12歳―34―
再び正面を見た私たちの前で、ロマは私たちに背を向けたままゆっくりと立ち上がる。
「くくく……」
ロマと、誰か知らない男の声がぴったり重なったような、二重の笑い声が聞こえた。
「これが聖女の体か。流石、魔力の量と質が段違いだ。筋肉が脆弱なのは残念だが、まあ仕方あるまい」
ロマ……だった者が自分の両手を見つめて言う。
悪魔がその者の前で跪く。
「おかえりなさいませ、バアル様」
「お前か、我が声を受け取った者は」
「はっ。夢の中で、確かに復活の準備が整った旨、拝聴いたしました」
「よくやった。大義であったぞ」
「ありがたきお言葉……!」
その時、ロマの背中が勢いよく隆起した。聖衣が盛り上がり、次の瞬間、内側から爆ぜるように破れる。
ロマの白い背中、肩甲骨の上辺りから、黒い翼が生えていた。
翼は、羽化を喜ぶ雛ようにバサリと音を立てて大きく広がり、その姿を私たちに見せつける。
その羽から、瘴気が周囲に広がっていくのが見えた。急に日が陰ったかのように、視界の全てが薄暗くなる。
ゆっくりと振り返るロマ……ではない誰か。
顔つきはロマと変わらないけれど、その目は黒い白目に赤い瞳、金色で縦長の瞳孔だった。
羽が生えた衝撃で上半身の聖衣は盛大に破れ、なんとか腰元にぶら下がってる。
完全に空気にさらされた上半身。けれどそれを恥ずかしがる様子もなく、尊大にこちらを睥睨していた。
「そんな……」
ヒルケさんが絶望とともに小さく呟く。
「聖女に憑依など、分の悪い賭けにもほどがあったが……。どうやら俺の勝ちのようだ。この聖女に直接意趣返しできないのは残念だが、まあ体を貰ったし溜飲を下げてやるとしよう」
口元を愉悦に歪めて、ロマ……の体を乗っ取ったバアルは私たちに言った。
「では死ね。神の奴隷ども」
バアルの体が僅かに宙に浮かぶ。
その周囲の空気を歪めるほどのおぞましい魔力が、渦巻く。
「アイジェク・ドージ1、2、用意!」
団長が叫んだ。
ヒルケさんともう一人の聖教騎士が、二人同時に腰に提げた筒に手を伸ばす。
取り出したのは、折り畳まれた半円状の棒だった。ガシャンッ、と音を立てて展開すると、先端から逆の先端まで糸を伸ばす。できあがったそれは、白く豪奢な弓だった。
「ワァス、ルナリア様を連れて他の者を呼び戻してこい」
「わ、分かりました」
団長の指示にワァスさんが頷いて、私の側に来る。
「他の者はヒルケとイコンの盾となれ! 行くぞ!」
そう言うと、団長は真っ先に走り出す。
その後ろを聖教騎士達が続き、プリースト達は魔力を紡ぎ始めた。
「ワァスさん、あの弓は……?」
私はワァスさんに尋ねた。
「……あれは正式名『聖霓弓 アイジェク・ドージ』といいます。聖教会が極聖魔法を分析し、悪魔に通じるよう開発した武器です」
意外な言葉だった。聖教会とは、もっとお堅い組織だと思っていたから。
『天から授かった極聖を人間が再現しようなどおこがましい!』とか言いそうなイメージだった。
――でも、そんなものが開発できたなら、なぜ普段から使わないんだろう……?
