10歳―4―
それから五分は経ってないくらいだろうか。
イズファンさんが一人の小さな獣人の女の子を連れて戻ってきた。
細身の少女だ。身長は私より少し低いくらい。獣人にしてはかなり小さい。おそらく法定最小サイズの鉄の首輪が、いやに大きく見える。
燃えるような緋色の髪は、目に掛かる程度に短く揃えられていた。そこから同じ色の獣耳が二つ生え、時々ピョコピョコ動いている。もふもふな尻尾は私を警戒するようにピンと立っていた。
獣人特有の露出の多い服装で、胸は左右二つの三角布を紐で括っているだけ。下はショートパンツのみで、お腹や太ももが眩しい。見てる方が恥ずかしくなる。
これは、多くの獣人の女性が纏う民族衣装。ギリギリまで切り詰めたその衣装は、とにかく機動性を重視したためだ。
そしてなにより一番目に入るのは、傷跡。
両目の下、横一線に鼻上を横切る大きな傷。頬や額にも細かい傷がある。
体にも右脇腹から胸元の中心に上るような三本の切り傷、左胸の上には火傷の跡など……
一目でカタギではないと分かる見た目だった。
そんな傷が、私よりも小さくて、ともすれば可愛らしい女の子に付いていることが、妙にミスマッチだ。
「……なんすか」
椅子に座る私を見下ろして、その子は言った。
「なんのご用でしょうか、だろう」
イズファンさんが窘める。
「結構ですよ。貴女の雇い主はお父様であって私ではありませんから。どうぞ楽な言葉遣いで」
「…………」
見極めるように、ショコラは私を睨め付ける。
目付きは悪いが、可愛いらしい子だ。もう少し髪を伸ばしてオシャレすれば、化けると思う。
いやでも、せっかく傷があるんだから、逆にそれを生かしてワイルドな感じの方が似合うかな。
――などと頭の片隅で考えながら、私は自分の用件を伝えた。
魔法剣を習得しようとしていること、そのために近接戦の訓練相手になって欲しいこと、その分の報酬はもちろん渡すこと……
一通り話した後、ショコラは口元だけをニヒルに歪ませた。
そして、右手で机を強く叩く。
「ふざけんな。来たくも無い人間の国に来させられて、やりたくも無い仕事させられて、おまけに金持ちのガキになぶられるオモチャに成り下がれって? まっぴらだね!」
「貴様!」
取り押さえようとするイズファンさんを手だけで制する。
「この国には来たくなかったの?」
「当たり前だ。使用人の経験だの、礼儀礼節だの、人間社会の勉強だの、興味ない」
「ショコラのお父様の意向でここに来ている、と聞いているけど」
そう言うと、ショコラの表情がわずかに陰った。
「……小さい体の娘は、要らなくなったんだろ。俺は捨てられたんだ」
「そうかしら?」
「あんたらには分からん。宰相の娘が、戦祭で毎回ボロ負けし続ける惨めさが」
獣人は戦闘力が高い者がそのまま地位も高くなりやすい。
つまり彼女は、自分の国で結果が残せないまま、この国に送り込まれたということか。
「俺はもっと強くならなきゃならない。才能があるだなんてもてはやしておいて、あっさり見限った親父や兄貴たちを見返してやる」
少し、驚いた。
本当はやりたいことがあるのに、それを父親や環境に奪われて。
やりたくないことをしろと言われ。
覚えたくも無いことを覚えろと言われ。
それでも、負けずに生きようとする彼女が、凄いと思った。
私は前生で、そんな父や環境に折れた人間だから。
――創造神の力がなければ抗うこともできなかった私と、雲泥の差じゃないか。
そう思うと、少しだけ、泣いてしまった。
「……凄いね。尊敬する」
言って、わずかに濡れた目元を拭う。
急に泣き出した私を、ショコラがきょとんとした顔で見ていた。
「ごめんなさい、最近少し、涙もろくて」
ショコラもイズファンさんも、何も言わず私が落ち着くまで待ってくれる。
すぐに私の涙は止まって、再びショコラを見上げた。
「ねえ、ショコラ。一つだけ訂正させて。貴女のお父様は、貴女を捨ててなんか居ない。本当に捨てるなら、友人とはいえ他国の貴族に預けるなんてしないわ。貴女がこの国に来るまで、きっといろいろな面倒や手間、それに大きなお金が必要だったはず。それは、忘れないで欲しい」
