夜四つと明け六つの間・5
いくらなんでも押し込み強盗ではないだろうと思っていたが、辻強盗だった。
「盗むのかよ……」
「お前さん、盗っ人に何を言っておるのかな?」
泥棒を頼っておいて今さらか。意休は鷹揚に笑う。
弥九郎はやくざ業はするが、盗っ人業はやったためしがない。
ひとの風上にも置けぬ所業をする奴らから、喧嘩で勝って金をむしり取ることは胸がすく。しかし、日々をまっとうに暮らしている者から金を盗むのは、力のない赤子の首に手をかけるようで、ぞっとする。
そのせいで暮らしが立ち行かなくなる者が出たら、師匠に、刹那に、合わせる顔がない。
吹き上げてくる風に裾の中をスースーされながら、落ち度のない人の金に手を付けることのきまりの悪さをぼやく。
「てめえの金なら喜んで貰ってやるのによ」
「今は他人の金でも、奪ったらてめえの金となる。お前さんがいつ貰うかの違いよ」
意休は悪びれもせず、砂を転がすかのように盗っ人の道理を述べる。確かにそうだと思ってしまうのがまた憎たらしい。言い負かされて弥九郎は口を曲げる。
「ご立派な屁理屈だな」
「盗っ人は屁理屈がないと成り立たぬよ。人の金を盗むなど、そもそもしてはならぬ」
「そうだけど!」
「だが盗っ人はそれをする。何故なら、盗っ人だからな」
「そうなんだけど!」
こういうところだ。盗っ人の道理だ。筋が通っている。
さて誰を狙うか。意休は髭をさすりつつ、手下……猿面冠者が探った面々を頭に並べる。
今宵の座長は大和屋。高額な珍品奇品を扱うが、いま大金を持っているかは不明である。それらの品を、金に糸目をつけず買うのが好事家たち。即売会だから従者に金を持たせて参集したはず。となると、狙うのはやはり旦那衆だろう。
常連である料亭の隠居か、見栄っ張りな旅籠屋の主か、質屋のまねごとをしているコソ泥か……医者の皮を被った侠客か。
「駕籠が、来タ……、?」
お開きとなった宴席に耳をすましていた猿面冠者だが、駕籠に乗り込もうと料亭を出る旦那を見止めて、言葉を切った。主でなく、弥九郎が異変に気付く。
「どうした?」
「笠、ダ」
「笠ァ?」
下を見やれば、雨を避けるための編笠を頭に乗せた旦那が、軒先で料亭の者に見送りを受けているところであった。妙なのは、旦那も従者も、見送るだけの料亭の者も、皆が編笠を被っていることだ。
「ふむ」と唸った意休から、人を食ったような笑いが消えている。
「蛇の目傘ならば、駕籠に乗る際に顔を見ることができたのだがな。編笠では、顔が見えぬ。……これは、偶然か……?」
「橋の弁慶って泥棒、皆様ご存知ですか?」
そろそろお開きという頃。美食を堪能してすっかりただの食いしん坊だと印象づけていた捨松が、話を切り出した。
七場所に通いつめる者ならいざ知らず、真面目に家業に勤しむ旦那衆が耳にすることはほぼない名であろう。与兵衛はぴくりと眉を上げたが、気づいた者はいない。
「どこの弁慶だって?」
陣内が初めて聞いた顔で隣の弟子を見る。
「橋ですよ、橋。牛若丸と出会う前の、五条大橋の弁慶ってことじゃないですか?刀ばかり狙って盗むから、そんな名前になったようですよ」
これは弥九郎の情報である。千住に寄った際に、刹那に言い寄る泥棒とチンピラがいることをそれとなく知らせたものだ。
十両盗めば首が飛ぶご時世。決して安くない刀ばかり盗んで捕まっていないことが、捨松の興味を引いた。橋の弁慶がどこの店でどう盗みを働いたかを、捨松は耳目(密偵)を使って調べ上げた。いつでも対策を打てるように、である。
