14歳―12―
~幕間~
当たり前だが、リーゼァンナは物心ついた頃から傅かれて生きてきた。
自分より何十年も生きた大人達が、媚び、諂い、顔色を窺い、お菓子や物をくれたりする。
『まあ、そういうものなのか』
他の王族や上級貴族の子供と同様、順応するのは早かった。
好奇心旺盛なリーゼァンナは、毎日城や王宮を探検していた。乳母やメイドを連れて行くことも多い。
そんな姿から、幼少の頃はおてんば姫で有名だった。
そんな日々が続いた、八歳の頃。王都にほど近い街がまるごと占拠される事件が起きる。犯人組織は多くの人質を取り、王宮に対して金品はもとより、全囚人の開放など、法外な要求してきた。
占拠は二ヶ月の長期間に渡り、王宮内でもいかに鎮圧、制圧するか、という話題で持ちきりだった。
そんな時、リーゼァンナがいつものように城を巡っていると、父……国王や、宰相、各大臣を含めた団体と鉢合わせする。
憔悴した顔で、彼らは道すがら占拠事件のことを話していた。
そこに、リーゼァンナは言う。
「騎士団を突撃させれば良いのですわ! だって、我が騎士達はどんな困難からも民を守る、強く勇ましい方々ですもの!」
深く考えての発言ではない。
父や皆が困ってるのを、助けたかった一心だ。
普通だったら取り合うわけもない、そんな子供の戯言を……
「……そうです。これ以上長期化させるのは、王の面目も立たなくなります!」
一人の大臣が、熱心に後押しして国王に言い募った。
リーゼァンナは後で知るが、その大臣は以前から強攻策を提案していたらしい。
「ならん。何度も言っただろう。人質が盾にされ、それを我が騎士が斬り殺すことになる。勝ったとして、残るのは死した街のみだ」
「ですが、潜入も交渉もやり尽くしました! これ以上は、もう……」
「……リゼ。向こうに行っていなさい」
隈を浮かべ、頬がこけた父に言われて、リーゼァンナは大人しく道を譲る。
†
国王の忠言も虚しく、その日のリーゼァンナの言葉を皮切りに、王宮内の意見は段々と強攻策へと傾いていく。
皆、これ以上の長期化を恐れていた。
国民達も王宮を『無能』『腰抜け』と罵るなど、怒りの矛先を向けつつあり、早急な解決が求められていたのもある。
もはや国王もその波に抗えず、数日後、騎士団は突撃部隊を編成。夜の闇に乗じて、進軍が始まった。
戦いは三日間に及び、結果は騎士団により制圧完了。王宮内は歓喜の声で溢れかえった。
経緯を知っている周囲の者から、リーゼァンナは「姫のお言葉のお陰」「王女様のご進言があってこそ」などともてはやされる。
そんな嬉しそうな皆を見られたのが、リーゼァンナも嬉しい。
――あの時、お父様に提言して良かった!
制圧から二日後、リーゼァンナの部屋に直接父が訪れた。
「ついてきなさい」
それだけ言って踵を返す父に、リーゼァンナは言われたとおり後を追う。
連れて行かれた先は、国政室。王や大臣などが日々会議をしている部屋だ。『絶対に入ってはいけない』と釘を刺されている場所。この日初めて、リーゼァンナはその中に入った。
王の入室に、それぞれ席を立って深く礼をする大臣達。
少し遅れて、リーゼァンナの姿に動揺と疑問の声が漏れ出す。
父は一番奥の席に座り、その横にリーゼァンナを立たせた。
「では、報告を」
「へ、陛下……よろしいのですか?」
ドアの近く、鎧を着た男性がリーゼァンナを見てそう尋ねる。
「ああ。一切の隠し立てなく、微細正確に述べよ」
そう言った父を見る大臣達は、一様に信じられない者でも見るかのようで。良く分からないながら、リーゼァンナは怖くなった。
ぎゅっ、と父の袖を掴んで、鎧の男の話を聞く。
それは占拠事件の顛末の報告会であった。
騎士団の進軍を察知した敵組織は、まず見せしめに三歳の少女を公園で惨殺し、磔刑にして晒し者に。
「お前達の子供、親、家族、友人知人……同じ目に遭わせたなくなかったら、貴様らを見捨てた騎士団を殺してこい!」
そう言われた街の男達は、それぞれ手に武器を持って騎士団に応戦。結果、この作戦で発生した戦闘のほとんどは、騎士と住人達の殺し合いであった。
「……騎士達は、自国の民に剣を向けたというのか?」
父の冷たい質問。
それは、とっくに返事が分かっているかのようで。
ただ他の者……特にリーゼァンナに、返答を聞かせるためにすぎない。
「はっ……。拘束に成功した者はその限りではありませんが……、騎士数名に死傷者が出たため、指揮官はやむなく抜剣命令を……」
「分かった。続きを」
……そこからの話を、リーゼァンナは正直、正確に覚えていない。幼い頃の記憶だし、今生はこの報告会がなかったからだ。今生では父に任せた結果、三ヶ月経過のち、無事無血で解放されている。
ただ報告会の後、議事録を読み返したことがあり、何が起こったかは今でも記憶に残っていた。
男達を倒した後は、女子供が『盾』にされたこと。
攻撃をためらう騎士から、隙を突かれて倒され殺されたこと。
人質の救出作戦……という名目で、結果半数以上救出できずに終わったこと。住人の死者のうち、騎士達の手によるものがほとんどを占めたこと。
占拠事件は泥沼の様相を呈し、多くの住人の血と命を失って、勝利を得たこと。
――私のせいだ。
その言葉が脳裏をよぎった瞬間、吐き気が込み上げ……次の瞬間には、思わず胃の中の物を吐き出していた。
