14歳―3―
~幕間 続き~
丁度カップを置こうとした時でなければ、落として零してしまっていただろう。……そうなることが分かっていて、レナーラもタイミングを見計らって言ったのかもしれない。
「ご安心ください。お姉様は全然気付いていませんでしたよ。私も、お姉様の前では気付いてないフリをしていますから」
「な、ど、どうして……」
頭の片隅ではなにか言い訳をするべきだと考えつつも、つい聞き返してしまう。
『どうして分かったの?』
『どうして気付いてないフリなんてするんですか?』
そんな疑問が口から出そうになってしまった。
「それ以外にも、シウと居るときの話を色々と聞いていると、段々思ってしまったんです。『もしかしてシウラディアという人は、お姉様のこと友達以上に愛しているのかも?』って」
そこで、レナーラはカップからシウラディアに視線を向ける。
「それで、昨日の件で確信しました。お姉様が私の事を良く言ってる間、お辛そうでしたから。……あの場から離れたくなるくらい」
シウラディアは何と言って良いか分からず、ただ震える自分の手を押さえた。
「それが私、嬉しくて。シウはきっと、私と同じ思いをお姉様に抱いている同士だ、って」
「……同士?」
レナーラの意外な言葉に、シウラディアは思わず聞き返す。
「私はお姉様を愛しています。生涯添い遂げたいと、心から思っています。……シウは、違いますか?」
「……それは……」
はっきりと愛を断言するレナーラ。
シウラディアの感情は揺さぶられ尽くして、上手く思考がまとまらない。
「……私、この二年間、お姉様が私の知らない方と知らない友好を深めている事実に、ずっと後ろ暗い感情を抱いてきました」
レナーラは訥々と、自分の心の内をさらけ出す。
「『学園のルールなんて無視してもっと頻繁に帰ってきてくれれば良いのに』とか、『お姉様に「他の人のことなんて全部忘れて、私だけを見て欲しい」と頼めば、きっと聞いてくれるだろう』なんて考えた時期もあります。
それは多分、生まれて初めて抱いた、嫉妬や憎しみの感情だったんだと思います」
その言葉に、シウラディアの鼓動が強まる。
――嫉妬や、憎しみ……
昨日覚えた感情の名前としては、あまりにふさわしすぎて。
「シウラディアさんは昨日、私にそういった気持ちは抱きませんでしたか?」
『同士』だから、そんな感情の機微まで正確に読み取れるのだろうか。
シウラディアは観念して、その感情を認めることにした。
「……抱いてる。私は、きっと、レナに嫉妬している」
「ですよね。……分かります。すごく」
万感が込められたその同意に、シウラディア思わず、涙が出そうになってきた。
「よく、二年も平気でしたね。尊敬します……」
大好きな人と、二年間も離ればなれになるだなんて……
昨日抱いたあの感情を、二年も持ち続けるなんて……
シウラディアは想像するだけで、到底、耐えられそうにない。
(昨日一日だけでも、あんなに辛かったのに……)
「……この指輪、お姉様が二年前にくれたんです。なんの指輪か、分かりますか?」
レナーラはそっと右手を開き、甲側を上にしてシウラディアに示した。細い薬指に、薄紫の小さな宝石が付いた指輪がはめられている。
「これ、結婚指輪なんです」
「……けっ、こん……?」
上手く意味が飲み込めない。
――だって今、ルナから貰った、って言ってなかった……?