「仲町では、どこの女郎屋でも一番の女郎を取ってます。部屋は二階でしょうから、屋根伝いにいつでも逃げられるんですよ。いま、ここの屋根にいることも、あり得ます」
指を天井に向けると、旦那衆がざわついた。今日の品の中には刀剣もあった。
「刀ばかり盗みますが、金を取ることも稀にあります。手っ取り早く遊びたいときは、そうするんでしょう」
「そ、それでは今日など、狙いに困らないじゃないか!!」
若竹の隠居が興奮気味に叫ぶ。うしろに控えた従者も、ぎゅっと珊瑚を抱きかかえた。
どの旦那も、この席で手にした名品と買い付け用の金を無事に持ち帰れるか、不安を浮かべている。帰りは全員が駕籠である。道中、相手が徒党を組んで襲ってきたら、駕籠かきと従者だけではひとたまりもない。
捨松がそれを察して、にこりと笑う。
「ちょいと、あたしの考えを聞いて頂けますか?」
場を仕切り始めた弟子の隣で、老医者は愉しげに煙管をぷかりとさせた。
料亭川蝉の表門に次々と駕籠が寄せられる。乗り込む旦那は皆、申し合わせたように編笠を被っている。
屋根の上からではまったく、誰が誰だか分からない。弥九郎が焦り出した。
「おい、誰でもいいんじゃねえのか?早く目星つけて追いかけねえと、行っちまうぞ」
「それは敵の思うつぼよ」
意休が忌々しげに口の端を歪める。敵が誰なのか、老盗にははっきりと見えていた。
「敵は、こちらがどこに……屋根の上にいると感づいておる。駕籠のどれかを追いかけてくれとな。駕籠の中身は、料亭の板前かもしれぬ。我らが屋根から消えたあと、本物の旦那らが出る手筈やも」
「なに嵌められてんだよ!」
怒鳴った弥九郎のうしろ、隣の商家からも駕籠が到着の声がした。小癪な、と意休は歯噛みする。
料亭は男女の密会に使われることも多い。人目につかない出入り口をいくつも持っているものだ。川蝉は隣の蠟燭問屋の裏口と、裏の出会い茶屋に秘密の通路があった。
今宵の品評会は別に人目をはばかるものではない。裏口を使うことはないと高をくくった、戸隠安陣を見くびった意休の負けである。
弥九郎などに構っている場合ではない。意休は足手まといを切り捨てることにした。
「お前さん、金が欲しいのだろう。誰でもいいと言うなら、どの駕籠でも良い。ほれ、追いかけろ」
「はあ!? 俺、ド素人なんですけど!?」
「腹をくくらぬか。早くせぬと行ってしまうぞ?」
駕籠がふたつ、右手の永居橋の方へ去る。向島に行くならそちらだろうが。左手の永代寺門前の方へは四つも駕籠が立った。あひる、こと佃や仲町の花街の中に入られてしまうと、人に紛れて見失う。
「くそっ!」
慣れない屋根をおっかなびっくり歩き、生け垣に飛び移ると、弥九郎は永居橋方面の駕籠を追った。
「…………」
猿面冠者は、おそらくそれは囮であろうと思ったが、主の前では助言できなかった。
今宵の会に佐治陣内が参加していることを、弥九郎には知らせていない。向島を抜ければ千住にも至るその道を行く駕籠は、師匠が乗る駕籠かもしれぬ。主はそれを面白がっているからだ。
(性格悪イ)
猿面冠者は内心で呟いた。
強々、風が鳴く。
「はーあ、どっこいしょ」
ぞわり、と背筋を悪寒が撫でる。
風に気を取られて、楼から男がひとり屋根に降りていたことに猿面冠者は気づかなかった。
黒い絽の薄羽織が野分の風にひるがえる。佐治陣内である。
「よう、弁慶ってのはてめえか?誰かと見りゃあ、意休じゃねえか」
