10歳―6―
それから、さらに二週間ほど経った日。
この日はセレン先生お休みの日。
本人は「毎日でも!」と言うけれど、気晴らしして欲しいし、私も休まる日が欲しい。勉強やダンスの先生のお休みと合わせて、今では週に一回休んでもらっている。
そういう日は当然だが、魔法の授業もショコラとの訓練もお休みになる。
お勉強もダンスも無いので、基本的にはレナとお昼寝したり、お忍びで街に降りたりする。
そして夕方には、一人で魔法剣の練習。
庭に出て、魔力で作った剣を空に浮かべる。
シンプルな魔力剣、炎の剣に氷の剣、雷、風、水、光、闇……
それらを全部私が操作するのは現実的では無い。そこで、それぞれに簡単な命令を与える。庭の中でレースさせたり、剣同士で戦わせたり。どんな命令をすると、どういう風に動くのか、観察する。
いざというとき、どう動くか分かってなかったら上手く使えないしね。
今の目標は、二百本の生成。
けれど百本を超えた辺りで、体が痛む。
アナライズで自分を見ると、魔力神経負荷が70%に到達している。
これ以上無理して魔力神経を壊しても良くない、そこで中断した。
「はぁっ……!」
息を止めていたつもりは無いけど、そんな気持ちで大きく息を吐いた。
魔力神経がもっと強くなってくれないと、これ以上の数は無理だろう。
――こればっかりは、体の成長を待つしか無い……
魔力神経を休めながら、飛び交う剣の観察を続ける。
そんなとき、ふと背後で芝生を歩いてくる音がした。
振り返ると、ショコラが立っている。その目は、空を飛び交う魔力の剣達に向けられていた。
「お疲れ様。今日はお休みじゃなかったっけ?」
後で知ることだが、ショコラは休みの日はあちこちで体を動かしているらしい。この日は裏山でトレーニングした後だったそうだ。
「……なんだ、こりゃ」
私の言葉は届いていない様子で、ショコラは言う。
「魔法の練習。今日は魔力剣にレースさせたり戦わせたりしてる」
「はぁっ!?」
「どう命令すればどう動くのか、把握しようと思って」
「あれ全部に命令してるってのか?」
「うん。私がいちいち『飛べ』とか『斬れ』とか言うのも面倒だし。私が作った物なのに、わりと個性があって面白……」
そこまで言ったところで、ショコラに胸ぐらを掴まれた。
チュニックの胸元が少し破れて、胸元がはだけてしまう。
私の目の前にショコラの小さな顔。眉根を寄せて、私を睨みつけていた。
「てめえ、いつもは手加減してたってのか……!」
「ど、どうしたの?」
「魔法に詳しくない俺でも分かる。これは異常だ。なんで普段、俺との試合で使わねえ!」
「いやだって、最初に言ったじゃん。私は近接戦の訓練がしたい、って」
気付いたように、ショコラがハッとする。
「……そりゃ、言ったけどよ……」
ショコラの勢いが弱まる。
「遠距離戦はセレン先生とある程度訓練してるから。自分自身の剣術を伸ばしたかったの」
「……エンチャントが異様に早くて完璧だったときに、気付くべきだった……。とんだ化け物じゃねえか」
ショコラが手を離す。
まるで泣きそうな顔で私を見ていた。
「ははは、最初っから俺に負けるつもりなんて無かった、ってことかよ。性格わりい……」
「いやいや、ショコラには近接戦で勝つよ」
今度は初めてマシュマロの感触を味わった幼児のような表情になった。
「それくらい動けるようになりたい、っていうのが第一。第二に、この魔力剣を使ってショコラに勝っても、意味無いじゃない?」
「じゃない? って聞かれてもな……」
「空から振る百本の剣で勝って奴隷にしても、なんか、理不尽じゃん。それじゃあ、ショコラのお父様が権力で無理矢理この国に来させたときと根本的に変わらないから」
――自分にはなすすべ無い強大な力で、自分の人生をねじ曲げられる……
そんなのはもう見たくもないし、ましてや、したくもない。
「私をガキと呼んで、反抗して、胸ぐらを掴んで、容赦なく叩きのめして……良い戦いができたときは褒めてくれる、そんなショコラが欲しい。剣の雨で命令を聞かせるなら、最初から紙と首輪で縛った奴隷でいいもの」
言って、胸元を正す。……けれど、ダラン、と開いてしまって、このまま屋敷に戻るには少々はしたない。
それでもショコラの普段の格好と比べたら全然なんだけど……。
