10歳―5―
また次の日。
昨日と同じように対峙する私とショコラ。
「あのザマで、よく今日もやる気になれたな」
相変わらず、だらりとした姿勢でショコラが言った。
「あのザマって言われても。模擬戦すら初めてだったんだから、勝てなくて当然よ。誰でも最初はそうじゃない?」
「……生意気な女だ」
「生意気でワガママだって評判だからね」
今日もギャラリーに来たイズファンさんとレナ、そして形代の魔法を準備しているセレン先生が、不思議そうに私を見る。
前生の私は、周囲にそう言われているのも知っていた。
未来の王妃たるもの、周囲に嘗められてはいけない、と思っていたし、王太子に惚れてもらう自信も無かったから、彼に近づく人物を排除した結果である。
でも今思うと、生意気なのもワガママなのも、性分なんだと思う。今生でもお父様に逆らって剣を握ったり、周りに心配や迷惑をかけてまで模擬戦したりしてるし。
「形代の準備が整いました。いつでもどうぞ」
セレン先生が私たちから離れる。
「今日は私から行って良い?」
ショコラに向かってそう尋ねた。
「いちいち聞いてたら先手取られるだろ」
「ふふっ、確かに」
駆け出す。
戦爪を出すショコラを見た。
左下から右上へ、斜めに斬り上げる。
「遅え!」
私の木剣をショコラが左爪で受け止め……
られたと思ったら、勢いよく弾かれた。
その瞬間、ドォン、と低い音が響いたような気がして、私は膝を付く。
――何が起きた……?
と考える間もなく、ショコラの右の爪が束ねられ、私の中心を貫いた。
……実際は形代魔法のお陰で、吹き飛ばされるだけで済んだけれど。
一瞬、本当に死が脳裏をよぎるくらいの一撃で、私の体は地面を三回ほど転がった。
レナの悲鳴が聞こえた気がしたけれど、脳が揺さぶられて三半規管もぐちゃぐちゃで、本当にそうだったか自信は無い。
……気を取り直せたのは、十秒か、一分か……それとももっとかかっていたのか、分からなかった。
なんとか起き上がると、ショコラが私に向けて木剣を投げる。私が受け取れるように、ゆっくり弧を描いて。
木剣を右手で掴んだ。
ショコラは黙って、ただその目で、「まだやるんだろう?」と聞いている……気がした。
「……なに、今の?」
未だに何が起きたのか分からず、私は思わずそう尋ねていた。
「戦技だよ。『パリィ』ってやつだ」
ショコラがぶっきらぼうに答えてくれる。
「あれがそうなんだ。弾かれた瞬間、体の自由が無くなったみたいだった」
ちらりとセレン先生の左手を見る。石の表面の大部分が傷ついていた。
「もう終わりか?」
「まさか」
ショコラの問いに答えて、木剣を構える。
とはいえ、あんなものを喰らって、流石にまた飛びかかる気にはなれない。じりじりと距離を見極める。
不意にショコラが駆けてきた。
右爪が振りかぶられた先に目が行った瞬間、下腹部に前蹴りが突き刺さる。
くの字に折れた私に、左の爪で無理矢理顎をカチ上げられた。
そこに右の爪が横薙ぎに来るのが目の端に見えるけれど、なすすべ無くそのまま地面に頭を打つ。
またも世界が揺れて、私の背中と地面がくっついていた。
「これが戦の速さだ。昨日も今日も別に全力じゃねえぞ。早く慣れろ。さもなきゃさっさとリタイアしろ」
私の側に来て見下ろすショコラ。
――早く慣れろ、と言われても……
「……どうすればいい?」
ショコラはわずかに目を丸くした。
「正直、全然追いつける気がしない」
