11歳―1―
ショコラが私の専属となって、数ヶ月後。
私が十一歳になって、十日ほど経ったある日。
いつものようにレナとティータイムを過ごしながら、毎年恒例のアナライズを自身に掛けてみる。
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【ルナリア・ゼー・トルスギット】
・HP 62/62
・MP 2731/2731
・持久 40
・膂力 15
・技術 92
・魔技 89
・幸運 1
・右手装備 なし
・左手装備 なし
・防具 貴族の服
・装飾1 貴族のブローチ
・装飾2 なし
・物理攻撃力 21
・物理防御力 33
・魔法攻撃力 51
・魔法防御力 49
・魔力神経強度 弱
・魔力神経負荷 0%
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ふむふむ、相変わらず異様なMPを除けば、持久と技術の増加が目立つ。ショコラとの鍛錬の結果だろう。
「良いオレンジが届きましたので、本日はそれを使ったケーキをご用意いたしました」
そこで、エルザが私たちの前にケーキを置いた。
「オレンジのケーキ? 初めて見るわね」
前生でも見たことがないので、本当に初めてだ。
――エルザの作るお菓子なのに、見覚えが無いなんて珍しい。しかもオレンジのケーキなんて、一度見たら多分忘れな……
と、そこで違和感の正体に気付いた。
――十一歳になったのに、まだエルザが居る!
そこに居るのが当たり前すぎて、すっかり忘れていた。
前生では、私が十歳の頃――エルザは十六歳――に結婚して退職したはず。
なんだけど……
「ストロベリーとは違った風味になりますので、クリームの作り方もそれに合わせております。お口に合えばよろしいのですが」
いつも思うけれど、こういうのを作れる人は本当に凄い。自分が前生でも今生でも作る方に縁が無かったから、余計にそう思う。
「いつかエルザが嫁ぐ旦那様は幸せね」
本音を使って、探りを入れてしまう私。
――すでに実家から縁談は来ているはずなんだけど……
「ルナリアお嬢様は、ご自身のことをご自身でできるお方ですから。お側に居なくて良い時間で、できる限りさせていただいているのみでございます」
微妙にはぐらかされた。
――まあ、世間話の一つと思われても仕方ないか。
とにかく一口食べてみる。
ふわりと柔らかい生地が舌の上で蕩けて、口の中に広がるオレンジの香りがクリームと良く合う。
「うん、美味しい!」
「本当、凄いですねエルザさん……」
正面に座るレナも口元を押さえて言った。
「お気に召していただけたようで、なによりでございます」
エルザが小さく頭を下げる。
「あとでフランも是非食べてみてね」
私はそう声を掛けた。
「ありがとうございます」
レナの側に立つフランが礼をする。
習い事や訓練の合間の、まったりとした、穏やかに楽しい時間が過ぎていく。
†
その後、ショコラの仕事が少し押してると言うことで、訓練まで時間が空くこととなった。
私の部屋で、エルザと二人になる。
丁度良いので、確認してみることにしよう。
「エルザって、今年十七歳になるわよね」
「はい」
「結婚の話とか、ご実家からされたりしていないの?」
率直に聞いてみることにした。
多くの人間の国では、十六歳で成人と見なされる。この国もそうだ。貴族や上流の平民は成人後5年以内に結婚するのが多く、成人前から婚約することも珍しくない。
エルザは平民ではあるが大商会の娘で、上流と呼ばれる人種である。少なくとも経済力は。
「二年ほど前からそういう話もございますが……。率直に申しますと、あまり気乗りがしておりません」
「そうなの?」
「私は商家の次女でして。長男、もしくは長女の夫が家督を継ぎ、次男以降の男子が重役に就き、次女以降の女は取引先や貴族に嫁がせてつながりを作る、という考え方です」
「なるほど、貴族と考え方は近いかもね」
「そういうものなのだと思って生きてきましたが……。丁度、ここ二年ほどのルナリア様のお考えと、ショコラの生き方に、感銘を受けまして」
「私とショコラ……?」
「お二人の『後悔しない生き方』が、今の私のお手本です」
「へえ。それじゃあ、なにかしたいことがあるの?」
「ルナリアお嬢様にお仕えし続けることです」
「……それがしたいことなの?」
「はい。格好良く言いますと、尊敬できる主に忠義を果たすこと、でしょうか」
しばらく、私は唖然と、エルザは泰然と、時間が過ぎた。
