14歳―9―
翌日は、足下の冷たい感触で目を覚ます。
雨が降っていた。
枝葉の傘は不完全で、少し顔や体も濡れてしまっている。
まあ、それでも昨日の激しいノックで起こされたよりは大分マシな寝起きだけど。
雨の中で歩き続けるのも憚られる。私もだけど、なにより殿下の負担が心配だ。風邪でも引いたら帰れるものも帰れない。
ということで今日は雨をしのげる場所を探して、そこで過ごそう、という話になったが……こういうときに限ってなかなか見つからない。
雨の中、懲りずに襲ってくる魔物を斬って、突いて、削って、倒すなり追い返すなりする。
雨がじわりじわりと、毒の状態異常のように、私の体力を削っていく。ちなみに殿下には、護法剣を上にも乗せることで雨を防いでいる。
熊のような魔物の爪が頬を掠めるのと交差して、その胴体にガンガルフォンを突き刺した。
倒れる魔物からガンガルフォンを引き抜くと、強まった雨脚が付着した血を洗い流していく。
「殿下、参りましょう」
今日はこの雨。移動の時も護法剣は解かず宙に浮かせた状態で、殿下の歩みに会わせて移動するよう設定してある。
「……ルナリア、これを解除してくれ。このくらいの雨、大丈夫だ」
「ダメですよ。風邪でもお召しになったら大変です」
「それは君も同じだ」
「……私には、ほら、ガンガルフォンもありますから」
言って、ガンガルフォンを頭上に掲げて傘代わりにする。
「その割に、そうやって傘にしてるところは今初めて見たぞ。……もう、腕を上げてるのも辛いんだろう?」
「それは、まあ正直。なので、早く雨の当たらない場所を見つけましょう」
「魔力神経のダメージも言わずもがなだ。少しでも……」
「別に、護法剣くらいなら大差ありません」
「それならなぜ自分にささない?」
「…………」
――今はとにかく、魔力神経の負荷を抑えたいからだ。
「ルナリア。私の雨をしのぐために、君が倒れるリスクを上げるのはナンセンスだ。君が倒れる、つまり私の死だぞ? 君は私を殺す気か?」
「……申し訳ありません。分かりました。護法剣、解除させてください」
「だからそうしなさい、と言っているのさ。分かってくれて嬉しいよ、ありがとう」
護法剣を解除する。殿下の体を雨が襲う。
それから、私たちはどちらとも口を開かず、森を……特に崖側に洞穴があることを期待して、進んで行った。
太陽が見えないので時間が分からないが、多分昼過ぎか夕方になる前頃。
初日に見つけたよりもさらに大きな洞窟を見つけて、私たちはそこに入った。
入り口の護法剣は二重にして、音声遮断もしておくことにする。初日は魔力神経温存のため、音声を通すようにしてしまった反省からだ。乱暴に叩かれる音で目が覚めるのは精神衛生に悪い。
一応、匂いや気配などで存在が察知されにくくするよう、奥の方へ移動する。
入り口の光があまり届かなくなったところ、丁度少し広くなった空間を今夜の居とすることにした。
炎の魔力剣を生成して、中央の地面に突き刺す。明かりにし、暖を取る。
「暖かい……。なるほど、便利だな。魔法剣というのは」
「私も、この才能にして良かった、って今思いました。魔法で火を燃やし続けるより、燃費も良さそうですし」
「確かにな。だがこれもずっと燃え続けるわけではないんだろう? 早いところ、服を脱がないとな」
「……えっ?」
気付くと、殿下が私のドレスに手を掛けていた。
「殿下、そのようなこと……」
「なに言ってる。濡れた服を着たままでは、体が冷え続ける」
「それは、分かってます。そうじゃなくて、自分で脱げますから……」
と言ってる間にも、殿下は手際よく私のドレスを脱がしていった。シンプルな作りなので、すぐ脱げてしまう。
「こんな作業は、全部私がやるさ。できる限り、君は体力を温存してくれ」
「……殿下にお世話していただくなんて、光栄です」
「ああ、帰ったら存分に周りに自慢してくれ」
下着も全部脱がせた殿下は、炎剣の周りに私の衣服を広げて置いていく。
それから殿下自身もドレスを脱いで、同じく私たちのスペースを残して服を置いた。
二人とも、裸のまま地面に座る気になれず、なんとなく立ったまま火に当たる。……いずれ座らざるを得ないし、寝ざるを得ないのは分かっているんだけど。
「そうだ」
と殿下は言って、丸めて置いたままだったロングコートを取りに行く。
そしてバサッ、と大きく広げて全体をチェックした。
「……うん、早めに丸めてたのもあって、中はあまり濡れていない。少し乾かせば、問題ないだろう」
殿下は自分のドレスを少しどかして、できたスペースにコートを広げる。
「流石に地面に裸で寝るのは抵抗があるからね」
言って、また私の横に戻ってきた。
殿下は私の顎の下に両手を添えて、そっと私の顔を向けさせられる。
「……あまり顔色が良くないね」
「元々、真っ白ですから」
「ははっ、まあ、それもそうか」
――体が冷え切っている。
ずっと動きっぱなしだし、勝手に暖まってくれるかと思ったけれど……そうは都合良く行かないようだ。
ふと、優しい圧力を感じる。
気付けば、殿下の胸の中に私の頭があった。
背中に回された腕に締め付けられて、胸とお腹も、殿下の体に密着する。
殿下の体は柔らかく、暖かくて、なんだか安心する気がした。
「こういうときは、身を寄せ合って空気が触れる面積を減らすと、体温が逃げにくくなるらしい」
「……なるほど、よく、ご存じで……」
「三年生になると修学旅行がある。私の年は北の寒い地方で登山することになってね。『万が一の時に覚えておけ』と担任から教えられたものだよ」
「……修学、旅行……」
「今生こそ、行くんだろう?」
「……はい、行きたい、です……」
「ああ。あと一年だ。存分に楽しんで来るといい」
さらに強く抱きしめられる。
――気持ちいい。こんなときなのに、良い匂いがする。
全身を包む多幸感に酔いながら、ゆっくりと私の意識は落ちていった。
†
目覚めると、殿下のロングコートの上に寝転がっていた。
全裸の殿下が、私を抱いている。
――今は、何時ごろだろう?
