10歳―3―
そんなことがあった、翌日。
魔法剣を鍛えるのは良いけれど、そうなるとセレン先生との授業で得るものは少ない。
先生自身は風と治癒が専門だし、魔法剣の教本なんてどこを探しても存在しない。
なにより、一番大事なのは実戦だと思うのだ。
剣だけの時は素振りでも良かったけど、ちゃんと魔法剣が使えるようになった今、実戦経験を積みたい。
セレン先生も相手してくれるけれど、どうしても遠距離戦ばかりになってしまう。そもそも補助が専門だそうで、戦闘魔法はあまり習得されていないから、訓練の効果もいまいち実感できない。
というわけで、訓練相手、できれば近接戦に優れた者が欲しい。
――さて、どうしたものか……
そう思案しながら屋敷の廊下を歩いていた。
と、反対側から亜人の奴隷が歩いてくる。すれ違いざま会釈してくれたので、こちらも「お疲れ様」と声をかけた。
『奴隷』
人間の国のほとんどで採用されている、亜人の雇用形態である。このオルトゥーラ王国も例外では無い。
この世界に存在する亜人種……つまり、獣人、翼人、鬼人、巨人、エルフ、ホビットと言った、人間では無い種族。
彼ら彼女らが国内で唯一認められている職業が、奴隷である。
奴隷という名の通り、他の貴族や諸外国では酷い扱いをされることもあるようだが……
我がトルスギット家は違う!
お父様は獣人の国にお友達が居るし、お母様は昔、旅の途中でホビットに助けられたことがあるという。そんなお二人だから、奴隷の待遇は非常に良い。
ほとんど人間の使用人と扱いも変わらないし、使用人達にもその辺りは徹底されている。
とはいえ奴隷契約の首輪だけは、法律によって決められているため付けざるを得ない。
主として契約した相手に逆らうと、その首輪から強力な攻撃魔法が放たれる。亜人種の多くは人間より身体能力が高い傾向があるため、反乱を防ぐために義務づけられているのだ。
――そう。亜人の多くは、人間より、身体能力が高い……!
特に獣人などは顕著で、彼らは魔法戦より近接戦の方が長けている。
――近接戦の方が! 長けている!
「よしっ!」
思い立ったが吉日、くるっ、ときびすを返して、執事達の事務所に向かった。
執事達の事務所をノックする。
「どうぞ」
と招き入れられ、中に入った。
中にはお仕事中の執事達が数名。
一番近くに居た若い執事が私の側に来て、一礼した。
「ルナリア様。いかがなされました?」
「突然ごめんなさい。奴隷を管理している方とお話がしたいのですが……」
「ルナ、どうしたこんなところに」
と、左側から声をかけられた。
そちらを向くと、別の執事と話していたお父様が居た。
「お父様。実は一人か二人、奴隷を側に置きたいと思いまして」
「奴隷? どうしてまた」
奴隷の職務範囲は、あくまで屋敷全体に関することが主である。家族と直接関わるような仕事は任されないことが基本だ。とはいえ、この家ではあんまり守られていないけど。
「近距離戦の練習相手になってくれる方を探しておりまして。セレン先生はサポートと回復が主な方ですし」
「……お前はエンチャントと魔力剣以外の魔法は不得手と聞いている」
「はい。ですので剣が主体になってしまいます。私の剣はあくまで遊びですので、本職の方ではなく、奴隷の方にお願いできればと思ったのです」
そう言うと、お父様は右手を眉間に当てた。剣の話題の時はすっかりおなじみのジェスチャーだ。
「奴隷と斬り結ぶ貴族か……。また突拍子も無いことを言い出しおって」
「剣の先生は付けないお約束ですから」
にっこりスマイルして見せる。
「……そんな父との約束に隙間を見つけたわけだ。剣の教師などではなく、奴隷と遊ぶだけだ、と」
「はいっ♪」
元気よく答える。こういうときに気の利いた言い回しできる頭もないので、『幼い娘の愛らしい笑顔ゴリ押し作戦』である。
はあ、とお父様はため息をついた。
「分かった。いずれにしても予算の扱いはお前の教育の範疇だ。きちんと給金を渡して、安全面も配慮するなら文句は言えん。仕事の邪魔にならないようにな」
「はい。その辺りも、セレン先生や執事の方とご相談させていただきます」