「……面倒と手間と金をかけて、合法的に捨てた、とも言えるだろ」
どこか気勢をそがれた様子で、ショコラが言う。
「本心は分からないけど……。きっと、このままではショコラは大成しない、って思ったんじゃないかな。世界は戦祭の結果だけじゃ無くて、もっと広いんだ、ってことを教えたかったんだと思うの」
「別に人間の奴隷なんかじゃなくたって、教えることなんてできるだろ」
――うーん。まあ、そう言われれば、確かに奴隷じゃなくてもいい気もする。
いずれにしても、ショコラもウィンディ様も、上手く話し合えなかったのでは無かろうか。
前生の私とお父様がそうだったように。
「……まあ、そうね。この話は結局、私とショコラでは解決できないし。この辺にして、話を戻しましょう」
「お前のサンドバッグになれって話なら断るぞ」
「まあまあ。まずは状況を整理しましょう。……私は近接戦の訓練がしたい。貴女は近接戦の才能があると家族に言われるレベル。ますます私は、貴女と今後継続的に訓練がしたいと思ってる。これが、私の希望」
「だから……」
「次に、貴女は訓練を積んで、戦祭で勝ち抜きたい。でも、この家で奴隷をしていると、訓練も積めないし、戦祭にも出られない。だから奴隷をやめて帰りたい。これが、貴女の希望。合ってる?」
ショコラを遮ってそう尋ねる。
「……まあ、そうだ。帰っても居場所なんてないかもしれねえが」
「であれば、こういうのはどう? 明日から半年間、模擬戦で一度も私に負けなければ、貴女の希望を叶えます」
一瞬静まりかえる小部屋の中。
二人とも、丸くした瞳に私を写した。
「なんだかんだお父様は私に甘いですから。可愛くおねだりすれば多分なんとかなるでしょう」
二人の瞳に反射する自分に向けて、にっこりと笑って見せた。
「ショコラも奴隷の仕事よりは、戦いの勘が錆びないはず。悪い話では無いと思うのだけど」
「人間の子供なんか相手してたら、逆に鈍る」
「半年間その子供をボコボコにし続けるだけで、早く国に帰れるのよ? むしろラッキーでしょ?」
「…………」
ショコラは奇妙な者を見るような目で、私を見下ろす。
「それとも、まさかこんな小娘に一度でも負けるんじゃないか、って、怖じ気づいてるのかしら?」
「……なんだと?」
その目に怒気が混じる。
とはいえ、見た目が可愛いからそんなに怖くもない。
前生の終盤で国中から晒され続けた悪意に比べたら、そよ風のようだ。
「私に負ける程度なら、戦祭で勝つなんて夢のまた夢。諦めた方が良いかもね」
「いいだろう。その話、乗ってやるよ」
「よかった、ありがとう」
「模擬戦には形代を使うんだろう? 奴隷契約に触れるギリギリまで、お前のこと痛めつけてやるよ」
「ええ、楽しみにしてるわ」
ふわりと笑ってみせる私に、眉根を寄せるショコラ。
「……薄気味悪いヤツだ」
「それじゃ、話もまとまったところで、詳しくスケジュールのお話といきましょう、イズファンさん」
「え、あ、はい、かしこまりました……」
それから多少仕事を調整してもらい、私とショコラが訓練するスケジュールを組んでいった。
私のワガママで負荷をかけてしまうイズファンさんと他の奴隷の皆さんには、私の予算からお礼をお贈りするとしよう。
†
翌日、夕方。
中庭で私は木剣を構えて、ショコラはだらりと斜に構えて、お互い見合う。
ショコラは昨日と同じ格好。
私は素振りの時にいつも着ている薄手のチュニックとキュロット。
チュニックは庶民の服だから、と当初は反対意見もあったけれど、ライディングハビット(乗馬服)を毎回着るのも面倒だし、なにより腕が動かしにくいから、こっちを好んで着ている。最近ではチュニックを着ても何も言われなくなった。きっと『言っても無駄』と諦められたのだろう。
そんな私達から少し離れた場所、私から見て右側にセレン先生。両手に拳ほどの大きさの石をそれぞれ一つずつ持っている。
