12歳―1―
襲撃事件から半年が経った。
レナは十歳になり、私も先週十二歳になっていた。
私はともかく、十歳になったレナは少し大人びて、ますますその愛らしさに磨きが掛かってきている。可愛い。好き。
……前生を思えば、それは本当に、奇跡の光景で。
私の記憶にあるのは、痩せ細り、髪も伸ばし放題で、濁った目をした姿だったから。
今のレナは私が十歳になったときと同様、予算を預かり、勉学やダンスの練習時間も増え、王宮魔術師に鑑定を受け、魔法の勉強を始めた。
こうしてレナが生きられる日が来るなんて、それだけで、目頭が熱くなってしまう。
そんなレナの人生初の魔法授業。私とセレン先生が訓練する時間に、レナが混じる形で行うことに。
セレン先生は私の時と同様、まずどんな魔法を覚えたいか、と尋ねた。対するレナは「治癒魔法を覚えたい」と即答。
「お姉様が治癒魔法に挫折したときから、決めてました。お姉様の傷を一番に癒やすのは私だ、って」と。
そう言われて、私は号泣してしまった。
誰も、なんでそこまで泣くのか分からなかっただろうけど。
レナを抱きしめながら、「ありがとう」と。「嬉しい」と。そればっかり言っていたような気がする。
健やかに、元気に、姉の私になついてくれるレナ。可愛い。好き。
回生して、剣の修行を頑張って、本当に良かったと思った瞬間だった。
「お姉様、大丈夫ですか? もしかしてあの戦いの後遺症かなにかじゃ……?」
なんて心配されてしまった。
皆、未だに私の後遺症が色素だけなのか、と気が気でない様子だったので訂正する。
ただ、レナの言葉があまりに嬉しくて、涙が止まらなくなっちゃっただけ、と。
けれど、「そういうレベルではなかったかと……」なんてセレン先生からツッコまれてしまった。
いやまあ、そう見えるのは仕方ないんだけど……
――でも私からしたら、レナが元気で笑顔で生きられるだけで充分過ぎるくらい、胸がいっぱいなのよ。
ということを説明するのに、それから三十分ほど時間を使った。
結果、なんとか納得はしてくれたようだけど……私のシスコン具合に呆れられた感はある。いやまあ、微笑ましいとも思ってくれてるようだけど。
とはいえ当のレナは嬉しそうに、ぎゅっ、と抱きついてくれたので、それだけで話した甲斐があるというものだ。
――という思考が、シスコンなんだろうけど。
シスコンで何が悪い! 妹が嫌いな姉なんてこの世に存在しない! 自分の妹を世界で一番可愛いと思うのが姉という生き物だ!
と過激派思想を臣下達に説き、ますます苦笑される私だった。
「もちろん、姉が嫌いな妹も存在しません!」
レナがそう言ってくれるから、私は絶対に撤回しない!
……一晩明けて、何を大真面目に言っちゃったんだろう、と若干後悔するまでがテンプレ。
いやまあ、言った内容自体は本音だけどさ。
前生の記憶のせいで暴走してしまったことは、少し反省である。
†
そんなある日の昼下がり。勉強や訓練の合間のティータイム。
いつものように、エルザの作ったお菓子に、レナと二人で舌鼓を打っている時だ。
「お姉様。私、今日からお風呂やベッドに一人で入ろうと思います」
世界が崩れる音がした。
……気がするくらいに、我が耳を疑った。
「……どうして?」
平静を装うも、カップを持つ手が尋常じゃなく震えだす。
「あと二ヶ月ほどで、お姉様は中央学園に行かれるじゃないですか。今のうちから、一人の夜に慣れておかないといけませんから」
そう言って、レナは微笑む。
どこか寂しそうに感じたのは、私の勘違いじゃない……と思いたい。
「これまで私のワガママに付き合っていただいて、本当に申し訳ございませんでした。それと、ありがとうございました」
――冷静になれ、私。
いつか、こんな日が来るかもしれない、とは思っていた。
自立したい、と思うのは当たり前の事で。
それが、私は四歳の時だったし、レナは十歳だった。
ただ、それだけのことだ。
だから姉として大事なのは、そんなレナを快く送り出すことなわけで……
妹の成長を、喜ぶべきで……
「……」
「……お姉様?」
「エルザ、フラン、ちょっと二人きりにしてもらえるかしら」
かしこまりました、と二人は特に聞き返すこともせず、速やかにその場を離れくれた。有能な侍女達である。
レナと二人きりになる。
「……あれは、私が九歳の誕生日だったわね」
私が前生の記憶を取り戻した、あの日。
「そうでしたね。私が七歳の時ですから……もう三年も前になります」
レナがクスクスと笑い出す。
「ご自分のお誕生日なのに、私にして欲しいことはないか、なんて言われて驚きました。今思えば、私もなんで答えたんだ、って思いますけど」
「ううん。私、嬉しかったのよ。レナがそんなに寂しい思いをしてたなんて、思いもよらなかったから」
「……本当に、情けない限りです。お姉様は、こんなに強い方なのに。妹の私は……」
「あまり自分を卑下しないで」
レナの言葉を止めて、ゆっくりと立ち上がる。
「私の大好きな妹が悪く言われるのは、辛いわ。それがレナ自身の言葉だと、余計に」
「……すみません。ありがとうございます」