「イズファン、すまんがルナの話に乗ってやってくれ」
「はい、かしこまりました」
最初に話しかけてくれた若い執事が返事する。彼が奴隷担当の人だったようだ。
†
執事の事務所を離れて、イズファンさんに先導されながら奴隷達の詰め所に向かう。
「近接戦の訓練ということですが……、具体的にはどのようなことを?」
イズファンさんが道すがら尋ねてきた。
「単純に戦うだけです。模擬戦ですね」
「直接、ですか……?」
「セレン先生に形代の魔法をかけていただきますので、安全面はご心配ありません。とはいえ、こんな話を受けてくれる奴隷さんが居るかどうかですが」
形代の魔法により、傷やダメージを別の物に移し替えることができる。うちの私兵団もこれを用いて模擬戦や試合を行うのだ。
もっとも、許容量を超えるダメージは移し替えられないけれど。
「言われた方は、まず最初は面食らうでしょうね。私も今まさに面食らっています」
朗らかに笑って見せてくれる。
「私、ワガママな令嬢ですので」
「はははっ、本当にワガママな令嬢は剣の鍛錬などしませんよ。ですが、私兵団の剣士隊などに頼むことはできなかったのですか?」
「私兵団は皆さん本職ですから。本職の大人の方では、『剣の先生は付けない』というお父様との取り決めに抵触してしまいます。あくまで私の剣は趣味の遊び、ということになっていますので」
「なるほど、それで先ほどのやりとりだったのですね」
「そういうことです」
「中庭の地形を変える方の遊び相手となると、なかなかハードでしょうけど……」
「いやあれは、わざとじゃないんですよ……」
そんな話をしながら、奴隷達の詰め所に着いた。
屋敷の側にある二階建ての建物。初めて来た奴隷の人達は口を揃えて「こんな良いところに住めるの?」と驚くという。
イズファンさんにドアを開けてもらい、中に入る。
中では休憩している者、少し遅めの昼食を取っている者など、数名居た。皆こちらを見て、次の瞬間に立ち上がって礼をする。
「突然すみません、お気になされず楽にしてください」
そうは言ったものの、皆、勤め先の娘に来られてなかなか気楽になれない様子だった。
「ルナリア様、こちらへ」
隣の小部屋に案内される。
木の机と椅子、それに帳簿の類いが入った棚がある、簡素な事務用の部屋のようだ。
「狭いところで申し訳ありません。まずは、希望に合う者を探しましょう」
狭いと言っても、牢獄よりはよっぽど広い。
イズファンさんが帳簿を取り出して、机の上に置く。
「どうぞおかけください」
言われるがまま椅子に腰掛けた。
対面にイズファンさんが立ち、帳簿を開いてこちらに見せる。
それから、条件を絞っていった。
近接戦向きな獣人か鬼人で、近接戦の経験がある、もしくは興味がある者。
定期的に私の相手をする時間がとれる者。
そして、もう一つ大事な条件。
「反抗的な者……ですか?」
イズファンさんが目を円くして、私の言葉を反芻した。
「教育が行き届いているようですから、そんな方は居ないかもしれませんが……。要するに、雇い主の娘の機嫌取りをしない方が良いです。私の顔色をうかがってわざと負けられたりしたら、訓練になりませんから」
「それはそうかもしれませんが……」
「心当たりある方は居ますか?」
その時のイズファンさんの目が一瞬泳いだのを、私は見逃さない。
「……居るんですね?」
「いえ、その……」
「その方を紹介してくださる?」
「ルナリア様の奴隷になるにはふさわしくないかと……」
「ふさわしいかどうかは私が決めます」
「ですが……」
「イズファンさん。私自身の判断で私が失敗することも、お父様の教育範囲ですわ。そこにイズファンさんの意図が入るのは、私も父も望むものではありません」
「…………」
「それとも、正式に命令する方が話は早いですか?」
静かな小部屋の中、イズファンさんがわずかに息を呑む音だけが聞こえた。
「……大変失礼しました。少々お待ちを……」
「こちらこそ。ごめんなさい、脅すようなことを言って。お父様に告げ口してくださって構いませんから」
あえてイタズラっぽく言って、空気を和ませる。