セレン先生からさらに少し離れて、レナとイズファンさんも見守っていた。どちらもなにか事故など起きやしないか、ヒヤヒヤしていそうだ。
セレン先生がまずショコラに近づいて、右手に持った石を彼女に当てる。わずかに呪文を唱えて、形代の魔法をかけていた。
その間、私はショコラにアナライズをかけてみる。初対面の時は色々とインパクトがあって忘れてた。
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【ショコラ・ガーランド】
・HP 122/122
・MP 45/45
・持久 59
・膂力 21
・技術 46
・魔技 6
・幸運 21
・右手装備 なし
・左手装備 なし
・防具 獣人のツーピース
・装飾1 奴隷の首輪
・装飾2 なし
・物理攻撃力 43
・物理防御力 24
・魔法攻撃力 9
・魔法防御力 18
・魔力神経強度 弱
・魔力神経負荷 0%
獣人。ガーランド家の長女。
ガーランドは一族特有の身体武具『戦爪』の長さで才能を測る。
わずか七歳で十五センチを超える『戦爪』を発現した彼女は、希代の天才と言われ、あらゆる戦技を習得させられた。
『戦爪』発現時は膂力と技術に補正が掛かるが、一般的な獣人より小柄な彼女は、膂力がやや伸びにくい。
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読んでる間、セレン先生が私にも石を押し当てた。
……ふむふむ、流石に持久と技術が高めだ。膂力も私よりはずっと高い。とはいえ、近接戦専門としては心許ない数値なのかもしれない。
身体武具、というのがよく分からないけれど、まあ追々分かるだろう。
「……はい、形代の魔法、完了しました」
言いながら、セレン先生が元の位置に戻る。
「以後、私が術を解くまで、お二人のダメージはこの石に移ります。ただし、移せる限界になると石は砕けて術も強制的に解けてしまいます。その場合は私が止めに入りますので、その時点で絶対に動きを止めてください。また、石が砕けなくても、私の裁量で止めるかもしれません。その場合も必ず従うようお願いします」
「はい」
私はショコラを見ながら返事する。
「……ショコラさんもよろしいですね」
セレン先生が横目でショコラを睨むように聞き直す。
――あんまり険悪にならないで欲しいんだけどなあ。
「聞かなくても分かってるだろ。んなことしたらコイツが発動するんだから」
彼女もセレン先生の方を見ず、左手の人差し指でコンコン、と自分の首輪を叩いた。
「……両者、くれぐれもお怪我など召されませんよう……それでは、どうぞ」
セレン先生もイズファンさんも、それにレナも、心配かけて申し訳ない。けれど……
言葉の上では両者と言うが、実質対象は私だけのことを言ってると、多分ショコラも思っているだろう。
皆、少しはショコラの方も心配してあげて欲しいんだけどな。特にイズファンさんは、自分の部下でもあるんだし。
「さてと、じゃ、やるか」
ショコラの両手がわずかに大きくなって、次の瞬間、十本の爪がジャキッ、と音を立てて伸びた。
一目で普通の爪とは違う、鋼鉄のような鈍色に変質している。
――なるほど、あれが『戦爪』か。
いずれも二十センチは優に超えていそう。わずか二年でさらに伸びたようだ。
「生憎こればっかりは木にするわけにもいかねえ。文句言うなよ」
「うん、分かってるよ」
自分も木剣に魔力エンチャント。
これで、あの爪と多少は斬り結べるだろう。
「半年も経たせねえ。その心へし折って、泣いて降参させてやる」
「それはないかな。悔しくて泣いちゃうことはあるかもだけど」
言いながら、膂力と技術に絞ってアナライズの結果を見てみる。
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・膂力 35
・技術 94
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技術の伸びヤバッ!