「そりゃな。運動なんてダンスしかしてこなかったんだろ?」
「うん」
起き上がろうとすると、ショコラが黙って手を差し伸べた。それを握って立ち上がる。
「当たり前だが、遠くのモノより近くのモノの方が素早く見える。太陽や月はものすごいスピードで動いてるけど、それより遅いはずのパンチが目で追えない」
「確かにそうね」
「俺が親父や師匠達に言われたのは、だったら遠目で見ればいい、だ」
「遠目?」
「自分の目だけで見るのをやめて、空から今の状況を見ているもう一人の自分を置く。遠くから見てるんだから、自然と遅く見えるようになる」
「えっと……そういう戦技の話をしてる?」
「違う。意識の問題だ。まあ、自分でもオカルトだと思うが……要は、目の前のことだけじゃ無くて、全体を把握しろ、ということだ」
「全体を……」
「最初は無理でも、それを意識し続ければ、いずれ言ってる意味も分かってくる。少なくとも俺はそうだった」
「遠目……」
正直、よく分からないけれど……
まあ、実際にそれをやって、ショコラは今の強さなのだろう。
だったら、言われたとおりに意識してみよう。
「まだやる気なら、構えろ」
二歩ほど後退して、ショコラが軽く構えた。
「……優しいね」
ほとんど自動的に、そんな言葉が口から出る。
「あん?」
素っ頓狂な高音で、ショコラが固まった。
「色々教えてくれるし」
「……お前の質問に答えなきゃ、首輪が反応するかもしれねえからな」
「それだけかなあ?」
「……うるせえ。お喋りは終わりだ」
私も木剣を構える。
――遠目……
――自分の目だけでモノを見るんじゃ無くて……
――上から自分たちを見下ろしている、もう一人の自分がいるような……
――戦況を全部把握する……!
一歩深く、ショコラが踏み込んできた。
両腕を開いて、直前まで左右を絞らせない。
――どっち?
――あるいは、両方?
いや、違う。
踏み込んできたのは、左脚。
わずかに左肩が上がったのが、見えた気がした。
咄嗟に木剣を差し出そうとして、ふと昨日のことを思い出す。
――力勝負じゃ勝ち目は無い。
魔力の筋肉を増やそうにも、この刹那では間に合わない。
だったら、正面から受け止めるのは駄目だ。
ということは……
――あれ?
ていうか、なんでこんなに、色々考えられてるんだろう?
――って、今はそんなの後回しだ!
左の爪に木剣を向ける。
同時に私も左脚を踏み出した。
爪がぶつかった瞬間、木剣を思いっきり後方に振り払い、右脚を上げて、重心を前に出した。
左脚を軸に、クルッと回転! 綺麗に決まった。ダンスの経験が生きたかも!
交差したショコラの背中に、右手一本で一回転分の遠心力を乗せた木剣をぶつけた。
「がっ!?」
ショコラが蹈鞴を踏んで膝を付いた。
左手で体を支えて、こちらを振り返る。
――一撃、入れられた……?
振り抜いた右手と木剣を見ながら、まだ残る攻撃の感触を確かめた。
「……おい、お前、さっきまで手抜いてやがったのか……?」
ショコラも本気で疑ってると言うわけではなさそうで、どちらかという戸惑った様子だ。
「まさか。そんなことしてないって」
「じゃあ、今のは……?」
「ショコラが教えてくれた、遠目を意識してみただけで……」
「もう会得したってのか?」
「いやいや、会得なんて烏滸がましい……」
と反射的に否定してはみたものの……
あの、時間がゆっくり流れたような感覚、あれはそうだったのだろうか?