炎剣は消えていて、周囲はよく見えない。入り口からの光はもうほとんどないから、日が落ちているかもしれない。
体を起こして、もう一度同じ場所に炎剣を生成し突き立てた。
「……ん、うぅ……」
私が動いたからか、殿下もゆっくりと目を覚ます。
「すみません、起こしてしまって」
「……いや、火をありがとう。少し顔色が良くなったね」
「はい。殿下のお陰で気持ちよく寝られました」
「それは良かった」
殿下が入り口の方を見る。
「少し雨の様子を見てこよう」
「殿下、それなら私が……」
「いいから」
有無を言わせず、敷いていたコートを私に羽織らせる。
「あまり入り口に近づかないようにするから」
そう言って、そのまま立ち上がって行ってしまった。
すぐに帰ってくる。
「土砂降りだ。今日はもうここから動けないだろう」
「そうでしたか」
私の横に座ろうとする殿下に、コートを広げて見せる。
殿下は一瞬目配せして、その中に潜り込んできた。
一つのコートの中で、二人の体を寄せ合う。
ゆらめく炎剣の陽炎を、ぼんやりと見つめた。
「……ドーズ先生とのギルネリット先生、大丈夫ですかね」
ふと脳裏をよぎった二人の姿に、視線を上げる。
「まあ、あの二人の連携を凡百の騎士がどうにかできるとも思えん。私は割と楽観してるよ」
「なら、良いんですが」
視線を移し、すぐ間近の殿下の顔を見る。
「……殿下、申し訳ありません」
「どうした? 急に」
「私があの時、召喚獣にちゃんととどめを刺しておけば、こんなことにならなかったのに……」
「謝られるようなことじゃないさ」
肩を抱き寄せられて、私の側頭部と殿下の頬がこつんとぶつかる。
「私の方こそ、謝らなければならない。君が護衛に付いてくれると言ってくれて、これ幸い、と深く考えず連れてきてしまった」
「いえ、それは私が、脅迫みたいなことを言ったからひぇ……」
むにっ、とほっぺを摘ままれた。
「こういうとき、後ろ向きな話題は良くない。気が滅入るからね。それよりもっと、明るい話をしよう。未来に向けた、元気が出るような話を」
「……殿下」
――凄い御方だ。
ふわりとした微笑を浮かべる殿下を見て、あらためてそう思う。
この極限状態で、良くここまで冷静でいられるものだ。
彼女の言葉を受けて、私は小さく頭を振る。
――そうだ。殿下の言うとおり。
過去を悔いるより、前を向いていかないと。
「私が女王になった暁には、ルナリア、君にどんな地位でも名誉でも与えるつもりだ。なにが欲しい?」
「初っぱなから依怙贔屓は良くありません。そんな王、誰も付いて来なくなります」
「贔屓ではない。正当な対価だよ」
「そうですかね……」
「そうだとも。そうでなくても、とにかく未来の楽しいことを話そうと言ったばかりだろう? 冗談でも良いから、何が欲しいか口に出していって見るといい」
「……何が、欲しいか……」
そう言われて、ちょっと真面目に考えてみることにする。
殿下から、欲しいもの……
「……思い付きました」
「うん。なんだい?」
「またこうして、一緒に寝て欲しいです」
殿下の表情が固まる。
「殿下と寝るの、凄く、気持ちよかったので」
そう言うと、殿下は困ったように視線を逸らした。心なしか、頬が赤い。
「……君は、あれだな。その、あまり敵を作らないように気をつけなさい……」
「……? ダメでしたか?」
「ダメではないよ。ダメではないが……、破壊力が、凄いだけだ」
「?」
――敵とか破壊とか、物騒な殿下。別に、敵を作る気も、何か壊す気もないのに……
「……ああ、すまない。分からなくて良い。君はそのままで居てくれ。
で、欲しいのは私と添い寝だったな。そんなんで良ければ、いくらでもお安いご用だ」
体勢を変えて、今度は正面から抱きしめられた。
「君は本当に、凄い。強くて格好良くて美人なのに、こんなに可愛いなんて。トルスギット卿には感謝しないとね」
「……お褒めにあずかり光栄ですが、褒めすぎですよ」
真っ直ぐに賞賛されて、少し照れてしまう。
抱き返そうと殿下の背中に回した私の手を、彼女はくすぐったそうに笑った。
それから、徐々に抱き合いながら触り合い、くすぐり合いに発展していく。
こんな時にじゃれてはしゃぐ私たち二人を、炎剣が無機質に……けれど暖かく、見守っていた。
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