「……俺の体だけじゃなく、心も今のまま奴隷にしたい、ってことか?」
ショコラの質問。
「まあ、そういうことだね」
「……欲深いヤツだ」
「そりゃあ、私は生粋のワガママ悪徳令嬢ですから」
なんせ、前生の王太子と聖女様からのお墨付きである。
「はっ、違いねえな」
――良かった、少しだけ笑ってくれた。
魔力剣が古い方から徐々に消えていく。魔力剣は生成してから時間が経つと消えてしまう。
「……服、すまねえな」
「急にしおらしくなっちゃって」
「悪い癖だ。頭に血が上ると、つい、な」
「まあ、感情的なのが、ショコラの良いところに繋がってるとも思うけどね」
「……怒らないのか」
「ショコラはそういう子だって知ってるし。だから専属奴隷に欲しい、って思ったのも私だもの」
「本当、変なお嬢様だぜ」
「でも悪いと思ってるなら、部屋まで送ってくれる? なるべく私の胸元が見えないように、前を歩いてくれると嬉しいんだけど」
「分かったよ」
それからショコラの背中にぴったりと胸元を付けて、私たちは屋敷に戻った。
†
それからまた数週間後の、雨の日。
雨の日は外での訓練はお休みなのだけれど、ふと「雨の中で戦うことがあるかもしれない」と思いつき、セレン先生とショコラに頼んでやってもらうことにした。
むしろどうして、雨の日は休み、なんて言っていたのか……。自分の想像力の無さが嫌になってしまう。
というわけで雨の中庭、私とショコラが対峙する。
セレン先生とレナ、それに二人に傘を差すイズファンさん。セレン先生は付き合わせて本当に申し訳ない。後の二人は私から呼んだことは一度もないけど、まあ一応心の中でお詫びを入れておいた。
一合目はまんまと駆け引きに負けて『咆哮砲』という戦技に吹き飛ばされて。
二合目は戦技もなく手数と速度で押し負けて。
三合目は私のリクエストで、ショコラの得意戦技『火鳥乱舞』を出してもらい、それを迎え撃つもあえなく撃沈。
雨の地面に背中から倒れた。
セレン先生の左手の石を見ようとするが、雨煙でよく見えない。多分そんなに壊れては居ないと思うけど……
ショコラに手を貸してもらって立ち上がる。
――うーん、『火鳥乱舞』はやっぱりどうにかできる気がしない……
――出される前になんとかするしかないのかな……?
などと考えていると、ショコラがまだ離れずにこちらを見ていることに気がついた。
「……お前、どうして、そこまで頑張るんだ?」
最近、こうして戸惑った感じの質問を受けることが多い気がする。
「どうして、って……?」
そのままオウム返しに聞き返すしかできなかった。
「お前、王太子の婚約者になる有力候補なんだろう? 将来なんて安泰じゃないか。なぜここまでして強くなろうとするんだ」
ああ、なるほど。
将来安泰に……見えるよね。
前生での私もお父様も、王族になる苦労は予測していたけど、将来そのものは疑ってなかった。
「……王太子の婚約者になったって、安泰なんて無いよ。人生は理不尽だらけだし、自業自得だらけ。だからせめて、後悔しないで生きる、って決めたんだ。頑張る理由なんて、それだけだよ」
婚約者になる気は無いと言えないので、ごまかして答えておいた。
「……後悔しないで、生きる……」
今度はショコラが私の言葉をオウム返しに呟いて、わずかに目を伏せた。
「さあ、早く続きしよ!」
「……ああ」
四合目は、切っ先を掠らせることはできたものの、前方宙返りから踵落としを肩に受け、木剣を落としてしまった。
†
訓練を終えて、泥だらけの私と、足下以外ほとんど雨に濡れただけのショコラ。
「ショコラ、今日は一緒お風呂入るよ!」
「……要らねえよ」
鬱陶しそうに濡れた顔を拭う。鬱陶しいのは雨か、私の言葉か。両方かも。
「今日は駄目。この後水浴びなんてしたら、風邪引いちゃう」
「しないから安心しろ。水なら散々浴びてんだから」
「体を温めなさい。これは貴女が仕える家の娘としての命令です」
瞬間、ショコラの首輪がわずかに光を帯びた。
「待て待て。権力や首輪で言うこと聞かせたくないって話はどうした!」
「そんなの時と場合によります。まずはお風呂に入りなさい。私たちと一緒にね」
言って、悪役っぽく笑って見せた。
「本当、とんでもないワガママお嬢だな……」
目を細めて、私を非難するように見てくる。
残念、そんなの全然効きませーん!