強風、濡れた足場というのに、足の運びは危なげない。弥九郎よりよほど練達している。小柄な体格の爺だが、感じる殺気は狼のものだ。
猿面冠者など眼中にも入れず、陣内は顔見知りらしい意休に親しげに声をかけた。
「刀を集める大泥棒サマ、だってなぁ? まぁ今日の顔ぶれなら、どれ狙っても遊ぶくらいの金は手に入る。楽な仕事で良かったなァ」
「お前が金を置いて消えてくれるのが、一番楽なのだがな」
「俺の弟子に入れあげてるとか聞いたぜ。可愛い顔して手厳しいだろ、あいつは?」
「冷たい花のかんばせもまた、格別よ」
本心なのか負けじとなのか、意休はにやりと好色たらしく笑ってみせる。どこか残虐な含みもあった。
意休が賭場で弥九郎に近づいたのは単に飯をたかるためである。気のいい男は嫌いではないし、馬鹿は捨てても心が痛まぬ。
灸すえ日、たまたま耳にした『飲み水は、家の中の井戸』という刹那の言葉。それで初めて三養堂に関心を持った。籠城に適したこの家はおそらく、やくざ者らの根城のひとつだ。
それをこの医者が、買い取った? いや、彼らが使い勝手のよい根城を手放すだろうか。調べて合点がいった。因縁浅からぬ、戸隠一味の一端であったのだ。
そうと分かれば見る目も変わる。三養堂は、戸隠安陣への脅しに使える最高の質になった。
嗤わずにいられようか。
「そうそう。先程までここに、その可愛い弟子のひとりがいたぞ?」
いつでも寝首をかけるのだぞ、と。
意休の言葉を読み、陣内の殺気が猿面冠者に向かう。そいつが今いないのは、どういうことか。
(死んでハ、いなイ)
陣内の睨みだけの問いかけに、猿面冠者は答えようとした。が、声が出ない。首を横に振れない。金縛りにあったように、動けなかった。
「どいつだ?」
老爺は既に、医者の顔などしていなかった。
「可愛いのと、太鼓持ちと、馬鹿の、どいつだ?」
黒狼の狩りの顔だ。
「多分、馬鹿だ」
返事の終わらぬ間に意休は飛んでいた。うしろに数歩の距離を下がる。立っていた場所に線香ほどの長さの棒が突き刺さっている。
息をつく間もなく、鋭利な暗器を握る拳が眼前に迫る。屈んで躱すも次の突きが来る。三手目で浮いた白髪がざくりと削られた。屋根の端まで離れて、ちっ、と意休が舌を鳴らす。
「お前がいたか」
座敷に連れていた蛤爆食い男は、囮として駕籠で去ったと思ったのに。
「誰がひとりしか連れてねえって言ったよ?」
人食い狼の如き獰猛な笑みを見せた陣内に、幽鬼のようにゆらりと従う隻眼の男。
「久しいな、大蔵」
「…………」
師を背にして意休と対峙したのは、佐治施療院の三ノ宿の主、大蔵である。暗器に絡んだ白髪を風に払い、仕留めそこなったと舌打ちする。
大蔵は、元は意休の手下であった。
十数人の盗賊団だった意休の一味は、商家に押し入って家人を縛り上げ女を犯し、金を持って逃げようとしたところを町方に囲まれた。それでも一味は逃げおおせた。盗っ人にしては罪の意識がありすぎる大蔵ひとりに殿を押しつけて。
大蔵は世を儚み、町方が踏み込む前に自爆した。片目を失い深手を負った大蔵が運びこまれたのが、開業間もない佐治施療院であった。
陣内は、大蔵の命を救った。意休の一味と知りながら「俺のとこにいろよ。退屈しねえぞ」と子供が遊びに誘うように笑った。
「ワガママ患者ばっかりでな」と黒熊。
「人手も欲しいしな」と鉄山。
「……この恩は、からだで返す」
大蔵は、深く頭を下げた。