「私が二年間、寂しい思いをしないように考えてくれたんです。二人だけの秘密の結婚をしよう、って。
私、それが本当に、嬉しくて。もちろん、お姉様にとっては姉妹愛の延長に過ぎない、というのは理解しています。でも、やっぱり嬉しいものは嬉しくて。辛くなったら、この指輪を見て我慢してきました」
レナーラはあどけない顔で……まるで長年戦い続けた戦士のように、深みある笑みでシウラディアを見る。
「そうしていると、不思議と暗い気持ちが晴れていくんです。『自分だけが幸せならそれでいい』という考えが、浄化されるんです。
不思議なもので、段々と『お姉様が今、新しいお友達と楽しい毎日を送れてるなら、自分もそれで幸せだ』なんて考えられるように、この二年で変化していきました。
もし、お姉様が私のワガママを聞いて、私以外の人間を排除してしまったら……きっと、お姉様は不幸になってしまう。そんなの、私は絶対嫌だから。気付けば、独占欲のような気持ちは全然抱かなくなっていました」
努めて軽く語ろうとするレナーラの口調で、逆にその日々がどれだけ辛かったのか、シウラディアは察することができてしまう。
「……秘密の結婚なのに、言っちゃって良かったんですか……?」
「はい。だって、この結婚はもう、本来の役目を終えてるんですから。もちろん、誰彼構わず言いふらす気はありませんが」
「それは、そうかもしれませんけど……」
シウラディアは思い知る。
二歳年下な上、年齢以上に小柄で童顔なこの少女は、けれどまごうこと無き『トルスギット』であり。
自分がつい昨日抱いた負の感情と、二年間戦い続けてきた歴戦の猛者なのだ、と。
――これが、本物の『貴族』……
対抗する気も起きないレナーラの凄みに、シウラディアはただただ、圧倒されていた。
以前からルナリアが『可愛いし賢くて凄い子なの!』なんて言っていたけど、こういうことなのか、と納得するしかない。
「それで、昨日ずっと、考えてたんです。『お姉様の右手の薬指にある指輪って、なにも一つじゃなくて良いんじゃないか?』と」
「…………?」
なに言ってるか分からなかった。
なに言ってるか分からなかったけど、なんかとんでもないこと言い出してることは、なんとなく分かった。
「シウもお姉様と結婚しちゃえば良いんじゃないかなあ、って」
??????
具体的に言われてもまだ、シウラディアの脳内はクエスチョンしか浮かんでこない。
「だって。シウラディアさんが私に嫉妬して関係がこじれたり、辛い思いしたら、一番悲しむのはお姉様じゃないですか。そんなことになるくらいなら、結婚しちゃった方がいいと思うんですよ。
法的な効力はなにもない結婚ですけど、だからこそ、二人でも三人でも同時にしちゃえばいいのに、って」
そう言われて、段々と理解が追いついてくる。
『お姉様が今、新しいお友達と楽しい毎日を送れてるなら、自分もそれで幸せだ』
さっき言っていた言葉の真意が少しずつ浸透してきて、シウラディアは鳥肌が立った。
――未来のルナが幸せになるなら、二年前に結んだ結婚すら二の次なのだ。この子にとっては。
「はは……、流石、ルナの妹。トルスギットの血って、すごいのね……」
内心打ち震えながら、シウラディアはそんな賞賛を口にする。
「そんなに変なこと言ってますかね?」
「……変なことしか言ってないと思いますよ」
「お姉様にとって、右手の結婚は、恋愛ではないんですよ。ただ同性同士で、永遠の絆を……という意味だったので。だったら、シウも加わって良いハズです」
……なんというか。
変なことしか言われていないはずなのに、なぜか反論の余地がない。唸るばかりのシウラディアである。
世間ではこういうのを屁理屈、というのかもしれないけれど……
『ルナと結婚する』
その響きが、シウラディアにはあまりに魅力的すぎた。
「でも……でもさ。それって、言い方悪いかもしれないけど……私は、二番目になるって事だよね」
ふとそれに気がついて、気がついたまま口に出してしまう。
「順番としてはそうなりますけど……それじゃ嫌ですか?」
「まあ……そう、なのかな。正直、自分でも良く分からなくなってきた……」
(……一旦、感情を整理する時間が欲しい……)
「嫌なら、私が二番目になっても良いですよ? なんなら、指輪を外しても良いですし」
「……えっと、ちょっと待って、さっきからとんでもない話すぎて……」
(頭パンクしそうだよ……)
「もちろん、お姉様のご意向が最優先ですが、私の方は全然。さっき言ったとおり、私の結婚は役目を終えました。今一番大事なのは、シウがお姉様との関係に悩んでしまったり、疎遠になったりしないことです。なんとしても、そんなことさせたくないんです。
『私が先に結婚してる』ことが邪魔なら、解消したって問題ありません」
――そんなの、本当は嘘だ。それくらい、いくら平民で頭が悪いからって、理解できないわけない。
二年間、心の支えだったものを手放して、平気なはずがない。
けれど、それでもレナーラはたった今、目の前でそれを手放す決意をした。
(私が考えも無しに『二番目』に抵抗を見せてしまったばっかりに)
本当、トルスギット家はとてつもない一族だ……。