「ボーっとしてていいのかよ!」
瞬間、ショコラが地面を這うような低姿勢で駆けてきた。
咄嗟に木剣で受け止めてから、右の爪で攻撃されたのだ、と気付く。
木剣が軋み、手がビリビリと震える。
「なに!?」
けれどなぜか、私より驚いた声をショコラが出した。
爪を遠ざけたいのに、まるで万力のようでびくともしない。少しずつ、爪が私に近づいてくる。
「……言うだけあるじゃねえか。だが残念だな!」
言うや否や圧力が消えたと思ったら、お腹を強く蹴られた。ダメージは石が肩代わりしてくれるけれど、衝撃までは無くならない。
体が一瞬宙に浮いて、背中から地面に倒れる。
倒れながら、蹴りの反動で宙返りするショコラが見えた。
急いで立ち上がる。横目でセレン先生の左手を見ると、石にわずかにヒビが入っていた。
「あんな木の棒で俺の爪を防ぐとは、エンチャントは上等だな」
ゆっくりと無防備に歩きながら、ショコラが言う。
「……ありがとう。素直に褒められて、ちょっとびっくりしちゃった」
「戦いに関しては私情を挟まねえようにしてる」
「なるほど、流石」
「まだまだ未熟だ。お前に一撃止められて、思わず驚いちまった」
そう話すショコラの目は、昨日見た物と全然違って見えた。
一歩一歩……一見、気怠そうな歩みなのに、異様な威圧感を覚える。
私のエンチャントが予想以上で驚いてしまった、ということは……。
もう、次は驚くような隙を見せてくれないだろう。
「でもまあ、お前を泣かせるプランに変わりはねえから、安心しろや」
わずかに口元を歪めるショコラ。
冷や汗が私の額を伝った。
それからは惨憺たる試合だった。
初撃を防げたのは完全に偶然だったか、ショコラが内心で手加減をしていたのか。以降は全然見えず、全く防御ができなかった。
薄々感づいては居たけれど、魔法剣の才能といっても、なにもせず動体視力や判断力までは伸ばしてくれないらしい。
まるで全方位から同時に攻撃を受けているかと錯覚するくらいの早さで、お見事と言うほか無い。
頭を斬られたか殴られたか蹴られたか、よく分からない衝撃を受けて、私は一瞬気を失った。
「そこまで!」
そんな声で、はっ、と目を覚ます。
気付いたら地面にうつ伏せになっていた。
セレン先生が駆け寄ってくる。
その左手の石は傷だらけではあるけれど、まだ砕けるには至らなかった。
「大丈夫ですか、ルナリア様!」
セレン先生の心配そうな声。
「騒ぐんじゃねえ。ダメージもないんだし大したことあるかよ」
ショコラは言って、戦爪をしまう。そのまま私に右手を差し出してきた。
「……?」
よく分からなくて、その手を見つめた。
「いつまで地面を嘗めてんだ。庭の土がそんなに美味いのか?」
さらに近づけられた手を、気もそぞろに握り返す。
力強く持ち上げられ、強制的に体が反転して上半身が起きた。
そこでセレン先生が私たちの横に辿り着く。
「勝手なことしないで! 頭を打ったかもしれないのに!」
セレン先生がショコラに迫る。
「うるせえな。もし脳にダメージあっても、その石が吸い取るだろ」
「それはそうだけど。万が一だって……」
「コイツは強くなりたい、って言いのけたんだ。この程度で大騒ぎする方が、仕える者として失格だと思うがね」
「…………」
「今日はもう終わりか? だったらもう帰るぞ」
セレン先生が言い淀む中、さっさと身を翻して、ショコラは立ち去っていった。
その背中を、未だに何が起きたかよく分からないまま見送る。
けれどショコラが奴隷の詰め所の方に去って行くに従い、ゆっくりと……感動のようなものが、こみ上げてくる。
――これが、本当の戦い。
いやまあ、ダメージも無い、ただの模擬戦でしかないんだけど。
それすら初めてだったのだ、私は。
「ショコラ! また明日ね!」
そんな自分の声を聞いて、初めて、私は浮かれているんだと気がついた。
心なしか、私の中の才能も喜んでいるように感じる。
いや、逆か。
好きこそ物の上手なれ。魔法剣の上達を喜べることもまた、創造神が私に与えた才能の範疇なのかもしれない。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
もし「良かった」、「続きを読みたい」、「総文字数が増えたらまた見に来ようかな」などと思っていただけましたら、
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