12歳―20―
その週の土曜日、十五時。
ご丁寧にお風呂会の時刻に合わせた、ギリカからの呼び出し日時。
正一年生ということは、私がお風呂を共にした上級生の誰かから聞いたのか、あるいはさらにその又聞きか何かで、お風呂会の日時を知ったのだろう。
大急ぎでエルザとショコラにも協力してもらって、準備をしてきた。また、他のご令嬢にも今週のお風呂会は欠席することを伝えてある。
――さあ、始めましょうか。
ゼルカ様と寮の四階の廊下を進む。
「こちらです」
ゼルカ様が一つのドアの前で足を止めた。表札に『ギリカ・シーア・アーレスト』と書いてある。
ゼルカ様がノックをして、「ルナリア様をお連れしました」と声をかける。
「どうぞ」
中に入ると、ギリカとその侍女達が礼をして出迎える。
「お初にお目にかかります、ルナリア様」
緑色の髪はゼルカ様とお揃いだが、髪型は対照的なポニーテール。
頭を上げて開けた目は切れ長で、見覚えのある貼り付けた笑顔を振りまいている。そういうところは姉妹そっくりだった。
「どうぞ、こちらへ」
部屋の奥のソファに招かれる。コの字型で、おそらく十人は座れるだろう大きなものだ。その間にガラスのテーブルが置かれている。
「いえ、このままで結構です」
ソファには座らず、私はそう応える。
「今日この時間に招いたのは、お風呂会に行けないゼルカ様を詰るためですか?」
ギリカの笑みが僅かに崩れ出す。
「腹の探り合いは結構です。ゼルカ様から事情は伺っておりますので」
「……左様でしたか」
ギリカは一度目を閉じて、また笑顔を貼り付け直す。
「はい。ゼルカには、ルナリア様との関係を作るよう指示しました。てっきり歯牙にもかけられていないかと思ってましたが、仲良くしていただいてるようで何よりです」
「もし私がここに来なければ、ゼルカ様を虐げたのでしょう? であれば来ないわけに行きません」
「虐げる……?」
「……惚けないで。ゼルカ様の体中の傷跡を見せてもらったわよ」
「ああ! そういうことですか」
にっこりと笑みを深めて、ぽん、と両手を合わせる。
「あれは、異母姉として構ってあげているのですよ」
「息を止めさせたり、一生物の傷を付けることが?」
「ルナリア様、ゼルカの母親は男爵家の女で、父の妾なんです。普通だったら即刻処分すべき、忌み者なんですよ。それを生かして、あまつさえ私のストレス解消の道具にしてあげてるんだから、慈悲深いでしょう?」
――本当に、嫌になる。
もし前生の私が同じ境遇だったら、同じ思考に至ったかもしれない、と思ってしまって。
いや、私の方がもっと酷かったかもしれない。なにせ、侯爵家の令嬢ですら、差別してもなんとも思ってなかったんだから。
「そうだ! ルナリア様も一緒にどうですか?」
「なに……?」
一瞬、本気で何を言ってるか理解できなかった。
「アーレスト家とのお近づきの印として、是非使ってやってください。これはなかなかいい声で鳴きますので、それを聞くとスカッとできますよ」
――いや、前言撤回。
コイツの方が、よっぽど邪悪だ。
「……貴女にどんな事情があろうが、看過できません。本来守るべき妹を虐げるなんて……。
ゼルカ様だって、そういう風に生まれたくて生まれたわけじゃない! そこに寄り添って、守ってあげるのが、姉の役目でしょうが!」
「……分かりませんね。それは名ばかり貴族の出な上に、妾の子なんですよ。どう使おうが勝手でしょう? この国の法に反しているわけでもありませんもの」
確かに現行の法では、目上の者や立場が上の者の権力は強く保証されている。
この法の対象は家族でも同様で、目上の者が多少の暴力を振るおうが『教育の一環』『躾』などという言葉で簡単に許容される。殺人まで至らない限り、犯罪として立証するのは極めて困難である。
つまり、ゼルカ様への虐待を罪として告発するのは、実質不可能だろう。
――だから、私が裁く。
前生で権力に驕って溺れた結果、より強い権力に殺され、
今生で目下のレナを本当の意味で愛せるようになり、
奴隷のショコラを心の底から友と思えるようになり、
使用人のエルザから人生を預けてもらえた――
「この私が、気に入らないって言ってるのよ」
瞬間。
部屋全体がゆらりと揺れたような、違和感があった。
「……残念です。素直に仲良くなっていただければ良かったのに」
周囲にアナライズを走らせる。すぐに、さっきまでなかった魔法を検知した。
=============
【ギリカの檻筺】
・攻撃力 0
・防御力 300
・魔法攻撃力 0
・魔法防御力 300
外部と内部を隔絶する、完全分離型の結界魔法。
術者以外のあらゆる出入りを不可能にし、音や匂いなども漏れなくなる。