「……なんで俺が左で撃つと分かった?」
ショコラが質問を変える。
「それは、まず踏み込みが左脚だったから。逆の右手だと、勢いが死んじゃうかなって。あと、一瞬、左肩が上がったような気がしたから。もう左から来る、って決め打ちしてみた」
「おいおい……」
立ち上がったショコラの目は、さっきまでの気怠いモノでは無かった。
キラキラと、ギラギラと。
今初めて、私だけに意識が行っていると分かるくらいに、生気の宿った目だった。
それが敵意なのか、それ以外なのかまでは、よく分からなかったけど。
「本当なのか、それ」
「いやまあ、本当だとしか言えないけど……」
「……分かってる。じゃなきゃあのタイミングで左脚を踏み出せるわけない。……何なんだ? お前。さっきまでヨチヨチだったくせに」
「えっと……あれじゃない?」
「なんだよ」
「……才能?」
「…………」
「…………」
「……ははっ、ウゼえなお前!」
今度は私が不意打ちを食らったようだった。
声を出して笑うショコラは、可愛い女の子そのものだったから。
そんな彼女に、私も気付いたら、釣られて笑い出していた。
†
魔法剣の才能とは、それを使って戦うことにまで及ぶのか。
はたまた、まさか私個人の天賦の才だった……と考えるには行き過ぎだと思うけど。
ともかく、『どうすれば良いか分からない』という状況では本当にどうすることもできないけれど、どうすれば良いかを教えられれば、次の瞬間にはほぼ実現できるようだった。
「剣を振るときはずっと力を入れるな。当たるまでは力を抜いて速く、当たる瞬間に握り締めて威力を上げろ」
と教われば、次の一撃でショコラの爪を痺れさせるくらいになり。
「魔力の筋肉が作れるなら、もっと立体的に動いたらどうだ? 絶対に普通の人間はそんなヤツの対策できないだろうし」
と教わった日の夜、脚にも魔力の筋肉を纏い、魔力で空中に見えない足場を作って、そこを渡る練習をしてみた。
翌日、あんまりショコラに通用しなかったけれど……
「なるほど、足場まで作っちまうか。一対一じゃあんま効果なさそうだけど、多数相手なら無双出来そうだな」
と褒められた。
「もっと足場を局所にまとめて、上から猛スピードで斬りかかれれば通じるかな……?」
「通じるかもしれねーが、着地の隙がでかくなるんじゃね?」
「確かに、そうか……」
そんなに風に、話しては斬り結び、斬り結んでは話し、毎日の訓練を積んでいった。
そんな時間が、本当に楽しくて。
私は本当は、こうやって生きたかったんだ、と実感するのだ。
†
そんな感じで一ヶ月が経過した。
教わったことは基本的に習得は早いけれど、どうしても習得できないものもある。
戦技だ。
戦技を使うには、魔力神経を閉じなければならない。MPを魔力では無く、気力――単に『気』と呼ばれることもある――に変換して行使するのが戦技である。つまり、魔法(魔力)と戦技は同時に使えない。
この戦技の数が、ショコラはとにかく豊富だ。
アナライズからも分かっていたけれど、パリィのように自身の技術が必要なものもあり、その一つ一つが洗練されている。
伊達に獣人国のエリートの娘ではない。「才能がある」と言われたそうだが、本当にそうだと思う。
私のような誰かにもらったモノでは無い、本物の才能。
惜しむらくは、体格に恵まれなかったこと。近接戦は、魔法戦より如実に体格差が影響してしまう。
とはいえ、あまり体格が変わらない私では全然敵わない。当初のショコラの宣言通り、毎日ボコボコにされる日々である。
戦技を禁止してもらえば少しは良い戦いになるかもしれない。でも私も勉強になるし、戦技あってのショコラの強さだと思うし、そんなこと言う気は無い。
……んだけど、いつまでも勝てないのは、それはそれで悔しい。戦技禁止、って言わないように言わないように……と自分をいさめる毎日である。
ある日の訓練終わり。
「汗掻いたでしょう? 一緒にお風呂入らない?」
そう誘ってみた。
「嫌だ。詰め所で水浴びる方が良い」
と、そのままショコラは去って行った。
「……セレン先生はどうです?」