この姉妹には一生敵わないんだろうな、と悟ったシウラディアである。
「すごいね。それを捨てでまで、ルナのために生きるだなんて……。私には、真似できないよ」
「いえいえ、多分、数年すれば理解できますよ。お姉様と過ごしていると、自然と、お姉様の幸せ以外考えられなくなります。
ショコラさんやエルザさんもそうですし、ロマ様もそういう気配ありますね」
「……そうか、私はまだまだ新参者というわけですね」
「ふふっ、それはあるかもしれません。こんな風に思わせてくれる方なんて、そうそう居ませんから。慣れる時間は必要でしょう」
シウラディアはゆっくり立ち上がって、背伸びをした。
うーん、と思わず声が漏れる。
それと同時に、昨日から抱いていた鬱屈が、綺麗さっぱり吹き飛んでいくような気がした。
「……ありがとうございます。なんか、色々吹っ切れました」
「それは良かったです」
「まあ、レナから指輪を奪うのはあまりにも忍びなさ過ぎるから。二番目の指輪をもらえるように、頑張ろうと思います」
すると今度はレナーラが目を丸くする。
「……本当に良いんですか?」
そんなレナーラに、シウラディアは晴れやかな笑みで見下ろした。
「なんだかレナと喋ってたら、順番にこだわってるのが馬鹿馬鹿しくなってきちゃいました。要は、自分がどれだけルナのこと好きなのかって話であって……。
見返りを欲してるのが、間違ってるんだって。本当の結婚だって、先にした方が偉いわけでも無いし」
「それはまあ、確かにそうですね」
「とはいえ、まだ整理付いてないところもあるから……。また今度、二人でお話させて欲しいです」
「もちろんです! 次は二人っきりで、お風呂いただいちゃいましようか」
「いいですね! どうしよう、一気に楽しみになってきちゃった」
そんな話をして、二人ではしゃぐレナーラとシウラディア。
一人の少女に恋する二人の少女が、『同士』に……あるいは、『恋愛友達』とでも言うべき関係になった日だった。
~幕間 了~
†
三人で訓練から戻ると、レナとシウが妙に楽しそうに語り合っていた。
出る前は向かい合ってたのに、いつの間にか隣同士で座ってるし。
「あ、おかえりなさいお姉様!」
「ただいま。なんだか楽しそうね」
「今日はなかなか話が弾んじゃいまして」
「とっても仲良しになれましたよね、私たち」
「ええ、それはもう」
二人はとても意気投合したように、それぞれ別の花のような笑顔を見せてくれる。
「ふふ、それは良かった」
そんな笑顔、見てるだけでこっちまで幸せになっちゃう。
エルザがお風呂の準備をしてくれる間、レナの対面に腰掛けた。
「お姉様」
「なあに?」
「もし私とシウのどちらかしか助けられない、という状況になったら、どちらを選びます?」
「……レナ?」
レナの不思議な質問に、どこか驚いた様子のシウ。
「えー? どちら、と聞かれてもね。絶対二人とも助けるけど」
私はそう答える。
「いえ、一人しか助けられない状況で、そういう法律もあって……物理的にも、二人助けるのは不可能な状況なんですよ」
レナが妙に食らいついてくる。
――どうしても、どちらか一人だけ選ばせたいんだろうか?
あいにくだけど、そんなの答えはずっと昔から決まり切っている。
私、ワガママ令嬢ですから!
「それなら、法律も物理法則も全部ぶった斬る。で、両方選ぶわ。なに? そんな話題で盛り上がってたの?」
そう答えるとレナは満足したように、にっこりと笑った。
「ふふっ、絶対にそう言うだろうお姉様が、私もシウも大好きなんだ、って確認し合っていたところです」
なおもおかしそうに、クスクスと声を出して笑っている。
「大好きなのは嬉しいけど、そんな不穏なテーマで盛り上がらないでよ……」
「いえ、実際はもっと明るいお話でしたから。今のはただの喩えです」
「そう? ならいいんだけど」
ふと横を見ると、ショコラがなにやら酷く気まずそうにしていた。
「どうかしました? ショコラさん」
レナがそんなショコラに問いかけた。
「……いや、別に……」
ショコラはちらちらとレナとシウ、そして私を見比べて、視線を逸らす。
「……ショコラには、お姉様が手ずからかけた首輪があるものね」
そんなことを言って、レナは右手だけをテーブルの上に置く。薬指の指輪が微かに照明の光を反射した。
「……それも昔は、羨ましかったなあ……」
「なにか言った?」
よく聞こえなくて、私は聞き返した。
シウなら距離的にも聞こえただろうけど……。
「いえ、なんでもありません。ね?」
なんて、シウに向けて人差し指を口元に立てる。
レナにそんな仕草されたら、内緒にせざるを得ないことは重々承知している。
二人がそんな、内緒話できるまで仲良くなってくれたのは良いことだけど……
この二人が揃って私に内緒にすることがあるなんて、それだけは少しだけ、寂しい。
いやいや、仕方ないというか……仲良くなってくれて嬉しい気持ちの方が大きいんだけどさ!
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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