レナが目を伏せて、カップの中に映る自分を見た。
「私が言いたかったのは、レナが私に縋ってくれたことが、とても嬉しかった、ということ。初めてだったのよ。誰かに頼られることが、こんなに嬉しいことだって気づいたの」
話しながら、レナの背後に歩み寄った。
「はい。私も、早くお姉様に頼られるような人間になりたいです」
「そんな風に思ってくれるレナが、大好きよ」
「私も、大好きです、お姉様」
僅かに潤んだ瞳で、レナが私を見上げる。
「じゃあ、早速頼るね」
「……えっ?」
椅子の背もたれ越しに、レナの首元に両腕を回して、軽く抱きつく。
そしてレナの愛らしい耳たぶに、唇を寄せた。
「これからも毎晩、私と一緒に居て」
そう囁く。
「私が学園に行った後、毎晩私を思って。寂しくなって。私が居ないと安眠できない子になって。時々私が帰省したときだけ、ぐっすり眠って。これから、一生」
「……お姉、様……?」
抱きしめる力を強める。
――ショコラは私の専属だから、学園に連れて行くことになる。そうすると、レナは本当に夜は一人になる。
……そうなったら、レナほどの器量よし、周りが放っておかないだろう。
寂しさに付け入る、変な男に引っかかるかもしれない。
そんな未来が来るくらいなら……
一生私に縛られて生きて欲しい。
「ふふっ。三年前のレナなんて比べものにならないくらい、ワガママでしょう。でも私ね、嫌なの。レナが私から離れるなんて。耐えられない」
「…………」
レナは今は、どんな表情をしているだろう?
――ドン引き……されてるかもしれない。
「……でも、レナが嫌がるのも、分かるから。嫌なら、私を振りほどいて」
そうは言ったモノの。
心臓が、死ぬんじゃないかってくらい、早くなる。パルアスと戦ったときの方がよっぽど冷静だった。
――拒絶されたら、本当に死ぬかも。
……早まったかな……?
やっぱり、「分かった、じゃあ今日から別々で」って答えるべきだった?
――いや、今からでも遅くない、やっぱり……
「嫌なわけ、無いです」
レナが言う。
どこか、涙が混じったように聞こえた。
彼女を抱く私の右手に、レナの右手が触れる。
「十歳にもなって、一人で寝られない自分が、嫌いです。いつまでもお姉様にお守りされてるだけの自分が、嫌いだったんです……」
ゆっくり振り返るレナの両目から涙が溢れていた。
そして、応えるように、微笑む。
その表情は……あまりにも美しくて、可愛らしい。
「いいんですか? 私、これからも、お姉様と一緒で」
「……当たり前よ。嫌だって言っても、離してなんてあげないから」
「私だって。離れて、って言われても、もう聞きませんよ!」
レナが振り返って、抱きついてくる。
椅子が倒れる音。
「向こうに行っても、お休みの時には帰ってきてくださいね」
「もちろん」
「放っておいたら、ヤですからね」
「しないよ。しないけど……その、本当にいいの?」
少しだけ離れて、互いの顔を見合う。
「冗談だったんですか?」
レナが頬を膨らませる。可愛い。好き。
「まさか! 本気よ。本気だから……その、我ながら、姉として最低だな、って」
「そうですかね? 私にとっては、最高のお姉様ですけど」
「可愛いこと言っちゃって」
また強く、抱きしめる。
えへへっ、なんて、レナの笑う声が耳を打った。
――自分で言っておきながら、本当にいいのか、と不安になるけれど……
――予想以上にレナが幸せそうだから、まあ、いっか!
「ねえ、お姉様。もう一つ、ワガママ言っていいですか?」
「この流れで断るわけない、って分かって言ってるでしょ」
「ふふふっ」
「なあに?」
「その……キス、して欲しいです」
「キス?」
また少しだけ体を離す。
すぐ目の前に、お互いの顔。
僅かに上気して、瞳を潤わせているレナの顔。
「……だめ、ですか?」
本当にもう、分かってるくせに。
「なわけない、って言ってるでしょ」
レナが目を閉じた。
私は少し屈んで、レナの横髪を右手でかき分ける。
そして優しく、キスをした。
……柔らかくて暖かい、ほっぺに。
「ふふっ、甘えんぼなんだから」
口を離して、私は言う。
レナの表情を見ると……なんだか少し、不服そうだった。
「どうかした?」
「……いえ、その、キス……」
「懐かしいわね。私もお母様によくされたわ。それを思い出しちゃったんでしょう?」
「……えっと……」
「……?」
「……」
「……なにか違った?」
そう尋ねると、レナはどこか恥ずかしそうに目を伏せた。
「いえ、なにも……」
「そう? 私たちの間で隠し事とかなしだからね?」
「え、ええ、そりゃもう……」
「ならいいんだけど」
「……次は、また心の準備ができた時にします」
「まだ何かして欲しいことあるの? いいよ、いつでも言ってね」
にっこりと笑いかける私。
しばらく、どこか引きつったような顔だったけれど、途中で『まあ、いっか!』とでも吹っ切ったように、清々しく笑うレナ。さすが姉妹。
それからティータイムが終わるまで、レナは私の膝の上で過ごしていった。
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