「……ここからは、ご内密にお願いしたいのですが……」
エルザが声を潜めて、私に顔を近づける。
「え、ええ、もちろん」
「浮気癖、暴力癖、多数の離婚歴、一回り……酷いと三回り以上年上……そんな相手と、家のためという理由だけで結婚するのは、苦痛です。苦痛である、と気付いてしまいました」
――商人の社会的地位は、最低に近い。
とある国では『士農工商』などと称されるそうだけれど、この国でもほとんど同じ考え方だ。『商人は全ての職業で最底辺』と。
エルザは容姿も良いし、能力も高い。
けれどそれでも、『家と家のつながり役』と考えると、安く見積もられてしまうのだろう。
「ショコラのように、生涯を掛ける、と断言出来る勇気は、今の私にはありません。ですが、尊敬できない夫の子を産み、育てる時間が惜しいのです。であれば、年下であろうが、心から尊敬できる方に忠誠を尽くすことの方が、幸せです」
いつもは冷静で、どこか無機質なエルザが、今はわずかに頬を紅潮させて、瞳を潤ませ、じっと私を見つめてくる。
――不思議だ。
前生で家のために生きた私は、誰からもこんなこと言われた経験無かったのに。
今生で自分のために生きていたら、レナもショコラもエルザも、私なんかを慕ってくれる。
「……ありがとう。そう言ってもらえて、嬉しいわ」
万感を込めて、そう答えた。
彼女達の信頼に、心の底から応えられる人間になりたい、と思った。
「そういうことなら、ご実家には私から一筆書かせていただきましょう」
私は自分の机に向かって、引き出しから紙とペンを取り出した。
「……と、申しますと?」
「エルザは十把一絡げに嫁に出すより、ルナリア・ゼー・トルスギットの側近に置く方が、より多くの利益を家にもたらす、とね」
私がニヤリと笑ってみせると、エルザは目をぱちくりとさせて……次の瞬間、ふわりと微笑んでくれた。
「ありがとうございます。御身の側近として、今後も尽力させていただきます」
丁寧なカーテシー。
「肩肘張る必要は無いからね。明日のティータイムも楽しみにしているわ」
そうして、私はエルザの家に宛てた手紙を書き始めた。
†
私達――というかレナが襲撃される事件まで、あと半年ほど。
爵位を持つ貴族は、二年に一度、王都にある王宮に赴き、この二年間の出来事を王に報告することが義務づけられている。
これを『参謁』と呼ぶ。文字通り、参って謁見するわけだ。
その道中、野盗の集団から襲撃に遭う。
それを迎え撃つのが、私兵団の皆である。
けれど数の暴力と、なによりギガースという絶対的な力に為す術なく、私とレナの馬車まで辿り着かれてしまった。
とはいえ、私兵団が矢面に立つのは必然。
そして今の私は当時と違い、兵の士気というものが如何に勝敗に関わるか知っている。
というわけで、ここ最近はセレン先生以外にも私兵団の皆と交流を持つようにしていた。
お喋りをして、時にお茶をして、新兵に剣や魔法――エンチャントくらいだけど――を教え、不満があればできる限り解消して。
――たとえ、卑怯と罵られようと。人気取りと蔑まれようと。平民や下級貴族に媚びていると見下されようと。
レナを助けるために、使えるモノは最大限に使う。
そこに躊躇いなど持ってる暇、もう残されていないのだ。
†
「旦那様もお嬢様も、どうしてここまで我々に良くしてくださるんですか?」
そんなことをしていると、顔見知りの剣兵の一人からそんな質問を投げかけられた。
まだ若い、私とさほど年も変わらない青年だ。
その隣には、剣兵の隊長も居る。青年の問いに僅かに表情をしかめたような気がした。
「私兵団のほとんどは平民なのに……お二人とも、普通だったらあり得ないくらい顔を出されます。旦那様は最近来られませんが」
お父様も私と似たようなことしてたんだ。
――やっぱり親子なんだなあ。
「迷惑ですか?」
そう聞き返してみた。
「とんでもない。ありがたいんです。ありがたいんですが……不思議なんです。知り合いの執事も言ってました。この家は公爵という王族に次ぐ立場なのに、あまりに下々と距離が近い、と」
イズファンさんも前にそんなこと言ってたな。
「……では、我々が私兵団を持っているのはなぜだと思いますか?」
そう尋ねる。質問を質問で返してばかりで申し訳ないけど。
「なぜ……。やっぱり地位が高いから、襲われたりするからでしょう。それから防衛するためかと」
「そうですね。つまり皆さんは、お父様とお母様、そしてレナの命を預ける皆さんです。もちろん私自身もですが」
青年は私の言葉に、小さく頷く。