汲んでくれたように、イズファンさんもわずかに口角を上げた。
「まるで王族の方とお目にかかったような気がしました……。そのお歳でその威厳、流石でございます」
「こんな小娘相手に、お口がお上手なんですから」
それからイズファンさんが帳簿をめくって行き、一人の奴隷のページを開いた。
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【ショコラ・ガーランド】
九歳。
狼型獣人、ガーランド家の長女。
ガーランド家から社会経験の一環として従事。
ガーランド家で高度な戦闘教育を施されており、戦闘能力は極めて高い。
気性荒し、他の奴隷とトラブルを起こした際はその場で無理に修めようとせず、イズファンか他の執事を呼ぶこと。
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以降は従事業務の時間や内容などが書き連ねられている。
その次のページには、ショコラとの奴隷契約書が綴じられていた。
お父様の名前があり、その下にはつらつらと『命令に従い反抗しません』『反抗した場合は殺されても不問とします』といった定型文が書き綴られており、最後にショコラの署名がある。
最後には、契約の開始日と終了日が書いてあった。開始が丁度三ヶ月ほど前で、終了はそこから二年後。つまり、あと一年九ヶ月ほど奴隷契約は続くわけだ。
……いつ見ても酷い話だ。
奴隷反対派の人は、よく『同じ言葉が喋れる相手を一方的に隷属させるのは、知性の放棄だ』と言う。本当にその通りだと思う。
それでいて、人間を奴隷として扱う亜人の国には厳しいのだからなおさら。
「ご覧の通り、旦那様のご友人であるウィンディ・ガーランド様のご息女になります。近接戦ということでしたら、当家の奴隷の中でも随一でしょう」
そんなイズファンさんの言葉で、意識を契約書からショコラ個人のことに戻す。
「……ウィンディ様は、確かアルトノア皇国の宰相ですよね」
アルトノア皇国――国民の九割以上が獣人で占められた、海の向こうの国。
毎月のように各地で『戦祭』と呼ばれる戦いの催しを開くほど、戦闘に関する興味が強い国である。一対一に限らずグループ戦も然り、多種多様な戦闘競技が盛んだ。
これは、かつて獣人は狩猟で生き、群れ内の戦いでボスを決め、群れ同士の抗争で勢力を拡大してきた、本能によるものと言われている。
魔法は不得手だが、戦技というスキルは獣人達が発祥という説もあるほど、そのバリエーションに富んでいる。
「仰るとおりです。ウィンディ様が旦那様に依頼し、当家の奴隷に来たと伺っています」
「いくら友人でも、宰相の娘が奴隷として従事するなんて……。相変わらず、ウィンディ様は豪放な方ですね」
「おや、ルナリア様はお会いしたことございましたっけ?」
――しまった。初めて会うのは十三歳の頃だった。
「いえ、お父様からお話はかねがね伺ってまして……、つい見知った気になってました」
「へえ、旦那様がウィンディ様のお話をされることがあったのですね」
「え、ええ、まあ……」
実際はほとんど無いけど。
性格だって初対面の時に知ったし。
「それよりもこの、ショコラさんのことを話しましょう!」
強引に話を変える。
「そうですね。ルナリア様の条件はほとんど満たしていると言えると存じます。ですが、大きな欠点が二つ。まずはご覧いただいたとおり、性格に難があります。奴隷間のトラブルのほとんどが彼女起因と言えるほどに」
「そんなにですか……。もう一点は?」
「もう一点は、実際にお目にかけていただくのが一番でしょう」
「今日お会いできますか?」
「ええ、そろそろ休憩時間のはずです。その時にこちらに呼びましょう」
「休憩も大事な時間です。あまり無理強いしなくてよろしいので」
「かしこまりました」
言って、イズファンさんが部屋を出て行った。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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