次に、毎日付き合ってもらってるセレン先生に聞いてみた。
「いえそんな、恐れ多いです!」
ぶんぶんと首を左右に振られる。
そんなに断らなくて良いのに、と思うけれど、前生だったら公爵令嬢と男爵の三女が同浴なんてあり得ない、とか言ってそう。
人間変われば変わるもんだなあ、と我ながらしみじみ思った。
さらに次は、意図せずイズファンさんと目が合う。
「……イズファンさんは駄目ですよ?」
「当然です」
呆れた風にイズファンさんが苦笑した。
「仕方ない、じゃあレナ行こうか」
「はい!」
最近は訓練後に二人で汗を流すのが日課。
今日も二人で手をつないで、大浴場まで向かった。
お互いの髪と体を洗い合い、湯船に浸かる。
疲れた体にお湯がしみる。
両手を組んで背伸び。
「はぁーっ♪」
なんて、オジサンみたいな声が出てしまうのも、もう最近では止められない。
一通りリラックスすると、レナが私に両腕を広げて近づいてきた。
「お姉様ー」
私の可愛い天使を抱きしめる。
この時間もまた、なんて至福だろう。
剣にお風呂にベッドに、毎日こんなに幸せで良いのか、と意味も無く不安になろうというものだ。
「……ショコラさんに断られて残念でしたね」
レナが顔を上げて、すぐ近くでそう私に囁く。
「まあ、仕方ないよ」
頭を撫でると、レナが気持ちよさそうに目を閉じた。
「……お姉様、私……」
「ん?」
「……いえ、すみません、なんでもないです」
ごまかすように、レナが私の首の後ろに手を回して、自分の顔を私の肩に乗せた。
「じゃあ、そのなんでもないこと聞きたいな」
言いながら、優しく頭を撫でる。
黙りこくるレナ。
隠し事なんて無しだよ、という気持ちを込めて、そんなレナをゆっくり撫で続ける。
「……湯船を出たら、忘れてください」
レナがぽつりと呟く。
「うん、分かった」
「私、本当はあんな危険なこと、やめて欲しい、って思ってました」
「あんな、って言うのは、ショコラとの訓練のこと?」
「……はい」
「……そっか」
ちゃぷん、と小さな水音だけが響き渡った。
「危険は無い、って頭では分かってても……、もしもっ、て考えちゃって……」
「……心配かけてごめんね」
「でも、お姉様は生き生きして、毎日やる気まんまんで……。止めたくも、無いんです」
「うん」
「ごめんなさい、足を引っ張るようなことを言って」
「ううん、そんなことない。すごく嬉しいよ。正直に言ってくれてありがとう」
ぎゅぅっ、と強く、レナを抱きしめた。
これまで言わずに秘めていた彼女の優しさも含めて、愛おしい。
「そうだよね。もし逆の立場だったら、私はレナを無理矢理にでも止めてるかも。怖いもん。レナが戦う必要なんて無い、って、きっと説得しちゃうな」
だというのに、自分はそれを強行しているのだから。
我ながら、妹不幸者。
私の大事なレナに、苦しい思いをさせて。
「……本当にごめんね。こんなお姉ちゃんで」
ぶんぶん、と私の肩の上で首を左右に振る。
「謝らないでください。私は、お姉様が本当にしたいことなら、応援していますから」
「凄いなあ。私よりもずっと大人だ」
「お姉様よりも意気地が無いだけです」
「意気地とかじゃ無いと思うけど……」
「どうか、お怪我だけは、なさいませんよう……」
「うん。私の未来と、レナの未来を守るためだし、怪我したら本末転倒だからね」
「私の未来も、ですか……?」
あ、ヤバ。
「いやほら、こんな可愛いんだもん。どこで誰に狙われるか分からないし!」
「立場的にも容姿的にも、お姉様の方が危なそうですが……」
「いやまあ、私兵団の皆も居るけど、一応、護身用というか。そういうこと!」
私の特技、ゴリ押しである。
――来年の襲撃からレナだけでも救うため。
――その後は、王太子の婚約者という破滅の未来を避けるため。
お姉ちゃん、頑張るからね!
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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