「翻って、預けられた貴方からしたら、ほとんど顔を知らない相手と、こうしてお茶を共にした相手、後者の方が守ろうという気になるのではありませんか? 偉そうにふんぞり返るだけの相手と、差し入れをくれる相手だったら、後者を助けた方が、自分の利益にもなるじゃないですか」
「……それは、そうですね……」
隊長も青年も、私を見る目が変わったのが分かる。
「そういうことです。有事に私の大事な人を助けて欲しいから、皆さんが働きやすく、仕えても良いと思える相手になろうと努力しているのみです」
「ですが、努力するのは本来自分たちの仕事では……」
「もちろん皆さんの仕事でもあります。でも、双方が努力した方が、効率も良いでしょう?」
「……それは、まあ……」
「最初の質問に戻りますが、『良くしてくれている』と皆さんに思ってもらうことが、手段というわけです。『有事に私の大事な人を守ってもらう』という目的のための」
「つまり……」
と言いかけて、青年は言い淀んだ。
「構いませんよ。どうぞ仰ってください」
私は先を促す。
「……つまり、本質的には、自分たちのことなどどうでも良い、ということですか?」
瞬間、隊長が青年の頭を机に打ち付けた。
そのまま自分も机に額を付ける。
「教育至らず、大変申し訳ありません。以後、是正して参ります……」
隊長がそう謝る。
「隊長、顔を上げて、その子のことも離してあげてください。別に謝られるようなことは言われていません」
「ですが……」
「命令しないと聞いてくれませんか?」
なんか前にも使った手段な気もするけど、そう言うと隊長は青年を離して、ゆっくりと顔を上げた。
その次に顔を上げた青年の目を見る。
「今の質問にお答えします。どうでも良くはありません。が、優先順位はお父様とお母様とレナの下です」
そう言うと、今度は後ろに居るエルザからの視線が痛くなった気がした。
――でも、仕方ないじゃん。本心なんだもの。
「特にレナは、私の一番大事な人。なので、そのレナを守る皆さんが二番目になると言えるかもしれませんね」
エルザの非難の視線が背中に刺さる中、私は隊長の左手と、青年の右手を、それぞれ握った。
「……だから、どうかお願いします。私を見捨ててレナを助けられる状況になったら、迷わず私を見捨ててくださいね」
「なにを……?」
「いえ、訂正します。お願いではなく、これは命令です。公爵令嬢という立場を利用して、貴方たちの自由意志を無視した、私のワガママです。私の命で済めば良し、レナの傷は許しません」
二人とも呆然と……けれどどこか真摯に、私の目を見返す。
「私の死後に皆さんが責められるようなことが無いよう、お父様にも話は通しておきますから。ご安心ください」
「お嬢様、おやめください。縁起でも無い……」
そこでエルザがとうとう仲裁に入ってきた。
二人の手を離して、エルザに振り返る。
「あら? エルザ、この前言ってくれたじゃない。私に忠誠を尽くすことが幸せだ、って」
「そうです。ですから……」
「私が死んだ程度で、貴女の忠誠は消えてしまうの?」
そこでエルザが黙ったので、私は再び青年に向き直る。
「答えに納得いきましたか?」
青年はしばし黙る。
そして、
「一応は納得いきました」
と答えた。
「一応、というのが気になるんですが……」
「いえ、だって。もしルナリア様が亡くなったりしたら、レナーラ様は、不幸になってしまうと思うので」
ぐうの音も出ない私だった。
――というか、私兵団にまで私達の仲良しって伝わってるんだ……
「ですが、ルナリア様のお気持ちは理解出来ました。答えてくださって、ありがとうございます」
青年はどこか晴れやかに言った。
そして隊長の方を見て、
「もしルナリア様とレナーラ様を天秤に掛けなければいけないことがあれば、天秤をぶっ壊してでも、お二人とも助けましょう」
なんてことを言いのける。
そんな部下の言葉に、隊長は小さく笑った。
「確かに。そりゃ、そうなるな」
「……目の前で命令違反の談合が繰り広げられてるんですが……」
ジト目で二人を見やる。
「恐れながらルナリア様、『レナーラ様を守る』という命令に忠実に従っているまでです」
慇懃に言う隊長。
「心に致命傷を負っては、いくら体の傷を避けても意味がありませんので」
こういうときにしっかり合わせてくる青年。
「……しっかり教育が行き届いているようで、なによりです」
そう言うと、ドッ、と二人が笑い出した。
エルザも口元を抑えて、くすくす言ってる。
――私だけ仏頂面なんですけど! この不敬者ども!
