旦那衆が、なぜ玄関先で夫婦漫才を、という顔で脇を抜けてゆく。

 別嬪な落ち武者という謎の褒め言葉が気になる。

 この夜の催しは、品評会である。東西の珍品奇品を集め、望めばその場で買い取れる。

 今宵の主役たちは袱紗(ふくさ)を被せられて、膳の列の向こうに並べられていた。

 二階座敷に用意された膳には、(ふな)のなます、干しわさびと金柑の小鉢。つみれの汁、鯛豆腐、粒初茸。蛤水晶は三つ葉の緑が美しい。

 日本橋浮世小路の百川(ももかわ)の膳ときいて、捨松は「ひゃあ」と小さく歓喜した。


「お師匠、これ持って帰っていいですかねえ?」

「皿ごとか?」

「大丈夫、弁当箱持ってきてますから」


 ゆるい会話に、同席した旦那たちはほのぼの見守る派と苦笑する派に分かれた。中にはわざと聞こえるように「貧乏臭い」と呟く者もいた。

 師弟して下座についたふたりは、ざっと全員の顔を見渡す。

 上方商売の江戸店の主もいれば、金を持て余していそうな隠居もいる。

 いつもこの会合で顔を合わせているのだろう、あちらこちらで歓談の輪ができていた。


「珍しいのもいるな」


 陣内の囁きに、捨松は耳を寄せる。


「貧乏臭いの旦那ですか?」

「ああ」


 先ほど捨松を貧乏臭いと罵った男は、談笑に混ざることなく、気難しい顔で膳についていた。しきりに眉を寄せ、舌打ちしている。


「今は質屋なんぞやってるケチな男だが……ありゃァ、盗っ人だ」


川蝉は、あれです。御宿です←

盗区は、国定忠治(確か)の縄張りにのみ用いられた用語だそうですが、かっこいいので拝借しました。

意休の子分は、本当なら朝顔仙平というゆるキャラみたいな顔した奴なんですが、格好つかないので却下(笑)

この作中、唯一?の常識人になりそうな猿面冠者君です。

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