†
というわけで、私とレナとショコラで大浴場にやってきた。
三人で横並びで湯船に入る。右からショコラ、私、レナの順で縁にもたれ掛かる。
「暖まるぅ……」
冷えた体に暖かいお湯が気持ち良い。
「あーっ、こりゃいいな……」
見ると、ショコラがゆっくりと首まで沈んでいった。
「ショコラはお風呂って入ったことあるの?」
「何回かは。普段は入らないが」
「アルトノアは水浴びが一般的ですものね」
レナが会話に入ってきた。
「温暖な土地だからね」
私もそれに乗る。
「こっちはずっとこの寒さなんだろう? 嫌になってくるぜ……」
言いながら気持ちよさそうに目を閉じるショコラ。
そんな彼女に、私も頬が緩む。この分なら命令なんてしなくても、次からちゃんとお湯に浸かってくれそう。
「最近お勉強でアルトノアのことを学んでるのですが、獣人の皆さんは水浴びの後、どんな風に寝るんですか?」
「どんなって言われても……。あんまり変わらん。俺は小さい頃親父に憧れて、座って寝られるよう特訓してたこともあったけど」
「座って寝られるんですか!?」
レナの声が一オクターブ上がる。
「一応寝れるが、腰とか負担掛かるし、疲れもあんまりとれないし、最近はあんまりしてない」
「でも凄いです! 流石、戦闘民族って言われるだけありますね」
ショコラがどこか居心地悪そうに、横目で私越しにレナを見た。
「……あんたこの家の娘なんだろ? 奴隷に敬語とかおべっか使うんじゃねえよ。逆に気持ちわりい」
咄嗟にレナにフォローを入れ……ようと思った。
「? この家の娘ですけど、尊敬できる方に敬意を表するのは当然かと」
けれど、レナは真っ直ぐな言葉と目でショコラに答える。
「ご不快でしたか? どうすればよろしいでしょう?」
ショコラの言い方に萎縮してしまうと思ったけれど……レナは私が思った以上に強い子に育ってくれているらしい。
そんなレナの頭を黙って撫でてあげた。レナは不思議そうに私とショコラを見比べている。
「……お前ら姉妹はなんなんだ? 奴隷うんぬんは置いておいても、こんな見た目のチンピラ、避けて当然だろ」
こんな見た目、とは、その傷跡のことか。
私とレナは数瞬目を見合わせて、レナに返答を促した。なんだかんだ関係ができてきた私の言葉より、ほぼ初会話のレナの方が良いだろう。
「そうですね、最初はびっくりしました。でも、お姉様の大事な方ですし」
「姉貴が基準か。自分の意志は無いのか?」
「お姉様はショコラさんのお陰で楽しそうなので。それが私の意志です」
「理解できん。姉貴は姉貴、自分は自分だろ」
「はい。お姉様を大好きな私が、自分です」
ぎゅーっと横からレナを抱きしめた。
うんざりした様子で、そんな私たちからショコラは視線を逸らす。
「それに、最近は優しい方だと分かったので。もう全然、怖くありませんよ」
「優しくした覚えなんかないんだが」
「でしたら、根っから優しいということですね」
天使の笑顔でレナが言う。可愛い。
「……やっぱり変な姉妹だ、お前ら」
ショコラがどこか負け惜しみのように言い捨てた。ゆっくり目を閉じて、湯船の縁に寄りかかる。
「ショコラさんが羨ましいです」
「羨ましい?」
ショコラに代わって、私がそう聞き返した。
「一度取り上げられかけた剣を、素振り以外のことに使えるようになって……お姉様は本当に楽しそうで、毎日充実してるんだな、って分かるんです。私は、剣のことではお役に立てませんから」
「……俺の知ったことか」
「お二人とも私と一歳二歳しか違わないのに、本当に尊敬しますし……私には入れない世界に居ることが、羨ましいんです」
「そんなたいしたもんじゃねーよ」
「これからもお姉様のこと、よろしくお願いします」
「……けっ」
ショコラは悪態をつきながら、左手を一度振って見せる。
それは了解なのか、それとも拒否か。
まあどっちだとしても、今後付き合ってもらうことに変わり無いんだけど。
お風呂から出て服を着る。
私たちよりずっと早くショコラは服を着終えていた。相変わらず下着みたいな格好で、服と呼ぶには未だにしっくりこないのはナイショ。
「温まれた?」
黙って居るとさっさと帰りそうだったので、そう尋ねてみた。
「ああ。気持ちよかったよ」
素直なショコラである。
「気に入ったなら、使用人や奴隷にも解放してる時間あるから、自由に入って良いよ」
「大勢と入るのは嫌いだ。お前らだけの時で良い」
「また一緒に入ってくれるんですか?」
嬉しそうにレナが聞き返す。
失言に気付いたようにショコラが唇を噛んだ。
そんな二人の対比に、思わずにんまりしてしまう私。