†
ある日、ショコラとの訓練後。
いつものように、レナと三人でお風呂に入っている時だ。
「ルナ、何にそんな怯えてるんだ?」
レナとお湯の掛け合いで遊んでいたら、不意にショコラがそう尋ねてくる。
ちなみにショコラは最近、私のことをルナと呼ぶようになった。
「……怯え?」
レナと二人でショコラに振り向いて、聞き返す。
「口では遊びのチャンバラと言い張るが、そんなわけ無いのはもう見てる全員明らかだ。初めからそうだったけど、ここ最近のアンタは特に鬼気迫っていやがる」
「……そうかな?」
「私兵団の奴らにも、自分の命よりレナを優先するよう言ったらしいじゃねえか」
情報源はエルザかな。最近、二人は私の臣下という仲間意識のようなものが芽生えているようだし。
「貴族で、女で、未来の王妃候補ですらあるアンタが、なにをそんなに怯えてるんだ?」
真っ直ぐなショコラの目。
誤魔化しもはぐらかしも通じないし、したくもならない、そんな純粋な目。
――さて、なんと答えれば良いだろう……
返事を考えていると、ふと柔らかい感覚が左腕にしがみついてきた。
見ると、レナがどこか不安そうな目で私を見上げて、抱きついている。
自然と口元がほころんだ。そっと右手で彼女の頬に触れる。
「……夢を見たの。とてもリアルな夢。大勢の敵が、私兵団では為す術ない暴力で、レナを攫っていく夢」
私はそう切り出した。
「……夢、ねえ。それで?」
ショコラはどこか疑うようなニュアンスで、けれどそれ以上は問い詰めず、先を促してきた。
「……私は使用人に抱きかかえられて逃げるの。でも、レナは誰も抱えてくれなくて、そのまま追いつかれてしまう。『助けて』って、レナは何度もこっちに叫んで。私も『離して』って言うけど、ダメって言われるだけ。そのままレナを何人もの男が取り押さえて、縄を口に巻かれるのを見ながら、私だけ逃げ延びるのよ」
静まりかえる。
――うん、嘘では無い。前生を夢と形容しただけで。
「だから、自分も強くなろう、って?」
ショコラが言葉の続きを代弁する。
「まあ、そんなところ。公爵なんて身分だし、現実に起きてもおかしくない、って思うから。だから、少しでも後悔したくないだけ」
「……」
ショコラのあの目が、私のことをジッと見つめる。
「あともちろん、純粋に剣を振るのが楽しくて、性に合ってるっていうのもあるよ。剣にも魔法にも無縁な性格だったら、そんな夢を見てもどうとも思わなかったかもね」
ショコラを真っ直ぐ見返す。
少しして、ショコラが小さく息を吐いた。
「……ルナと話してると、ずっと年上の人と話してるような気分になる」
「分かります!」
レナが即座にショコラに同感を示した。
「まだ十一歳のくせに、達観しすぎてるというか……。我欲じゃなく鍛錬する様が、どうにもうちのジジイどもと被るんだよ」
「ジジイは口が悪いわね」
「んじゃあ、師範どもだ。あの人達も、子供や孫の危機になれば、当然のように命を掛ける気で居た。上手く言えねえけど、普通子供って、もっと自分が世界の中心だと思うんじゃねえかな。それを、全く感じねえ。無理矢理抑えてるんじゃ無くて、本当に無に感じるのが不気味だし、すげえヤツだよ」
「……悪口なのか褒められたのか、判断に困るわね」
「まあ、6:4で褒め言葉寄りだ、多分」
「多分て……」
ぎゅっ、とレナが私の左腕を抱く力を強めた。
「私は、10褒め言葉ですよ」
この世のありとあらゆる幸福を詰めた微笑で、レナが言う。
「ありがとうレナ、もう大好き!」
レナに抱かれたままの左腕を彼女の右脇の下に入れつつ、右腕も背中に回して、ぎゅーっ、とレナを抱き締める。
――僅かに膨らんだ乳房の感覚で、内心レナの成長に感激を覚えながら。
きゃーっ、とレナも声を上げて、私を抱き返した。
「はいはい、ごちそうさん」
見なくても分かる苦笑いで、ショコラが言い捨てる。
――心底から、不思議なのだ。
毎日こうして過ごしていたら、いずれ飽きてもおかしくないのに……
全く逆で、毎日こうしているからこそ、今日という日が一番に感じる。
無くしたくない。
絶対に。
――私が、師範達と同じ?
全くの買いかぶりよ。
私なんて、我欲の塊。
欲しい幸せは全部手に入れたくて、持ってる幸せは一つも手放したくないから、剣を振っているだけ。
違うとすれば……一度暴走して死んだ自分自身に対して、あんまり固執する気が無いことくらい。
けど、それでも。
私兵団の青年やエルザが言ってくれたように、レナが、ショコラが、エルザが……『私が居なくなると不幸になる』というのなら。
私自身も含めて大事にしよう、と思えるよ。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
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