三年の人足寄場から戻り、盃を交わす頃には、傷はすっかりと癒えていた。
「弟に近づくな、助平爺」
かつての主を一刀両断した。
猿面冠者は、大蔵を知らない。自分なら今ので討ち取られていた。
この医者師弟の強さは只者でない。動きづらい屋根の上でこちらの有利かと思ったが、獣に足場など関係ないと勘が告げている。
逃げねば殺られる。
だが、主が自分に逃げろなどと指示をすることはない。自分がやるべきは、主の逃げる隙を作ること。
死角から、苦無が大蔵の足元に飛ぶ。同時に意休は料亭の屋根から、裏の茶屋の屋根に飛んだ。一段低いので、後方に飛ぶ大蔵からは意休の姿が完全に消える、はずであった。
「!?」
大蔵は苦無を前進して躱すと、一気に料亭の屋根の端に詰める。意休の逃げ場が丸見えになった。
追って飛ぼうとしたとき、
「止まれ大蔵!」
鋭い声で、陣内がとめた。
「そっから先は足場が悪りィ。無理に追うこたァねえ」
風にうなる柳と濡れた屋根、足を滑らせる危険がある。踏みとどまった大蔵の見下ろす先で、意休は柳の枝の陰に消えた。
「……弥九郎が」
「なに、こいつに聞きゃあいいさ」
陣内は大蔵が動いたとき、既に猿面冠者に向かって飛んでいた。次の苦無を構えていた猿面冠者の左手を、顔面ごと蹴り飛ばした。
からだが吹っ飛んだ。屋根に叩きつけられ、転がり落ちる寸前、とっさに屋根の樋を掴む。左手は折れている。右手が命綱である。
陣内はゆっくりと、猿面冠者の目の先に膝をついた。
指を斬り落とされるか、眉間に苦無が突き刺さるか。猿面冠者は覚悟を決めた。
「おい、教えてくれるか」
思いがけず、やけに優しい声に、ふっと顔を上げた。今の今まで敵意剥き出しだった老爺が、やんちゃな孫を案じる顔になっていた。
「あいつのことだ。てめえらとやりあったんじゃねえのか? 今どこにいる?」
自分の言葉を、聞いてくれるのか? 喋り終えたら消されるのかもしれないけれど。
猿面冠者は主の前では言えなかったことを、口にする。名前をくれた恩人の危機を。
「俺、ダ」
「何がだ?」
「あいつ、を、嵌めタのは、俺ダ」
陣内の返事はない。が、とどめを刺しにも来ない。猿面冠者は出にくい声を振り絞る。
「駕籠を、追っテ、行った。蛤の男ト、多分……長っ尻ノ、与兵衛」
「なるほど、囮に引っかかったか」
陣内は、ぺしりと額を打った。
永井橋、亀久橋を渡って向島に向かう駕籠には、懐の豊かな若竹の旦那が乗っていると思わせるための偽装であった。実際は、亀久橋を渡らず左に折れて、瓢箪屋のある冬木町に向かう。
亀久橋と冬木町のあいだには、茅の茂る広大な空き地がある。与兵衛の手下が潜むには絶好の場所であった。
「捨松も襲われると、いうことですか」
大蔵の声に、わずかに不安が乗る。
「その前に、弥九郎が捨松を襲っちまうかもなぁ……まあ、何とかなるだろ」
陣内は困ったふうに頭を掻き、その手を猿面冠者へと伸ばした。
「ありがとよ」
掴まれ、と言っている。
猿面冠者は目を見開いた。何故、赦された?仲間を罠にかけたのに。今頃、仲間同士で相討ちになっているかもしれぬのに。
大きい男だ。大きい故に、恐ろしい男だ。
「……俺ハ、そちらニハ、行けぬ」
樋から、手が離れた。
差し伸べた手を取ることなく、猿面冠者は闇に消えた。
陣内は、繋がりかけた友ふたりの心を掌に、
「怖いことなんか、ねえんだがなァ」
苦笑いを浮かべていた。
環境依存文字に泣きました……
◯ 辻
てんてんひとつがエラーだった……