「……あれを放つためには、使用者の命が必要になります」
私の疑問を読み取ったように、ワァスさんはそう続けた。
「正確には、膨大な魔力が必要なので、魔法の才能がある者が生命力を全て魔力に変換して、やっと撃つことができる武器なのです」
呆然とワァスさんを見上げる私と、彼女の視線が交わる。
ワァスさんはゆっくりと、両手を私の両肩に乗せた。
その視線が意味するところが分からないほど、私は馬鹿じゃない。
「ルナリア様、どうか、ヒルケとイコンを……私たちを、助けてください……」
ワァスさんは小さく、悲痛に懇願した。
――もちろん、命を捨てて撃つなんて、許す気毛頭無い。
けれど、それはそれとしても、未だにロマをどうやって救えばいいのか……
それだけが、皆目見当つかないままで居た。
「聖女を欠いた人間が悪魔に敵うわけ無かろう。愚かな」
女の悪魔が、向かってくる人間達を軽蔑するような目で見る。
「命が要らぬと言うなら良かろう、全員魔人に作り替えてや……ぐぅっ!?」
バアルが話す途中、苦しそうに胸元を押さえた。
「バアル様、いかが……きゃあ!」
バアルに振り向いた女悪魔は、次の瞬間、二本の光足に絡め取られた。
その光足は、ロマの背中から伸びている。
それを見て、聖教騎士達の進みが緩まった。
「お、のれ、聖女……!」
バアルが苦しそうに言いながら、ゆっくりとその目の色が元のロマの物に戻っていった。
「今じゃ! ワシごと貫け!」
悪魔の声が混じらない、純粋なロマの声が、私たちに向かってそう叫んだ。
「抑えられる時間は長くない、急げ……」
ロマは苦しそうに……おそらくバアルと肉体の支配権をかけて、魂で戦っているのだろう。
「ロマ様、今お助けします……!」
団長が静かに、決意を持って言う。
「……ワシはもう無理じゃ。心の臓もなにもかも、悪魔と融合しきっておる……。分離は不可じゃ」
「ですが……」
「最後の命令じゃ。ワシごとバアルを殺せ」
しん、と静まりかえる人間達。
「……皆、済まぬ。七年前、ワシが未熟だったばかりに、聖教会はしばし聖女をしばし欠いてしまう……」
「ロマ、様……」
誰もが、思っただろう。
七歳の自分に責任を感じるロマに対し、いかに自分が無力か、と。
「……ルナリア」
ロマが私の方を見る。
「アイジェク・ドージは命を失う。できれば、お主に介錯願いたい。……頼めるか?」
冷や汗を流しながら、ロマは微かに笑みを浮かべて見せた。
――なんて、強い子なんだろう。
私は、自分の死に際に、こんな気高く居られなかった。
「……嫌よ。嫌に決まってるじゃない……!」
私はただ、心の底からそう言って、首を左右に振る。
「まあ、そりゃそう、じゃな……。ワシも、お主のトラウマになるのは、望ましくない。ならば、こっちの悪魔だけ始末を頼む。ワシの方は……、ヒルケ、頼めるか」
「無論です、ロマ様」
言って、ヒルケさんはアイジェク・ドージを構える。
「面倒かけるな」
「……それが私の職務にして、至極でございました」
ロマもヒルケさんも、私には分からない幸せそうな笑顔を浮かべる。
そして、ヒルケさんは両目から静かに涙を零した。
「だ、だめ……」
と手を伸ばすも、代替案が浮かばない。
――考えろ、私。
駄々をこねるだけじゃ、なにも変わらない。
前生は自分で考えずに生きたから、最期まで幸せになれなかったんじゃないか。
考えろ。
悲しいから、とか、予想外だから、という言い訳で脳の回転を止めるな。
泣き言言ってる暇があるなら、脳みそ壊れるまで頭を使え!
今、この状況で、どうすれば全員を助けられる?
無理かも、なんて考えがよぎる時間も無駄だ!
今生の私なら、できると信じろ――!
「……時間が戻ればいいのに。七年前のあの時に戻れるなら……」
ワァスさんは恨み言のように言って、私の前で泣き崩れた。
――時間が、戻れば……
私の中で、カチャリ、とハマった音が鳴った気がした。
†
ワァスさんの手をどかして、全身に補助魔法展開。私は魔力足場を作り、聖教騎士団達を空から追い抜く。
そして、ロマと団長の間に降り立った。
「ルナリア、戻れ!」
焦ったような団長の叱責。
「全体停止! アイジェク・ドージもしまってください!」
私はその声に負けじと、大きな声で叫んだ。
そしてロマに振り返る。
「……覚悟、決めてくれたか」
ロマが複雑な顔で私を見上げる。
「貴女を殺す覚悟なんて、一生決めないわよ」
言いながら、魔力剣を生成。
左手に持つ。
「私が決める覚悟なんて、ただ一つ。貴女を助ける覚悟よ。出会った頃からね」
魔力剣を上段に構えた。
「なにせ初めてだから、どうなるか分からないけど。ちょっと痛むかもしれないから、一応歯を食いしばって」
「なにを……?」
ロマが私と、私の剣を見上げる。
「親孝行するんでしょ? 親より先に死ぬんじゃないわよ!」
そして思い切り、ロマに向かって斬り下ろした。
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