「……まあ、風邪でも引いたら、お前のお姉様に怒られるからな」
「次はアルトノアのお話を聞かせてください!」
「へいへいお嬢様、お好きにお聞きくだせえませ」
二人が思ったより仲良くできそうで、嬉しい限りである。
裸の付き合い、なんて言葉があるけれど……私とレナ、そしてレナとショコラのことを見ると、真実だと思った。
†
ショコラと出会って、三ヶ月ほどが過ぎる。もうそんなに経ったのか、と、新しい生は時間の流れが速く感じる気がした。
――やりたいことを奪われた日々と、やりたいことができる日々の違いだろうか。
そんなことを考えながら、屋敷の廊下をエルザと移動していた。
ふと、向こう側からイズファンさんが歩いてくるのが見える。
「ルナリア様。お久しぶりです」
イズファンさんが礼をした。最近は訓練に来なくなったから、多分一ヶ月ぶりくらいだ。ショコラを心配しなくても良い、と判断してくれたのだろう。自分の仕事ができるようになったようで何よりである。
「お久しぶりです」
私も礼を返す。
「ルナリア様、本当にありがとうございます」
急に感謝を述べられた。
「なんのことでしょう?」
「ショコラなんですが、最近すっかり他の奴隷との関係が良くなりまして。元々覚えは良い方でしたから、最近は奴隷担当の執事達の間でも評価が高くなっています」
「へえ、それは良かったですね」
私に礼を言われる理由がまだよく分からないけど。
「ルナリア様お相手に存分に暴れられるからか、全然トラブルを起こさなくなりました。他の奴隷達もお二人の訓練を見ることがあるのですが、先日『お前凄いな』なんて声をかける者も居まして。それからショコラと奴隷たちの交流も増えているようです。いずれもルナリア様のお陰ですよ」
「なるほど、そういうことでしたか。それはとっても良い傾向ですね。ですが、お礼を言われるようなことじゃありませんよ。私はやりたいようにやってるだけですから……」
とは言うけれど、ショコラの変化自体はとても嬉しいことである。
――根は良い子なのよね。獣人の男家庭で育ったのと、捨てられたと思って腐ってたから、粗暴に見えてただけで。
最近はレナと三人でお風呂に入るのも、すっかり日常と化しつつある。
「こういうことを言うのは、よもや失礼かもしれませんが……。ルナリア様は自然体なのに、それでも周囲を変えていける、まさに王妃たるべき方だと感服しております」
「買いかぶりですよ。今回はたまたまです。ショコラもなんだかんだ、育ちが良い子ですから」
「ですが我々はそんなことも見抜けず、ずっと持て余しておりました。大の大人が揃って恥ずかしい限りです」
「あまり褒めすぎないでください。私、すぐ調子に乗ってしまうタイプですから」
前生で正式に婚約者になってからの空回りっぷりがそれを物語っている。
「はははっ、流石、旦那様も似たようなことを仰ります。『賞賛は思っておけ、口に出すな。直接言うたび、その相手を愚か者に近づける』と」
「分かります。なんだかんだ、似たもの親子ですから」
「他の屋敷に勤める友人には、『褒めそやしておかないといつクビを切られるか分からん』と言う者も居ます。この屋敷に勤められて、本当に良かったです」
「イズファンさんの人生に良い影響が与えられたなら、私も鼻が高いです」
イズファンさんは一瞬目を見開いて、わずかに笑みを零した。
「……お時間取らせて失礼しました。あらためて、ルナリア様が王妃の座に着く日を心待ちにしております」
苦笑いしか浮かべられない私である。
――そんな未来を迎えないように剣を握ってる、と知られたら、がっかりさせちゃうんだろうなあ、きっと……
別れの言葉を互いに告げ、彼の背中を見送る。
その後、ふう、と小さく息を吐いた。
「もう、イズファンさんったら褒めすぎよね」
「いえ、妥当な評価かと」
エルザは即答でそんなこと言ってきた。
――えっ? この子もそっち側?
「塞ぎがちな性格であられたレナ様が毎日笑顔になれるのも、ショコラという奴隷の事情が改善したのも、お嬢様のご人望あってこそですから」
まあ、イズファンさんもエルザも、使用人の立場的にそう言わなきゃいけないんだろうけど……
向けられる期待が嬉しいは嬉しいけれど、心が痛いなあ、と思うのもまた、本心であった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
もし「良かった」、「続きを読みたい」、「総文字数が増えたらまた見に来ようかな」などと思っていただけましたら、
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