認識阻害効果もあり、外部の者は内部のことを意識しづらくなる。
■解除条件
施術者が外部に出る
=============
「寛容なルナリア様におかれましては、この奴隷以下のゴミのことで心を痛められているご様子。ですがご安心ください。実はこれ、私に躾られることを喜んでおります。本当はルナリア様にもご参加いただきたいと思ってるんですよ」
私がアナライズの中身を読んでいる一瞬の隙を突いて、ギリカがゼルカ様の手を引いた。
胴体をがら空きにさせたところで、しっかり体重の乗った膝蹴りをゼルカ様のお腹にめり込ませる。
「がはっ!?」
ゼルカ様が床に倒れ込んだ。
流れるように、ギリカがゼルカ様の下腹部を踏みつける。ゼルカ様の口から吐き出されるような絶叫が部屋中に響き渡った。
「『姉上の躾の時間は私も楽しみにしていますので、ご心配要りません』……ほら、言いなさい」
反応せず、痛みに呻くゼルカ様。
ギリカは足を下ろしてかがみ込むと、ゼルカ様の髪を掴んで、無理矢理顔を持ち上げた。
すぐ至近距離で睨め付ける。すでに貼り付けたピエロは剥がされ、般若のごとき本性を晒していた。
「お前のせいでアーレスト家とトルスギット家の関係が悪化したらどうするの? 寄生虫のメスガキが。『もしよろしければ姉上と一緒に躾てください、私の悶える様をご笑覧ください』……さっさと言え」
「がはっ、ごほっ……」
なおも咳き込むゼルカ様。
「がはごほ、じゃねえ! ルナリア様をお待たせするなこのゴミ!」
ゼルカ様の頭を地面に叩き付ける。
ドン、と鈍い音がして、ゼルカ様の頭が一度跳ね上がった。
まるで機械のようにすくっ、と立ち上がったギリカは、こちらを振り返ると、また微笑をその顔に貼り付けた。
「申し訳ありません。もう少々お待ちください」
――この間、あまりの威圧感と光景に呆然としてしまったことが、私の後悔である。
「この外道……!」
魔力神経稼働。
「姉、上……」
魔力剣を生成……しようとしたところで、ゼルカ様が言葉を発した。
「私、もう、嫌です」
ゼルカ様は泣きながら、それでもギリカに手を伸ばす。
「お願いです、どうか、昔のような、優しい姉上に……」
「誰がそんなこと言えって言った?」
ギリカの掌に魔力が収束する。
そのまま魔力の塊をゼルカ様に振り落とした。
私はとっさに魔力剣を放って、その魔力塊を破壊する。パァン、と魔力が爆ぜる音がした。
「ゼルカ様から離れなさい」
まるで能面のような表情で、前髪を垂らしたギリカが振り返る。
「少々お時間をくださいませ。何を勘違いしたか、飼い主に逆らうセリフを覚えた畜生をすぐ調教し直します」
「離れろと言ってるの」
「その間、申し訳ありませんがここでお待ちください。あいにく、今この部屋は結界魔法ですっぽり覆ってありますので、外に出られません」
「…………」
話の通じなさに、内心戦慄する。
前生で私がシウラディアを虐げていたとき、周りには今の彼女と同じように見えていたのだろうか。今となっては知る由も無いが。
「一度発動すると条件を達するまで私も解除できない、完全分離型です。もし気が変わりましたら、どうか躾をお手伝いくださいませ」
――この結界の名前、ギリカの檻筺だったっけ。
檻の筺ときた。
言い得て妙とは、このことじゃないか。
本当は寮の裏山にでも連れて行くつもりだったけど。手間が省けるというものだ。
「……多分、この場で一番貴女のことを理解できるのは、私でしょうね」
自嘲混じりに、私は言った。
「……なんのことでしょう?」
「嫌になるやら、幸運なのやら。どう捉えて良いか難しいけど……。どっちにしても、貴女はまだ間に合う。私が、間に合わせてあげる」
「……何を仰ってるか良く分かりませんが、終わるまでそこで見ていてくださいませ」
私から視線を切り、部屋の奥の壁に歩いて行く。
棚から取り出したのは、先端が細く三つに分かれたムチのような道具だった。多分拷問道具なのだろう。
「先ほど言った鳴き声、ご披露いたしましょう」
ゼルカ様の前に立って、両手でムチの両端を持つギリカ。
それを振り下ろそうと、掲げた瞬間――
「公爵令嬢を監禁した事実に気づけないくらい狭窄した性根、たたき直してあげる」
ここまでお読みいただきありがとうございます。
もし「良かった」、「続きを読みたい」、「総文字数が増えたらまた見に来ようかな」などと思っていただけましたら、
この画面↓の星の評価とブックマークをポチッとしてください。
執筆・更新を続ける力になります。
何卒よろしくお願いいたします。
「もうしてるよ!」なんて方は同じく、いいね、感想、お待ちしております。