――私が、突撃させれば、なんて言ったから……
目から、口から、あらゆる液を出しながら、リーゼァンナはその場で大声を上げて泣いた。
†
それからおてんば姫はなりを潜め、大人しくなった。
けれど、ただ落ち込んでいただけではない。
まずは、様々な戦の議事録を図書室で漁って読み出した。二度とあんな戦いは起こさないよう、どうすれば起きなくなるかを、自ら率先して勉強し始めた。
見たこともなく名前も知らない三歳の女の子に――罪もなく死んでいった多くの民に、誓う。
「あなたたちの死は、絶対に無駄にしない……」
勉強をしていくと、戦とは周囲の地形、関わる者達の性格や傾向、動機、思想と理念、成り立ち、時期や季節、用意できた武器や装備などなど……ありとあらゆるものに影響されているということが分かってくる。
次第に学びの範囲は広がり、様々な方面の知識を貪欲に飲み込んでいった。
†
報告会から数ヶ月後。
ある大臣から「よろしければ、お知恵を拝借いただけませんでしょうか」と声を掛けられる。
それはあの日、リーゼァンナの突撃案に真っ先に同意した大臣だった。
「実はあの占拠事件以降、各地で類似犯が出るようになりまして……。あの事件を収めるに至った殿下の玉言を、またいただきたいのです」
それを聞いて、リーゼァンナは一も二もなく頷いた。
……あんなもの、玉言どころか、地獄を引き起こしただけだけど。
あれを繰り返さないために少しでも役に立てるなら、なんだってする。
その大臣に案内されて、再び国政室へ。
「姫!?」
「貴様、なぜここに……」
これもリーゼァンナは後に知ることだが、声を掛けてきた大臣はこの時期、能力を疑問視され立場が危ぶまれていた。会議の最中にも関わらず外に居たのも、無能と烙印を押されたからだ。
王女の威を借りて沽券を取り戻そうと、リーゼァンナに声を掛けたわけだが……本人にとっては心底どうでも良い。
「占拠された集落の地図を。あと、敵勢力の成り立ちと、数と装備、可能なら土着の信仰や教義に関する情報もお願い」
宰相や大臣、部屋の中にいる執事達が、リーゼァンナと王を見比べる。
「……地図はここに。敵や現地のことは、宰相、復唱を」
「はっ!」
王に命令され、宰相がリーゼァンナに教える。
…………
……
全ての情報がリーゼァンナの中に入り、なおも追加情報の脳内処理を平行して話を進める。
「エレトレイア砦解放戦と地形が似ています。この丘陵から挟撃して、こちら側に火樽を……」
「エレトレイアとは、ここに水源地があることと、この山道の幅が全く違う。それにガニエ作戦は冬の時期だったからこそだ。今の時期は効果が薄い」
父と地図を挟んで、指さしながら話を進める。
「確かに……であれば、空はどうでしょう?」
「空……。そうか、メガリスの槍……!」
王が感嘆と驚愕し、リーゼァンナを見る。
と、同時に一人の拍手の音が国政室内に響いた。
皆が視線を向けると、拍手していたのはリーゼァンナを連れてきた大臣だ。
「素晴らしい、流石姫様! そのお歳で陛下と軍議を交わすとは! なんと博識で賢哲な……」
「うるさい」
リーゼァンナが一蹴する。
「おべっかでも賄賂でも後で受け取ってやるから黙って。命が掛かった会議なの。邪魔しないで」
リーゼァンナは一瞬睨んで、すぐに視線を地図上に戻した。
その威圧に、周囲の誰もが王の才覚を感じていると……
「リゼ、口が悪い。ここに居るのは仲間なんだからな」
父が静かに窘めた。
「だが、言う通りだ。話を戻すぞ」
「……はい。失礼しました、陛下」
リーゼァンナは素直に頭を下げる。
「その前に一つだけ。賄賂はやめておけ。受け取ると色々面倒だ」
「承知いたしました。一生受け取らないことにします」
父はどこか楽しそうに口元を歪めて、一所懸命に思考するリーゼァンナのつむじを見つめた。
その日から、リーゼァンナは度々国政室に呼ばれるようになる。件の大臣は関係なく、父自ら、呼び出すようになったのだ。
大の大人が揃って解決できないことを、誰よりも考える。
知恵熱が出るまで考えて、知恵熱が出ても考えて、鼻血が出ても考えて。
時に現地に赴き、どの大人よりも働いた。
王家に生まれた者として、これが責務なのだとリーゼァンナは実感していた。
三歳の少女を殺した馬鹿な子供でいることが、我慢ならなくて。
罪なき住人を殺した馬鹿な子供が生きるのを、許せなくて。
リーゼァンナは学び、考え続けた。
国、父、母、弟、王宮、騎士、貴族、民……
人、心、哲学、宗教、倫理、道徳、命、時間……
全ての事象を四次元的に思考し、三次元で実行する。
そういう人間に、育っていった。
†
そんなリーゼァンナからすると、この森に落ちたときから自分が弱点だったことは明白だ。
だから、『後ろ向きな話はしないように』と誘導した。
自分が邪魔者であることに気付かないふりをして、ルナリアの思考を狭めさせた。
本当は死ぬほど恥ずかしかったけど、裸で抱き付いて暖めるような真似もした。自分への情で絆そうとした。
――自分が死ぬわけには、行かない。
ただその一心で。
けれど、リーゼァンナは忘れていた。
めまぐるしく回る頭脳が、見落とした。
見ず知らずの人の死に吐くほどストレスを覚える自分が、『目の前で痛めつけられる少女を見て耐えられるわけがない』という、簡単な事実に。
~幕間 続く~